逃避行が安易であるはずもなく 後編
長くてスマホでは読めないというご意見をいただき、前後編に分けました。
更新は次の話からです。
私は成功していた犯罪者を打倒した。
それ自体は良いことだ。圧殺されることがなかったのだから、悪いはずではない。
しかしこの国の悪の頂点を倒した私の心中は、感情は、とても陰鬱だった。
短期的には解決ができても、中長期的な解決は遠のいてしまったからだ。
巌の巨人が言っていたことではあるが、組織の頂点に立つ男を倒したぐらいで構成員が無条件で付き従うということはない。
仮に彼の組織を乗っ取ることができたとしても、それを運用するノウハウが私にはない。
つまり、そう都合よく安定した生活を得ることはできないのだ。
「申し訳ありません、お父様。つい殺してしまいました」
「気にするな。確かに信用できる相手ではなかった」
彼の庇護下に入ることができれば、あるいは彼の後継者になることができれば。
私はさぞ楽しく充実した日々を送れたに違いない。
だがしかし、それはさっきまで生きていた巌の巨人が、私との約束を残りの人生で一度も破らなかった場合だけである。
彼の命乞いに嘘はなかっただろう、あの瞬間だけは私の靴の裏だって舐めただろう。
その瞬間が過ぎ去れば、きっと私に対して報復を行っていただろう。彼の自尊心は、自分を屈服させた存在を許さないはずだ。
それに、私も彼も、何時お互いがお互いを裏切るのか、気が気ではなかったはず。
互いの眉間を狙い合うような状況が、そう長く続くとは思えなかった。
私のこれからの人生で、巌の巨人に狙われる可能性だけはなくせた。それは良いことである。
もちろん、今後は彼の配下に狙われる可能性が付きまとうのだが。
「どうするべきか」
私には二つの選択肢がある。一つではないのがいいことだ、今までは選択肢を脳内に浮かべることもなかったので、とてもありがたい話である。
「迷う余裕はありません、これは千載一遇の好機です」
「そうだな……すぐに始めよう」
私の懐にある、試験管の中に封じられている小さな塊。
それはシンデレラ同様に人間をはるかに超える力を持った使い魔の、受精卵ともいうべき代物だ。
この洋館にある設備を使えば、数日で成長して完成するだろう。
なんとも好都合なことに、巌の巨人が準備していた偽装工作は万全だった。
それこそ、ここがさも重要な施設のように、実際に稼働できる状況になっている。
その中には使い魔を製造するための設備と、強力な使い魔を製造するための栄養も潤沢だった。
一体どれだけの悪事を重ねれば、これだけの施設を使い捨てにできるのだろう。
殺しておいてなんだが、彼は極悪人としては相当な手腕の持ち主である。もちろん褒めているわけではない。
「スノーホワイトか……ようやく完成させることができるのだな」
「戦闘用として製造した彼女が完成すれば、お父様もご安心できるでしょう」
「ああ、待ち遠しいよ」
シンデレラはあくまでも試作品であって強いというわけではない。
適切に言えば、強大な魔力を持つ存在として製造はしたが、それを効率的に戦闘に使用できるようになっているわけではない。
もしも彼女が奇を照らすことなく、普通の攻撃魔法を発動させることができたなら、それこそこの洋館周辺をまとめて吹き飛ばすことができるだろう。
だが彼女にそれはできない。不必要なほど徹底的に破壊してしまう魔法しか使えない彼女は、とても非効率的で戦闘用とは言えないのだ。
その点、スノーホワイトは戦闘用と言っていい性能を持っている。
もちろんまだ完成していないので実証できていないが、もしも私の設計通りに仕上がっていれば正に人知を超える戦闘能力を発揮してくれるはずである。
そうした個性、性質はもとより、単純に戦力が倍になるという点が大きい。
あくまでも研究者でしかない私だが、一人よりも二人の方が強いなどわかり切っている。
それでも、速やかにここを離脱するという選択肢が存在していたのは、この洋館に杖の魔法使いたちがやってくるという情報が真実だと確信していたからだ。
「いったん製造を始めれば、スノーホワイトは動かせない。完成までの数日間、私もお前もここを動けない」
「それでも、ここを諦めれば次の機会など……」
「ああ、全くその通りだ」
私の理論をもとにした使い魔は、製造に極めて時間を要する。
仮にスノーホワイトを諦めれば、次の使い魔を製造できるのは何年後かわからない。
結局、これは賭けだ。
ここで成功すれば、私の破滅は大幅に先延ばしされるだろう。そして失敗すれば、私の破滅は大幅に近づく。
だが賭けをするという機会さえ、今の私にはとても希少だ。これを逃すことは、私にもシンデレラにもできない。
使い魔の製造には、まずガラスの巨大な容器、水槽が必要である。完成したときの使い魔よりも十倍は大きくなければ、骨格にゆがみが生じうる。
ガラスという物質は、魔法の実験でとても重要だ。熱に強く酸にも強く、透明で硬質で、素材としては比較的安価だ。
その上で加工もそこまで難しくないので、魔法の実験では欠かせない存在である。
しかし、それでも『ちゃんとした』ガラスの容器は、とても高価だ。
魔法の実験では多くの容器を必要とするので、これをそろえるだけでも財力を要する。
まして、巨大な円筒形の水槽など、間違いなく特注品であり目玉が出るような金額であろう。
そして、そんなことに目玉が飛び出るようでは、この水槽に注ぐ魔導羊水を確保することはできまい。
極めて高純度で不純物を一切含まない魔導羊水は、完成していない使い魔にとって最高の保護液である。
受精卵状態の使い魔を外部の病魔から保護し、さらに重力も軽減される効果がある。
この培養液は循環させろ過する必要があり、時に廃棄して新しいものと交換する必要もある。
使い魔が成長するにあたって出てしまう老廃物により、羊水が汚染されてしまうからだ。
当然、大きな使い魔を製造するときほど羊水の基本的な量は多く必要で、強大な使い魔ほど交換を頻繁にしなければならない。
魔導羊水は透明度がある一方で淡く光る性質があり、少量では注意しないと目立たないが、透明な容器へ大量に注ぐと暗い部屋をうっすらと照らす。
その内側に浮かぶ使い魔の素体は、淡く照らされながらも成長を始めていた。
臍の緒ともいうべき栄養供給用のチューブの先端から、調整された魔力栄養素を受け取って時間と共に大きくなっていく。
極めて順調な、使い魔の成長過程だった。
問題は、これが成長しきるのに数日必要ということと、その数日の間に杖の魔法使いが襲撃を仕掛けてくるということだろう。
しかも、巌の巨人の基地に踏み込む、という前提の襲撃である。
いや、国家権力が正しく犯罪者の根城に突入するのだから、襲撃といういい方は不適切だ。
巌の巨人は既に私が倒してしまったが、私は私で立派な犯罪者だ。それも殺人者だ。
如何なる攻撃を受けても、一切文句は言えない。さっさと完成させて、この場を逃げ出したいところである。
とはいえ、このスノーホワイトの成長を早めることもできない。こればかりは、ただ眺めて待つだけだ。
焦ってもいいものはできない。特に、完成までの最終工程ではなおのことだ。
「お父様、よろしいですか?」
「ああ、もちろんだ」
さて、私には時間ができてしまった。
そうなると私にできることは、試験管の前でくつろぐことだけである。
生活感の一切ない実験室で、私は椅子に座ってシンデレラを膝の上に乗せていた。
先ほどまでは女性と言っていい姿だった彼女は、今は普段通りの少女の姿になっている。おそらく、人間らしさをのぞけば男の子と言っても通じるだろう。
彼女の基本は悪魔であり、発揮している魔力の量に合わせて肉体も変化する。出力を上げれば上げるほど、体が成長するという理屈だ。
出力を上げればその分消費も増えるので、全力で戦う時以外は少女の姿になるようにしている。
「ふう」
今でこそくつろいでいるが、本当についさっきまで私は窮地だった。
同じ書の魔法使いが準備をしていた罠によって、私の全身に魔法が走っていたのだ。
仮に私がシンデレラを呪詛で縛っていた場合は、その呪詛による拘束が固定化されてしまっただろう。
仮に私がシンデレラを遠隔で操作していた場合は、シンデレラにまで被害が及んでいたはずである。
目の前に餌を吊るされて食いついた、釣り上げられて料理されるところだった。
巌の巨人も言っていたが、シンデレラがどれだけ有能でも私が無能極まりない。
これでは、せっかくの性能も無駄に終わる。そういう意味では、彼の言葉は正しかった。
もちろん、彼は自分の行動を正当化するために、もっともらしい理屈をつけていただけだ。
一切犯意を持っていない、示していない私を最初から殺すつもりだった。アレは自己保身であると同時に、優越感を得るためだったのだろう。
彼にとって他人の研究を奪うという行為は、自分が強者になったという証だったのだ。
「そういえば」
「いかがしましたか?」
「巌の巨人の魔導書を見ていなかったな」
「そういえばそうですね」
私はシンデレラを抱えて椅子を立とうとして、腰が上がらなかった。
よく考えれば、私はついさっきまで猛スピードで走る馬にしがみついていたのだ。体に力が入る筈もない。
やや残念そうなシンデレラに降りてもらってから、巌の巨人の殺害現場に戻る。
改めて、とても豪華な寝室だった。内装というか、とにかく大量の『高額そうなもの』が、これでもかと部屋の中に置かれている。
