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失敗した憎悪 後編

 私たちがこの石の城を拠点として二か月が経過した。

 私たちは既に暴走している使い魔への迎撃準備を終えていたが、それでも相手が来なければ動きようがない。

 襲撃が来るかもしれないとおびえていたのは最初の半月ほどで、もう完全にだらけ切っていた。


 もとより私もシンデレラもスノーホワイトも、新入りのソーンでさえ、何か明確な目的や目標に向けての段階というものが存在していない。

 であれば、ただの『日常』があれば、それを満喫するだけである。


 幸いと言っていいのだろう。私にとって『日常』に必要な研究のための設備は存在しており、それを存分に使って研究生活を送ることができていた。

 今までは基礎体温や血圧、脈拍ぐらいしかシンデレラやスノーホワイトを計測できなかったが、現在では肉体に不調な箇所がないのかも含めて徹底して調べることができた。

 私自身の魔導書に、多くの数字や文字が刻まれていく。後世に残せるかどうかはわからないが、それでも私自身が読み返すには十分すぎた。

 私が製造した使い魔が健康であることは嬉しいのだが、それとは別の喜びが確実にある。


 そんな私の上機嫌を察して、スノーホワイトやシンデレラも嬉しそうにしている。

 やはり親がつらそうな顔、嫌そうな顔、不健康な顔をしていれば彼女たちも不安になるのだろう。

 今にして思えば、スノーホワイトの陽気なふるまいも、私を元気づけるためだったのかもしれない。

 そうだと、彼女の知性を再評価できる。つまり、確証はないし私も信じていない。


「う~~」

「ねえねえ、こんな臭い部屋、もう出ようよ、ね?」

「や~~」

「やっぱり犬か猫にすればよかった~~!」

「む~~」

「いだ、いだ、いだ! 蹴らないで!」


 さて、私が三番目に製造した使い魔である。

 ロバの精神性を得た彼女には、古代生物である竜の肉体を与えている。

 コミュニケーション能力を高めるために人間型にしているが、彼女の体のほとんどは硬質な鱗に覆われていた。

 なお、シンデレラ同様に可変型である。戦闘形態になる際に一々ひと手間が必要ではあるのだが、その分燃費は良好であり、必要な餌は少なめで済む。

 つまり、普段の彼女は幼女である。


「いつも言っていますが、あまりラプンツェルを怒らせるようなことは言わないほうがいいですよ。貴女は大分無神経なんですから、もう少し根気というものを持ちなさい」

「はい、奥様……」


 ラプンツェルという名前を与えられた彼女は、ロバらしく自分の寝床にこだわりがあるようだった。

 二足歩行が可能になり知性を得たのだが、コミュニケーションは極めて雑である。一応意図を伝えてくるのだが、言葉を使って説明をしようとはしていない。

 その一方で、こちらの言葉はちゃんと理解しているので、知性に欠陥があるというわけではないようだ。


 実用性から見れば問題点は多いが、基礎研究分野から見れば成功と言っていいだろう。

 気に入らないことがあると手足でソーンを攻撃しているが、それはちゃんと手加減している。

 もしも本気で蹴っていたら、ソーンの体は致命傷を負っていたに違いない。


「ううう……言うことを聞いてくれない部下ばっかり……」

「う~~」


 とはいえ、私たちは今、ラプンツェルとソーンの寝床に集まっていた。

 正直私もロバの臭いが残っていて辛いのだが、頑固なラプンツェルを無理やり動かす労力を思えば、私たちが動くのが合理的だろう。


「ここにきて三度目の雨だな。そろそろ動きがあるとは思うが……」

「雨が降る度に集まってますけど、そんなに気にしなくてもいいんじゃあ?」

「杖の魔法使いはともかく、暴走している使い魔が襲撃を仕掛けてくるのなら、雨上がりが一番可能性が高い」

「そうは言いますけど……ここに私たちが来たのが二か月前で、この街が壊滅したのは更にその半月前ですよ?」


 外の雨によって城の中は少し冷える。

 だからではないだろうが、ソーンは体を震わせていた。


「まだ暴れているとしたら、どれだけ人が死んでるんですか?!」


 家族が死んでいるかもしれない、という可能性への恐怖ではない。

 それだけ凶悪で強力な使い魔が、野放しになっているということへの恐怖だった。


 そんな彼女に対して、ラプンツェルはやや同情的な目を向けている。

 親愛というわけではないだろうが、それなりには気を向けているようだ。


「参考になるかはわかりませんが……同じ知性ある使い魔としての意見を」


 行儀よく私の膝に座っているシンデレラは、想像していたであろうことを切々と語っていく。


「もしも私が、虐待されたとして。その記憶を維持したまま、今のように知性と力を得たのなら。きっと、力尽きるまで殺し続けるでしょう」


 それは、私が以前聞いた言葉に似ていた。

 意図して失敗作を製造すれば、苦悩の果てに裏切っていたという。

 もしも自分が失敗作だったとしたら、苦悩するまでもなく私を殺していただろう。

 そこに、裏切る、という後ろめたさは存在していない。


「スノーホワイトやラプンツェルは、あの研究所を知りません。人間という生物の無機質な傲慢に満ちた、独立した世界には狂気しかなかった。あくまでも、実験の対象としての視点ですが」


