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失敗した憎悪 中編

 私たちは石造りの城を一時の拠点と定めた。

 その城はそれなりに大きく相応に死体も多かったのだが、私用する場所以外の死体は特に整理しなかったので、ソーンの負担は比較的軽かった。

 もちろん、比較的ではあっても絶対的には軽くなかった。


 なにせキノコの生えている死体を引きずって、それをまとめて燃やさなければならないのだ。

 その死体が腐乱することなく乾燥していても、キノコが胞子を出していなくても、どのみち嫌であることに変わりはあるまい。

 特にキノコが毒の胞子をまき散らす上に、死体を動かすと知っていればなおのことだろう。


 彼女は途中何度も心折れそうになっていたが、なんとかやりおおせていた。

 私にとってとても重要な仕事をやってくれたので、正直に感謝している。やはり魔法の基本は整理整頓、実験室には埃一つなく、雑菌もないのが理想である。

 とりあえず実験室とその近くにあった仮眠室、それに加えて食糧庫や調理場などを清掃してもらい、さらにそれらを繋ぐ廊下を整理してもらった。

 言うまでもないが、一番大変だったのは長い廊下であった。とにかく死体が多かったらしい。


 私とシンデレラは枯れかけたキノコから胞子を採取し、殺菌剤の製造に着手した。

 なにせ単体で見ればただの胞子である。それを殺すだけでいいのなら何も問題はない。

 既存の殺菌剤の効果を確認した上で、それを多めに製造するだけでよかった。


 さすがは城の研究設備である。敵の汚染兵器に対抗するため、その手の薬品は多かった。医薬品としての役割もあるので、最初からそのあたりは心配していない。

 城の備蓄が尽きれば、街に出て箒の魔法使いの店を探せば見つかるだろう。

 

「お父様。これだけ設備が整っているのに、汚染兵器に対応できなかったということは……」

「時間をかけて散布し一気に発症させて殺した、あるいは膨大な胞子をばらまいたかのいずれかだろう」

「どちらにしても、相当量の胞子を支配しているようですね」

「厄介なのは……この胞子が魔法によって制御されているという点だな。流石にそこまで無茶が利くとは思えないが、培養した人体にも定着するかどうか。動物実験できないのは、難易度を上げているな」