おそらくこれも、彼の趣味なのだろう。贅沢をすること自体が、目的であり快感だったはずだ。
これらを全部放棄するつもりだったなら、散財が過ぎる話だった。
とはいえ、そんな彼も書の魔法使いである。
彼にとって一番大事だったもの、どうしても捨てられず、奪われたくなかったもの。
そして、奪ってきたもの。研究を記録した魔導書である。
「さて、私の研究に役立つ資料があればいいのだが」
魔導書を開く。やはりというべきか、冒頭には巌の巨人が研究を始めて当初の資料が記入されていた。
やはりゴーレムの製作者である彼の資料は、読んでいてもあまり理解できない。そう思ってページを大きくごっそりと開こうとすると……。
「うおう?!」
極めて知的ではない声が、私の口から出てしまった。
シンデレラ以外に聞くものはいないが、思わず気恥ずかしくなってしまう。
「凄まじい量ですね」
説明が難しいのだが、魔導書にはページの上限がない。
研究の内容が自動的に記録されていく上で、ページも増えていく。
さらに他人の書からも資料を引き継ぐことができるため、見た目よりも分厚いのは当たり前だ。
だがだとしても、シンデレラが評したように、ここまで分厚いとは思わなかった。
書の半分ほどのページに指を入れて開こうとしたところ、まるで一ページ目であるかのようにそれ以前のページが圧縮され、その以後のページが大量に湧いてきた。
一体どれだけの魔法使いから研究を奪えば、これほどの厚みになるのだろうか。
これの中に私の研究も追加するつもりだったのだとしたら、それは完全に収集癖の域だろう。
彼がどれだけ優秀な研究者だったとしても、書の魔法使いが配下にいないのなら、これらを研究することはできなかったはずだ。
実際、流し読みをした限りでは、資料の更新はほぼされていない。それはつまり、彼は研究を更新していなかったということである。
「ゴーレムに関する研究だけは、更新されていますね」
シンデレラがパラパラとめくり、内容を確認していく。こういう作業でも、基本的な脳の性能がわかるというものだ。
そして、私同様にシンデレラも呆れていた。とてもではないが、知的な行為ではない。カラスが光るものを集めるのと同じ理屈だ。
「お父様。私はお父様に製造していただいたことに、感謝しております。だからこそ、この書を見ていると思うのです。あの巌の巨人とやらが、一体どれだけの可能性を摘み取ってきたのかを」
「私もだ。柄ではないが、義憤さえ感じてしまう。それが義憤と言えるのかわからないが」
私が義憤を感じたところで、一体どこの誰が正当性を感じてくれるのかはわからない。
しかし先ほど危うく殺されるところだった私は、実際に殺されてしまった彼らへ哀悼の感情を抱いてしまう。
「おそらくだが私同様に、何かの理由で追放された者ばかりだろう。何があっても日の目を見ることはなかっただろうが……だからと言って奪われて死蔵されるというのは、あまりにもむごいな」
「誰にでも読めるからこそ書、死後も残るからこそ書。決して自己満足のために、集めるだけ集めていいものではありませんね」
こうして読んでいるだけで悲しい気分になってしまう。
今まで散々杖の魔法使いを殺しておいて、目の前で転がる死体を見ておいて、とんでもない話だとは自分でも思う。
清く正しく悪を倒そうとした杖の魔法使いたちの死を悼む気持ちよりも、なにがしかの事情はあれども悪に堕ちた書の魔法使いの遺産の方が大事に思えてしまう。
「これは……私の魔導書とは別にしておこう。もしも同じ分野を研究する書の魔法使いが現れたときには、それぞれを研究してもらおう」
「そうなさるのがよろしいかと」
そこまで行かずとも、各分野ごとに別々の本にして、それを図書館にでも寄贈すればそれだけでも大いに意味がある。
少なくとも私ならば、このままにされるよりはましだ。誰も読まないかもしれないが、それでも燃えてなくなるよりは弔いになるだろう。
そうしたいという、身の程をわきまえない気持ちが、私の中で起こりつつあった。
※
私がこの屋敷にたどり着いてから、数日が経過した。
二体目の使い魔、スノーホワイトはもうすぐ完成する。
ガラスの水槽の中ではすでに成体と変わらない姿になっており、何時目を覚ましてもおかしくはなかった。
このまま杖の魔法使いが来なければ良かったのだが、最初から期待はしていなかった。
洋館の中を、警戒音が鳴り響く。
洋館の周囲に警戒装置が設置されていて、それが反応したのだろう。
おそらく、今の警戒音を起動の合図として、あのゴーレムたちが動き出していたに違いない。
とはいえ、それは既に壊してしまった後なので、それを期待することはできないのだが。
「行くぞ、シンデレラ」
「はい」
なんの戦闘能力も持たない私がシンデレラと共に戦場に立つのはとても危険なのだが、シンデレラしか戦力がいない以上彼女から離れるのは危険だ。
私がどこかに隠れても、どうせすぐに見つかってしまうだろうし。
それならそばにいたほうが、お互いの状況が分かりやすいというものだ。
とはいえ、行くぞシンデレラ、という勇壮な言葉は似合わなかった。
前を歩くのはシンデレラであるし、私の顔はすっかり青ざめていた。
正直『私のことを守ってくれ、シンデレラ』あるいは『頼んだよ、シンデレラ』などというべきだったのかもしれない。
妖艶な女性の姿になっているシンデレラの主にあるまじき、なんとも情けない男だった。
とはいえ、情けないなりに意地はある。私は命が惜しいが、それよりも製造中の使い魔のほうが惜しい。
ここで逃げればスノーホワイトを見捨てることになる以上、私もシンデレラと一緒に前へ出るしかないのだ。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
洋館の入り口で、私とシンデレラは杖の魔法使いたちを待っていた。考えてみれば中々込み入った状況である。いったん整理しよう。
巌の巨人はこの屋敷に防衛装置と研究設備を準備して、内通者の信頼性を上げるための材料にしようとした。
しかし近くに私がいたため、この洋館で罠にはめようとした。私たちのいた場所がここから遠ければまた別の方法を選んだだろうが、丁度良かったのでここを使用したのだろう。
だが彼は私が返り討ちにしてしまった。いろいろな意味で、彼の準備は無駄になってしまったのである。
そこで私がこの屋敷を去れば、破壊されたゴーレムや極限まで破壊された人間の残骸を発見し、何があったのかと首をひねるだけだっただろう。
だが研究設備が整っていたので、私はこの洋館を守る必要ができてしまった。
よって、これから起きる戦いはかなりずれている。
巌の巨人の拠点をつぶすためにやってきた杖の魔法使いと、巌の巨人を殺した私が戦うわけである。
私も犯罪者には違いが無いので、杖の魔法使いは私と戦わざるを得ない。
私はスノーホワイトが完成するまでこの洋館を動けないので、杖の魔法使いと戦わざるを得ない。
巨悪に立ち向かう使命抱いた正義の魔法使いと戦わざるを得ないとは、無法者とは本当につらく苦しい生き方だ。
「気を付けてください! すさまじく強力な魔力を発しています!」
黒い森の向こうから、緊迫した声が聞こえてきた。事前に想定していた勇敢そうな男の声ではなく、少女の高い声だった。
もうその時点で、私は何かを察してしまう。
「お父様、先ほどよりも緊張なさっていませんか?」
「杖の魔法使いは実力主義だが、だからこそ若い女性が現場の最前線に立つことは稀だ。巌の巨人の拠点に派遣されてくるということは、その部隊は……カンジョー隊に間違いない」
私の予想と違うことなく、現れたのは三人の少年少女だった。
白を基本とする制服、複数の円を繋げて輪を描いている紋章、素人でもわかる最高級にして最新鋭の杖。
それらを装備している彼らはやはり、杖の魔法使いの中でも最強とされるカンジョー隊だった。
恐怖とは別に、好奇心も沸く。カンジョー隊の構成員には、危険とされ廃止した養成所の出身者がとても多いということである。
失敗する確率が高すぎたため
「強敵だな、カンジョー隊とは」
国家が主導する強大な魔法使いを生み出すための計画、それは大別して二つに分かれている。
私や巌の巨人のように、ゴーレムや使い魔など強い兵器を生み出すという分野。
もう一つは、既に存在している人間を更に強力にするという分野である。
カンジョー隊に属する者たちは、多くが廃止された研究のわずかな成功例だった。
「決して君たちは喜ばないだろうが、私は少し興奮しているよ。喜びに近いと言ってもいい」
目の前に並んでいる彼女たちは、半数以上が私とは異なる志を持って研究に臨んでいた書の魔法使いの成果だった。
それが近くで見れるのは、正直知的な喜びを受ける。
「ああ、もちろん戦いたいというわけではない。正しい仕事をしている君たちには申し訳ないが、出来ることなら引き下がって欲しい」
なんとも余裕を気取っているが、実際にはそんなことはない。
偉そうなことを言っているのは、ただ相手が年下の少女ばかりということだ。
正直に言って、帰って欲しい。分が悪いのはこっちのほうだ。
「はっきり言って、命乞いだ。私は死にたくないと心からそう思っている、なので捕まりたくもない。君たちが引き下がってくれれば、本当にうれしい」
交渉というか会話をしているが、絶対に受けてもらえないとわかっている。