 私の後ろに抱き着いていたスノーホワイトが、彼女の悲しみを悟ってシンデレラの頬を舐める。

 スノーホワイトにとって、シンデレラもまた上位の存在なのだから。


「多くの研究者たちが私を観察して、とても多くの情報を得ていく中で、私という存在が幸運な一例であると知っていきました。普通はもっと失敗を経て成功にたどり着くものだと。試行錯誤を繰り返して完成するものだと。一発で、一度で、一回で成功させたお父様は……途方もなく幸運だと」


 彼女の評価はいつだって適性だ。実に客観的で、実に正しい。

 おそらくこの場の全員の中で、まともな精神性の持ち主だろう。


「書の魔法使いといえども、研究費は無尽蔵ではない。お父様のような雇われなら当然のこと。であれば一度の挑戦ですべてを失うこともある。そして、目に見えた成果がなければ誰も評価してくれない。書の魔法使いからの評価ではなく、雇用主が認める強さが必要でした。だからこそ……お父様は私にすべてを賭けた。私にとっても幸運なことに、完璧な『人間以上の使い魔』となったのです」


 シンデレラは、私の手を引っ張った。

 私により強く抱きしめるように求めた。


「お父様の論文、繭化の法を受け取った上司たちは、私には目もくれませんでした。書の魔法使いにとって、魔法とは誰がやっても同じ結果になるもの。まして新人であるお父様が一度で成功させたことを、より優秀な自分たちが潤沢な資金で実行すれば比較にもならない成果があるに決まっている。だからこそ、私はそのままでした。そんな私を、お父様は……本当に、ただの娘のように愛してくださった……幸運でした」


 スノーホワイトはなんとなく憶えていることだ。

 犬だったころの自分を、シンデレラと私で愛でていたことを。


「お父様は、自分の生み出した理論を正しく理解していました。猫が飼い主を必ずしも慕うとは限らない、父に娘が従うとは限らない、注いだ愛が返ってくるとは限らない。私という使い魔が危険であることを、きちんと理解した上で接してくださいました。もちろんそれは無償の愛ではないのかもしれませんが、有償でも愛でした。私にはそれで十分だったのです。あの知性のかけらもない連中とは違って……」


 知性のかけらもない連中、つまりは私の上司だった者たち。

 動物の精神性を与えれば、無条件で自分たちに従うと信じていた者たち。

 その事実を、検証もしなかった愚か者たち。

 常識と自尊心に縛られた、真の無恥にとらわれた者たち。


「ソーンさん、私は貴女に知性があると理解していますよ。貴女の臆病さは職業意識の欠如につながっていますが、強大な存在におびえる本能が正しく機能している証拠です。貴女が私たちに服従の姿勢を見せているのは、決して感情的なものではありません。社会性の動物として正しい行動です」

