失敗した憎悪 前編
ここから新しい話です。
スノーホワイトの両肘と両膝には、フェンリルの牙という凶器が生えている。もちろん設計通りであり彼女の生活にもそこまで支障はない。
問題なのは、彼女の周囲である。具体的に言うと、彼女は私に抱き着くときそれなりの配慮をしなければならないのだ。
「ご主人様! わんわんわん!」
「あ、ああ、うん、うん、うん」
彼女の体重を支えられない私がまず寝転がり、脇を締めて両足もそろえる。
そんな私の上にのしかかる形で、大股を開いて抱き着いてくるのがスノーホワイトであった。
要するに両手両足で抱きしめる形以外では、私にケガを負わせる可能性があるのだ。
「ぺろぺろぺろ!」
「ああ、うんうん」
地面に接している背中が痛い。加えて、スキンシップが激しすぎる。しがみついてくる力も強いし、筋肉質な彼女の重さも辛い。顔がよだれまみれになるのも、正直に言って嫌悪感がある。
犬の所作を人間と同じ大きさの使い魔にされると、改めてつらかった。やはり猫にしておくべきだったのかもしれない。
もちろん、同じものを複数作っても基礎研究の分野では検証にしかならないので、限られた予算の中では別のアプローチをするべきだったのだろう。
だとしても、犬はまずかった。人間以上の知性を持っているスノーホワイトがじゃれてくると、じゃれられている私の心がつらい。
そのうち慣れるといいのだが、慣れるのも人間としての倫理観に触れる気がする。
「ご主人様、大変ありがとうございました! このスノーホワイト、とても満足いたしました!」
「それはよかった。お前が喜んでくれてうれしい」
とはいえ、彼女を拒絶するという選択をした場合、殺されるか逃げられるという結果に至りかねない。
高い知性をもっていて、しかも私に対して恩義のようなものを感じているからこそ、彼女は利益を度外視して私に仕えてくれているのだ。
先日スノーホワイトは、食料を調達してくる自分が群れのリーダーになるべきだと進言していたが、犬としての本能を抜きにしても正当性があると思う。
とはいえ、一人の男として猛獣に肉体をむさぼられたくない気持ちも理解していただきたい。
「お父様、では次は私が」
「ああ……おいでシンデレラ」
ふと思うのだが。
私の製造した技術が普及した場合、この国はどうなっていたのだろうか。
育てた犬や猫の生まれ変わりを愛でる者が、国防や治安維持、侵略などを行っていたのだろうか。
私は自分が研究者でしかなく、実用化の検討を一切行っていなかったことを理解してしまっていた。
これは兵器としての運用に問題がありすぎる。
※
人間の女性のような使い魔から、全力で甘えられるという過酷な労働。
とはいえ、私にとっては唯一の戦闘手段であるし、費用対効果は抜群によかった。
欲を言えば、戦闘自体を避けたかったのだが、日影のお尋ね者としては杖の魔法使いと戦うしかなかった。
「おい、お前たち! 顔を見せろ!」
三人で人気のない道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
振り向けば、十人以上の杖の魔法使いがこちらへ杖を向けている。
「な、なにか御用ですか?」
「そこの女……何を隠している!」
シンデレラは肌の色が人間ではないのだが、スノーホワイトの場合肘と膝の形が人間と違いすぎる。
顔だけならある程度ごまかせるのだが、体を布ですっぽりと覆った場合、肘から生えた牙が布を突き破ってしまうのだ。しかも、前から見れば膝から生えた牙がとても目立つ。
遠めに見ても、私たちは不審だった。問いただされても、全く不思議ではない。
あきらめ気味に対応をしようとすると、杖の魔法使いの中から一人の反対者が出た。
「ちょ、ちょっと?! あの人もしかして、あの使い魔を暴走させた人じゃあ?!」
「そのようですね、隊長殿! これは千載一遇の好機、必ずや倒して見せましょう!」
戦意に満ちたほかの面々と違って、一人の若い女性だけが戦闘を拒否している。
「やめようよ! だってあの人、カンジョー隊のテンマ君たちを倒しちゃったんでしょ?! 勝てないっしょ! 無理無理、無理無理! 絶対無理! 見なかったことにして、通り過ぎようよ!」
「何をおっしゃるのですか隊長殿! われら杖の魔法使いが悪の魔法使いを放置して、いったい誰が無力な民を守るのですか!」
「じゃあ悪に立ち向かう私のことはいったい誰が守ってくれるの?! 守ってくれないじゃん!」
私は今まで多くの杖の魔法使いを殺してきたが、戦う前から心が折れている者を見たのは初めてだった。
確かに若い女性が戦闘を好むのはどうかと思うが、だとしても臆病が過ぎるのではないか。
「私たちが守ります! だって私たちは、仲間じゃありませんか!」
「戦いたくないって言ってる私を戦わせる人なんて、仲間じゃない、敵だよ! 不倶戴天の敵だよ!」
若い女性を叱っているのは、彼女の副官らしき中年の男性だった。
おそらく彼自身は相当の場数を踏んでいるのだろうが、それでも全く戦う気が無い彼女には手を焼いているようだった。
「そもそもさ! これってただの偵察任務だったよね?! なんで連絡の取れない城の調査へ行ってる途中なのに、途中で指名手配犯を見かけたからって戦うのはどうかと思うよ?! まず城に行こうよ!」
「奴の向かう先も城、城下町ではありませんか! やつをこのままにすれば、必ずや城下町も脅かされます!」
「そうだ、後回しにしようよ! この人が近づいているって、城の人たちに教えに行こうよ! 私たちが戦うことないって!」