なんの材料もなく交渉だけしているのだから、正に無駄な抵抗だった。
今更だが、今までこういう時のための交渉材料を用意しようと思わなかったことが悔やまれる。
我ながら、非常事態に研究だけするなんて間違っている。もう少し余裕がある時にするべきだった。
「キョウハ、あの使い魔は……」
「間違いありません、逃亡したあの事件の首謀者です!」
最初から全開になっているシンデレラをみて、私の素性を察したらしい。
巌の巨人も驚いていたが、今のシンデレラほどの魔力を帯びた使い魔など、普通ならありえないのだ。
しかし、事件の首謀者扱いされるのは不本意だった。
あれはあくまでも意図せずに発生した事故であって、意図して発生した事件ではないのだ。少なくとも、私が首謀者というのは間違いである。
もちろん、弁解するだけ無駄なのだが。
「もうすでに、巌の巨人の配下になったのか! いや、それとも、最初からあの男の部下だったのか?!」
「そんなところだ」
「……?! 今のは嘘です! あの魔法使いは、巌の巨人と協力関係にありません!」
弁解するだけ無駄だと思ったので適当にはぐらかしたところ、あっさりと見抜かれていた。
彼らの視点からすれば、嘘だと疑う意味がない発言である。にもかかわらず、黒い森の中で目を輝かせていた少女は、私が嘘を言っていたと確信していた。
「な、どういうことだ?!」
「だって、ここは巌の巨人の施設でしょう?! それが間違っていたの?!」
「わかりません。ただ、嘘を言っているとしか……」
そしてそれをほかの二人も全面的に信じていた。どうやら彼女には嘘を見抜く力があるらしい。
さて、どんな力なのだろうか。興味は湧くが、話を聞いてくれるのなら有り難い。
「では本当のことを言おう。巌の巨人は私が殺した。彼は私をだまして研究成果を奪うつもりだったのだが、なんとか返り討ちにすることができた」
「……ねえ、キョウハ」
「嘘は言っていません」
嘘かどうかを判断している、キョウハという名前には覚えがある。
高感度の魔力認識能力に加えて、真偽を見抜くジャッジ・アイというレアスキルを宿すカンジョー隊の一員だったはずだ。
宿す、というと少し語弊がある。彼女は後天的にレアスキルを付与された、改造された少女だ。
レアスキルとは文字通り珍しい能力であり、努力しても習得できるものではない。
それを後天的に付与できるようにする、というテーマで研究が各所で行われていた。
多くの被験者に無茶な施術が施され、多くの犠牲を出したという。
資料を見た限りでは、成功率が極端に低かった。
確実に生み出す技術が確立されることはなかったので、わずかな成功例だけが現場で働いているという。
費用対効果としては余りにも悪かった、失敗した計画とされている。
「ジャッジアイを持つ少女がいるのはありがたい。私の言葉に嘘が無いことはわかってもらえるようだ」
「貴方の言葉に嘘が無くても、私たちが貴方を見逃す理由にはなりません」
「それはそうだな。だが、余計な問答をせずに済むのは結構なことだ」
カンジョー隊の面々は、相変わらず私に対して殺意を隠さない。
無理もない話だ。悪の書の魔法使いというだけで、彼らにとっては殺すに値する。
このまま問答無用で殺されても、一切不思議ではない。
「貴方に聞きたいことがあります」
そう思っていた私にとっては意外なことに、カンジョー隊の側から私へ質問があった。
赤い髪をした少年が、懸命に怒りを抑えつつ私へ訪ねていた。
「貴方は、使い魔が暴走した事件の首謀者として追われています。あの事件について、知っていることを一切偽りなく教えてください」
「私を捕まえてから聞いてもいいだろう、そちらにジャッジアイがあるとはいえ、戦う前に聞く意図が分からない」
「カンジョー隊は、あくまでも実行部隊です。貴方を捕まえることができたとしても、すぐに指輪の魔法使いへ引き渡さなければならない。そして彼らが僕たちへ誠実な回答をしてくれることはないでしょう」
なるほど、彼らも純粋に正義を信じているわけではないようだ。それはとても痛ましいことだが、正しい懸念でもある。
捕まえようとして私を殺してしまうかもしれないということを考えれば、今聞くのが一番なのだろう。
「もしもキョウハがジャッジアイで調べて、嘘を言っていると判断した時は、僕の魔法が貴方を即座に貫くと思って下さい」
「ふむ」
これは困った。私だけではなく、シンデレラも困っている。
長話は望むところだが、私に話を長引かせたい意図がある。そんな思考を偽りだととらえてしまうかもしれないからだ。
私にジャッジアイをごまかす力があるわけもないし、しかし上手く隠しながら話をする自信もなかった。
「そういうことならば、先に言っておこう。私は今、この洋館にある設備を使って、もう一体の使い魔を製造しようとしている。長話は君たちにとって不利に働く恐れがあるのだが、その点は構わないだろうか」
「構わない」
少年から強く言い切られた。
正直に告白した私もどうかと思うが、即答する彼も大概である。
よほど知りたいのか、それとも自分たちの力に自信があるのか、あるいは両方か。
「君、名前をうかがってもいいかな?」
「テンマだ」
「そうか、テンマ君。期待に沿えるとは思えないが、時間をくれるというのならありがたい話だ。私の知っている限りを教えよう」
私の話を、誰もが聞いていた。下手に動くこともなく、まさに清聴していた。
「まず前提からだが……君たちもよく知っているように、強大な魔法使いを生み出す、量産することは私たちが所属する国家にとって長年の悲願だった。それと同様に、あるいはそれ以上に、人間ではない強力な兵器を生み出すことも研究されていた。私もそれに従事していた、一人の書の魔法使いでしかない」
当然ながら、そんな当たり前の言葉にさえ、三人は不快感を示していた。
彼らを傷つけたことに、ほんの少し罪悪感を覚える。ほんの少し、というのが私の良心の占める割合を示していた。
「巌の巨人は強力なゴーレムを製造することを研究していたが、私の研究は『人間よりも強力な使い魔』を製造することだった。とはいえ、ヒラの職員でそこまで大きな権限や膨大な予算を与えられていたわけではないがね」
懐かしくなる。なんの恐怖も不安もなかった、正しく生きている時代ことだった。
正義があったわけではないが、違法だったわけではない時代の話だ。
「研究所の設備と資材を用いれば、強力な使い魔を製造すること自体はまったく問題ではなかった。問題なのは、その強力な使い魔をどう制御するかだ。君たちがそうであるように、強大な魔力を宿す者は、その分魔力に対して耐性が高い。それは魔法による洗脳などに高い耐性を持つということだが、それはそのまま使い魔の制御が難しくなることを意味している」
例えば子犬を散歩させるなら、首輪も紐も弱いものでいい。
しかし大きなライオンを散歩させるとなれば、よほど強力な首輪と鎖、そしてそれを引っ張る人間の強さが必要になるというわけだ。
「ゴーレムなら操作されなければ動かないから、注意してプログラミングするだけでいいのだが、使い魔の場合はそうもいかない。なにせ自立している生命であり、ある程度の意志や知性もある。逆にそれが無ければ、役に立たない。複数の強力な魔法使いが制御することが前提の使い魔も生み出されたが、それは結局使い手よりも強い使い魔というわけではない」
強大な使い魔ほど制御が難しい。
これは兵器として運用する上で、とても難しいことだった。
「そこで私は発想を変えた。使い魔を製造する上で特別な工程を挟み、それによって一切制御の必要を必要としない、完全に自立した使い魔を生み出そうとした。それの成功例がシンデレラ、というわけだな」
「完全に、自立した、使い魔?」
何を言っているのかわからない、というテンマ君。
あっけにとられて、何が何だかわからないという顔だった。
専門外なので仕方ないのだろう。私も煙に巻くつもりはないので、ちゃんと説明するつもりだった。
「例えばだ、君たち杖の魔法使いは他の人間よりも圧倒的に強い。仮に暴れだした場合、何人も何十人でも殺せるだろう」
「杖の魔法使いは、そんなことをしない!」
強く嫌悪感を見せて、拒絶するテンマ君。気持ちはわかるが、私はつい先日、違法な杖の魔法使いを実際に見た。
その前例がある以上、私は杖の魔法使いの全員が善良だとは思っていない。
しかし違法な人間一人を捕まえて、杖の魔法使いにも悪人がいるという話をするのもアンフェアだ。
そもそも私だって悪人だ、偉そうなことを言えるわけもない。
「そうだな、君たちはそんなことはしない。だがそれは、別に君たちへ制御の魔法や拘束の魔法が付いているからではないだろう?」
「当たり前だ!」
「それは君たちに、順法精神、いや違うな……君たちに知性があるからだ。君たちが好む言い方をするのなら、良心だとか良識だな。君たちは強いが、その強さを一般人に使う気が無い。常識の壁だとか良心の鎖だとか、そういう表現をすると悪いようにとらえるかもしれないが、実際そうだろう?」
私の言い方には不快感を覚えているが、言っていることは納得してもらえたようだ。
流石にここで『違う』と言われたら色々と困る。
「私は命令に従う使い魔というよりも、ちゃんと意思の疎通ができる使い魔を作ろうと思ったのだよ。高い知性を与えれば、圧倒的に弱い私にも従ってくれるのではないかと期待してね」