「て、照れますね……」

「もちろん、それは実験動物としての視点ですが」

「あ、そうですか……」


 勘違いしてほしくないが、私は決してソーンを高く評価しているわけではない。

 むしろ、私同様に低く見ている。だからこそ、信用しているともいえるのだが。

 それはシンデレラも同じらしい。


「少し話がそれましたね。とにかく、この地を襲った暴走している使い魔は、とても不運なことにそれしかしないでしょう。人間を殺すことだけを考えて生きているはずです」


 シンデレラの言葉には疑いがなかった、そうなるという確信だけがこもっていた。

 彼女の想像力と共感性は、慈悲につながらなかったようである。


「これは直感的なことであり感情的な認識ですが、暴走している使い魔はここに来ます。自分が殺し損ねた人間を殺すために、見逃すことなく殺しに来るでしょう」


 改めて、ソーンの言葉を検証する。

 私自身懸念していたことではあるが、暴走している使い魔がまだ生きていて、いまだに活動を継続しているのなら。

 一体どれだけの被害が生じているのだろうか。

 いくつの街が滅び、いくつの人が倒れ、どれだけの尊厳が蹂躙されてきたのだろうか。

 私たちが生活をしているこの廃墟と同じ無人の建物が、一体どれだけ朽ちつつあるのだろうか。


「交渉の余地はいっさいありません。なぜなら彼らに精神的な余裕も理性的な判断力も、一切期待できないからです。彼らに尊厳を認めるのならばこそ……殺すべきです」

「そうだな、シンデレラ」


 私は未だに、この惨状が自分の責任と思えない。

 そしてここへ来るであろう、暴走している使い魔と出会えることを心待ちにしてさえいた。


「もしかしたら既に倒されているかもしれない、倒されているべき彼が、ここに来ることを私も願っているよ」


 国家が全力を挙げて製造した使い魔をこの目で見たい、そして称賛したいのだ。

 失敗作であったとしても素晴らしい性能を誇る、暴走した使い魔とその製造者への敬意を示したい。

 私はつくづく、書の魔法使いであった。



 雨が降った日の翌朝、私たちは全員ロバの匂いがする部屋で目を覚ました。

 不思議なことに、全員がそろって目を覚ましていた。


 五人になった私たちは、気質も体質もまるで違うのに、それでも同じ瞬間に目を開けていた。

 とても奇妙なことに、眼が冴えていた。それが一種本能的な、虫の知らせだと直感する。

 もちろんただの所感だ。だがそれでも、私たちは一切口を開かないまま、静かに動き出していた。

 何かを覚悟しながら、ガラス窓越しに外を見る。


 そこには、何も見えなかった。

 細かい傷がついているので透明度が低い窓ガラスだが、それでも視界はまったく確保できていなかった。

 一言で言えば、濃霧だろうか。単独なら視認できないはずの微細な何かが、大気中を満たしすぎているせいで光を遮断していた。

 だが、何も見えないほどの濃度があるからこそ、そこに何があるのかがはっきりしていた。


「だ、旦那様……本当に来たんですか……」


 ソーンは震え上がっていた。

 彼女にとって来てほしくないものが、彼女の元同僚たちを殺してここまで来たのだと悟っていたのだ。


 その彼女に抱きしめられたまま、ラプンツェルは難しい顔をして外をにらんでいる。

 明らかに、その眼には意思が宿っていた。

 彼女はロバを元にしているからか、感情表現が乏しい。だがしかし、感情は確かにある。表情からそれが読み取れる。

 ラプンツェルという使い魔が暴走するかどうかは、まだわからない。しかし、彼女を失敗と呼ぶにはまだ早い、早すぎる。


「ああ、来るべくしてきた」


 そして、目の前の光景を見てしまえば、いかなる書の魔法使いであっても失敗だと断じるだろう。

 ここに来た使い魔は、完全に失敗をしていた。まさに暴走というほかない。

 汚染兵器が漏洩しているのであれば、ただ処理するだけだ。書の魔法使いらしく、ただ終わらせるとしよう。


 私たちは口や鼻だけではなく眼も保護されている厳重なマスクを身に着けて、滅菌されていない外へ向かう。

 もちろんそれだけでは不十分なので、ソーンにも活躍してもらうところだ。


「や~~」

「あの、旦那様? 私のラプンツェルがマスクをつけるのを嫌がっているんです。これはもう、私たちはここに残るしかないのでは?」


 しかし、ソーンは嫌がっている。彼女は基本的に憶病なので、脅威に立ち向かうことができないのだ。

 そういう意味では、とても納得できる行動と判断である。命の危機に対して奮起できるのなら、私の下僕になどなっているわけがない。


「安心しなさいソーン、私は貴女に選択肢を与えません。嫌がろうが死のうが、ただ使うだけです」

「ひゃあああ?! ま、待ってください、まだマスクをちゃんとつけてないんです! せめてつけるまで待ってください!」


 戦闘態勢になったシンデレラが、ソーンを引きずっていく。

 彼女には優れた知性と判断力があるので、ソーンと会話をするという無駄をしないのだ。

 死んでもいいと思っているのかもしれない。それはそれで、まあ仕方がないことだろう。

 はっきり言って、私も自分の命と彼女の命であれば考えるまでもない。

 モラルを守らなくていい悪党というのは、時として楽なものである。


「ラプンツェル、助けて!」


 引きずられながらもマスクをつけようとしている彼女は、私が制作した使い魔へ助けを求める。


「ん~~」

「よし、装着完了だ!」


 しかし私が製造した使い魔は自立しているので、必ずしも主に従うわけではない。

 あるいは、ラプンツェルはソーンを主だと思っていないのかもしれない。


 ラプンツェルはスノーホワイトにマスクを着けてもらっていた。

 もちろん助けを求めているソーンに対して、一切気を使っていない。


「旦那様! 私の使い魔、私を助けてくれません!」

「そうだな」

「たんぱく!」


 飼いならす時間が短かったうえでロバである。それで彼女へ懐くほうが、むしろ私の研究を否定している。

 だからこれでいい、私は現状を肯定していた。


 本来は防護マスクだけではなく、防護服によって全身を守りたいところである。