何が何でも戦いたくない女性と、何が何でも戦わせたい男性の言い争いは終わりを見せなかった。
「……もううんざりだ! アンタ、最低だよ!」
その言い争いに割って入る形で、若い男性が女性に平手打ちを浴びせていた。
「アンタにどれだけ才能があるのか、どれだけいい家の生まれなのか知らないけどさ!」
「な、な、私ひっぱたかれた?!」
「アンタ、酷すぎるよ! 仲間が殺されてるのに、仲間を殺した奴がそこにいるのに、どうして見逃すとか言えるんだよ! アンタそれでも、杖の魔法使いかよ!」
「なりたくてなったわけじゃないよ! 迷惑も甚だしいんだよ! もう放っておいてよ!」
目頭が熱くなってくる。
まだ一言も語り合っていないが、彼女だけは死んでほしくないと思ってしまっている。
「俺たちだけでやりましょう! こんなやつ、もうどうでもいいじゃないですか!」
「……仕方ない、やるぞ皆!」
九人の魔法使いたちが、俺へ向けて杖を構える。その後ろで、一人の女性が身をかがめていた。
ようやく相手の戦闘態勢が整ったので、シンデレラやスノーホワイトは羽織っていた布を脱ぎ捨てていた。
「シンデレラ様、ここはお任せください!」
「ええ、お願いね」
「わん!」
戦意を高ぶらせる我が使い魔二人。
私は指示をするどころか、意見を求められることもない。
構図としては、杖の魔法使いで隊長を務めている彼女と変わらないだろう。
「製造番号2番、スノーホワイト! 出撃します!」
とても楽しそうに宣言をすると、スノーホワイトはわずかに白い体毛を残して消えていた。
その次の瞬間、杖を構えていた九人のうち一人へ、膝蹴りを見舞っていた。
「一体目、撃破いたしました!」
胸部へ突き刺さった、スノーホワイトの膝から生えている牙。
それは相手の体を貫通し、さらにそのまま脳天まで切り裂いていく。
「な……早すぎる?!」
「落ち着け、狙うのは一人だ! あの魔法使いを倒すのだ!」
シンデレラにかばわれている私へ、杖の魔法使いの攻撃が殺到する。
しかしそれを、ただ立っているだけのシンデレラは体で受け止めていく。
少女の姿をしていてなお彼女は勇壮だが、その一方で私は惨めだった。
「無駄です。貴方がたの戦力では、何もできはしません」
シンデレラが言ったように、戦闘はあっさりと終っていた。
双方の指揮官は何もせず、ただ蹲っていただけである。
「ひいいいい……!」
唯一の生存者だった杖の魔法使い、その隊長は惨状を見てさらに震え上がっていた。
当然ではあるが、その体には一切傷がない。
「スノーホワイト、彼女は殺さなかったのはなぜだ?」
「戦意のない者を殺すと、ご主人様が悲しむかと思いました!」
「そうか、よく配慮してくれたな。ありがとう」
尻尾を振っているスノーホワイトだが、その白い体は血まみれである。
もちろん私を助けるためだが、民衆の為に戦う人を殺してしまったことは悔やまれる。
しかしその一方で、職務を放棄した彼女が死なずに済んだことを喜んでしまうあたり、人間というのは複雑怪奇だった。
「わ、私は死にたくありません、助けてください!」
「安心しなさい、お父様は貴女を殺しませんよ」
シンデレラの優しい言葉ではあるが、どちらかと言えば興味が無いようだった。
というよりも、この状況でやさしい言葉を使うのはかなりおかしい。なぜ部下を皆殺しにした後で、隊長へやさしい言葉をかけるのか。
「特に感謝する必要はない、それでは失礼する」
恥というものを知っている私は、特に何も言わずさることにした。
彼女には見えていなかっただろうが、私だって彼女と同じように蹲って戦闘が終わるのを待っていただけなのだ。これで何か言えば、それこそ恥ずかしい。
「ま、待ってください!」
そんな私へ、さらに恥ずかしい願いをするのが彼女であった。
「私も連れて行ってください!」
「……なぜ」
私は思わず聞き返していた。
この会話の流れで、なぜ連れて行くという話になるのか。
ほかの二人も想像を放棄して、彼女の言葉を待っていた。
「隊長の私だけ生き残っていたら、絶対に責任を取らされます! っていうか、殺されます! 死にたくありません!」
なるほど、とても冷静な分析である。
戦闘においては門外漢である私だが、冷静な分析能力は指揮官に必須だということは知っている。
戦う前にも部下に勇み足をやめろと指示していたし、案外優秀な指揮官なのかもしれない
もちろん、部下を皆殺しした相手へ命乞いをしたり積極的に服従するなど、正義と秩序を守る杖の魔法使い失格なのだが。
「普通に逃げてもすぐにつかまってしまいます。どうか貴方の旅のお供にしてください!」
「……そうか」
もしも私が高潔な人間なら、彼女を軽蔑し罪を償うように言うだろう。もしも私が冷酷な人間なら、知ったことかと見捨てるだろう。
だがしかし、私は自己保身を何よりも優先する男である。彼女が部下を見捨てたことや、その責任を取りたくない気持ちもよくわかってしまう。
私は彼女を見捨てることができなかった。
「二人とも。私は彼女を連れて行ってもいいと思うのだが、どうだろうか」
もしも杖の魔法使いたちが私をだますつもりだった場合、その作戦は成功している。しかし、私をだませても他の二人はどうだろうか。
研究者としての好奇心も沸く。人間ではないが人間同様の知性をもつ彼女たちは、どんな反応をするのだろうか。
「お父様。確認をいたしますが、彼女の優先度はどれほどですか?」
「お前が判断していい」
「わかりました。では私は構いません」
彼女を守る気は一切ないが、一緒に来るだけなら構わないらしい。