「……」
「もう一度言うが、私は成功例を生み出すことができた。シンデレラという傑作は、人間を越える強大な魔力を持って生まれたうえで、製造者である私になついてくれた。もちろん一切安全装置が無いので、私が彼女を怒らせてしまえば殺されるかもしれないが、そうしないように気を使っていれば問題ない。君たちだって仲間を殺そうとは思っていないだろう? 逆に怒らせるようなことをしてしまったら、素直に謝って怒りを鎮めようとするはずだ。私が作ろうと思ったのは、まさに対等な信頼関係によって結ばれる使い魔なのだよ」
テンマ君だけではなく、他のカンジョー隊の少女たちも困惑していた。
私の言っていることに納得できたからこそ、なぜあの事件が起きたのかわからないようだった。
「それはわかった。でもそれなら、なんであの事件は起こったんだ?」
「もう一度言うが、私は君たちの期待に沿えるわけではない。そもそも私は、あの実験のことを知りもしなかった」
「え?」
「私が実験のことを知ったのは、事件、というか事故が起きた後なのだ」
「そんなわけないだろう! あの事件で、一体どれだけの人が死んだと思っている! お前が作った理論をもとにして、実験は行われたんだぞ!」
「気持ちはわかる。だが先に言ったはずだ、期待に沿えるとは思えないとな」
私が事件の首謀者で、陰謀を企てていたとか、あるいは実験の失敗を知って逃げ出したとか、そんなことを期待していたのだろう。
だが実際には、私だって巻き込まれただけなのだ。
「私はシンデレラを作った後その性能を試験し、論文を書いた上で上司である教授に提出しただけだ。あの事故で死んだ教授にね」
「信じろっていうのか?!」
「ジャッジアイをもっている……そう、そこのキョウハ君か? 彼女に確認すればいい」
キョウハという少女は、私の言っていることが真実だと分かっているようだった。
その一方で、真実だと認めたくないと思っているようだった。
よほど私に対して期待していたのだろう、少し悪い気になってきた。
「あの事故は、私の上司たちの無茶な計画によるものだ。おそらく成果を焦ったのだろうな、試験もせずに完成品をいきなり作ろうとするなど」
「……僕たちにわかるように説明しろ。何で事故は起こったんだ?」
「知らないと言ったはずだ、だが察しはつく。真実ではなく、推論でよければ話せるが」
テンマ君は頷いていた。どうやらどうしても納得したいらしい。
おそらく親族か友人でも巻き込まれたのだろう。その心中は察するに余りある。
「まず前提だが、君たちは犬が虎の赤ちゃんを育てるという話を聞いたことがあるかな?」
「は? い、いや、聞いたことがない……」
「私は聞いたことがあります。確か、犬がお乳をあげた虎の赤ちゃんは、大きくなってもその犬をお母さんだと思っているって」
テンマ君やキョウハ君は知らなかったようだが、もう一人の少女は知っているようだった。
「その通りだ。専門的なことは置いておいて、赤ん坊のころから育てれば、異なる動物同士でも信頼関係や家族関係が成立するということだ。もちろん種類にもよるし、そこまで信じ切るのはどうかと思うがね」
「それと何の関係が?」
「もう一つ、だ。一部の魔物は昆虫の様に繭や蛹を作り、その中で羽化する。その中で劇的な変化をするのだが、ある程度の記憶を継承しているという。さすがにこれは書の魔法使いの間でも有名ではないので、知っているとは思えないが」
なにせ魔物の記憶である。実証が難しいので、そういう実験結果があったということしか知られていない。
しかし私は、それに可能性を見出していた。
「私は使い魔の材料には本来不必要な、人に馴致する動物を加えることを思いついた。わかりやすく言えば、私に懐くようにして躾を済ませたペットの精神性を、使い魔に備えさせようとしたのだ」
「……あの、それはおかしな話じゃないですか?」
私の言葉に異論を唱えたのは、犬と虎の話を知っていた少女だった。
「ペットってことは、犬とか猫ですよね? それを材料にしたぐらいで、使い魔が犬や猫みたいに懐くとは思えないんですけど。だって、他にも材料は使うんですし……」
「君、名前は?」
「わ、私ですか? モーリですけど?!」
「実に素晴らしい観点だ。その想像力、疑問を感じることは大事なことだよ」
「あ、ありがとうございます……?」
モーリ君だけではなくシンデレラも私に対して呆れた顔をしているが、やはりこうして自分の研究成果を説明できるのは嬉しい。誇らしい気持ちになれるのだ。
「モーリ君の言うように素材にペットを混ぜただけなら、そこまで劇的な影響が出るわけもない。その理屈で言うのなら、母親の卵子と父親の精子でできる私たち人間にも、双方の精神性や記憶が備わっていることになる。もちろん、胎児の記憶が残ることはあっても、両親の記憶を引き継ぐということはない。それは知っての通りだ」
「だったら、なんでシンデレラちゃんは言うことを聞いているんですか?」
そう、実際のところ素材の記憶が引き継がれるなど眉唾だ。
普通なら専門家でなくとも一笑に付すだろう。だが実際、強大な魔力を持ったシンデレラは私を守っている。
観測された現実を疑わず、その理論を知ろうとするのはとても知的である。
「そこで私が開発したのが、繭化の法だ。わかりやすく言えば、精神面でのベースにしたい生物を破壊せずに分解し凝縮する技術だ」
「よ、よくわかりませんが、その技術を使うと、使い魔がペットの生まれ変わりみたいになるということですか?」
「その表現は正確だな、わかってもらえてうれしい」
当時は画期的だと思っていたが、今にして思えば突飛という表現が適切だった。
いくら成功例を作ってみせても、全部信じてもらえるというのは考え足らずだろう。
「シンデレラにも確認したことだが、ペットだった時のことはうっすらと覚えているらしい。私のことは製造者というよりも、子どもの頃にお世話になった人、餌をくれた親という認識に近い。もちろんシンデレラには成体と幼少期に途中経過が無いので、それよりも親密度は高いのだがね」
「それじゃあ……あの実験が失敗したのは……」
ここまで言えば、流石にモーリ君でもわかるだろう。
私の論文を受け取った彼らが、何をどう失敗したのかを。
「おそらくだが彼らは、記憶の継承を信じなかったのだろう。ただ単に、ペットになりえる動物を繭にして、そのまま高い知性を持つ使い魔に埋め込めば、それだけで自分たちに懐くとでも勘違いをしたのだろう。刷り込み、インプリンティングに期待したのかもしれないがな」
躾をせず、懐くように扱わず、ただ実験動物として扱って繭にした。
この推論が真実だとすれば、高い知性を与えられた彼らが人間を敵視しても不思議ではない。
話を黙って聞いているシンデレラの表情は、とても曇っていた。
「……それじゃあお前は、本当に何も知らないのか?! なんの責任もないっていうのか?!」
私が無関係だと納得してしまったテンマ君は、怒りの矛先を完全に失っていた。
「実験をした書の魔法使いに関しては、擁護できる要素が一切ないな。巻き込まれた人々は気の毒だと思うが、負い目といえるほどのものは私にはない」
「あの事件は、ただ失敗しただけで! 誰かが意図的に失敗をさせたとか、そういうことはないのか?!」
「そうだ」
私は彼が怒っていると知った上で、一切脚色せずに断言した。
なにせ嘘を言えば見破られてしまうのだ、気を使った会話など不可能である。
「私は自分の研究内容をすべて、一切隠すことなく論文にまとめた。それを受け取った面々が、ろくに検証もせずに論文を書き直して、内容さえも変更してしまったのだろう。呆れた無能さであり傲慢さだ、私は成功例を作って見せているのだから、まずはそれを忠実に再現すればいいものを」
書の魔法使いにとって魔法とは、正しい手順を踏めば誰でも再現できるものである。そうでなければ魔法と言えない。
そのあたりも、個人の才覚に依るところが大きい、杖の魔法使いとは大きく違うところだ。
「もしも私に落ち度があったのなら、失敗例も作るべきだった。解毒剤を作って動物実験をするのなら、十匹に同じ量の毒を打ち、五匹に解毒剤を打ち込むだろう。解毒剤の効果を実証するには、まず毒の効果を証明しなければならないからな。もちろんその後は経過を観察しなければならない。解毒剤が副作用を伴っている、とも限らないからな」
「……どういうことだ」
「つまり……シンデレラの前で言いたくはないが、可愛がったペットと可愛がっていないペットの双方で実験をするべきだった。その実験をしたうえで成果に差があれば、彼らも検証をしていたかもしれない」
「じゃあなんで失敗作を作らなかったんだ!」
中々無神経な少年である。自分たちも実験体として悲運な目にあったにもかかわらず、実験動物へ意図的に過酷な環境を施すべきだったというなど。
それも、成功例であるシンデレラの前で言うなど。
それだけ追いつめられているのだろうが、シンデレラの表情は険しい。
「アンタがちゃんと実験をしていれば、あんな事件は起こらなかったんだろう!」
「もう一度言うが、私にはそこまでの予算と権限が無かった。その中では、成功例を一つ作るのがやっとだった。いや……素直に白状すれば、私も彼らのことを悪く言えないな」
嘘を言えない、というのは厄介である。
想ったことは、すべて言わなければならない。