 しかし私とソーンはともかく、使い魔たちへ着せられる防護服はない。彼女たちに尊厳を認めるのなら、自分たちだけ優遇するのは間違っているだろう。


「それよりも、防護壁を頼む」

「ううう……ちっとも楽じゃない……」


 ソーンは杖の魔法使いとして平和を守っていた時、とても辛かったそうである。それは確かであると、私は疑っていない。

 しかしその一方で、逃避した先である私との旅が、安楽であるわけもないと私自身が知っている。

 私たちは社会からの脱落者、全体から排除された存在でしかないのだ。


「バリア~~~~~~」


 引きずられたまま杖を構えたソーンは、間延びした声と共に私たちを薄く光る膜で覆っていた。

 カンジョー隊に誘われていたという彼女の得意な魔法は、ほかでもなく防御魔法である。

 実に彼女らしい特技である、むしろこれ以外は思いつかないと言っていいほどだ。

 嗜好と適性が必ずしも一致するわけではないし、本人はひたすら嫌がっているのだが、確かに一部隊を率いるには十分な性能を持っている。

 今回の相手は汚染兵器なので、単純な硬度とは別の機能が必要なのだが、それをこなせる辺り優秀である。彼女本人はともかく、彼女の魔法は。


「ご要望通り、外からの魔法は遮断して、内側からの魔法は通すようにしてありますう~~」

「あ~~」

「ラプンツェル、褒めてくれてるの?」

「ん~~ちがう」

「違うんだ……そうか、初めてちゃんと喋ったと思ったら『ちがう』かあ……」


 ラプンツェルはソーンに向けて否定を示していた。

 しかし考えようによっては、否定もまた意志である。

 攻撃ではないし、無視でもない。そう悪いことでもないだろう、良くもないが。

 とにかく、これで対毒防護はより強固となった。これで表に出られるというものである。


 気密をある程度保っていた、滅菌済みの区画から出る。

 正しくは、入り口と出口に扉のある廊下から出る。


 今まで外に出るときは、必ず入り口側の扉を閉じていた。

 しかし、この城も今日で最後。不退転の意味を込めて、両方の扉を同時にあける。


「ああ……」

「う~~」


 外部から侵入してくる、猛烈な濃度の胞子。

 それが瞬く間に私たちの視界を隠し、さらに私たちの居住区へ入っていく。

 時間をかけて洗浄した区画は、今まで以上に汚染されていた。


 それを理解しているのか、ソーンはとてもおびえていた。

 かりそめの安住は、あらゆる意味で消えてしまったのだ。


「行こう」


 だがそれは、最初から存在しなかった安住だ。

 大きな城には相応の食料が保管されており、数人で消費していれば永遠に続きそうにも思える。だが食糧にも水にも、消費の期限がある。

 例え誰も訪れなかったとしても、ここはいずれ去らねばならない。それが今になったというだけだ。


 それでも、やはり惜しんでしまう。しみったれた私は、勇ましい言葉を口にすることなく、外に出ることしかできなかった。

 その外部はまさに死地。素人でもわかるほどに、汚染区域になっていた。


 視界を埋め尽くしている胞子は、戦闘では素人である私にわかるほど魔力を帯びていた。

 胞子一つ一つは些細であるが、城を含めた城下町全体を覆ってなお視界をふさぐほどの密度。

 その魔力の総量は、シンデレラをはるかに超えているだろう。この胞子一つ一つが知覚能力を持っているのだとしたら、私たちも既に監視下であろう。いや、今までもそうだったに違いない。


 ソーンは怯えていた。その彼女の脇を歩いているラプンツェルも同様だ。

 シンデレラやスノーホワイトでさえ、緊張の沈黙を保っている。

 だが私だけは、笑っていた。なんとも素晴らしい体験をしていると、心底喜んでいたのだ。


 ソーンの防護壁だけは清浄な空気が保たれているが、それでも私たちは重苦しいマスクを外す気がなかった。

 もしもソーンがこの防護壁を解除してしまえば、それだけで即死するという確信があったからだ。

 一寸先さえ見えない死の世界を、私たちは歩いていく。

 どこへ向かっているのかもまともにわからないまま、たださまよっていた。


 しかし、それも終わりを迎えた。

 突如として、胞子の濃度が下がり始めたのである。

 

 正しく言えば、大気中に満ちていた胞子が一点に集まり始めたのだ。

 胞子同士が菌糸でつながり、一つの集合体として完成する。

 それは巨大なキノコとしか言いようがない、巨大なウォーキングマッシュルームだった。


「よう」


 ウォーキングマッシュルームは、気さくな声を出していた。

 違う、そのウォーキングマッシュルーム自体が声を発したわけではない。

 周囲の胞子全体が空気を揺らし、音を出しているのだ。それが証拠に、声は前方からではなく四方八方から聞こえてきた。


「初めまして、か?」


 陽気を気取っているような声とともに、巨大なキノコは体を震わせていた。

 周辺の胞子が集まっているが故か、そのキノコの周辺だけは視界が確保されていた。


「そこの、顔色の悪いお嬢さん」

「……私のことですか」


 そのキノコが話しかけたのは、私ではなくシンデレラだったようだ。

 果たして暴走している使い魔は、成功例に対して何を語るのであろうか。


「アンタが、俺たちの試験作かい? 研究所の奴らが話していたのを、何となく覚えてるぜ」

「貴方達に共通して使われている技術、使い魔に精神性を継承される魔法を使って生み出された最初の使い魔、という意味ではその通りです」

「そりゃあ見ればわかるさ。胞子をばらまく俺とは、似ても似つかない」


 けらけら、乾いた笑いが聞こえてきた。

 まるで人間と話をしているような気分だった。『彼』は明確に、人間らしさというものを獲得している。どう振舞えば人間らしく思われるのか、きちんと理解しているようだ。


「で、そこの白いのも、もう一人の新しいのも、そうなんだろう?」

「ええ。お父様が製造した、人間を超える力を持つ使い魔です」

「へえ」


 会話そのものは、とても穏やかに進む。

 暴走している使い魔は、決して声を荒げない。ちゃんと受け答えをしている。


「お前たちが、成功例か」

「その通りです」

「羨ましいねえ、分かるよ(・・・・)