危険な人物ではなさそうなので、私の提案を否定しないという消極的な賛成だった。
シンデレラはそういうところがあった。明らかに危険な状況でも、私が行きたいといえば一緒に動いてくれるのだ。
「そうか、お前はいつも私の判断を尊重してくれるな。ありがとうシンデレラ」
「はい、私はお父様が大好きですから」
真意を読み取ったことは、彼女にとってとてもうれしいことらしい。頭を撫でたわけではないが、にっこりと笑っている。
さて、そうなるとスノーホワイトである。彼女はどんな判断をするのだろうか。
「……ご主人様。彼女が加入した場合、その地位はどの程度でしょうか?」
「お前の判断で構わない。というよりは、そうだな……一応一番下ということになるだろう」
「つまり私の部下になるわけですね、では賛成です!」
思ったよりもスノーホワイトは単純だった。
確かに彼女らしい反応だったが、だとしても少々不安である。
社会性の動物である犬、その本能を彼女は制御できているのだろうか。
群れを作る動物にとって実力に自信があるということは、群れの長になりたがるということである。
もちろん個性もあるので一概には言い切れないが、彼女はある意味一般的な犬らしさを備えているようだ。
「おい、名前を名乗れ!」
「は、はい! ソーンと申します!」
「よし、いい名前だな! ではソーン、お前は私の指揮下に入る! 今後は私を敬い従うように!」
「はい、お願いします~~!」
曲がりなりにも国家反逆者である私に服従するならまだしも、見るからに人間ではないスノーホワイトに服従するとは、彼女に尊厳はないのだろうか。
今までの魔法使いたちは、一貫してシンデレラやスノーホワイトを私の道具だと思ってまともに会話もしなかったのに。
「ですので、どうか命だけは……!」
「よいぞ! ではお前はご主人様のことを旦那様とお呼びし、シンデレラ様のことを奥様とお呼びし、私のことをスノーホワイト様と呼ぶように!」
「はい! スノーホワイト様!」
「くぅ~~~……わん!」
どうやらソーンという女性にとって、命は尊厳よりも優先順位がかなり高いらしい。
とても得意な顔をしているスノーホワイト。一人下僕を得ただけで、彼女の支配欲はだいぶ満たされているようである。
「お父様、どうやらスノーホワイトにとってはいい遊び相手のようですね」
「ああ、結果的には良かったかもしれないな」
自分の部下を皆殺しにした使い魔を上官として仰ぐ。それも、純粋に命惜しさに。しかも、部下の死体が残っている状況で。
彼女を一応救うことにした私だが、今度は彼女の部下の尊厳が気になってきた。命の危機よりも職務を優先した彼らを、このままにしていいのだろうか。
「それで、お父様。私は奥様と呼ばれることになっているようですが」
「……不快だったら、訂正しても構わない」
「特に不愉快ではありません」
「そうか、わかった」
どうしたものか。
私は杖の魔法使いたちの尊厳よりも、自分の純潔のほうが大事に思えてきた。
死んでいる彼らのことより、自分の肉体のことのほうがずっと感情の割合を占めるようになっていた。
※
さて。
新しい同行者を得た私たちは、死体をそのままにして道を進んでいた。
しばらく進んでいくとスノーホワイトが空腹を訴えたので、いったん腰を下ろして話をすることにした。
私が奥様と呼ばれているシンデレラから意識を遠ざけたかったので、ソーンへ事情の説明をしたかったのである。
「そうだったんですか……」
「私の言葉を信じるのかね?」
「正直、そんなところだと思ってたんで」
手ごろな石の上に腰を下ろした私の膝に、いつもより上機嫌なシンデレラがいる。
彼女を撫でつつ、しかし私の眼はソーンを見ていた。
「旦那様の情報は杖の魔法使いに周知されましたけど、ただ普通に読んだだけなら巻き込まれただけなんだなってわかりますよ」
ソーンは私に対して服従の姿勢を見せているが、その一方で心酔はしていない。
ある意味ではただの弱者で、変に私へ感情を向けていない。卑怯で卑劣な私にとっては、付き合いやすい人間だった。
「試験は全部満点、飛び級で学校を卒業し、そのまま使い魔の研究所へ就職。そこで新しい使い魔の技術を開発して……それで、いきなり国家反逆罪ですよ?」
「なにか裏があるとは思わなかったのか?」
「陰謀論ですか? そんなのは疑うだけ無駄ですよ、どうせ末端には分かりっこないんですから」
なるほど、弱くて臆病な現場の人間なりの知恵だろう。
本来なら軽蔑するべきなのかもしれないが、私の理性と感情は彼女を評価していた。
「まあ……あれだけのことが起きたのに、ただ実験が失敗した、じゃあ納得できない人も多いと思いますけどね。例えばテンマ君たちとか」
「知っているのか?」
「私、昔カンジョー隊に誘われたことがあるんです。そのときに会いました」
私もシンデレラも、とんでもなくびっくりしていた。
スノーホワイトが完成したので何とか倒せたが、シンデレラ一人では一人倒せるかも怪しかった最強の魔法使いたち。
いかに危険な実験を乗り越えたとはいえ、若い三人でも相当の実力者だった。
それに勧誘されるとは、やる気もないのに隊長へ任命されるわけである。
「失礼だが、ソーン。君は実験体というわけではないようだが?」
「ええ、私は白色なんで」
なんだろうか、白色とは。私はそんなものは聞いたことが無い。
「ご存知の通り杖の魔法使いは、書の魔法使いの実験によって強化されている人もいます。そういうのを黒色って呼んでるんですよ。本人たちも、正直嫌がっているんで」