例え相手がどれだけ怒るようなことだったとしても。
「私は研究者で居続けたかった。そのためには、成果が必要だった。だからこそ、成功例として最高のものを作りたかった。誰もが欲しがる、膨大な魔力と高い知性を持つ使い魔を……成功例としてみせたかったんだ」
「ふざけるな!」
「私は自分が成果を求めていたくせに、私の論文を受け取った教授たちが成果を焦るとは思っていなかった。沢山の実験を繰り返して入念に検証し、量産化を行うにしても数年後か十年後だと思っていた……」
「お前たち書の魔法使いが全部悪いんじゃないか! なんで成果なんて欲しがるんだ!」
私はあの事故に関しては、自分が被害者だと思っていた。
しかし研究者として、成果を理由として検証を怠っていたことは事実だった。
「書の魔法使いとして、研究を続けたかった。そのためには、成果がどうしても必要だった……」
「そんなくだらないことの為に! あの人は、僕の恩人は死んだんだ!」
私は善人ではないが、研究者ではある。
非に気づいてしまえば、口にしてしまっていた。
もちろんジャッジアイが無関係ではないが、それは後押しにすぎない、と思いたい。
ここで黙っていれば、私は書の魔法使いですらなくなってしまう。
「くだらないことなどありません」
強大な魔力を吹きあらせながら、シンデレラが私の前に立った。
「もしもお父様が失敗作を意図して生み出すことがあったのなら、私はきっと悩んだあげく、お父様を見限っていたでしょう」
もはや話すことは済んだと、時間が過ぎるのを待つべきだと知っているシンデレラが前に出ていた。
「私にとって、お父様が失敗作を作らなかったことは、どうでもいいことではなく、くだらないことでもありません」
どうやら私は、シンデレラのことを忘れたような言い方をしていたようだ。
彼女に謝罪をしつつ、ただ結果を待つ。
「私はシンデレラ。強大な魔力と人間を超える知性を持たされた使い魔の試作品であり、現在唯一の成功例。その機能を持って、あなた方を排除します」
「僕は杖の魔法使い、カンジョー隊のテンマ・バイカだ!」
「同じくモーリ・パンジーです」
「キョウハ・コスモス……です」
いよいよ、戦いが始まる。
「国家反逆罪の容疑者として、お前たちを逮捕する!」
怒りを燃やした少年少女を、私のシンデレラが迎え撃とうとしていた。
※
「うおおおおお!」
テンマという少年の持つ杖から、赤い光がほとばしる。
それは刃となり、その杖をさながら長柄の斧のようにしていた。
「くっ!」
それは原理としては、シンデレラのそれと同じだ。過剰な魔力を物質に注ぎ込み、破壊する力。
それを狭い範囲で刃状にすることで、持続力と切断力を両立させている。シンデレラの構築した透明な粉塵壁に触れると、粉塵になるどころか逆に押し込んでいく。
「人間とは思えない魔力……これが竜の血の力というわけですか」
いくら持続力に優れる魔力の刃とはいえ、シンデレラの防御を突破するほどの攻撃力を維持するなど普通の人間には不可能だ。
よほどの才能を持ち鍛錬を積んだ、英雄と呼ばれる一握りの精鋭なら別だが、目の前の彼にそこまでの鍛錬があるわけもない。
太古に滅びた、強い魔力を持つ生物『竜』。
その血液を培養し人体に注ぐことで、その魔力を与えるというなんとも無茶な計画があった。
一時は強大な力を得るのだが、ほんの数日で死んでしまうという結果に至っていた。
そして、その中で唯一の成功例がカンジョー隊に属しているという。それが彼なのだろう。
「違う!」
しかしそれを彼は認めるわけにはいかないのだろう。
少年らしからぬ、鬼気迫る表情で彼は叫んで否定していた。
「僕の力は、そんな実験によるものじゃない!」
「竜の血に適合したゆえに、これほどの魔力を持つのではないのですか」
「お前と、一緒にするな!」
刃が押し込まれ、いよいよ粉塵壁が突破される。
そのタイミングで、シンデレラは防御を解いて反撃に転じようとした。
「させません!」
「ぐぅ!」
だが、それをキョウハ君がさせなかった。おそらく、ジャッジアイというレアスキルを持つがゆえに、シンデレラの動くタイミングが読めたのだろう。
杖の先端から魔法を放ち、それをシンデレラに命中させていた。高い魔力を持つがゆえに、魔法に対して高い防御力を持つ彼女が、その攻撃にひるんでいた。
彼女の持っている大型の杖に、何かの細工が施されているのだろうと察しはつくが、だからと言って私に対抗策が練れるわけもない。
分析をしている私は、本当にただ呆然と立っているだけだ。
さんざん偉そうなことを言っておいて、戦闘に参加するどころかただおびえているだけなのだから、本当に情けない話である。
「うおおおおお!」
その隙をついて、鬼気迫る一撃を見舞おうとするテンマ君。
彼の刃が届けば、シンデレラごと私を切り裂くだろう。
それは私にとって、似合いの死だったのかもしれない。
「なんの、この程度は!」
だがそれでも、シンデレラの迎撃は間に合っていた。
後ろにいる私でもわかるほどに、シンデレラの目が輝く。
魔力を全開にしている彼女の閃光は、視線の先どころか視野のすべてを焼き尽くす。
暗く黒い森の湿度が吹き飛び、木々は煙を上げながら燃えていった。
「く……!」
至近距離でその閃光にさらされたテンマ君は、体から白い煙を噴出させながらも大きく飛びのくだけだった。
さすがは竜の血に適合した少年である、魔法に対する防御力は極めて高かった。
「耐えましたか。ですが、そちらの二人は耐え……?!」
しかし他の二人は耐えられまい。そう思っていた私とシンデレラは、無傷で立っているモーリ君とキョウハ君を見て驚いていた。
テンマ君でさえ軽傷を負った今の閃光を、普通の人間である二人の少女が受けて大丈夫とは思えなかった。
「なるほど、そちらもまともな人間ではないようですね」
「うわさに聞く、サイバネティク・オーガニズムの成功例。そうか、モーリ君は杖と一体化した体を持つ魔法使いだったのか」
閃光からキョウハ君を守るように立っていたモーリ君。
彼女の着ていた服が焼け焦げて、その内側が見えていた。
それは魔法の杖に使われている特殊な金属の光沢が、森を燃やす炎を反射している。
「竜の血を用いた改造とは違い死ぬことこそなかったものの、体の壊死が起きて再起不能になる者が多く実験が中止されたと聞いていたが……」
杖を用いずに魔法を発動させたり、魔法攻撃への耐性を持たせるなどが期待された技術だった。
この結果をみるに、彼女に限っては成功していたようである。
「よくご存じなんですね……」
私は聞いていたことをそのまま並べているだけだが、それさえ彼女にとっては不愉快なようだ。
確かに面白い話ではないだろう、彼女が自分から率先して被験者になったとも思えない。
「これは呪いです。裸になって鏡の前に立てば、目をそらすことができない呪いです」
なんとも無責任な話だが、サイバネティク・オーガニズムの技術は不可逆だ。
今のところは、体に埋め込まれた機構は、切除することこそできても元通りとはいかない。
というよりも、それを元通りできる技術が開発できれば、それだけで大発明だろう。
「ですが、この呪われた体を必要としてくれている人がいる。私はもう目を背けません!」
「その通りだ! 僕たちは、正しい力でお前に勝つ!」
自分たちの周囲の人々が『失敗作』として終わっていく中、成功した自分たちに残ったのも取り返しのつかない体。
それでも正しく生きようとしている彼らは、とてもまぶしかった。
「私たちの杖は、正しい書の魔法使いの人が作ってくれた、人々を守るための力です。これを使って、間違った書の魔法使いである貴方とその兵器を止めて見せる!」
きっと彼らは正しいのだろう。彼らだけではなく、その周囲の人々も正しいのだろう。
それはわかっていても、私は我が身が可愛い。呆れるほどのエゴイストだ。
「ずいぶんと勝手なことを言ってくれますね、正義に縋る悲しい兵器が。もはや人間ではないことをごまかすための自己欺瞞が、そんなに大事ですか?」
そんな私の製造したシンデレラも、中々ひどいことを言う。
成功例としての誇りがある彼女からすれば、間違っている兵器とされるのは不愉快だろう。
「……なんだと?」
「私の知る人間の倫理を語るのなら、そもそも貴方たちのような『かわいそうなひと』に武器を持たせて戦わせることは悪だと思うのですが?」
なかなか痛いところを突く。我が創造物ながら、的確に急所をとらえている。少なくとも、三人はまるで言い返せていない。
しかし『かわいそうなひと』に向かって、存在意義を全否定するようなことを言っていいのだろうか。
「返す言葉もありませんか? 無理もありませんね、兵器として扱われていることに気づいていなかったのなら、こんな滑稽な話もない。貴方たちは私と変わらない、ただ成功例として性能を発揮することを求められているだけの兵器。意思や尊厳など、誰も認めていない。貴方たちが正しいと信じているすべてが、戦わせるための欺瞞だ」
確かに、そうだろう。
改造されていることを抜きにしても、目の前の彼らはとても幼い。
年齢から考えれば、私たちの価値観に沿わない。
ましてや、私たちとは比べ物にならないほど高いモラルを持つ彼らにとっては、ありえないことだ。
「今、なんといった? 僕たちの周りの人たちが、全員が嘘つきだといったのか?」
