1.蟲姫と婚約破棄
「ほら、来たわよ。あの紫髪よ。あれが蟲姫…」
「ああ、聞いたわ。契約した召喚獣が全部低ランクの蟲型しかいないんですって?」
ひそひそとささやく声が私の耳に入り、気分が悪くなる。
そろそろこの誹謗中傷も慣れてきたかと思っていた矢先これだった。
私の、ジャネット・アヴリーヌと言う名前がこの魔法学園で良い意味で呼ばれることは決してない。
12歳で入学したときから私は侮蔑の対象であり、他の生徒達は私をけなすことで鬱憤を晴らしているようなものだった。
入学して二年たった今でも、それは絶えることなく、学園が積極的に他国からの留学生の受け入れをしていることもあってそれは増えている。
私が生まれた時は……次の王妃などと言われたが今となってはその話も消えかかっている。
「はぁ……ご先祖様がこんな国を作らなければこんな苦労はなかったかもしれないわね」
ここメフィラス王国の建国は遥か古代まで遡る。
国祖、フィルマート"テイマー"メフィラスによって建国されたこの王国で魔力を持つ者はその力で召喚獣と契約することが義務付けられている。
まだ魔族の王がいたその時代、伝説の獣と共に魔王を封印したフィルマートが末永く人と召喚獣が仲良くなれるようにと作られた契約義務の掟は現在までの数千年で権力者たちにより曲解され、捻じ曲げられてきた。
今から千年ほど前、召喚獣ランク付けの制度が始まり、やがてそのランクが貴族の爵位よりも優先されるようになっていったのだ。
低いランクの召喚獣を持つ者はたとえ侯爵であっても、高いランクの召喚獣を持つ男爵より優位に立つことはできない。
こんなことが続いた結果、以前は力を持っていた家が没落し、新興勢力が台頭するようになった。
ああ、何たる皮肉であろうか。時の摂政マーロン・アヴリーヌが定めたそのシステムは、千年の時を経て、子孫である私を苦しめる呪いとなっていた。
千年前の愚かな先祖は、その返しが来るとは思っていなかったのだ。
かつて王族と密接なつながりを持ち、宰相として国を操った男の家の末路。
それこそが私だ。と、そんなことを考えながら廊下を歩いてゆく。
私に挨拶をする人も、話しかけてくれる人も、誰もいない。道を差し出すかのように避け、嗤っている。
しばらくすると、学園のはずれの森の入口へと出た。
涼しい風の流れに身をゆだね目を瞑る。
≪キィ!キュイ!≫
と声が聞こえた。私にしか聞くことのできない、とても愛おしい声。
『開け、この世への道よ怒れる森の王。我が前に姿を現せ』
そう、スペルを小声で呟く。
空中に魔法陣が出現し、その光の中から私の召喚獣が現れた。
全長は5メートルを超え、8つの脚と7つに光る赤い目。その体中にはびっしりと体毛が生えている。
≪キュ!≫
脚の一本を私の頬に擦り付ける。ふわふわの体毛が妙にくすぐったい。
「わはは。くすぐったいよぉ!」
この子が私の大好きな使い魔の一匹、ジャイアント・スパイダーのスーちゃんだ。
私が五歳の時、初めて呼び出して契約したのがスーちゃんだった。9年前は掌に収まるくらいの大きさだったのに、今ではこんな大きくなっている。
本来ジャイアント・スパイダーでも1メートルがせいぜいらしいのだが。まぁスーちゃんとりわけ元気だからだろう。
私はスーちゃんの背中に乗って寝転がる。そのふわふわの体毛が私の身体をしっかりと受け止めてくれた。
毎日、学園の授業が終わったら誰もいないここで二人でゆったり過ごすのがルーティンになっていた。
王家みたいな厳重に守らなければならない人物の召喚獣は数十人の魔術師を導入し保護されているらしいが、低ランクと診断されたスーちゃんには関係のない話だ。
召喚獣のランクなんて、そんなことはどうでも良かった。
幼かった私にとっての一番はスーちゃんでスーちゃんもそれを理解してくれていた。
寂しかった時、怖かった時、楽しかった時、スーちゃんが隣にいてくれたから、私は私になれたのだ。
「随分と、大きくなられましたね」
声が聞こえた。今まで何回も聞いたことのある声だった。
私は体を起こし、そっとスーちゃんがから降りて、スカートを引き、頭を下げる。
「お久しぶりでございます。キース・メフィラス第三皇子」
「……そんなに固くならないでといつも言っているのですが」
「私も、自分の立場は理解しておりますので」
彼の鮮やかな赤の髪が風で揺れる。短髪の第一、第二皇子と違って肩まで髪が伸びている。
ワイルド系と言う風貌とは大違いな紳士的な性格にこの学園の女生徒も多くが虜になっている。
「あなたは昔からそうですね。一応、僕は婚約者なのですよ?」
「ええ。ですから、分かっておりますと。」
彼との婚約は私が生まれる前に既に決まっていたことだった。だから他の王子よりも彼とよく会っているし、話もしている。だが私が10の時、3匹目の召喚獣との契約を行った日、両親からの罵倒と宮廷からの蔑みの目線で、私は完全に冷めてしまったのだ。
「それで、キース殿下はなぜこちらへ?」
「今連絡が来ました。あなたとの婚約は、破棄されると―」
その言葉を聞いた瞬間、私は安堵に包まれた。少なくともスーちゃん達があの憎悪と嫉妬がまみれる宮廷で過ごし、そのストレスにまみれることがなくなったからだ。
「……嬉しそうですね」
「いえ。とても残念です」
私は心ではなく喉から、未然も考えていない言葉を吐き出す。
「そうですか……。正直言ってしまえば僕も残念ですよ。これでも私はあなたの夫になりたかったのですがね」
思ってもないことをよく言うものだ。
「貴女とジャイアント・スパイダーは本当の信頼関係で結ばれている…僕とドラコもそうありたかった。あなたの夫になればその秘訣が分かると思ったのですがね。では」
そう言ったキースは私に背を向け去っていった。
彼が去る間、私はずっと頭を下げ続ける。もう彼とは対等の関係ではないのだ。
≪キュー…≫
「わっ、スーちゃん!?」
スーちゃんの前足が私の頭をなでなでする。私を慰めてくれているのだ。
「……ありがと」
空を見上げるともう太陽が沈み始めている。スーちゃんの帰還呪文を唱え、急いで寮へと戻った。
初めまして。こういった恋愛ものは初めまして書きますので非常に拙い文と思いますが、よろしくお願いします。
5/12 一部訂正しました。