一話
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「お前がいい、お前がいい」
「……誰?」
「お前がいい。男の贄より女の巫女がいい」
「え? ……何のこと?」
「お前がいい、お前がいい。女のお前が妾は食べたい」
「……え?」
▲▲
少女はそこで目を覚ました。何日か続けて同じ夢を見ている。誰か、聞いたことのない声で、暗闇の中で少女は話しかけられ、よくわからないまま目を覚ます。
何だったんだろう……。そう思いながら少女は窓の外を眺めた。
「ココロちゃ~ん、居眠りの次は何呆けてるのかな~?」
そう言われて少女、符切ココロは軽く頭を叩かれる。
「いて、最近寝不足なので見逃してくださいよ~、先生」
ココロが大袈裟に頭を押さえてふざけたように言った。
「見逃しませんよ。罰としてここの問題、解いてください」
先生はページと問題番号を書いてある黒板をコツコツとノックするように叩いて呆れたように言う。
「ん~、たぶん三」
「これ英語の授業でこの問題が選択問題じゃないってわかって言ってます? せめて教科書を開きなさい」
適当に考えた素振りをして答えたココロに先生はさらに呆れた様子で言った。
天はココロの味方なのか、怪しいほど良いタイミングで、キーンコーンカーンコーン、と四限目の終了を告げるチャイムがスピーカーからなった。先生はため息をついて持ってきていた教材を纏め始めた。
「はぁ……明日の授業で答えが出てなければ成績から引いておきますからね。号令」
この教室の委員長が先生の言葉に反応して号令を掛ける。先生とココロのこんなやり取りはこのクラスになって二ヶ月ほどだが、何十回かは見られた光景だ。この先生以外の授業でも似た様子で、もはや日常茶飯事だ。
「あー、めんど。さて、じゃあ、あたし行ってくるね」
誰に言うでもなくココロは呟くと、目の前の席に座っている友人に宣言し、弁当箱を持って席から立った。
「えーと、塚込くんのところ?」
「そ、じゃあね!」
元気よく答えてココロは教室から出ていった。
友人の苦笑いを背にココロは階段を駆け降りていつも向かう一年生の教室まで腕を振りながら思いきり走る。
「ハロー、リューちゃん! ココロ先輩が来てあげたよ!」
「……あぁ、こんにちは、符切先輩。そろそろ昼を一人で食べさせて欲しいんですが」
扉が壊れるのではと不安になるほどの勢いでココロが一年三組と書いてある教室の扉を開けると、他の生徒など構わず叫ぶように後輩を呼んだ。
「素っ気ないなぁ、ココロ先輩って呼んでみ?」
「はぁ、行きますよココロ先輩。部室で良いですか?」
のそっと堪忍したように長身の少年、塚込龍之助は席から立って教室の入り口でウキウキして待っているココロのところに行った。
「もっちろん!」
テンションを上げてココロは龍之助についていった。
地下にある文芸部と看板が掛けられている部屋。部員は二十人ほどだが、半分以上は部長の三年生ですら顔も見たことがないらしい。そんな幽霊部員だらけの部活の部室なんてほとんど使われるわけもなく、ココロと龍之助が食堂扱いしていることの方が多いほどだ。
「ところで……ココロ先輩」
「なぁに? リューちゃん」
部室の机に弁当を置き、奥から二つパイプ椅子を取った龍之助がココロに話しかける。
「今日も綺麗ですね」
「知ってる、リューちゃんもカッコいいよ」
褒められて悪い気はしないのだろう。ココロがニコッと笑って返すと、龍之助は照れたように口元を隠して目を反らした。
「誰も来ないよ、安心して」
ココロがニマリと笑いながら囁くように言った。
「……ココロ先輩」
龍之助が跪いてココロの手を取り、呟くように言った。
「その灰桜色のくせっ毛の髪も、似紫色の瞳も、女子にしては高いその身長も、着崩した制服もとても愛しいです……」
「うん、知ってる」
ニコッと満足気に微笑んでココロは答えた。楽しそうに龍之助の頭を撫でてみたりもする。
「いつまでこれやらせるんですか、かれこれ二週間は言ってます」
勢いよく立ち上がって龍之助はイラついた声色で言った。
「リューちゃんがあたしをバカにしたからでしょ~。夏休みまでは言ってもらうからね」
「ちょっとバカにしただけでこれなんだよなぁ。器ちっさ」
楽しそうにクスクス笑っているココロに龍之助が文句を言うと、にっこりと笑顔を固めたココロがグッと龍之助に顔を近づけた。
「ん? よく聞こえなかったな、私が卒業するまで毎日が良いって?」
とぼけたようにココロが言った。
「とんでもない、とんでもない。夏休みまでの貴重な期間を楽しませていただきますよ」
感情表現に乏しい顔で呆れたような笑みをつくって龍之助はココロに答える。
あれは、龍之助がこの文芸部に入部したての時だった。龍之助がココロに「バカっぽい」と言ったのをきっかけに数日後の実力テストの結果で賭けをしたのだ。そこでココロが龍之助への怒りからか学年でトップの成績を取ってきて「恥ずかしい台詞を毎日言うこと」という命令をしたのだ。
そして、それを心から楽しんでいる。
「さてと、お昼食べちゃおっか」
充分に楽しんだココロが机に置いてある弁当を指差して言う。
「そっすね、時間にも限りがありますし」
龍之助がパイプ椅子を一つココロに渡して答えた。
「そういう気が利くところ、私は好きよ」
あまり使っていないせいか部屋の奥にあるパイプ椅子は基本埃を被っている。それを綺麗に拭き取ってから渡してくる龍之助の顔を見ながらココロが優しい笑顔を向けて言う。
「あ、お断りします」
「まだ告白してないんだから勝手にフラないの」
無表情で龍之助が流れ作業のように答えると、頬を微かに赤くしたココロが手を口元に当てながら嬉しそうに言った。