 空中へ散布する分には少々有毒でも問題ないが、人体に注入する『薬』は可能な限り無害化する必要がある。

 シンデレラとスノーホワイトは人間ではないので発症の危険は低いが、ありえないとは言い切れない。私とソーンは確実に発症するので、胞子の治療薬の製造は急務だった。


 幸い、私にとって毒物は完全な専門外というわけではない。

 軍用の使い魔を研究していたので、当然毒物に関しても学校で履修している。

 加えて、私の手元には巌の巨人が集めていた魔導書がある。これには毒物や治療薬の製造法も書かれており、大いに私の作業を進展させていた。


「ふふふ……まさか私がこの本を活用することになるとはな」

「お父様、うれしそうですね」

「ああ、とても充実しているよ」


 専門外のことを研究せざるを得なくなった状況で、名もなき先人の知恵に助けられている。

 それは無念に散った書の魔法使い達に支えられているようであり、一種の陶酔にもにた恍惚感を得られていた。

 この魔導書を燃やそうとした巌の巨人の気持ちもわかるが、今こうして活用していることで先人たちが救われているとも思える。


「だがそれは後の話だ。私の肉体を培養し、試験用の肉塊を作る。それに胞子を感染させるところからだな」

「はい、お父様。できるだけ迅速に行いましょう」


 いや、きっとそれはただの感情だ。私の理性はそれが高揚感を説明しようとして、詩的に解釈しようとしているだけだとわかっている。

 ただ単に、私は研究者として課題を解決していくのが好きなのだ。


 国家に追われているので逃げなければならない。しかし、どこへ逃げればいいのかわからない、何時まで逃げればいいのかわからない。

 先を想像しようしても破滅しか思い至らない、どうしようもなく逃げ惑う生活を送っていた。

 それに比べて、私の現在は単純だ。私が胞子で汚染されている可能性があるので、治療薬を作成する。

 そのために何をすればいいのかなど、書の魔法使いである私の脳裏にはあっという間に浮かんでいた。それをこなせばいいだけなのだ、なんと素晴らしい。



 結果から言えば、たったの三日で治療薬は作成できた。

 噴霧器を用いて鼻から摂取し、肺に吸わせて使用する薬である。

 これによってウォーキングマッシュルームの胞子は無害化され、呼吸と共に排除されるようになっているはずだった。

 はずだった、というのは私とソーンしか被験者がおらず、その効果や副作用が確認できなかったからだ。

 まさか自分で人体実験をすることになるとは。とはいえ、何か問題があってもシンデレラが対処してくれると思うので、そこまで不安ではなかった。

 そもそも、そこまで強力な薬を使用してもいないので、副作用というのは大げさかもしれない。


「これで夜寝ている間に窒息して死んで、そのままキノコに乗っ取られるなんてことはなくなったんですね。よかった~~」

「ああ、少なくとも最悪からは程遠くなったはずだ。今後も朝昼に接種すれば、発症のリスクは下がるだろう」

「旦那様に拾ってもらえてよかったですよ。もしもあのまま偵察をしていたら、それこそそのまま死んでました。マスクもせずに突っ込んで、気づいたら窒息死……そのままゾンビに?!」


 大きな城を占拠している私たちであるが、寝泊まりは狭い仮眠室である。せっかくだから一番上等なベッドで寝ようという案を出すものは、私たちの中に一人もいなかった。

 その部屋がどこにあるかなど誰も探していないし、仮に発見した場合は清掃し直さなければならないので数日経過しても仮眠室の生活を続行している。

 すでにシンデレラとスノーホワイトは寝ていて、私とソーンはベッドに腰かけていた。

 詳しく説明すると、一台のベッドをソーンが独占していて、残る一つに私が腰かけている。そんな私の膝を枕にしてスノーホワイトが寝ていて、シンデレラは私の脇にしがみつきながら寝ていた。

 なぜ立場が一番弱いはずのソーンが一人でベッドを使っているのか。それは語るまでもないので自粛させてもらう。


「それは回避できたと思う。さて……スノーホワイト、報告をしてくれ」

「製造番号二番、スノーホワイト! 警戒任務の報告をさせていただきます! 敵は発見できませんでした!」


 わかりやすく言えば、敵が来ない。この城を拠点として数日が経過しても誰も来ない。

 暴走している使い魔もさることながら、カンジョー隊を含めた杖の魔法使いもやってこない。

 それはいいことであるが、次に何をすればいいのかわからなくなった。


「そうか……では次はどうするべきかな」

「ではお父様、会議を開きましょう」

「会議! 素晴らしい! このスノーホワイトも、シンデレラ様に賛成いたします!」


 ということで、仮眠室で会議である。

 ベッドの上に腰かけている私たち四人は、今後の方針を話し合うことになった。


「あの……私も発言しないとだめですか? ……そうですか、駄目ですか」


 なお、あまり会議に参加したくなさそうなソーン。

 確かに犯罪者の会議に参加したくない気持ちはわかるが、共犯者であることに変わりはないので参加だけはしてもらう。

 というよりも、杖の魔法使いについて知識があるのは彼女だけなので、有効な発言を期待している。


「ではまず、なぜ誰も来ないのかを考えましょう。一番あり得るのは、すでに倒されている場合ですね」


 シンデレラの言う可能性は、決して否定できない。

 これだけ大規模に殺しているのだ、いくら全滅させているとしても気づかれて当然である。

 カンジョー隊をはじめとした大戦力が送り込まれ、そのまま討伐しているということはあり得る。


「そうだといいですよね~~。でも知ってます、私は知ってます……そういう期待は無駄だって」

「知的ではなく経験則からくる後ろ向きな発言は控えてください」

「すみません、奥様……」

「前向きな発言で結構です」


 どうやらシンデレラの中では『すみません、奥様』は前向きな発言であるらしい。

 私には『すみません』という謝罪と、『奥様』という代名詞に前向きさは見つけられない。


「とにかく、ソーンの言うように、それは希望的な観測が過ぎます。その場合、ここへカンジョー隊が来ないことの説明ができません。仮に討伐されているのなら、ここへなにがしかの調査が来ているはずです。それができていないということは、暴走している使い魔の被害が収束していないということでしょう」