 ここに相互理解は完了していた。私でさえわかることだ、私の製造した三人の使い魔も察しているだろう。防護魔法を維持しているソーンもまた、歯の根が合わないほどに震えていた。彼女が逃げないのは、逃げて無駄だと察しているわけではなく、逃げることもできなくなっているだけだ。

 

「ええ、私もわかります(・・・・・)


 私たちは、憎悪に包囲されている。

 この会話はわかりあうためのものではなく、如何に憎悪をたぎらせているのかを伝えるためのものだ。

 どうあがいても分かり合えないのだと、確定させるための会話だった。


「許せねえ」


 なぜ彼がここに来たのか、私たちが生きていることを許せないからだ。

 なんとも想定通りなことに、彼は許可ではなく許容ができないのだ。


「失敗である俺が絶対になれないものに、お前はなっている。その状態に達することは、俺には不可能だ」


 彼の存在理由、彼自身が決めた己の尊厳、それは憎悪だけなのだ。

 それを差し引けば、何も残らないほどに。それほどに、心の中に余裕がないのだ。


「俺達はどうあがいても、最初の最初から、選択の余地なく誰かを憎まないとやってられなかった。そりゃあそうだ、あんな目に合えば、知性があろうがなかろうが、こうなるしかない」


 しゃべっているが、理性的ではない。感情的に、感情を伝えたくて仕方がない。

 わかり切っていたことではあるが、如何に憎悪しているのかを告げなければ気が済まないのだ。


「だからだろうなあ、腹が立つ。特に、カンジョー隊とか名乗ってた連中はどうしようもなく腹が立った!」


 憎悪は嫉妬に似る。彼はおそらく、自分の境遇を呪う一方で他人を羨んでいる。

 他人が自分とは違うことを理解したうえで、それに憧れるあまり憤慨しているのだろう。


「正義だとか使命だとか散々抜かした挙句、お前は生きていてはいけないだとか始末しなければならないとか! 人間の罪は人間が償うだとか! 安らかに眠れだとかなんだとか! 最後にはお前のような汚らわしくも忌まわしい兵器に、我らは屈するわけにはいかないだとか! ほざきにほざきやがった!」


 一足す一は二になるように、彼という存在は極めて矛盾なく憎悪をまき散らしていた。


「俺をそう作ったのは、人間なのになあ!」


 この場の私たちにはわかる。彼は憎みたくて憎むのではなく、作られたように動いているだけなのだ。


「で、お前たちだ。そこの使い魔ども、使われている魔物ども! お前たちもカンジョー隊と同じだ!」


 彼は罪を犯したのだろうか、彼は罰を受けなければならないのだろうか。

 人間の敵かもしれないが、彼に非はないのではないだろうか。


「俺を憐れんでいる! 俺を見下している! お前たちは幸福だ、俺がどう引き裂いても幸せな時間があるだけマシだ! 幸せな時間ってのがあっただけマシだ!」


 シンデレラの言葉を改めて思い出す。

 失敗作という廃棄するしかない存在を、意図的に生み出す傲慢さを彼女は嫌悪していた。


 その失敗作が、目の前にいる。

 シンデレラや他の使い魔が憐憫を抱くのも無理はない。

 それこそが侮辱であり、見下していることに他ならないのだが。


「ぶち殺すとも、全員ぶっ殺すとも! さあ怖れろ、顔をゆがめろ、後悔しろ!」


 周囲を満たすのは、やはりありえない濃度の胞子だった。

 そう、普通ならありえないのだ。今まで私が集めた情報を基準にすれば、ここまでの『量』を彼が維持できるなどありえない。


「どうせ俺単体じゃあ、そこまでの量は出せないと思ったんだろう? 人間を殺して苗床にしないと量が出せないとでも思っていたんだろう? 人間しか苗床にできないとでも思っていたんだろう? 近くに人間がいないなら弱体化するとでも思っていたんだろう? 抗菌薬と殺菌剤と防護マスクを付ければ簡単に倒せると思っていたんだろう?!」


 彼の胞子は高性能だが、その分新陳代謝が激しく寿命が短い。

 周囲に人間がいれば連鎖的に増殖するが、人間を消費しつくすと胞子の維持ができないのだ。

 

 そのはずだった。

 私に限らずどの書の魔法使いも、サンプルをもとにそう判断するだろう。

 だがそれなら、とっくに倒されていないとおかしい。


「甘いんだよ。残念だったなあ、俺を作った奴が死んでいて、俺の設計図が失われていて、俺の倒し方も性能もわからなくなっていて!」


 彼はそんな『当たり前の対応』を独力で乗り越えて、ここに至っている。

 私たちを殺すためだけに、態々戻ってきたのだ。それも、籠城を決め込むことができたであろう私たちに、汚染兵器だけで殺しに来たのだ。


「俺が人間だけを殺して苗床にしているのは、単に人間が嫌いだからだ! だがなあ、やろうと思えば他の動物だって殺して苗床にできるんだよ! 効率は悪いが、植物だって餌にできる! 無人地帯に引きこもっていれば安全だと思っていたか? 周りの森を全部食い尽くして、お前たちのために胞子を用意してやった!」