「では君は、書の魔法使いがかかわっていない杖の魔法使いだと」
「はい。書の魔法使いが排除された、杖の魔法使いにだけ鍛えられたものを白色って呼ぶんです」
白という色には、純粋だとか高潔だとか、そういう意味が込められているのだろう。
だがその一方で、白色を名乗るべき彼女自身はとても後ろ向きなようだった。
「地獄でしたよ」
一言だけだが、それで十分伝わってくる。
書の魔法使いによって実験体になった者だけではなく、同じ杖の魔法使いに鍛えられた者も辛い運命が待っていたらしい。
「とにかくしごかれて、私の同期たちもたくさんつぶれていきました。黒色への対抗意識もあったんでしょうが、どう考えてもおかしい特訓ばっかりでしたよ」
「精神論が蔓延していたのか。なるほど、それはそれで適応できない者には地獄だな」
「あれは宗教みたいなもんでしたね。頑張れば強くなれる、限界を超えられる、そうすれば改造されたものに負けたりしないって……結局、成果の争いでした」
実力主義と言えば聞こえはいいが、当事者たちにしてみればたまったものではない。自分の思想による養成所から、どれだけ優秀な魔法使いを輩出できるかどうか。それを競い合っていたのだろう。
私の場合は学校の勉強も苦ではなかったが、それが一般的ではないと知っている。彼女が経験したような特訓も、人によっては苦ではなかったのかもしれない。しかし、彼女には苦痛だったようだ。
「こういっちゃなんですけど、一番まともなのは灰色って言われている養成所の人たちでした。とても数が少ないんですけど、書の魔法使いと杖の魔法使いが協力して養成しているんです。脱落者が少なくて、平均水準がとっても高いんですよ」
「それは素晴らしいな、なぜ少数派なんだ?」
「杖を作っている人以外の書の魔法使いが嫌われているのもあるんですけど、カンジョー隊に入れるようなとんでもなく強い人が出ないからですよ。国策ってやつです」
国策。
なるほど、それですべてが終わる。
「お父様。私もスノーホワイトも、決して出生を呪っていませんよ」
「そうか。それはよかった」
私は自分の成果であるシンデレラからの感謝を受け取っていた。
理性としては有り難く思っているが、感情としては自分の身勝手さに苦笑している。私はあくまでも、シンデレラとの関係を今のままに固定しようとしているのだ。
これも、研究者でありたがっている私のわがままだろう。
「それではソーン、聞きたいことがあります」
「……は、はい……なんでしょうか奥様」
私の葛藤を知ってか知らでか、シンデレラは話を進める。確かに彼女の素性は、これからのことに関係はない。
ここから始まるのは、おそらく私たちにとって必要な話だ。
「奥様……ごほん。では私たち、お父様のことはどうなっているのですか?」
「どう、とは?」
「お父様をどの程度本気で捜査しているのですか? 私たちは宿屋に潜伏していたところ、巌の巨人の配下にあっさりと見つかりました。裏社会を支配していた巌の巨人ならそれぐらいは可能なのでしょうが、表社会の者が私たちを補足できていないのは何故か。私はそれがわからないのです」
言われてみればその通りである。
数日ほど同じ宿に泊まっていたのだから見つかっても不思議ではないと思っていたが、最初に私たちへたどり着いたのが裏社会の魔法使いなのはおかしな話であった。
「ああ、そんなことですか」
「そんなこととはなんですか」
「す、すみません、奥様! 怒らないでください!」
今まで見たどんな杖の魔法使いよりも軟弱で緊張感に欠けている。
たぶん彼女にとって、『杖の魔法使い』で起きていることは他人事だったのだろう。だから深刻に受け止めていないのだ。
「捜査を担当している指輪の魔法使いたちは最初、うまく潜伏しているので見つけられないって言ってたんですよ。でもしばらくして、指輪の魔法使いたちの組織で内部告発が起こりまして、それはもうひどいことに」
「具体的に言ってください」
「指輪の魔法使いのトップが、巌の巨人から賄賂を受け取っていたんですよ」
なるほど、と、私たちは納得していた。巌の巨人は私たちにそんなことを言っていた。どうやら彼は、裏切るということを抜きにすれば、隠していたことを正直に告白していたらしい。
それに考えてみれば、書の魔法使いを大量に捕まえるには、まず逃亡した書の魔法使いに逃げ切ってもらわなければならない。
私の場合はシンデレラがいたが、誰もがそうとは限らない。それを想えば、彼はかなり以前から指輪の魔法使いを買収していたのだろう。
「犯罪の捜査をする指輪の魔法使い、そのトップやその周辺が汚職ですからね、もう何が何だか……」
「なるほど……道理で今まで、偶然出会った杖の魔法使いとだけ戦いになっていたわけです」
巌の巨人は、本当にこの国を牛耳っていた。その彼にしてみれば、私に殺されることなど本当に屈辱だったのだろう。
改めて、よく倒せたものだった。彼が慢心していたとしても、私の研究が常識外れだったことが無関係とも思えない。
「杖の魔法使いはみんな怒ってましたけどね……でもまあ、何ができるわけじゃないんですけど」
組織を抜けたこともあって、本当にどうでもよさそうである。
しかし、彼女の言うとおりだ。こうなってしまえば、指輪の魔法使いが健全な組織として再開するまで、まともな捜査ができまい。
杖の魔法使いはあくまでも戦闘の専門家でしかなく、他にできそうなのは水晶の魔法使いぐらいだろう。