「私もそう思う。少なくとも、杖の魔法使いは手が空いていないのだろう」


 私も経験上、そう都合よく解決しているとは思えない。そういう意味では、ソーンと同じ思考だといえるだろう。

 理性的にも、意味がない仮定であると判断してしまう。なにせそうだったとしても、私たちの行動を決定することはできないからだ。

 この会議で決めるのは今後の指針である。何も決まらなければ、ただ時間を浪費しただけになってしまう。


「であれば、未だに交戦中に思えるな。私たちは優先順位が低い、ということだろう」


 私たちが忘れられている、見失われている、どうでもいいと思われているという可能性もある。

 しかしそれを言い出してもやはり今後の方針が決まらないので、時間ができたのだと考えることにした。


「この時間をどう使いべきか、各々に提案してほしい」

「はい、このスノーホワイトに提案があります!」


 挙手したのはやはりスノーホワイトだった。

 彼女が何を言おうとしているのか、もうすでに全員が理解していた。


「……提案を許す。スノーホワイトはどうするべきだと思っているんだ?」

「戦力の補充、人員の拡大! 群れをより強大にするのです!」


 言っていることはもっともだが、その表情には喜びが満ち溢れすぎている。

 理性よりも犬としての本能が前に出ていて、正直そのまま賛同するのは怖かった。


「ご主人様の技術とこの城の施設があれば、私たちのような強力な使い魔を製造できます! 加えて、この城の周辺には野生に帰り切っていない家畜が多くいます!」


 スノーホワイトの提案する『家畜を使った使い魔』というのは、研究者としてはそれなりに心惹かれるものがある。

 犬や猫というペットとしての色が濃い動物ではなく、家畜として労働力や生産力にされている動物はどんな精神性を得るのだろう。もしも可能なら、製造してみたいところである。

 だがそれは、感情的な欲求であって理性的な必要性によるものではない。


「仮にご主人様を敬わなかった場合、私が直接管理いたします! よって、安全性も確保できるかと!」


 とても建設的な戦力を拡充する計画を提案してきた、戦闘用使い魔スノーホワイト。

 彼女の提案を受け入れるかどうか、ほかの二人は不安げに私を見ていた。


「如何でしょうか、ご主人様!」

「いったん協議しよう」

「そ、そうですか!」


 即決してもらえると思っていたようでがっくりしているが、それでも自信があるらしく尻尾を振って待機している。実に礼儀正しい犬だった。


「結論から先に言えば、私が管理しない使い魔を製造するのは賛成だ。暴走している使い魔を抜きにしても、戦力の充実は必要だろう。それに、私が管理するとなると手が足りない。それはシンデレラやスノーホワイトも嫌がるところだろう」