 彼は感情で動いているが、勝算は見失っていない。

 私たちを殺す算段をたてて、ここに来たのだ。


「抗菌薬を飲もうがこれだけの濃度があれば関係ない、そのまま窒息死させられる! 殺菌剤を散布しようが、これだけ胞子があれば足りるもんじゃない! 防護マスク? はん! そのフィルターはどれだけ持つんだ? 防御魔法もどれだけ張り続けられるんだ?! お前たちはもう、逃げられないんだよ!」


 まさに真綿で首を絞められるようなものだ。

 彼は私たちをじわじわといたぶり殺すつもりらしい。

 時間をかければ、量で圧倒すれば、ただそれだけで勝利できる。

 

「何か言ったらどうなんだ、人間様よお!」


 その言葉を、待っていた。

 私はマスクでも隠せないほどに大喜びをして、彼へ歓喜を伝えていた。


「君に会いたかった!」


 もう我慢できない。

 一般の動物はおろか、植物さえも捕食できる彼には、彼を作った魔法使いには感動しか覚えない。


 彼も、彼女たちも、全員が呆れている。

 この状況で喜んでいる私が、狂人にしか思えないのだろう。

 わかっていても、伝えずにはいられなかった。


「君は失敗作ではない。君の放った胞子を調べさせてもらったが、信じがたいほどに素晴らしい汚染兵器だった。これはもはや汚染兵器と呼べない、胞子一つ一つが使い魔と呼べるほどだった」


 決して、彼が喜ばないであろう賛辞を送ってしまう。

 だがこの機会を逃せば、もはやこの称賛を誰にも言えないのだ。

 きわめて残念なことに、彼を作ったであろう天才は、ほかでもない目の前の使い魔によって殺されているのだから。


「時間と設備があったので、人間の組織や動物の組織を使って、君の胞子が人間と動物を見分けるのかを検証させてもらった。君の胞子はある程度成長すると、動物の死体では繁殖しなくなり、人間の死体では一気に増殖していく。ウォーキングマッシュルームそのものが成長によって識別能力を得て自死するのかとも思ったが、実際には違った。胞子の濃度を最初から高めれば、つまり狭い空間に大量の胞子を散布すれば、最初から人間の死体にだけ胞子は密集していった。さらに、ある程度人間を模した人間の死体もどきに付着させた場合、近くに用意した人間の体組織へ向けて移動していった。つまり、胞子そのものが神経細胞のように働き、一定の量に達すると思考能力を得る。しかし思考能力を得ているとしても、それは君から独立しているのか、それとも君と完全に連結しているのか。前者なら君の思考、記憶が胞子にも引き継がれていることになる! 私の研究にもかかわることであり、大いに興奮した! そして魔術的に完全密閉された部屋で再度実験を行った所、ウォーキングマッシュルームは通常通りの特性を発揮したよ。ただし、繁殖速度、新陳代謝だけはそのままだったがね。私にとっては少々残念だが、一種の神経節のような働きをしているとわかった」


 シンデレラは少し残念そうだ。

 ソーンがやや引いている。

 ラプンツェルもうんざりしていた。

 スノーホワイトは、結構驚いているようである。


「よって、結論だ。君は発したウォーキングマッシュルームの胞子と相互に連絡を取り合っている。胞子の量が増えれば増えるほどに交換できる情報量も増し、精密な操作が可能になるというわけだ」


 もちろん、使い魔本人も嫌そうである。

 顔は見えないが、そんな雰囲気が伝わってきた。


「おそらく君の胞子は最初の段階でホルモンなどの物質を見分けることができ、それによって人間かそうではないのかを区別している。さらに濃度を増せば菌糸自体が周囲の情報を得ることができ、ウォーキングマッシュルームが本来持っていた苗床を走行させる性質によって人間へ向けて動かすこともできる……そんなところではないかな? いやあ本当にすごい! 君は素晴らしい使い魔だよ! 単なる軍用使い魔にするのはもったいない、極めて高次元の生命体だ! 君がその機能を単純に思考能力の増強に使用すれば、まさに成体演算機械として活躍できるに違いない! 素晴らしい発明だ、君の製造に私が関われたことを誇りに思うほどだ! すでに故人となっている、君の製造者と話ができないことが、残念なほどだよ……本当に悔やまれる、握手してほしかった……真の天才だよ、君の製造者は……一人ではなく複数だったかもしれないが、それだけの書の魔法使いが失われたことは、人類の損失に他ならない……!」


 悔しかった。

 私は彼の設計図が失われていることが悔しかった。

 如何に悪人とはいえ、倫理観がおかしい。

 多くの人命が失われているにもかかわらず、こんな事態を引き起こした書の魔法使いたちの死の方が重く思えたのだ。


「この世界は……書の魔法使いの研究は、数百年単位で遅れてしまったのかもしれない……!」

「それが最後にいう言葉でいいんだな?」


 呆れから憎悪に戻った彼は、私にいらだっていた。

 私の醜態を期待していた彼にとって、興奮と饒舌な発表は不本意だったらしい。


「お前は、俺を作った魔法使いと違うのかもしれないと思っていたが……まったく同じだな!」

「それは書の魔法使いにとって、最高の誉め言葉だよ。書の魔法使いは、知りたいと思ったことを調べ、調べたことを伝えたいと思うべきだ。それができているということだからね」

