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11 鉄砲水

 私はランドルフのお姉さんにつかまった。借りていた本を返すなんていう、いかにもな口実はランドルフの家族にすんなり受け入れられて、だから彼女は私を家の中に引き留めることに必死になった。


 本当はランドルフを説得することが目的だったからそうやすやすとは帰れないのに、彼女は私を帰さないようにあらゆる策を講じたのだから、事態はより複雑になった。美味しいお茶があるといって私をリビングの椅子に座らせたあと、まるで鉄砲水のように怒濤の世間話を投げかけてきた彼女を、制することができる者はあの場にいなかった。ランドルフはスポーツで難しい技を決めるタイミングを見計らうときみたいに、お姉さんと私の会話になんとか割って入ろうとしていた。


「ランディは昔から勉強だけは得意だったんです。この町でランディよりも上手に勉強を教えられる人間なんて他にいませんよ」


 彼女は巧みな話術によって、ランドルフを牽制しつつ何気ないふうを装い真のねらいを会話の合間に滑り込ませるということまでやってのけた。ランドルフはうんざりとした声を上げた。


「やめろって。この人には人を雇う権限なんて無いんだから」


 私はどうしてか、「この人」という表現に打ちのめされた。どうにかしてランドルフに名前を呼んでもらいたくて、仕方なくなった。


「わたしはランド、ランディにあのままずっと勉強を見てもらいたかったんです。でも本人が嫌だと言うなら、仕方ありません」


 ちょっとした意趣返しのつもりだった。わざと愛称を強調してみたけど、ランドルフは気にも止めなかった。というか、誰も気にしなかった。私は部屋の中に漂う砕けた空気に、すっかり魅せられていた。マナーや常識の方が個人よりも幅を利かせている特権階級の空気とは、まるで違っていたから。


「もうお帰りになった方がいいんじゃないですか? こんなボロい家に長居したら、男爵が心配なさるでしょう」


 ランドルフが嫌みっぽい口調で「男爵」という単語を持ち出してくれたおかげで、砕けた雰囲気が緊張感のあるものに変わってしまった。


 負けるものかと、私は高飛車な態度で対抗した。


「あいにく、送迎の馬車が戻ってくるまで時間があるものですから。迷惑であれば力ずくで家から追い出して下さいな。そんなことをする勇気があればの話ですけど」


 私とランドルフの謎の攻防の理由を、ランドルフのお姉さんと弟たちは分かっていないのに、分かっているようなフリをしていた。何の効果を狙うでもない愛想笑いを浮かべて。私もそれにならった。なぜなら私も、どうしてランドルフと険悪な仲になってしまったのか分かっていなかったから。


「あの、作業場でもご覧になります? 今日は両親が出払っていますが、ランディが案内しますよ」


 ランドルフのお姉さんは急に私を持て余して、弟に私のことを押しつけてしまおうと思い立ったようだ。


 ランドルフはすぐさま抗議の声を上げた。とくれば、私が彼の抗議に抗議することは自然の摂理であった。


「素晴らしいご提案に感謝します。ぜひ、見学させて下さい」


 ランドルフは、作業場は散らかっているからとか、服が汚れるからとか言って私の気を削ごうとした。でもその作戦は失敗だった。ランドルフは私じゃなくてお姉さんの説得をするべきだったのだ。彼のお姉さんは強かった。


「あんたが今すぐ掃除して綺麗にすればすむことでしょ。私はお茶を入れてきますね。何かあればそこの二人を遠慮なくお使いください」


 弟たちに面倒を押し付け、彼女は一人、颯爽と去っていった。ランドルフは渋々といった様子で、姉に命じられた通り作業場へ向かった。彼が作業場の掃除を終えるまで、ランドルフの弟たち、ジャンとエリクが私の相手をすることになった。


 最初は、初対面同時にありがちな当たり障りのない会話をしていた。私はどうしても二人に、自分は大人で、もういろいろ経験しているんだというふうに思われたかった。そして、そうすることを二人に期待されていると、無意識に思い込んでいた。それは彼らがランドルフの弟であることとは全く関係なくて、自分の育ちに対するコンプレックスのせいだったと思う。


 だからジャンが、どの話題は許されてどの話題は許されないのか測るために、ちょっときわどい質問を投げ掛けてきたとき、私はそういう話題には慣れているというような態度をとった。


 それをきっかけに、ジャンとエリクは肩の力を抜いたようだった。きっと彼らには「会話を盛り上げるならこれ」という話題があったのだろう。そしてその話題のほとんどは酒場などで交わされる、例えば私のおばあさまが眉をひそめて嫌悪するような、そんな内容だったのだ。


 いかがわしい言葉を遠回しに表現するための隠語が、二人の口から次々に飛び出した。本当は彼らが口にした言葉の意味を半分も理解できなかったのに、私はいかにもその手のことは熟知しているというふうに振る舞った。


 二人の質問はどんどん遠慮のないものになっていった。


 ダニエルとの関係はどこまで進んでいるのかと質問されたとき、私はとうとう返答に詰まった。ジャンとエリクが怪訝な顔をしたので、急ぎ言葉をひねり出した。


「ダニエルは優しいから。わたしが楽しいと思うことだけしてくれるの」


 それが、庭を散歩したり、カードやボードゲームで遊んだりすることだとは、言わないでおいた。そうすれば二人は都合よく解釈してくれると思っていた。


 でもやっぱり、相手をそうやって見くびるのは良くないことだったかもしれない。二人は私の声色や表情から、私とダニエルの関係が色めいたものでないことを悟ったようだった。

 二人は気まずそうに視線を交わして、何かをごまかすみたいに肩をすくめた。


「まぁ確かに、いとこ同士ってのはきついかも」

「親同士が兄弟って考えると、冷めるっていうか」

「俺なら無理だなぁ。想像しただけで鳥肌立つもん。ダニエルさんはすげぇよ、本当」

「元々は自分の兄貴の婚約者だったんだもんな。よく考えるとヤバいわ。どんだけ守備範囲広いんだよっていう」


 二人はひとしきりからからと笑ったあと、私の表情を見てはっと息を呑んだ。


「ああ、でもお嬢様はかわいいからさ」

「そうそう。ダニエルさんに飽きたらさ、ぜひ俺たちに相手させてよ」


 私は面白い冗談を聞いたときみたいに、明るく声を上げて笑った。パニックを決して悟られてはいけないと思ったから。


 部屋には再び、和やかな空気が漂った。それはひとえにこの部屋にいる三人の努力の賜物(たまもの)で、私たちは『冗談を言い合って笑っている人々』という題名のお芝居を、慎重に演じていた。


 そのとき、作業場の掃除を終えたらしいランドルフが部屋に戻ってきた。


 私は心底ほっとした。やっとこの神経をすりつぶされる空間から脱出できると思った。


 ジャンとエリクも、まるで助けを請うような目でランドルフを見ていた。


 ランドルフは不機嫌そうだったけど、この空間に居続けるよりも、不機嫌なランドルフとのおしゃべりの方が何倍も落ち着くだろうと私は思った。


 ランドルフは真っ直ぐ弟たちのそばに歩み寄っていった。彼は椅子に座っていたエリクの胸ぐらをつかみ、椅子から乱暴に引きずり下ろした。

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