「それに灰色の中には、私と同じような考え方の人もいまして。旦那様が逃走中に犯した罪は、遭遇した杖の魔法使いの殺害だけ。それならカンジョー隊以外は手を出すべきじゃないって主張もあるんです。白色も黒色も、そんなことしませんけどね」
「よくわかった、私にとって有意義な情報だったよ」
「そうですか……あの、旦那様? もしかしてもう用済みですか?」
「そんなことはないから安心してほしい」
今まで一切謎だった、私たちが逃亡できて来た理由が分かった。
なるほど、いろいろと複雑な事情が絡み合っているらしい。
とても大事なことは、当分の間は私たちがカンジョー隊と遭遇することはないということだ。
「お父様、辻褄は合います。すべて信じてよろしいかと」
「ああ、お前が聞いてくれたおかげで安心できたよ。本当にお前は頭がいい」
「お父様にいただいた性能を、正しく発揮しているだけです」
「うわあ……」
シンデレラは甘えてくるが、ソーンは呆れた顔をしている。
どうやら彼女も、使い魔にお父様と呼ばせている私を『ひどい趣味だ』と認識しているらしい。
なるほど、彼女はとても真っ当な人間のようである。
「そ、それでは旦那様。お伺いしたいんですが、この道の先にはある城しかありません。そこに何か当てがあるんですか?」
「いや、追手を振り払うことしか考えていなくてな。君には申し訳ないんだが、逃亡生活に一切のあてはない」
「そ、そうですか……」
「今からでも別れるかな」
「いえ、私もまったく当てがないので」
そろいもそろって、計画性のない一団である。戦力は充実しつつあるのに、まったく方向性が存在しない。もういっそ、一番行動力のあるスノーホワイトに指揮権を譲渡するべきだろうか。
彼女が私の体を狙っていなければ、こんなに悩むことはないのに。食欲を感じられているわけではないのが、ささやかな救いである。
「特に理由が無いのなら、その城はやめたほうがいいですよ。もともと私たちは、城下町ごと一切連絡が取れなくなった城へ確認に行くところだったんです」
それは一大事である。何が起きているのかわからない場所に逃げ込む、というのは確かに問題だろう。
ペラペラ情報をしゃべるのに、一切疑いを感じられない女性であった。彼女の言葉には、保身のための真実しか存在しない。これほど信じられる情報もなかった。
「では近くにほかの町はありませんか?」
「……あの、奥様。もしかして、地図を持ってないんですか?」
「はい」
「足取りが追えないわけです……」
これに関しては、狙い通りである。
地図を持たずに当てもなく歩き回っているだけなので、見つけられないだろうと踏んでいたのだ。もちろん、地図を買おうとすれば追跡されるかもしれない、という考えもあったのだが。
スノーホワイトを完成させた後は、道さえ外れている。道を踏み外している私らしい逃亡ルートだが、どうやら本職にも有効だったようだ。
とはいえ、指輪の魔法使いが本格的に捜索を開始すれば、その限りではないだろう。誰かどうにかしてくれないだろうか。
具体的には巌の巨人の後継者でも出てきて、また勧誘してくれないだろうか。今度はうまく雇用関係になりたいものである。
「それじゃあ地図を見ますか? 私も一応付近の地図ぐらいは持ってますんで」
「そうですか、では……」
次の目的地も道中で決める適当さ加減である。
やはり私は、破滅がそこまで遠くないのだと意識せざるを得なかった。
とはいえ、それは私の感情である。私の理性は、後ろ向きになってもいいことはないと判断していた。
私という人間は、所詮動物である。気が弱れば食欲が下がり、結果として体調のさらなる悪化に至る。ただでさえ貧弱な私は、病は気からを地でいってしまうのだ。
現状はそこまで悪くない。少なくとも破滅からは程遠い、まだ進退窮していないのだ。
「おお、スノーホワイトも戻ったか」
森の茂みが揺れて、人が出てきた。
人里から離れているこの周辺の人口密度から考えれば、私の作品であるスノーホワイト以外には考えられなかった。
だが違った。
私は入ってきたそれをみて、感情でも理性でも悲鳴を上げていた。
「ひ、ひゃああああ?!」
とはいえ、あまりの衝撃に私の口は悲鳴をあげられなかった。いわゆる、声も出ない状況である。
私に代わって悲鳴を上げたのは、シンデレラではなくソーンだった。私が出会った杖の魔法使いの中では、ありえないほど軟弱な彼女は私の代弁者だった。
むしろ、声が出ている分私よりはましなのかもしれない。
「お父様、お下がりください!」
シンデレラは一切ためらわずに『人』を眼光で射抜いた。
ただ私たちの前に現れただけ、一切声を発していない相手に対して警告もない攻撃。
それはシンデレラらしからぬ行動だったが、相手が見るからに人間ではなかったので仕方がない。
その『人体』からは生命力を感じられず、肉体と呼ぶこともできないほどに骨と皮になっており、血の気が引いた顔には白く濁った眼球が見当違いの方を向いていた。
まさに動く死体、としか言いようがない。緑が生い茂っているので少々くらい森ではあるが、一応昼である。にもかかわらず、その死体は私たちの前に現れていたのだ。
「ぞぞぞ、ゾンビ?!」
杖の魔法使いであるはずの彼女は、杖を放り出して座ったまま後ずさっている。
なんの役にもたっていないが、それは私も同じことだ。いや、何かできるのに何もできずにいるという意味では、彼女より下だ。
シンデレラは何度か死体を眼光で射抜いているが、それでも死体は前に進んでいる。明確に、私やソーンを狙っている。
それに違和感を感じつつも、それ以上に私はその死体に生えている『キノコ』を凝視していた。
「し、し、し!」
