表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

カレー小説 臆病者、カレーを食べる

虚飯(うつろめし)~臆病者、カレーを食べる~

作者: 侍 崗

江戸時代の人って、なんだか味の薄いものを食べていたイメージだったのですが、意外に塩分の濃いもの、辛い物を食べていたみたいです。そんな昔の人たちがカレーを口にしたらどう感じるのでしょう。

なんだかんだで気に入りそうな気がしますね。


※この物語はフィクションです。登場する人物、地名、店名は架空のものであり、実際のものとの関係はありません。

 えー、古今東西、世の中には不思議なことが多々ありまして、まだまだ解明されていないことや、証明できないことがあります。オーパーツなんてものや、海の中や砂漠の中にあった筈の古代の超文明という話もある。

 東京がまだ江戸と呼ばれていた頃にも、そんな話はあったようでして、奇妙な形をした鉄製の「虚舟うつろふね」と呼ばれるものを描いた絵などが残っております。不思議なことはいつの時代でも人々の興味を惹くものでして。今回はそんな不思議な出来事を。

 とある長屋に住む熊五郎、クマと呼ばれる男は、隣の八三、ハチがここ何日も留守にしているのを不審に思い、表店おもてだなで商店を営む、差配(さはい ※大家)の「ゼンイチ」の下へ向かいます。

 江戸には、町人が住まうことが許された「町人地」という区画がありまして、その中に長屋というアパートメントがございました。現代のように鉄筋コンクリートの2階建など、大層なもんじゃありません。表の通りに面した建物は「表店」という商店などが多く、長屋はその裏、「裏店うらだな」「裏屋うらや」などと呼ばれている木造平屋。隣との仕切りは薄い板なもんですから、両隣、表裏にみーんな筒抜け。

「裏店の 壁には耳も 口もあり」って歌があるくらい、壁なんてあってないようなものでした。ですから隣がいるのか留守かなんて、少し耳を澄ませれば分かるものです。


「差配さん。よろしゅうございますか」


「おお、クマじゃねぇか。どうした。まぁ、上がんな」


「どうも、ええ実はね、ハチの野郎がこのところどうにも戻って来てねぇんです。明けに仕事へ向かっている風でもなく、こっちが呼びかけても、返事一つ無ぇ。お伊勢参りに行くなんて時期じゃねぇ。こりゃ何だか厄介な事になっているんじゃないかと、相談に上がったまでで」


「そうかい。で、お前ぇさん、ハチのところは覗いてみたのかい」


「いやまだ……こんぷら何とかってあるでしょ」


「なんだいそりゃ。ちゃんと確かめねぇとお奉行様にも届られないよ。よし、私も行くから、中を見てみねぇと始まらない」


 そう言って二人は、ハチの部屋を開けてみましたが、ハチどころか、ネズミ一匹出て来ない。

 まるでついさっきまで、そこに誰か居たかのような風でもある。


「見ての通り、誰もいませんや」


「よく考えてみたら、あのハチだ。岡場所にでも入れ込んでいるかもしれないな」


 今いなくなっているハチ。相当の酒好き女好き。小金を集めては佃や深川へ遊びに出かけておりまして、酷い時には商売そっちのけで、一晩二晩、平気で留守にするような男でした。けれど、いつの時代もお金はかかるものでして、いくら吉原より安いとされる岡場所も、金のない庶民が、そう何日も御大仁遊びができるもんじゃあ、ありません。


「それなら、付き馬に首根っこ掴まれて、差配さんの所へ金の都合をつけに、戻ってくるんじゃありませんか。第一、ハチの野郎、家の事や女の事はだらしねぇんですがね、金の事だけは、本当にしっかりしてやがる。そんな奴だから、何か面倒事でも、あったんじゃないかって」