 これにはシンデレラもスノーホワイトも全力で頷いていた。

 なお、ソーンも一切疑う余地がないように頷いている。


「それに、スノーホワイトは戦闘用だ。少々強く作った使い魔が暴れだしても、即座に鎮圧できるだろう。馴致、飼いならすのに要する時間が短くて済むかもしれない」

「でしょう!」

「その分お前の負担が増し、私と接する時間が減るのだが、構わないだろうか?」

「……」


 しゅんとしておとなしくなるスノーホワイト。

 どうやら今の彼女にとって、部下を持つことよりも私との時間のほうが重要らしい。

 知性のある使い魔の優先順位を確かめることができたのは、書の魔法使いとしての喜びである。

 彼女が反乱する可能性が低いと認識できて、感情的にも落ち着いていた。


「わ、私は任務であればお受けしますが、積極的な賛成ではなくなりました……提案した身にあるまじきことです、浅慮をお許しください……」

「そんなことはないぞ、スノーホワイト。お前の気持ちは嬉しかった」


 耳も尻尾も元気をなくしている彼女、その頭を柔らかく撫でてやる。

 私に対して親愛を抱き、それが最も重要だと位置付けている彼女は、今後も力になってくれると信じられた。


「ごほん! 私も積極的には賛成できません」

「そうか、シンデレラも嫌か。では候補は一人しかいないな」


 私たちの視線は、新入りであるソーンに注がれた。


「え、えええ?!」


 まさか自分に話が向かってくるとは思っていなかったのだろう。ソーンは大いに慌てていた。


「わ、私が使い魔の主になるんですか?! 私、新入りですよ?! 部下を盛大に見捨てた女ですよ?!」

「私も積極的に賛成というわけではないが、君しか適任がいない。私の新しい使い魔は、君に任せる」

「嫌ですよ、私も!」

「君に選択肢はない」


 初めての命令拒否が戦力を預かること、というのが彼女の性格を表している。

 新入りにして杖の魔法使いである彼女自身は、警戒されていると思い込んでいることも無縁ではあるまい。

 そんな彼女だからこそ、私からの無意味な好感度が高いのだ。もちろん、当人にとっては有難迷惑だろうが。


「ううう……正直とても怖いのですが……」

「君がきちんと動物を飼いならし、その後管理をきちんとすればいいだけだ。君が戦いたくないというのなら、管理しても悪いことにはならないはずだろう」

「そうですけど……だって、実際暴走しているじゃないですか」


 今まさに私たちがいる場所こそ、暴走した使い魔の被害を受けた場所である。私は忘れそうになっていたが、彼女は忘れていないだろう。

 むしろ、私に学習能力が乏しい、共感能力が低いともいえる。それなりに根拠があるとはいえ、他人が盛大に失敗している手法を、自分は失敗しないと確信しているのは何とも非理性的で非知性的だ。

 彼女の臆病さはこの場合美徳であり、私の考え方が悪徳である。 


 しかし私たちは悪人だ、しかもかなり追いつめられている。

 暴走の可能性よりも、戦力不足による敗北の可能性の方が確実に脅威である。

 今までの彼女は正義の味方だったので一応社会が守ってくれていたのだが、これからは自分で危ない橋を渡らなければならないのだ。


「君の気持はわかるが、配慮する余裕がない。私は悪人なので、君の意思は軽視する」

「丁寧にひどいことを!」

「では君の命を預ける家畜を選んできてくれ、私は肉体のベースを準備をしておく」

「ううう……わかりました」


 さすがは嫌々でも杖の魔法使いをやっていただけのことはある。

 私の指示に従っていた。結局のところ、彼女には反骨心や自立心というものが欠如しているのだろう。

 命の危機に瀕さない限り、他人の命令には逆らえないのだろう。

 それは私も同じなので、何とも言えない気分である。


「シンデレラとスノーホワイトには、暴走した使い魔への対抗策を頼む。カンジョー隊を退けているとなると、あらかじめ想定していた方法では対処できないかもしれないからな」

「承知いたしました、お父様」

「お任せください! このスノーホワイト、シンデレラ様の手足として働かせていただきます!」


 とにかく、方針が決定した以上は行動あるのみ。

 やはり行き当たりばったりで戦略も何もないのだが、それでも私は何もしないことに耐えられなかった。



 知的な動物には、ある程度の個性がある。

 人間と長く共存してきた犬猫でも、個体によっては気難しくて人間になつかないということはよくある。

 もちろん飼い主との相性もあるのだが、それを含めて『すべての犬猫は人間に従順である』というのは傲慢な愚かしさに過ぎない。

 学術的な裏付けのない先入観は、時として人から真実を遠ざける。今回の一件で使い魔が暴走をしたのも、知性のあるシンデレラが私を慕い敬っているところを見て、知性が高ければ無条件に親を慕うものだと思い込んでしまったからだろう。


「城下町でさまよっていたところを拾ってきました! どうですか、かわいい仔馬ですよ!」

「違う。これはロバだ」

「なかなかいうことを聞いてくれなくて、大変でした! 途中立ち止まったりしたんですけど、それでも逃げたりしなくて、いい子でしたよ!」

「だから、これはロバだ」


 だがいくら何でも、仔馬とロバを間違えるのはどうだろうか。

 おそらく小柄でおとなしそうな『馬』を探した結果、ロバに行き着いたのだろう。

 しかし彼女も杖の魔法使いだったのだから、馬とロバの見分けぐらいつけてほしい。


 とはいえ、犬猫を捕まえて来いだとか、馬や牛を引っ張ってこいというのは酷なので、ロバが彼女の限界だったのかもしれない。

 ウォーキングマッシュルームの胞子で汚染されていた城下町を長時間捜索したくなかったであろうし、マスクが外れそうな運動は控えたかったのであろうから、順当な判断なのかもしれない。