「もしも自分たちが何不自由なく生きている人間だったとして、何かの実験で生き残っただけの少年少女が戦わされていると知れば、こう思うのではありませんか? 『なぜ周りの人間は、彼らを戦わせているんだろう』と」
私は彼らの顔を見ることができなかった。さすがは私という人でなしが作り出した使い魔である、とても悪らしいことを言っていた。
とても楽しそうに、言葉で他人を傷つけていた。
「欺瞞でなければ、偽善でしょう」
シンデレラは私を父と呼んでいる。実際、私は彼女の製造者であり、そのすべてを創造した男だ。
であれば、彼女をたしなめ、暴言を詫びるべきだった。私がもしも、正しい書の魔法使いだったのだとしたら。
「哀れな成功例よ。成功の何たるかもわかっていない、勘違いしている兵器たちよ。貴方たちは人間を材料にして生み出された、私と同じ使い魔です」
人間と同じ知性をもち、コミュニケーション能力を持ち、高い倫理観を持って社会の為に行動できる兵器。
なるほど、そうと気づいていないだけで、同じようなものなのかもしれない。
「自覚した感想はどうですか?」
しかしそれも欺瞞である。私の理性は、彼女の目論見を理解していた。
いかに戦闘を意識して製造したわけではないとはいえ、強大な魔力を持つシンデレラを相手に優位で立ち回っている三人は、見た目に反してとても強い。まさに最精鋭たるカンジョー隊の一員だ。
だがそれでも、とても残酷なことに彼らの精神は見た目相応だ。
「黙れ……黙れ! 僕たちは、人間だ!」
激高したテンマ君は、自分の腕に何かを注入した。それによって、彼の髪の毛が真っ赤に染まる。
もちろんそれだけではない。歯がとがり、瞳孔の形が爬虫類のものになり、血管が浮かび上がった。
何よりも、魔力がほとばしる。間違いない、彼が自分の体に注入したのは竜の血そのものだ。
「僕たちの周りの人も、偽善者なんかじゃない!」
ほとばしる人間を超えた魔力。
それが竜に由来するというのなら、なるほど納得である。
ふと自分の膝に目を落とすと、恐怖で震えていた。
全身に鳥肌が立ち、血の気が引いて青ざめる。
「そうです、私たちは人間です。貴女とは違う、尊厳のある人間です!」
「貴女の言葉には騙されません、惑わされません! 杖の魔法使いとして、成すべきことを成します!」
ほかの二人も、手にしている杖から魔力をほとばしらせる。
おそらく最新型の杖の機能だろう。ため込んだ魔力を放出して、短時間ながら高出力を発揮できるようなものだ。
「くっくっく……」
「何がおかしい!」
「まだわかっていないのですか?」
一人一人が、シンデレラを倒しうる力を発揮し始めた。
おそらく長く維持できるものではないはずだが、それでも敗北は確定したといわざるを得ない。
シンデレラ一人で彼らに勝てるわけがない。どれだけ激高させて冷静さを失わせても、その程度で埋まるような戦力差ではない。
一人ぐらいは倒せるかもしれないが、三人全員を倒すなど不可能だ。一人でも生き残れば、私の命はない。
「こうして長々話をしていたのは、ただの……時間稼ぎです」
私の背後で、すさまじい音が響き渡った。
単純に高い音や低い音だけが響いたのではなく、様々な音が重なっていた。
ガラスや土壁、木の柱や石材。それらが同時に破壊されていたのだと、私は察していた。
「わおおおおお~~~ん!」
とても楽し気な声が、私の背後から聞こえてきた。
振り向けばそこには、私が望んでいた光景があった。
「ご主人様、シンデレラ様! お待たせいたしました!」
全身が筋肉質であり、ぜい肉は少ない。
密度の濃い長毛が手足や胴体を覆っているが、顔や腹部などは人間同様に産毛が生えているだけ。
獣人と言うよりは、仮装をしている人間に見える。耳の位置を除けば、顔だけは普通の少女だからだ。
シンデレラよりはよほど人間に近いが、それでも彼女は骨の髄まで人間ではない。
「製造番号二番! 戦闘用使い魔、スノーホワイト! ただいま完成いたしました!」
どこで覚えたのか知らないが、妙に軍人らしいことを言って敬礼の姿勢をとっている。
私がまだ研究者として真っ当だった時に与えられた予算を存分に使って作成した、シンデレラとは違う実用性を重視した兵器である。
「これより、指揮下に入ります!」
堅苦しい言葉とは裏腹に、とても人懐っこそうな顔をしている彼女は、とてもうれしそうに付け足していた。
「わん!」
言うまでもないが、彼女は犬を使っている。そのあたりをアピールしているのか、いう必要もなく語尾にワンとつけていた。
※
「ああ、お前が完成するのを待っていた」
「はい!」
敬礼している彼女は、顔だけはソワソワしたまま、尻尾を振って何かを待っていた。
それを見れば、犬だった時の彼女を知っている私は何をすればいいのか知っている。
「スノーホワイト」
「わん!」
私は彼女の髪をなでた。
つややかとは違う、やや固い髪だった。
耳も含めて、柔らかくなでる。
「完成してそうそうで申し訳ないが、あの連中と戦ってほしい」
「承知いたしました! お任せください!」
本当はもっとなでてほしいのだろう。犬だった時の彼女を思い出しながらも、しかし戦闘中であることを私は忘れていなかった。
「新しい、使い魔……」
強化されている三人は、改めてスノーホワイトを見る。
事前に説明していたとはいえ、実際に目の当たりにすれば戦慄するだろう。
だがその躊躇も一瞬のことだった。私と違って戦闘能力に自信のある彼らは、カンジョー隊として恥じぬ表情を見せる。
「モーリ、キョウハ! 問題ないよな!」
「うん、大丈夫!」
「三人なら勝てるよ!」
シンデレラと実際に戦ったからこそ、スノーホワイトとも戦えると思っている。
実際のところ、スノーホワイトからほとばしる魔力は、シンデレラとそう変わっていない。むしろ少ないのかもしれない。
「行こう!」
「うん!」
「はい!」
テンマ君が突撃を仕掛ける。その背後でキョウハ君が杖を構え、その彼女をかばうようにモーリ君が防御の構えをとっていた。
当然ながら、先ほどよりもよほど強いのだろう。てこずることなく、シンデレラさえも倒せるのだろう。
そして、彼らにとってはただの任務だ。
彼らには過酷な運命が待つのだろうが、それらを乗り越えて成長していき、やがては後進を導く立場になるのだろう。
この国の未来を担う、正義の魔法使いになるのだろう。
「わん!」
今、この日に死ななければ。
「え?」
生まれて初めて走り出したスノーホワイトは、無邪気に私の視界から消えていた。
次に私の目に映ったのは、彼女の後姿だった。
私だけではなく、その場の全員の『目』にもとまらぬ素早さで、モーリが守っていたキョウハの横に移動し、その頭をぶんなぐっていた。
もしかしたら、ジャッジアイの効果が動体視力に及ぶのなら、彼女だけはそれが見えたのかもしれない。
しかしどれだけ視力がよかったとしても、体がついていくわけがない。もしもついていくのなら、誰かに守ってもらう必要が無い。
「三対一、なんの問題もありません。このスノーホワイトにお任せください!」
そしてスノーホワイトは、格闘に特化している使い魔だ。
それゆえに、なんの衒いもなく走って殴るだけで人間を破壊することができる。
高速で移動できる彼女からすれば、私たちなど止まっている的のようなものだ。
「お父様……流石です、素晴らしい性能です」
「ああ、そうだな……お前が手を貸してくれたおかげだよ」
自分以上に優れた戦闘能力を持つスノーホワイトをみても、シンデレラは一切嫉妬を感じていなかった。ただ頼もしい目で見ているだけだった。
無理もあるまい、シンデレラもまたスノーホワイトを犬の頃から可愛がっていたのだから。
私同様に、子供が成長した姿を見る親の気持ちだろう。
「大変申し訳ないが……スノーホワイトはシンデレラと違って戦闘用だ。今の君たちでは、どうあがいても勝てないよ」
すでに一人目が死んだ後でいうのは格好が悪いが、性能を確認してからということにしてほしい。
「え……キョウハ?」
そしてそれを、テンマ君やモーリ君も確認する。
大きく変形してピクリとも動かない、死んでしまった少女を見る。
「キョウハ……キョウハ?!」
困惑する、受け入れがたい現実を見て硬直する。
転がっている死体が、自分の友人だと認められずにいる。
だがその間も、一切気にせずスノーホワイトは動いていた。
「もう一人!」
体の中に金属が埋め込まれているモーリ君、その体をつかんで振り回していた。
おそらく体臭などから彼女の体質を理解し、単純な打撃で倒すのは難しいと判断したのだろう。
彼女の一部が金属だとしても、逆に言えば大部分は人間だ。文字通り人間を超えた力で振り回せば、金属以外の部位が持つわけもない。
「ま、待て! 何をしてるんだああ!」
私たちのほうに向かっていたテンマ君が、振り回されているモーリ君を助けようと走る。
「とう!」
「モーリ?!」
きわめて無遠慮に、スノーホワイトはモーリ君を投げていた。
それを受け止めたテンマ君は、必死で彼女の名前を呼んでいる。
遠目では何もわからないが、呼吸だけはまだできているようだ。
速やかに治療をすれば助かるのかもしれないし、助からないのかもしれない。
はっきりしているのは、とてもではないが戦えないということだ。
「モーリ、モーリ、モーリ!」
彼らにはつらい過去がある、信じている現在がある。ならば、素晴らしい未来があるはずだった。