「ともかく、番所とお奉行様へは言づけておこう。皆にも私から見かけたら連れてくるように言っておくから、今日は帰んなさい」


 そうして、更に五日経った明け方、ハチの部屋からドーン!という、雷でも落ちたような大きな音が響きました。

 まだウトウトしていた裏店の全員は、何だ何だとハチの部屋へ押し寄せ、中へ入ると、ずぶ濡れで丸裸のハチが仰向けになって白目をむいている。


「ちょいと。ちょいとハチさん。おーい、ハチ。やい、ハチ公! ワンワン!」


「犬っころみたいに呼ぶんじゃねぇよ、ああコリャいけねぇ。誰か、井戸から水汲んで、あと気付け持ってきてくんな」


 皆が介抱してハチが目を覚ましたのは、お日様も上った朝五つ。今でいうところの午前九時頃ですな。目が覚めてもハチはボー……と視点が定まらない。歩けはするようなので、クマがゼンイチの下へ、引きずって行きました。


「ハチ、どうしたんだい。皆心配してたところに、今朝は大きな音出して戻ってきたってぇじゃないか。何があったか、言えるかい。ありゃ、どうにもぼうっとしてるねぇ。まだ寝てるんじゃないか。お前ぇさん、どこで何してたんだい」


 ハチはまるで柳のようにユラユラ揺れながら、呟くように答えます。


「……先に行ってた」


「え、なんだって?」


「明日の、来年の、ずっと先の……二十一世紀?」


「こっちに聞いたって、わかりゃしないよ」


 どうにもこんな受け答えでは埒が明かない。

 そこへクマが、膝をポンと叩く。


「差配さん、酒はありますかね」


「何だいクマ。こんな日の出てるうちからそんな酒なんて」


「どんな薬より、こいつにはそれが一番効くと思いましてね。何しろアタシ、飲ませてやろうにも、今日は手持ちがありませんで」


「仕方ないね。おい、誰かいるかい。酒を都合しておくれ」


 それをゼンイチが伝えるが早いか、今まで呆けていたハチが、カッと目を見開いた。


「えっ、酒! へへ、じゃあ、ご馳走になります」


「驚いた、あれだけぼうっとしていたのに、酒ってので目を覚ましやがったのかい。しょうがない奴だね」


「えへへ、どうも。おはようございます」


「おはようじゃないよ。調子いい奴だね。で、お前ぇさん、どこに何をしに行ってたんだ。皆心配していたんだよ」


「それが、アタシにもね、よく分らないんですよ。この間ね、小金が貯まったもので、馴染みの店に顔を出しに行ったんです。深川の。そこで馴染みの女と一晩しゃれ込みまして……おっと、その前に、へへ…酒が来ましたよ。ああいい匂いだ。へっへ、いただきます。あ、キスケよう、酒があるんだから、つまみの一つも持って来いよ。気ぃ利かねぇ野郎だな」


「人ん家の丁稚を、顎で使える立場かい。まぁいいや。適当に持っておいで。で、女としゃれこんで、駄賃が払えなかったのかい」


「いえ、それがね、明けに女と別れて、いい気分で歩いてたら、急に眼がくらんで気が付いたら不思議な場所で寝てましてね。建物がみんな、石なんですよ。それで、黒い石で固められた道を鉄の箱がこう、物凄い勢いで走ってるんです。あのほら虚舟なんてあるでしょ? あれがね、そのまま走ってやがるんですよ」


「よくわからないね。夢でも見てたんじゃないか」


「アタシもね、最初は夢だと思ってたんですが、どうにも夢じゃない。その鉄の箱にぶつかりそうになったとき、通りがかりの野郎に助けられまして……どこに住んでいたか、それが何者かは、わからないんですが、アタシの恰好見るなり『サツエイか何かか』と言われたんですが、わかんねぇと言ったんですよ、そもそも気が動転してるでしょ? で、まぁ野郎がいくつか問を投げかけて来るうちに周りが見渡せるようになってきて、気が付いたら腹の虫が鳴っちまってた。見上げたら、さっきまでは薄っすら出ていた筈のお天道様が、もう天辺。ああこら昼九つだなって呟いたら、その野郎が飯に行こうっていうもんですからね、どうせ夢ならついていこうと、ご馳走になりまして」