どうしようか迷っているシンデレラへ、私は詰まった喉を押さえながら叫ぼうとした。
「シンデレラ!」
「はい、お父様!」
私は何とか、あまりにも唐突な襲撃者への対応を指示できた。
「焼き払え! 全力で、今すぐに!」
直後、シンデレラの手足が伸びた。
あっという間に成体になった彼女は、その視界に入っているすべてを焼いていた。
それは動いていた死体を跡形もなく焼きはらい、その周囲に会った木々をも焼き飛ばしていた。彼女の視界は、まさにクリアになっていたのだ。
「ふぅ、よかった……」
「まずい!」
安堵で胸をなでおろしているソーンだが、私は何も解決していないと知っていた。
少なくとも、まだ安心できる状況ではない。
「シンデレラ、今すぐ火を起こせ! ソーン、燃えそうなものをかき集めてくれ!」
私はあの『キノコ』を思い出しながら、適切な行動をとろうとする。
少なくとも、あの死体が目の前から消えたことは、私にとって行動を円滑にする効果があったのだ。
「……お父様、申し訳ありませんが、どうやらそういうわけにもいかないようです」
未だに戦闘態勢を解かないシンデレラは、その成熟した体で警戒をしていた。
木々の合間から、複数の人影が見えた。こちらを包囲しつつ、明確に接近している。
その動きはとても緩慢であり、大きなうなり声をあげるものではなかったのだが、だからこそ不気味さが際立っている。
「連発します!」
シンデレラは複数回にわたって閃光を放った。
それによって森に広い空間が出来上がり、焦げた地面が露出していた。
眼光の連続使用によって息を荒くしていた彼女は、軽く息を吐いてから少女に戻った。
「……お父様、あれはいったい」
人間よりも賢いはずの彼女だが、知識には限界がある。
不気味ではあっても脅威には感じられなかった彼女は、私に真意を問おうとしていた。
「……とにかく火を起こそう、説明はそのあとだ」
あまりにも異常な状況だが、それでも私の理性は正常な働きをとりもどしつつあった。
とにかく、やるべきことははっきりしている。できるだけ大きな火を起こして、周辺の湿度を下げなければならない。
そうしなければ、全員の命にかかわるのだ。
※
程なくして、手ぶらのスノーホワイトが大慌てで戻ってきた。
獲物を探していた彼女も何かを見つけていたらしく、報告をしようとしている。
しかしそれをいったん待たせて、真昼の焚火を囲ませた。
「みんな、よく聞いてほしい」
正直に言って、目が痛い。
風向きの関係があるのかもしれないが、焚火に近すぎる私は煙で苦しんでいた。
だが、そうでなければ命に係わる。私は巌の巨人から奪った本のページを探りながら、何が起きたのかわかっていない三人へ説明を始めた。
「先ほど、明らかな『動く死体現象』が起こっていた。それも、複数体が同時に出現した」
実のところ、死体が動くというのはそこまでありえないことではない。複数の手段が存在し、検証を必要とするほどである。
だがそれは、あくまでも可能性の話だ。そもそも、死体など動かしてどうするのか。
死体を動かす手段は数あれども、共通するのは緩慢さだ。まさに文字通りの意味で、どう動かしても遅いのである。どんな手段で動かすとしても、死体であるがゆえに遅くなってしまう。
確かに怖いが、驚かせるぐらいしか意味がないのだ。しかしそれは、人間が死体を動かした場合の話である。
「あれは、ウォーキングマッシュルームだ。正確にはウォーキングマッシュルームに寄生された死体だった」
「マッシュルーム……つまりキノコですか?」
「そうだ。はるか昔に人類が駆逐した、有害なキノコだ」
死体から生えていたキノコを思い出したのか、シンデレラは納得しているようだった。
「ウォーキングマッシュルームは毒性のある胞子を空中に散布する。それを多く吸った動物は、呼吸困難を起こして死んでしまう。そのあとに、皮膚などに残った胞子が死体を苗床にして発芽する。死体を養分にして成長したウォーキングマッシュルームは、通常なら胞子を再び散布する。しかし、周囲の環境、具体的には湿度などが低い場所だった場合には、死体を無理やり動かして湿度の高い場所へ移動するのだ」
その話を聞いて、青ざめているソーン。
今にも死にそうで、窒息しそうな顔をしている。
「お父様、既に絶滅しているキノコがなぜこの周辺にいるのでしょう」
「絶滅しているとはいっても、それは野生の範囲だ。管理こそ厳重だが、研究所には生きたウォーキングマッシュルームが保管されている。それに、古代の遺跡にはウォーキングマッシュルームに限らず、絶滅種が見つかることもよくある話だ」
ウォーキングマッシュルームに寄生された死体に遭遇する、それ自体は確率は低いがありえないわけではない。
だが、ウォーキングマッシュルームが集団で接近してくる、というのはありえないのだ。
「これを見てほしい。巌の巨人が奪っていた、書の魔法使いの研究資料だ」
ウォーキングマッシュルームを寄生させたネズミの死体を複数、隔離されたケージの中に入れる。
次にケージの中の湿度を下げて、キノコの繁殖に適さない環境へ変化させる。すると、ウォーキングマッシュルームは寄生している動物の死体を動かし始めた。
それは奇妙というか当然のように、すべての死体がバラバラで別々の方向へ移動していったのだ。
「……あの、それがなんですか?」
資料を見ても、なにがなんだかわからない様子のソーン。
たしかにちらりと資料を読んだだけで、何もかもを察するのは不可能だろう。
そんなに簡単に理解できるのなら、専門家は存在する必要がない。