だがしかし、そんなことをスノーホワイトが知るわけもない。なぜなら、今生まれたばかりの彼女は、そんなことを一切知らされていないのだから。
「ご、ご主人様?! うれしくありませんか?! 沈んだ顔をしていませんか?! 何か私に至らないところでもございましたか?!」
「いや、お前はよくやってくれている。もう一人も倒してくれ」
「はい! 頑張ります! お任せください!」
彼女は俺に褒めてほしくて必死だ。
高い知性があっても、その性格の根幹に『人懐っこい犬』の性格がある以上、私に褒めてもらうことが行動原理なのだ。
「よくも……よくも二人を!」
「あと一人! あと一人倒せば褒めてもらえる! このスノーホワイト、全力で倒します!」
「お前に……悪の魔法使いに作られたお前に、この二人を傷つける権利はない! 絶対に許さない!」
「中々の強敵とみた、勝てばとてもすごいと称賛されるはず!」
「話を聞け!」
知らないのは、普通のことだ。私はそれをよく知っているが、テンマ君はよく知らないのだろう。
彼にどんなつらい過去があったとしても、どれだけ幸せになるべきだとしても、それを敵が配慮してくれるわけではない。
どれだけ訴えても、決して届くことはないのだ。
「スノーホワイト、その名前の由来をお見せしましょう!」
「ふ、ふ、ふざけるなあああ!」
私の眼には、白と赤の軌跡しか見えなかった。
燃えている黒い森で、二つの残像だけが衝突しあっている。
「嘘を見抜いてしまうキョウハが! 一体どれだけ他人におびえていたと思っている!」
赤い残像は、まさに発光しているテンマ君のものだろう。
いかに竜の血で強化されているとしても、それ以外の部分は人間なのだから負担は著しいはず。
にもかかわらず、彼は文字通り人間ではないスノーホワイトの速度に追いついている。
「体に金属を埋め込まれているモーリが、どれだけ自分を怖がっていたと思っている!」
彼がどれだけ鍛えてきたのか、どれだけつらく苦しかったのか、そしてそれをどれだけの人に支えられてきたのか、支えあってきたのか。
杖の魔法使いではない私には、まるでわからないことだった。
「人間なのに人と違うことが、どれだけ大変だと思ってるんだ! 最初から人間じゃないお前たちに、それがわかるのか!」
私にわかるのは、白い残像の正体だ。
一瞬で消える赤い残像と違い、白い残像はいつまでも残っている。
「僕たちは……僕たちは! 人々を守る杖の魔法使いになるんだ!」
冷静さを欠いている彼には、それが何なのかわからない。
縦横無尽に跳躍しあってぶつかり合う二人を、だんだんと白い残像が包んでいく。
「それを、誰にも、邪魔させない!」
「中々の性能、素晴らしい。人間にも関わらず、私の速度に張り合えるとは!」
「お前を、倒す!」
「だがしかし、もうすでに私の名前は示している!」
その時、一陣の風が吹いた。
それが火災によるものなのかはわからないが、ともかく普通に何の変哲もなく風が吹いた。
それは、二人を隠しつつあった『白い残像』を大きく動かしていた。
「な、なんだ、前が?!」
何のことはない、高速移動していたスノーホワイトは、その長い体毛を少しずつ撒いていただけなのだ。
それはとても軽く、宙にしばらくとどまる。そしてそれは、ただ単純に目くらましになる。
本当に、ただそれだけ。
「我が名はスノーホワイト! 白雪がごとき体毛を与えられた者なり!」
名前の由来にしておいてなんだが、彼女の武器は舞い散る体毛ではない。両肘と両膝から生えている『フェンリルの牙』だ。
彼女は古代に存在した巨大な狼、フェンリルを用いた生物兵器、使い魔である。
単純な速度や筋力もさることながら、あらゆる装甲や魔法を破壊する硬度を持った『牙』によって、あらゆる敵をかみ砕き、引き裂く。
「あ……!」
一陣の風が完全に体毛を散らしたとき、そこには肘の牙を刃のように降りぬいたスノーホワイトと、胴体を切断されたテンマ君の姿だった。
「素晴らしい……スノーホワイトは、設計通りの性能を発揮しましたね!」
非人道的な研究の犠牲者たちの最後を見ても、シンデレラはただ喜ぶだけだ。
無理もない、彼女にとってはただの敵だったのだから。
「お父様、顔の色がすぐれませんが、どうしました?」
「いや、大丈夫だ。そう、もう大丈夫なんだろう」
「ええ、これで戦力は大幅に上がりました」
だが私は、小物の私は、目の前で前途の明るい少年少女が命を散らしたことを悔やんでいた。
彼らを殺さずに済ませることはできなかったのか、いまさらながら後悔している。
それが私の愚かさであり、どうしようもない小心の証だ。
「スノーホワイト、こっちへ」
「はい! 承知いたしました!」
いっぱいに運動をし、さらに成果を上げた彼女。駆け寄って期待のまなざしを向けている恐るべき怪物を、私は抱きしめた。
「く、くううう!」
「よくやってくれた。本当にありがとう」
少年少女を殺した彼女に罪はない。少なくとも、私に彼女を嫌悪する権利はない。
彼女は私に褒めてほしくて、私の命令に従っただけなのだから。
「ご命令に従い、実行しました! このスノーホワイトは、忠実な使い魔ですか?」
「ああ、お前が間に合ってくれてよかったよ」
「光栄です! 今後もいただいた性能を発揮し、任務を達成いたします!」
なぜこんな口調なのかはわからないが、それも研究していくべきなのだろう。
運動を終えて体温が上がっている彼女に、私は打算まみれの愛を注ぐ。
「スノーホワイト」
「シンデレラ様!」
「私からもあなたを誉めます、よくやってくれました」
「はい!」
やはりシンデレラのことも、上位だと認めているらしい。彼女が成功であることを改めて認識しつつ、私はスノーホワイトのことを解放した。
そして、モーリ君のところへ行く。もしかしたら、まだ息があるのかもしれない彼女のところへ向かう。
「モーリ君」
学者としての素養があった彼女へ、私は声をかけていた。
首に手を当てるが、脈はなかった。
「モーリ君、私を呪うかね」
私自身、彼女へそんなことを言う意味が分からなかった。
事ここに至っても、優柔不断な男である。
いっそ巌の巨人のように、悪人らしく振舞えばいいものを。
「どうしてですか」
声が聞こえた気がした。
錯覚なのかもしれないが、不思議と私は不気味に思わなかった。
私は自分の脳内で生み出したかもしれない錯覚と、会話をすることにしていた。
「どうして私が死なないといけないのですか」
私の脳は語りかけられていると錯覚しているが、視覚だけは正確に現実をとらえているようだった。
とてもではないが、彼女の頭部は流ちょうに会話ができるようではない。
よってとても冷静に、私は自分が彼女の言葉が脳内の錯覚だとわかっていた。
「私が何か、悪いことをしたのですか?」
「君は何も悪くない。悪いのは私だ、私を呪うべきだ」
もしかしたらシンデレラやスノーホワイトは怒るかもしれないが、誰もが私を主犯と思っていた。
強大な使い魔はあくまでも『道具』に過ぎず、私をこそ呪っていた。
それでいいと、私は受け入れていた。決して、気が楽なったわけではないが、そうするべきだと思っていた。
「なんで正しいことをしていたのに、こんな悲しいことになったのですか?」
「わからない」
思い出すのは、シンデレラの言葉だ。
こんなかわいそうな人を、戦場に立たせる周囲はどうかしていると。
今の私は、彼女の周囲に対して憤りさえ感じていた。
本当に、理不尽な話である。殺した男が感じていいことではない。
「私には、何もわからない」
「私はつらかった。死んでしまいたかった。でも生きたいと思うようになってから、こんな風に死ぬなんて思わなかった」
「すまない。私は……」
「人の為に戦えば、自分も幸せになれるって、みんなが言ってくれたのに、あれは嘘だったの?」
私の手は、錯覚ではなく彼女の手を取っていた。
死体を人形のように弄ぶ、悪の行為だった。
「嘘じゃない、友達ができただろう?」
「その友達も、死んじゃったのに?」
「私には友達なんていなかった、だからそれがとてもうらやましい」
「……貴方は、私がうらやましいの?」
「ああ、うん、私は……そうだな、君がうらやましい」
私は自分の心をごまかすために、彼女を使って遊んでいるのだ。
少なくとも、客観的にはそうだった。私の理性は、そう考えていた。
「疲れただろう。君の人生はたくさんのことがありすぎた」
「うん、もう疲れた。とっても眠いです」
「おやすみ」
だが私の感情は、これが錯覚ではないと思いたがっていた。
このしらじらしい茶番が、自分のためではなく彼女の為になっていると思いたがっていた。
「お父様?」
「ご主人様?」
私のことが心配になったのか、シンデレラとスノーホワイトが声をかけてきた。
それはそうだろう、対して親しくもない相手の死体へ話しかけていたら、精神的に不安定な証拠だ。
私だってそんなことはわかっている。
「二人とも、よくやってくれた。ああ、本当にありがとう」
陳腐だった。私は語彙が豊富な男だと思ったことが無いが、それでもこれはひどすぎる。
こんなとってつけたような言葉を、どう考えても心のこもっていない言葉を、ただ適当にありがとうと言っただけの言葉を喜ぶ者がいるだろうか。
「早速だが、この場から逃げよう。幸い、脱出の準備はできているからな」
「はい、では手はず通りに」
「承知しました!」
私は事務的に話を進めて、なんとか平静を装う。