 酒を飲んでよく回る舌になったハチの話を傍らで聞いていたクマは腕を組む。


「余計に判らなくなっちまった。で、どこの誰か分からない人についていって、それで丸裸で放り込まれたってことか」


「いや、そうじゃねぇ。最後まで聞けよクマ。でね差配さん。アタシ深川から日本橋に歩いていた筈なんですが、忍が岡の弁天様の近くで目を覚ましていたんですよ。酔っぱらってゃいましたがね、そんな方向を違えることなんて、今までありやせんでしたよ。ええ、それでね、塔みたいな石の家の並びに、ちょっとだけ小さい店がありまして、そこへ連れて入られた。驚いたのなんのって……明々と店中を照らす仕組みの分からない灯りが点って、漆喰じゃない白い壁で覆われてんですよ。木と鉄で組まれた台と腰かけがあって、何人も野郎と同じ恰好の人間がこう座って、飯を食ってるんですよ。何より、その建物の中に漂う匂い。臭いってわけじゃないんですが、何とも不思議な匂い。それがね、辺り一面にふーんと、立ち込めてるんです。アタシ聞いたんです、ここはどこなんだって。野郎すました顔で『かれい屋さ』と言いやがる。かれいとは言うんですが、鰈なんか、一枚も出てきやしねぇんです。出て来るのはなんというか……味噌汁なんですよ」


「味噌汁? 屋号にしても、鰈屋なんて名前は聞いたことないねぇ。で、その鰈屋さんで、お世話になってたのかい」


「いえ、世話になったというか。それにね、その味噌汁。味噌汁じゃなかったんですよ」


「味噌汁が味噌汁じゃなかったら、何だってんだ」


「いや、分かんねぇんだよそれが。……ありゃ、酒がなくなっちまった。おーい、誰かある。酒を持て」


「莫迦を言いなさい、うちは飲み屋じゃないんだ。しかし、味噌汁が味噌汁じゃないというのは、全体どういうことだい。お前ぇさんの言ってることがめちゃくちゃで、私ぁもう、なんだか頭痛がしてきた。」


「へぇ、それがね、野郎が言うには、遠くインドって言ったか……なんだか、天竺から伝来したって飯だそうで、出て来るのは銀の長細い丼に入った、濃い味噌汁みたいな色した汁物と、綺麗な白い皿に盛られた白飯。汁物の中には芋と、ありゃなんだろう鴨か鶏か。でね、野郎が食い始めるから、その後に続いて汁を飲んでみたんですが、どうにも……辛いんです。あの味噌汁の塩ッ辛さじゃあなくて、ビリビリっとこう……喉の奥からはらわたから、焼けるように辛いんでさ。アタシ知らないもんですから、もう驚いちゃって声上げて飛び上がっちまいましたよ。毒でも盛られたかと野郎に詰め寄ったんですが、野郎も余所も平気で食ってやがる。天竺の飯の事は分からないんですがね、こりゃこんなに辛い物を天竺の人が食うってんなら、そりゃお釈迦さまも悟りを開けちまいますよ。うへへ、お待ちかねのお酒ですよ。おっとっと、零すと勿体ねぇ」


 二合用意された酒の一合をあっという間に飲み干し、ハチは続けます。

 その抑揚は段々とリズミカルを通り越し、変拍子に。


「でね、アタシ言ったんですよ。こんなもの食えるかー! けど言いながらも、不思議とその次にはもう銀色の匙を、飯に突っ込んで汁に混ぜて食ってる。汗は出るわ、口は辛いわで嫌なはずなのに、食っちまう。不思議なもんですねありゃ。中に入っている身。芋も肉もなんですが、噛むとすぐに崩れるんです。裏のばばぁが拵える煮っころがしだって、もうちょっと固ぇや。そりゃ汁に浸した部分よりは辛くない。だからこれは、箸休めとしての身じゃねぇかなと思うんですよ。でね、綺麗な形したびいどろのかわらけに冷たい水があるんで、ぐっと飲み込んでも辛さはなかなかひかない。けど、周りが平気な顔して食ってるもんですから、アタシなんだか意地になっちゃいまして、がーっと一気に飲み込んだんです。そしたらもう、汗が止まらない。腹ン中も大火事みたいにあっちこっちで」