「……よく考えたら、君にとって危険な任務だったな」

「今更ですか?!」


 もちろん城の中にも家畜を飼育している区画はあるのだが、私たちがこの城を訪れたときには既に逃げ出していた。

 目の前でバタバタと人が死んでいった挙句、水も食料も世話がされないのだから仕方ない。

 主を失った家畜たちは、自由を求めたのではなく生存のために脱出をしたのだ。


「それにしても……人間だけが死んだ街で、そのままにされた家畜というのは……一種の共感を覚えるな」

「……そうですね」


 洗浄を済ませた家畜用の区画で、ソーンの捕まえたロバはくつろいでいた。清潔にした飼育用の牧草を食べ、さらに水を飲んでいる。

 とても空腹だったのだろう、比較的多めに食べているようだ。


「この子もきっと、飼い主と仲良くやってたんだと思います。それなのに、いきなり野生で生きろなんて……」

「私たちも、ある意味群れからはぐれた分際だからな。この子の不安さもよくわかる」


 牛馬の如く、という言葉がある。あまりいい意味ではなく、過剰に酷使されているということだ。

 もちろん家畜とは労働力なので働かせるのだが、農業にかかわっていない人間が想像するほどに『酷使』されているわけではない。

 なにせ家畜とは高級な資産だ。家畜は怪我や病気になればそのまま処分しなければならないこともあるし、それによって農家が破産することは十分にあり得る。

 きちんと体を洗浄し、寝床を整備し、餌や水をやって健康を管理する。下手な人間よりも、家畜は大事にされていると言えるだろう。

 もちろんこれも、絶対にそうとは言い切れないのだが。


「私たち人間も社会性の動物だ。社会という全体の存続のために我慢を強いられることはあるが、それでも野生よりは生存率が高く、仕事を選ぶことができる……なによりも、仲間が多い。それを失うのは、やはり辛いな」

「私たちも、お尋ね者……捕まったら殺されちゃいますからね」


 望んだ仕事についていた私はともかく、望まない仕事に就いていたソーンでさえ、窮屈な社会へ帰りたがっている。

 もちろん、不自然だとは思わない。もしも彼女が自由を求めていたのなら、とっくの昔に逃げ出していたはずだからだ。

 そうして過去を懐かしみ前途を暗く思う私たちだったが、突如としてソーンは違ったことを言いだした。


「あの、旦那様。もしかしてこのまま、この世界は滅びちゃうんじゃないですか?」

「ずいぶん突飛なことを言うな、君は」

「突飛じゃないですよ。だって、こんな大きな街が丸々全滅しているんですよ。それに、まだまだ暴れているかもしれない」


 彼女は本当におびえていた。人だけがいなくなった街を自分だけが歩いていて、そうした想像をしてしまうのは当然だろう。

 その一方で私はそんな事態など、想像もしていなかった。彼女がそう感じたことを、突飛だと思うほどに考えていなかった。


「あの暴走事件は人がたくさん死に過ぎて、私たち杖の魔法使いもよく知らされていないんです。だからテンマ君も、貴方と話をしたがったんだと思います」

「暴走した使い魔は他にもいて、人類を絶滅させるために戦っているとでも?」

「そうなって当たり前じゃないですか?!」


 こうして野生に帰らざるを得なくなった、家畜化されていた動物とは違う。暴走した使い魔は、明確に人類へ敵意を持っている。

 それはこの街を見れば明らかだ。老若男女を問わず、人間というだけで殺している。殺すことが目的となっている。


「別に旦那様を悪く言うつもりはないですし、奥様やスノーホワイト様を悪く言うつもりもないです。でも、やっぱりこの国はおかしかったんですよ。人間を超える力を求めていれば、いつかはこうなっていたはずなんです!」


 これはテンマ君にも話したことではあるが、私を含めた書の魔法使いが『人間を超える力』を研究していたのは国家のためである。国家の命令で、私たちは合法的に税金を用いて研究ができていたのだ

 その結果として、杖の魔法使いに非人道的な改造が施されることがあり、使い魔の暴走が起きてしまったのだ。

 あながち、彼女の意見は的外れでもないのだろう。


「私、やっぱり怖いです! 戦うのも怖いですけど、人間を超える力を、人間を滅ぼせる力を使うのは怖いです!」


 何の害もないロバは、嘆いているソーンを円らな瞳で観察している。

 視野が広い動物なので観察というのは不適格かもしれないが、私はそうだと思ってしまっていた。


「このままここに引きこもっていれば、どうにかなるんじゃないですか?!」

「どうにもなりはしない。私たちは悪人であり、それを期待することができない」


 どこかの誰かが何とかしてくれる。それを期待していいのは、法律を遵守し税金を納めている正しい民衆だけだ。

 自分たちの命惜しさに、法の裁きから逃げている人間がしていいことではない


「暴走している使い魔を杖の魔法使いがどうにかしてくれたとしても、ここが安住の地になることはない。洗浄のためにここへ誰かが必ずやってくる。そして、それは私たちの敵だよ」