「ウォーキングマッシュルームによって動かされている死体が、一か所へ向かって移動するなんてありえない」
「……でも、私たちは襲われましたよね? その実験が間違っているか、新種なんじゃ?」
「襲う、というのがありえないんだ。もう一度言うが、ウォーキングマッシュルームは胞子を散布して、動物を窒息死させてから寄生する。であれば、襲い掛かる意味がない。というよりも、襲い掛かれるわけがない。ウォーキングマッシュルームは、周囲の環境変化を湿度ぐらいでしか把握できないんだ」
キノコに視力や聴覚はない。仮にあったとしても、『味方』がやられている場所へ『助け』に行くわけがない。
ウォーキングマッシュルームにとって、死体を動かすのは生存に適した環境へ移動するためだ。わざわざ危険な場所へ移動してどうするというのか。
「よって、ありえないことだが……死体を動かしていたウォーキングマッシュルームを、誰かが何かの手段で操作している。私たちを狙っているのか、それとも不特定多数の人間を狙っているのかはわからないが」
複数のウォーキングマッシュルームを人間に近づけるなど、敵意以外は考えられない。
だが不可解だ。ありえないことが多すぎる。考えこんでいる私に対して、スノーホワイトが情報をもたらしてくれた。
「ご主人様、報告をさせていただきます! 私が食料を探していたところ、森の中に折れた箒や魔法使いのものらしき荷物が大量に散乱しておりました! 臭いからして死体が付近にあったはずなのですが、その死体は発見できませんでした。その地点の上には木の枝が折れていたので、落下したものと思われます!」
「箒の魔法使いですよ、それは間違いない!」
ソーンが叫んでいた。
地図を改めて広げて、スノーホワイトに墜落現場であろう地点を確認する。
私たちが向かっていた城と、その近くにある街までの直線上に存在していた。
「私たちが向かっていた城はそのキノコに、キノコを操る誰かに襲われていて、箒の魔法使いはそこから逃げようとしたんです。でも空を飛んでいる間に体調が悪化して、墜落……そのままキノコに寄生されたんですね」
青ざめているソーン。自分が向かおうとしていた場所が、汚染兵器によって被害を受けていたのだ。もしも無防備に向かっていたら、彼女も死んでいただろう。その死にざまを想像してしまえば、その城へ向かう気持ちなど失せているだろう。
「だとしたら、もう絶対にその城へ向かっちゃいけませんよ! きっと凄いことになってます!」
「……」
しかしその一方で、私とシンデレラはそうは思っていなかった。
危機的な状況であるとは分かっているが、君子危うきに近寄らずではなく、虎穴に入らずんば虎子を得ずという状況なのだと思っていた。
「シンデレラ。お前は私と同じことを考えているのではないか?」
「はい、お父様。おそらくは……」
とても当たり前のことだが、犬猫へ芸を仕込むのと、キノコへ芸を仕込むのとでは難易度の違いは甚だしい。たとえ魔法を用いたとしても、犬猫を使い魔にするのと、キノコを使い魔にするのでは難易度は格段に異なってくる。
箒の魔法使いが死んだであろう状況を考えれば、ウォーキングマッシュルームを操作している何者かが、この付近にいるとも考えにくい。
にもかかわらず、ウォーキングマッシュルームは人間である私たちを狙ってきた。だとすれば、自動的に襲うように設定されているか、あるいは極めて遠い場所にいるキノコさえも知覚下に置き遠隔操作できるかのどちらかだ。
そんなこと、人間がどうにかできるわけがない。であれば、人間以上の性能をもつ使い魔なのだろう。それなら、何もかもが納得できる。
「あの事故で暴走した、高性能な使い魔によるものだと思われます」
「私もそう思う。現在はっきりしている特性だけ見ても、軍事として有用が過ぎるからな」
明確に存在する、人間への敵意と殺意。つまりは憎悪が、この状況にはあった。
「スノーホワイト。その落下現場に、キノコは生えていたか?」
「いえ、何も」
「ではキノコの生えている動物は見当たったか?」
「それもありませんでした」
ソーンは気絶しそうなほどうろたえている。
無理もない、死体に取り付いて操るキノコが、人間だけに取り付いているのだから。
「に、逃げましょう! 旦那様、今すぐあの城から離れないと!」
「もう遅い。もしかしたら、私たち二人もすでに胞子を吸っている可能性もある。このまま運任せで逃げるのは余りにも無謀だ」
「……旦那様、なにか生き生きしてませんか?」
ソーンの言葉は、私のことを正しく分析していた。
もうすでに胞子によって命の危機に瀕しているかもしれないのに、私は充実感に満たされつつあった。
それはなぜだろうか。私は理性によって正しく結論を出していた。
ありていに言えば、久しぶりに書の魔法使いらしい研究ができるからだろう。
「もしも先ほどのウォーキングマッシュルームが遠隔操作されている場合、私たちの存在が把握されている可能性がある。その場合は、逃亡しても追跡される可能性がある。よって別の行動をするべきだな」
「そんなこと、わかるんですか?」
「わかるとも。新鮮な人間の死体が近くにあるだろう?」
「それって……!」
スノーホワイトとシンデレラが、何かに気づいたのか立ち上がる。
その視線の先には、先ほど私たちが殺した死体がいた。
確かに新鮮な死体のほうが栄養価は高いだろうが、だとしても発芽から成長まで尋常ではない速さである。
切り裂かれた体はそのままに、ただ手足を動かしてうつろな顔のまま前進している姿は、一種の悲痛さがあった。