「まてまてまて。忍が岡にそんなに辛い物を出す店なんて、聞いたこともない。ハチよぉ、夢の話を聞いてんじゃねぇんだ」


「まぁクマ、ちょっと聞こうじゃないか。それで、その……鰈屋さんで天竺の飯をいただいて、どうしたんだい」


「不思議なもので、あんなに辛いのにどうしても頭ン中で考えちまって、もう一杯野郎に頼んでもらいまして」


「あきれた奴だね。そのもう一杯付き合うその方も、偉くお人好しだけれど」


「で、腹いっぱいにはなりましたが、煮えたぎるはらわたが収まらねぇ。そうなると何だか落ち着かなくて、酒が飲みたいってぇと、じゃあ知ってるところに行こうってんで、野郎が言いましてね。ついていくと、こう、でっかい建物の地面に潜って、鉄の大蛇に乗ったんですよ」


「またおかしなことを言いだしたよ。なんだい鉄の大蛇って。地面の底にそんなものがいるってのは、もうそこはこの世ではなくて、お前ぇさん、地獄にでも行ってきたんじゃないか」


「ええもう、地獄でした。凄い人だかりに、轟轟と穴倉の向こうから響く音と風。よしとくとアタシ断ったんですがね、野郎は大丈夫だっていうんです。聞いたこともない音に、アタシと違う恰好をした人ばかりで、皆アタシをじろじろ見て来るんですよ。本当に地の底にはこんなところがあるわけないと、ナンマンダブナンマンダブって拝んでるうちに、大蛇が止まりまして、地面へ顔を出してみたら、驚きましたよ。地獄行だと思っていたら、浅草の観音様の前だったんですから。ああもうアタシぁ死んじまって、天竺の、お釈迦様の食べる飯を食わされて、ようやく極楽にたどり着いたと、ただじーっと、拝んでましてね」


「いよいよ訳が分からない。深川からの帰り道に、お前ぇさんはおっ死んじまって、石の塔が並んだ忍が岡で、天竺の飯を食わされて、鉄の大蛇に乗ってたら、観音様まで辿りついたって。夢にしても奇妙だね」


「夢と言わないと、どうにも落ち着かないんですがね……なんだっけ……野郎につられてぇ、これまた色々な酒を飲んで、飲んだら次、飲んだら次をしてる間に、気が付いたら、日が落ちてやがる。極楽でも夜は来るもんだなって考えてるとね、ヒック……今度は風呂屋に行こうっていうんですよ。いよいよアタシも気味が悪くなっちまって、あのー……お前さん、何者なんだって初めてそこで聞いたんです。そしたらね、その……なんだ……何者でもない、面白いから連れて回っているって、奇妙なことを野郎、ぬかしやがる。まぁ乗り掛かった舟だーっこうなりゃなんでも言ってやると。天国なんだから、天国の女としっぽりやりたい……なんて言ったら、ついて来いってんで、野郎が見立てた観音様の御膝下の湯女ゆな屋へ入ったんですよ。これまたすごいんです。部屋が桃色でしてね、見たこともない装飾が施された壁や床……あとそこにね……ヒック。飯食ってないような、ゴボウみたいに細い女に連れられて、見たこともない形の湯船に張った熱い湯につかってたら、眠くなっちまって、こりゃ湯あたりしちまうと湯船から出ようとしたとこで、すっ転んじまって、目を覚ましたら、我が家の筵の上だったんですよ。へへ……ご清聴ありがとうございました」


「何言ってんだい。祝言のあいさつじゃねぇんだよ。それにしても、聞けば聞くほどわからないね。それにハチ。お前ぇさん、飲みすぎてもう呂律も回らなくなっちまってるじゃねぇか。そんなに飲みすぎたんじゃ、気付けの意味がねぇ」


「ハチ、どうやって帰ってきたかはわからないが、取り合えずその忍が岡の鰈屋さんへは、どうにか探して私から今度、ご挨拶に行くとして、その何者でもない某さんは、どこの誰か分からないのはこまったねぇ」


「差配さん、こいつもう酔っぱらってて、どこまで本当か、自分でもわからなくなってやがる。大体、味噌汁の様で味噌汁じゃない、腸の煮えくり返る辛さの天竺の食べ物だって。聞いたことねぇや、そんなの。それにお前さん、着物も財布も全部なくしちまってんじゃねぇか。女遊びが過ぎたところをムジナにでも付け込まれて、一杯食わされたんだよ」


 顔を真っ赤にそめてふらふらと揺れるハチは、宙を眺めながら呟いた。



「ああ……あれなら……もう一杯、食ってみたい」


 虚飯という一席。ありがとうございました。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