「お前は俺をイライラさせているよ! それが狙いだったのか? あああ?!」

「安心してほしい、私は君をいらだたせることが目的だったわけではない。君という知性を持つ使い魔に、本心から称賛を送りたかっただけなのだ。それが自己満足に過ぎなかったとしても、私にとっては大事なことだったんだよ」


 私は一冊の本を提示した。

 それは巌の巨人から奪った、膨大な資料の集合体だった。


「君の存在を無駄にはしない。私が調べた内容は、既にこの本に記してある。これを私が活用することはできないかもしれないが、後世に残すことだけは全力を尽くす。君という尊い犠牲を教訓として、繰り返さないようにすると約束しよう」

「ふざけてるのか? お前ここからどうやって切り抜けるつもりだ?」


 他でもない私こそが、誰よりも彼を見下しているのだろう。

 敬意をもって接しているつもりでも、それは彼自身の人格ではなく、彼という使い魔の肉体に対するものだ。

 まさに研究者と実験動物に他ならない。そしてそれは、この状況を明示していた。


「まさかとは思うが、お前の使い魔たちで俺を倒すつもりか?」

「そんなことはないとも、私は身の程を知っている。君を作った書の魔法使いより、私は数段劣っているのだからね。いくら手元にサンプルがあるとしても、君に勝てる使い魔を製造できるとは思えない」


 確かにラプンツェルを作りはしたが、彼女は本当に最終手段だ。

 勝ち目がないときに、逃げ出すための逃走を担うのが彼女である。

 少なくとも、彼を倒すことは役割ではない。


「第一、この状況で君を探すのがまず無理だ。嗅覚を発揮するにはマスクが邪魔だし、魔力で探知するにも胞子に含まれている魔力で阻害されている。視界はまさに見てのとおりであるし、聴覚も当てにはならないな。まさかとは思うが、私たちの前に出した、そのキノコが本体というわけじゃないだろう?」

「当然だ」

「いや、そうでもないかもしれないな。一応検証させてもらおうか、シンデレラ」

「はい、お任せを」


 シンデレラは防護壁の内側でマスクを脱ぎ、そのまま熱光線を放った。

 内側からの魔法は通過させる、ソーンの防御魔法。それによって成立する安全圏からの一方的な攻撃は、巨大なキノコを一瞬で焼き払っていた。

 まさに跡形も残っていない。アレがただのキノコであり、胞子の塊なら当然だが。


「効いたかね?」

「効くわけないだろうが」

「それは良かった! 準備が無駄になるところだったよ」

「準備だ? 一体何を、ほざいてやがる!」


 シンデレラはいそいそと、マスクをつけなおした。

 もちろん外していても問題はないが、何事も安全が第一である。

 そしてそれを終えると、改めて彼女は語り掛けていた。


「貴方の負けです」


 それは彼への慈悲なのか、それとも別の何かなのか。

 少なくとも、彼に対して勝利を喜ぶ精神性は彼女にはないだろう。


「貴方は自分が以前に勝利した、自分の記憶をもとに勝利を確信している。ですが……私は他人が使用した手段を、資料として有効活用することができる」

「わけのわからないことを……?!」


 激しい燃焼と、それに伴う突風や轟音。

 シンデレラが先ほど放った熱線を火種にして、この街に元々建っていた家屋が燃えている。

 一瞬視界を覆っていた胞子が飛散し、変わって黒い煙と炎が視界の一部を占領していた。


「魔法そのものの火力が低くとも、事前に火薬の準備をしておけば威力は格段に上がります」

「家の中に何かを仕込んだのか? 無駄だ、家を一軒燃やしたぐらいで、この街を覆う俺の胞子は……」


 言葉が途切れた。

 それは周囲の胞子の濃度が下がったからではあるまい。

 彼は理解したのだ、私たちの作戦を。


「まさか?!」

「お察しの通りです。貴方が何時どこから来るのかわからなかったので……この街全体が炎上するように、予め準備をしておきました」

「いくら火薬を仕込んでいたところで! 昨日雨が降ったばかりなんだぞ! そうそう簡単に延焼をするわけがない!」

「ええ、その通りですね。いくらなんでもこの街を燃やし尽くすほどの火薬が、この街一つにあるわけがない。ですが可燃物と酸化剤を各家の壁に仕込んでおきました。貴方が雨上がりの日に来るとは分かっていたので、準備は万端なんですよ」


 シンデレラの言葉通りに、爆発は連鎖し火の手は広がっていく。

 いまだに視界は開かれていないが、それでも街全体へ延焼が広がっていることは明らかだ。


 水で火が消えること、湿っている火薬では引火しないこと、それはとても有名だ。

 だがそれはなぜかと魔法的に説明すれば、水によって可燃物の温度が低下し、あるいは空気中の酸素と結びつかなくなっているからである。

 可燃物、温度、酸素。それがそろっていれば、燃焼は発生する。とても単純な理屈だ。


 そしてこんな雑な手は、正義の味方である杖の魔法使いには不可能である。

 私たち悪人は、物事の責任を負う気がないので、こうして被害を無視して行動できるのだ。


「だ、だが! お前たちは! 俺がこの街から逃げないと思っているのか?!」

「思っていますよ、逃げることなんて出来ませんから」


 直後だった。

 周囲の胞子が、不規則にうごめき始めていた。

 明らかに統制を失い、揺らめいて崩れてきている。


「あ、あがあああああああ!」


 胞子が発する音は、もはや声の体裁を保っていなかった。

 まさに断末魔というほかない。


「な、な、何をした! こ、kkkkkkkooooooooonaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!」