「じゃあ……どうすれば」

「将来のことはわからない、だが目の前のことはどうにかできる。そして……暴走した使い魔に人類が敗北するとは思えない」


 その点は、杖の魔法使いと書の魔法使いの、意識の違いだろう。

 強大な使い魔と自ら戦うことを想像してしまう彼女と、あくまでも対策を練るだけの書の魔法使いでは、討伐への意識がまず違うのだ。


「ソーン、君は勘違いをしている」


 私はロバの体をなでた。洗浄したばかりの、清潔な毛並みだった。

 残留している胞子を取り除くとともに、泥やほこりを落とすために必要なことだった。

 それに加えて、ロバが彼女へなつくことも期待できる。


「人間を超えた力が人間を破滅させるということはない。なぜなら、君が人間の力だと思っているほとんどのものは、全部人間を超えた力だからだ」

「……え?」

「例えば、火だ。魔法に限らず、火とはとても恐ろしい。便利だが、危険でもある」


 火、つまり燃焼とは猛烈な酸化である。

 光や熱を発生させる、人類の知恵の象徴である。


「火が、人間を超えた力ですか?」

「では君は、火を使わずにお湯を沸かせるかね? 肉を加熱調理できるかね? できないだろう、火は十分に人間を超えている。そして火事で人が死んだとしても、それは火の始末が下手だったからであって、人間を超えた力に手を出した報いとは思わないはずだ」

「それは、詭弁じゃあ……」

「詭弁でもなんでもない。人間は基本的に、人間の限界を超えたことしかしない。ただ走るだけでも靴という文明の利器によって足の裏の耐久限界を超える距離を走れるし、石をつかんで相手を殴ることがあってもそれはそれで石という道具によって人間の限界を超えている」


 人間が人間単品でできることなど、ほぼないと言っていい。

 人間は人間を超えた力を、常に知性によって運用してきたのだ


「暴走した使い魔も、規模が大きいだけで何も変わりはしない。そこのロバを君が怒らせれば、蹴り殺されることだってあり得るだろう? その程度のことだ、単に彼らは失敗しただけだよ」

「旦那様は……旦那様は自分が失敗するとは思わないんですか?」

「するかもしれないな。だが私は、私の失敗によって死ぬのなら、それは受け入れられる」


 私は多くの罪を犯しているが、そもそもの発端である国家反逆罪に関しては無罪だと主張する。

 私はちゃんと論文に成功の理由を記入していたのに、それを検証もせずに書き換えて失敗した輩の責任を取らされるなどありえない。


 だが、私に非があったのなら。

 私が論文に成功の理由を書いていなかったのなら、あるいは理論に誤りがあったのなら。何かの失敗が、私の失敗によるものなら。

 私はきっと、罰を受けていただろう。たとえ罰が死だったとしても。


「私は悪の魔法使いだが、書の魔法使いでもある。それ故に、自分の書いた文章には命を賭けている。私が意図したとおりに製造された使い魔に殺されるのなら、それは製造者でありながら運用を誤った私自身の失敗だ。そうならないように全力を尽くすべきであり、そうなってしまえば自業自得だと受け入れざるを得ない」


 ソーンが私の研究を信じられない気持ちは理解できる。だが共感はできない、してはならないのだ。

 私は理論を構築し、実際に検証した研究者なのだから。


「君は、私のお供になるのだろう。それならば、君は私の言うようにすればいい。私の指示に従って、私の理論による使い魔制作を手伝い、その運用をすればいい」

「う、上手くいきますか?」

「断言はできない。ロバで試すのは初めてだし、君がそのロバを飼いならせるかはわからない。だが、必要なことだ。君にできることは、拒否ではなく遵守。失敗を恐れるのなら、私の指示に従ってロバから信頼を得るのだ」


 私はソーンを信じると決めた。

 彼女はこの世界でたった『一人』の、私の味方なのだから。


「飼いならすことを、特別に考えるな。君はやるべきことを丁寧に、忠実にやればいい。君が破滅を遠ざけたいのなら、とにかく仲間をちゃんと育てるんだ」



 私の説得が通じたのか、この後ソーンはロバの世話を必死で行っていった。

 それはとてもいいことである。


 ただ不可解なのは、そのあとにシンデレラやスノーホワイトが、いつも以上に私へスキンシップをねだってきたことだ。

 まさかあの会話を聞かれていたのだろうか? いや、そんなことはないと思うのだが。

 それが、希望的観測という自己欺瞞だとは気づいている。

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