「ひ、ひゃああ?!」
「決まりだな。私たちはすでに捕捉され、追撃を受けている。対処しなければ、生き残ることはできない」
※
逃亡者にとって安全な場所は、人のいないところである。
しかし私は貧弱なので、野生の過酷な環境に長期間耐えることはできない。
人がいるところでは逮捕され、人がいないところでは生存できない。
そんな私にとって、ある意味楽園と言える場所。それは人間が全滅している町だった。
「あ、あの……本当に行くんですか?」
「指揮官の決定に異議を唱えるな!」
「はい……わかりました」
不安そうなソーンを怒鳴りつけるスノーホワイト。
なお、その顔は格下へ指示ができていることに対する喜びでいっぱいだった。
今私たちは、すでに陥落していると思われる直近の城の前へ来ていた。
胞子で汚染されている場所へ踏み込むために、巌の巨人の研究所から拝借したマスクを四人とも装着しているが、その一方で生存者への対策はしていない。
つまりスノーホワイトもシンデレラも、人の街を歩くのに顔や体を隠していなかった。とても開放的な表情で、二人は城下町へ入っていく。
正体を隠さないお尋ね者四人がはいった町は、やはり開放的なことになっていた。
「うげ……」
吐き気をこらえるソーンだが、無理もない。多くの人が暮らしていた城下街には、大量の乾燥した死体が転がっていた。
キノコに栄養を吸われ、さらに野ざらしにされていたことで、お世辞にもきれいとは言えない死にざまが広がっていた。
「ご主人様、周囲の警戒をいたしますか?!」
「いや、大丈夫だろう。生存者を探す必要もないぞ、このまま城を目指す」
スノーホワイトは動く死体を警戒しているが、その必要は最初からない。
日数が経過したことによって、キノコが栄養を吸い尽くしてしまっているのだ。
これでは死体を動かすほどの力は残っていないのだ。
「お父様の予想は当たりましたね。死んで間もない死体を動かせるほどにキノコの成長が早いのなら、それはつまり死体の栄養を吸い尽くしてしまうのだと」
「ありがとう、シンデレラ。だがしかし……やはり恐ろしい使い魔が製造されたのだと認識したよ」
使い魔の性能を制御法が制限してしまっていたように、汚染兵器の限界は浄化法に帰結する。
どれだけ危険で凶悪な汚染兵器だったとしても、安全に浄化する方法が確立されれば安易に使用される時代が来るだろう。
そういう意味では、この兵器はとても理想的だ。
街を一つ飲み込み、暮らしている人々を音も臭いもなく窒息死させ、さらにその死体は動き出してさらに胞子を散布する子機になる。
通常なら動物を媒介にして際限なく広がっていくところだが、人間を識別して襲うために攻撃したい場所だけをせん滅できる。
数日放置すればキノコは勝手に枯死するので、あとは胞子を滅菌すれば始末も容易い。
おそらく本来は人間だけという制限ではなく、敵味方さえ識別させるつもりだったのではないだろうか。
これを製造した書の魔法使いは、間違いなく私よりも数段優秀な御仁であろう。
「ウォーキングマッシュルームの胞子を散布し、それらを操作するのみならず情報を集める触媒にもする使い魔。人間を効率よく殺すには、この上ない兵器だ」
「た、倒せるんですか?」
「わからない。だが、逃げるにしてもここに来るのが一番だ」
私たちは補足されているとみて間違いない。
逃げるには胞子をいったん完全に除去し無ければならないが、それには相応の設備や薬剤が必要だ。
お尋ね者の私たちがそれを得るには、やはりここへ来るのが早道だろう。
「まずは私たちの健康を確保する。これだけの規模の城だ、書の魔法使いのための設備はあるだろう。それを使って抗菌薬や消毒液を準備する。時間が多くあれば十分に可能だ」
「やっぱり生き生きしていますね……でも、その肝心の時間はどうなんですか? すぐにここへ来るかもしれませんし、逆にもうここへ来ない可能性もありますよ」
ソーンの懸念はもっともだ。もちろん私たちの追跡をあきらめてくれればそれが一番だが、すぐにでもここへ戻ってくれば対策を練る暇もない。
「安心することです、ソーン。相手が菌を散布するしか取り柄の無い使い魔なら、このシンデレラが一人で灰にして見せましょう」
「シンデレラ様が出るまでもありません! このスノーホワイトにお任せくだされば、即座に切り捨てて見せましょう!」
「ま、まあ私が戦うことになるわけじゃないのなら……」
そうなると私の出番が減るのだが、最悪には程遠い。
少なくとも、一度滅菌を済ませればこの城での生活は快適になるはずだった。
「ソーン。君には死体の運搬を任せる。なに、十分に防護した上で、乾燥している死体を一か所に集めて燃やすだけで安全な仕事だ。一人でも大丈夫だよ」
「にっこり笑ってひどいことおっしゃいますね……まあ自分が死ぬよりはいいですけど。死体が動いたりしませんか?」
相変わらず自己保身しか考えていないソーンである。
老若男女、貴賤を問わずに皆殺しにされているこの状況で、一切義憤を感じていない彼女。
それは私に似合いの従者だと思えた。
「シンデレラ、お前には私の補佐を頼みたい。一緒に薬液を作ってくれ」
「お任せください、お父様」
やはり、充実している。多くの屍へ憐れみを感じることが無く、ただ実験動物が予定通りに死んでいるとしか思えなかった。
そんな悪人である私は、やはり久しぶりの研究生活へ胸を高鳴らせるばかりだった。
「ご主人様! このスノーホワイトへの指示をお願いします!」
「あ、ああ……後で考えておく」
「考えていなかったのですか?!」