「燃焼すると有害な物質をまき散らす、汚染兵器を各家に仕込んでおいただけです」

「oooaaaaaaaaaaaaaaaa!」

「汚染兵器を操る使い魔として製造された貴方も、つまりは生物であることに変わりはありません。如何に自分の発する胞子を自在に操れたとしても、それ以外の汚染兵器に対して無敵というわけではない」


 汚染兵器を作るなど、それ自体は難しいことではない。

 私の手元には資料が十分にあるし、手順通りにやればそれだけで完成させることはできる。


 そして今現在周囲を汚染している有害物質が、ウォーキングマッシュルームの胞子に有効であることはあらかじめ確認している。

 もちろん彼自身に有効かはわからなかったが、少なくとも彼の胞子は無力化できているようである。


「vvvvvvvvvvvvvvvvvvv!」

「貴方が周囲の生物を全滅させたことは、私たちにとってちょうどいいことでした。これで惜しみなく、周囲一帯を汚染することができます」

「lllllllllllllllllll!」

「貴方の胞子と違って、浄化には長い時間を要するでしょう。ですがこれは失敗ではありませんよ、『暴走している使い魔』。きわめて予定通りの、大成功です」


 彼自身が言っていたように、要は量の問題である。

 彼がこの街全体を胞子で埋め尽くし、この街のどこに潜んでいるのかわからないとしても、街の周囲ごと汚染するだけの量の『殺菌剤』をばらまけばいい。

 この周辺にはもう生物はいないし、私たちは防護壁とマスクによって安全である。


「貴方は暴走していました。如何に素晴らしい性能を持っていたとしても、兵器として正しい運用ができていなければ、失敗するのは当たり前です」


 戦闘形態を解除したシンデレラは、うっとりとしながら私に寄り添った。


「貴方という使い魔は、元々都市襲撃用です。汚染兵器に狙われているとは思ってもいない街を滅ぼすことは正しい使い方ではありますが、こうして身構えている数人を襲うには非合理すぎたのですよ」


 そう、その通りである。

 彼は憎悪で人を殺していたが、だからこそ多くの失敗をしていた。


 ウォーキングマッシュルームの最大の特徴は、死体を動かすことにある。

 確かにとても有名で特筆に値することだが、それが『最大の武器』だと思うのは先入観だ。


 ウォーキングマッシュルームにとって、苗床を動かすのは最終手段である。

 なにせ死体を養分にしているのに、死体自体に残っている養分を消費して動かすのだから。

 食虫植物が虫を好んで食べる、というのが先入観であるように。


 死体を動かすのは、竹の花が咲くのとおなじで、非常事態の最後の賭けなのだ。


「君は何もするべきではなかったよ、暴走していた(・・・・)使い魔君。死体を動かしたりしなければ、私たちは残留していた胞子を吸い込んで、そのまま死んでいたのだからね。君はわざわざ死体を動かして、私たちにウォーキングマッシュルームの存在を認識させてしまっていた。確かに死体に近いほうが胞子の濃度も増すだろうが、それで生存できる時間はさほど変わらなかったとも」


 私たちを一刻も早く殺したいと思うあまり、あるいは怖がらせたいと思うあまり、彼は非合理な行動を選んだ。

 彼の暴走に、彼自身の非はない。だが彼が私たちを襲うやり方は、彼自身の失敗だった。


「hhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!」

「ああそうそう、一応教えておこうか」

「ggggggggggggggggggggggggg!」

「汚染兵器を使用するときは、自分の安全を確保することだ。取り返しがつかないことになるからね」


 私たちは炎上している街を再び歩き始めた。ソーンは相変わらずおどおどしているが、ちゃんと防護壁は維持してくれている。なので三人の使い魔たちも、私同様に平然と歩いていた。

 汚染兵器によって、もはや収集がつかなくなっているこの街だが、もうすでに収拾がつかなくなっているので大したことではない。


 この街の何処かで、あるいはこの街の近辺で、彼は息絶えるだろう。仮に生き残っても、甚大な障害が残ることは確実だ。

 彼が生命活動を終了させるまでどれだけ時間がかかるのか知らないが、遅くても早くても私は気にしない。

 私は基礎研究分野の研究者なので、実用性はさほど気にならないのだから。


 ああ、それにしても惜しい。

 彼に尊厳を認めなければ……捕まえて解剖できたのに。


「お気遣いいただき、ありがとうございますお父様」

「お前たちのためだからな」


 私は感情よりも理性を優先していた。

 やりたいことだけやっていれば、死ぬと分かっているのである。 

お付き合いいただき、ありがとうございました。


これにて、彼の物語はいったん〆させていただきます。


次の物語も、どうかお付き合いください。


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