本当はもっと過剰なほどに褒めてやるべきなのだろう。彼女たちには安全装置が無いし、私が与えられる報酬は感謝ぐらいしかないのだから、身の安全の為にもそうするべきだった。
だが私には今、その余裕が無かった。
「では、逃げようか」
どこに逃げればいいのだろうか。彼女たちのかじ取りをするべき私の心は、疲れていた。
戦力は充実したのに、気分は重い。今まではスノーホワイトを完成させることだけを考えていたが、それは達成できてしまった。
目標もない逃避行は、本当に心が疲れてしまう。次の目標を設定しなければ、この逃避行の果てを想像してしまう。
道中なにも楽しいことが無く、ただ逃げるだけの日々ということになってしまう。
「では、お父様。これから先は、スノーホワイトが荷物をお持ちしますので……どうか、これだけをお持ちになってください」
そういって、シンデレラは私に一冊の魔導書を渡した。
私の魔導書は私自身が持っているので、これは巌の巨人の魔導書である。
そうだった、私はこの本を読んでいるときに『これを残したい』と思ったのだ。
「ああ、ありがとうシンデレラ」
この場所に残るのは、屍だ。
炎上している殺人現場を後にして、殺人犯は凶器を持って去っていく。
ここで死んだのは四人、全員私が殺したのだ。少なくとも、三人の遺体は残っている。
私の罪は、また増えてしまった。
それでも、私は。
きっと、逃げるのだろう。
いつか正義の裁きを受けるか、別の悪人から奪われるまで。
「スノーホワイトも、つらいけれど一緒に頑張ってくれ」
「はい! お任せを!」
だが彼女たち二人に失望されて殺される、という終わりだけは来ないようにしたい。
私はそう思っていた。それが、私のしたいことなのだろう。
※
スノーホワイトを加えた私たちは、人里離れた森の中にある河原で野営の準備をしている。
土の色をしている水の動きは極めてゆっくりで、荒々しい音など一切ない。
川縁に座り込んでいる私は、焚火の脇でシンデレラを膝の上にのせていた。
「お父様、私は幸せです」
「そうか、それはよかった。私も楽しんでいるよ」
曇天の空から陽光が漏れ、やさしく川面を照らしていた。
激しさなどかけらもない空間で、ただゆったりと時間を過ごすのは逃亡者である私にはこの上ない贅沢だった。
「シンデレラとこうしていると、逃亡生活のなかで緊張していた心が弛緩できる。本当に救われているよ」
「そうですか、お力になれてうれしいです」
「……いやなことがあったら、いつでも言ってくれ」
「はい、もちろんです」
そういって、彼女は私の胸に頭を押し付けてきた。
「頭をもっとなでてください。怒りますよ?」
「そうか、気が利かない男ですまないな」
甘えてくる彼女へ、私はできる限りの親愛を注ぎ込む。
「えへへへ……」
今は何も考えずに、ただこの時間を過ごす。
それが彼女の望みだと、至らぬ私でもわかることだった。
「わ、わ、わおおおおん!」
静かだった水面が爆発し、まるで石が投げ込まれたように水しぶきが沸き上がった。
そこから出てきたのは、土色の水で濡れたスノーホワイトだった。
鋭い爪のある両手には、抱え上げるほどの巨大魚が一匹ずつ掴まれていた。
「ご主人様! 昼分の食料確保が完了しました! これより帰還いたします!」
「あ、ああ……よくやったぞ、スノーホワイト」
「もう……スノーホワイトは変わりませんね」
彼女が素潜り漁をしているのは知っていたが、突然出てくるとやはり驚く。
小心な私は大いに慌てておののき、シンデレラは膝から落ちてしまった。やはり不満そうな顔をしているが、スノーホワイトが成果を上げたので怒ることはできなかった。
これでスノーホワイトを叱ったら、彼女がうっぷんをため込んで反乱しかねない。
やはり共同生活は、お互いの気遣いが大事である。
「それではご主人様! これよりスノーホワイトは調理をいたします! シンデレラ様、お手伝いをお願いします!」
一匹ずつが一メートル以上ある、ナマズの一種であろう巨大な魚。
それを掲げて上がってきたスノーホワイトは、体を振って水を払った。
その上で、びくりとも動かない魚をさばき始めた。膝や肘に生えている牙を器用に使って、巧みに切断していく。
シンデレラは魚の切り身を眼光で焼いていく。
寄生虫が怖いので、火を通すのは基本中の基本だ。
なんとも香ばしいにおいが漂ってくるが、私の食欲は生憎とさほどでもなかった。
「お父様、どうぞ」
「ああ、ありがとうシンデレラ」
スノーホワイトが捕まえてくれて、シンデレラが焼いてくれた魚の切り身を食べる。
不味い。言えないけれど、不味い。新鮮だとしても、泥臭くて食えたものではなかった。
魚そのものがあまり食用に適さないのかもしれないし、下ごしらえを必要とするのかもしれないが、とにかく余りにも不味かった。
それでも食わないと、二人にとても悪い。とはいえ、こんな生活が続けば、私の体がまたダメになってしまうだろう。
「さあ、スノーホワイト。次は貴女の分よ」
「ありがとうございます! シンデレラ様!」
こんがりと焼けた魚の切り身を渡されたスノーホワイトは、大きく口を開けてそれを食べ始めた。
私と違って、心底からおいしそうに食べている。基本的には犬である彼女だが、泥の匂いが気にならないのだろうか。
「美味しいです、シンデレラ様!」
「そう、よかったわ。さあ、次もできたわよ」
「ありがとうございます!」
都度敬礼をして食べているスノーホワイト。
とってきた魚のほとんどを、自分で食べつくす勢いである。
無理もない話である、彼女は身体能力が高い分栄養を大量に必要としている。体が大きくないこともあって、栄養補給は頻繁に必要だった。
一日五食ぐらいしなければならないし、その量もかなりのものである。
嗅覚や運動能力、知能が高いので自分で獲物を捕らえることができるのだが、製造した自分としては責任を感じてしまう。
「シンデレラ様はよろしいのですか?」
「え、ええ……私は、ほら」
「ああ、ご主人様からいただきたいのですね? 承知しました!」
「そういうことです……ごほん」
照れているシンデレラだが、まんざらでもなさそうである。
その一方で、今も魚を食べているスノーホワイトは真剣な顔をした。
魚を食べながら、真剣な顔をする。
「ご主人様、これは提案なのですが」
「なんだ、スノーホワイト」
「指揮系統を見直すのはどうでしょうか」
私もシンデレラも意表を突かれた気がしたが、その一方である種の感動もあった。
元をただせば、彼女はそういう意図もあって製造したのだから。
「このスノーホワイトは、ご存知のように犬の性質を受け継いでおります。それゆえに『群れ』の秩序というものを本能として意識してしまうのであります」
飼い犬に手をかまれるという言葉があるが、犬は飼い主を群れのリーダーだと認識しているという。
よって、飼い主がふがいなかった場合、自分がリーダーとしてふるまおうとするらしい。
犬の性質を受け継いだ彼女が、私という飼い主を相手にどんな考えを持つのか。
それを確認するというのも、以前の研究テーマだった。
「もちろん、ただの本能です。私には理性や知性も与えられており、それをある程度御すこともできます。ですが、理性としても、ご主人様が群れのリーダーであり続けるのは負担ではないかと愚考します!」
「……お父様、やはり猫にするべきだったのでは?」
「今更だな……」
犬だったころのスノーホワイトを知っているシンデレラは、やや後悔した顔で私に問う。
確かにこの状況でリーダー争いというのは、内紛と言っていい状況である。
今更だが、シンデレラは子猫の性質を受け継いでおり、飼い主であった親だと思っていたらしい。なので今でも私のことをお父様と呼んでいるのだ。
「スノーホワイトを製造した私が、想定していた反応を無碍にするのは理不尽だろう。友好的に話をしてきたのだし、ちゃんと聞いてあげようじゃないか」
正直に言えば、平の研究員でしかなかった私には、逃亡生活の主導権を握り続けることが負担だったのだ。
もしもスノーホワイトが指揮官として私を導いてくれるのなら、巌の巨人に雇用されるよりも安心できるのではないだろうか。
そんな期待をしながら、私はスノーホワイトへ更なる質問をする。こういうことをしていると、書の魔法使いとしての研究ができている気になって嬉しかった。
「スノーホワイト、お前はこの三人のリーダーになったら、何をしたい?」
「ご主人様と交尾したいです!」
一気に嬉しくなくなった。
やはり自分で実験をするのはよくない、改めてそう思った。
「却下だ」
「却下です」
「だ、駄目ですか?!」
疲弊している私を保護したい、負担を和らげたいという想いもあるのだろう。
だがそれ以上に、私のことを性の対象として認識し、欲求を抱いているらしかった。
それはそれで興味深いが、自分が強力な使い魔によって襲われるかもしれないと思うと、身勝手にも恐怖を禁じ得ない。
「駄目ですか……!」
仕方がない、と諦めているスノーホワイト。
とても残念そうな顔をしているので、諦めきっているようには見えなかった。
「……シンデレラ」
「はい、なんでしょうか」
そんな彼女を見ていると、私はシンデレラのことを見てしまう。
果たして彼女は……。
「その魚を、食べさせてあげよう」
「ありがとうございます!」
私は知らないふりをした。
それもまた、共同生活の知恵である。