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逃避行が安易であるはずもなく 前編

 私は山道を歩いている。空は晴れており、風もさほど強くない。気温も体感ながらやや涼しいほどで、過ごしやすい天候だろう。

 だがそれでも、山道を歩くというのはとてもつらいものだ。慣れない運動でただ疲れるだけではなく、舗装されていない道を普通の靴で歩くのは、足の裏が痛む。

 もうすぐ街なのだからと自分に言い聞かせて、ひたすら足を動かす。


「大丈夫ですか、お父様」


 隣を歩く『少女』が俺を労ってくれるが、それでも強がることしかできない。


「ああ、大丈夫だ。それよりもお前はどうだ」

「私は問題ありません、設定されたとおりの性能を維持できております」

「それは何よりだ」

「問題なのはお父様です、健康状態が著しく悪化しています」


 分かり切ったことを分析して伝えてくるのは、それだけ私の状態が悪いからだろう。

 もちろん深刻な病魔に侵されているというわけではないのだが、疲労の蓄積が過労の域に達している。

 常日頃の運動不足もあって、このところまともに眠れていない。


 私という人間の貧弱さは、この逃亡生活で思い知っていた。

 しかし仕方がないことだろう。私の人生でこんなことが起きるなど、想像できたわけもないのだから。

 なんの前触れもなく逃亡生活が始まることがあり得ても、ある日突然私が旅になれた心身を得るなどあり得ないのだから。


「次の街では、多少でも休みたいものだ」

「そうでなければ、いよいよお体が心配です」

「ああ、まったくだ」


 如何に捕まれば死をも望むような刑罰が待つとしても、孤独に歩き続ければ死を望むだろう。

 私は自分の精神が肉体同様に軟弱であることを把握しており、望まぬ身体の疲労に雄々しく耐えられないことを理解している。

 だがそれでも、私の傍らには彼女がいる。自分の人生が空虚ではないと、私にとって価値のあることを成し遂げたのだと、己一人だけに有効な薬効をもたらしていた。


 ともあれ、もうすぐ次の街に着く。

 街に着いたら泥の様に眠り、その後は食事をしようと思っている。まずは体調を整えねばならない。

 懐事情は寒々しいが、ここで予算の使い方を間違えることはできなかった。

 ここで少々の贅沢をしなければ、未来は訪れない。私には壁と天井のある寝床と、あたたかい食事と、それらで体を癒す時間が必要だった。


「……! ご主人様、前から何者かが接近しています」

「ああ、そのようだな」


 とても不味いことだ。

 私は自分が暴力を振るう側や振るわれる側に回ると思ったことはないが、一応生物であり動物である。暴力に無縁だと思っていることが、暴力を遠ざけることにはならないと知っている。


 もうすぐ街に辿り着くとは言え、この付近には建物もなにもない。

 もしも普通の旅人なら、『もうすぐ街ですから頑張ってくださいね』とでも言ってくれるだろう。

 だがもしも悪人だったなら、こんな弱り切った男と少女の二人組など、そのまま放置することはないだろう。

 だがそれならまだいいのだ、それは私にとって最悪ではない。


「……杖の魔法使いか」


 困っている時ほど、更に困ることが畳みかけてくる。

 私たちの進行方向から向かってくる、狭い道をすれ違うのは、杖を持った若い男三人だった。

 杖と言っても登山用の杖ではない。彼らが持っているのは鈍器としても機能を発揮するであろう、頑丈そうな金属製の杖だった。もはや棍棒に近いのかもしれない。


 凶器を手にして歩いているのだが、私と違って不審者ではない。

 むしろこの周辺では社会的な地位を持つ、杖の魔法使いたちだ。

 魔法とは戦闘に使うものである、強力な武器であるという思想を持つ彼らは、私と違って鍛えられた肉体を持っていた。

 しかも、私の人生では見たことがないほどに、正義感と使命感に満ちた表情をしている。自らを危険にさらしながらも社会に貢献する、とても誇り高い職に就いている人間の顔をしている。

 凛々しくも静観な顔をしている彼らは、清く正しく生きている者からはさぞ尊敬の眼で見られるのだろう。

 以前の私も、憧憬とまではいかずとも敬意ぐらいは抱いていた。


「おい、そこの二人。少し待ってくれ」


 だが逃亡者である今の私にとって、脅威以外の何物でもない。

 そして、彼らから見ても私たちはとても怪しい。なにせ私も彼女も、顔が隠れるローブを着込んでいる。さまざまなことを考えなくても、顔を隠す意図の服装だとしか思えまい。なにせ実際そうなのだから。


 当然のように、私たちは呼び止められる。

 逃げ切れる自信がない私は足を止め、仕方なく彼女も足を止める。


「なんでしょうか」


 一応、怪しくないという印象を与えるため、私は顔を見せた。何もおかしくはない、普通の顔をしている。

 明らかに顔色が怪しいが、それは旅で疲れているからだと察してもらえるだろう。実際そうなのだから。

 問題なのは、彼女の方は決して顔を向けられないということだ。製造しておいてなんだが、もう少し人間らしくしておくべきだった。


「そこの小さい方だが……人間ではないな? 布の隙間から、人間ではない肌が見えた。かなり高位の使い魔だろう」


 そして、見逃されなかった。

 街に辿り着けば多少は誤魔化せたかもしれないが、こうも人通りのない道で遭遇すれば、注目されるのは当たり前だ。


「貴様、魔法使いだな? それも書の魔法使いとみた」


 三人は既に棍棒のような杖をこちらに向けている。

 演技などしたことが無い私の表情から、既に後ろめたいところのある男だと見抜いたのだろう。


「魔法使いなら知っているな? 私たち杖の魔法使いは、他の魔法使いに対して身分証明を要求できる権限を持つ。そして、その後の捕縛も、だ。場合によっては殺人さえ許可されている」


 問答無用で襲い掛かってこない分、こちらへ情けをかけているのだろう。

 だが私にとっては同じことだ。もうどうしようもなく、彼らは私を犯罪者だと見抜いている。

 私に偽装する手段がない以上、もう戦うしかなかった。


「もしも魔法使いではないというのなら、その子供の顔を見せてもらおうか」


 彼女はまだ動かないが、もうすでに戦うと決めているようだった。

 とはいえ、不利は否めない。相手は既にこちらへ杖を向けているし、そもそも私に戦闘能力などまるでない。

 彼らが見抜いたように、私も元々は書の魔法使いである。攻撃魔法も防御魔法も使用できないし、もっと言えば体調は最悪だった。多分、街の子供にも負けるだろう。それほどに力が入らない。


「……よろしいですか」


 彼女は私に許可を求めた。それは頭の布を外していいのか、という質問ではない。

 極めて善良で職務に忠実な、社会と民衆の味方である杖の魔法使いと戦っていいのか、という質問だった。

 つまりは、私を助けるために三人殺していいのかという質問だった。


 私は苦い顔をする。悩める時間は少ないが、それでも躊躇してしまう。

 確かに殺されそうになっているわけだが、社会の常識から言えば彼らの方が正しい。

 そんな彼らと戦って殺すことは、私の中にあるささやかな良心を痛めていた。

 そもそも、目の前で人が死んでいい気分になることはない。相手が悪人だったとしても、まして善人だったなら。


 それでも頷くのだから、私は人でなしだった。

 自己嫌悪で胃が痛い。


「撃て!」


 私が頷いた瞬間に、杖の魔法使いたちは魔法を放った。

 杖の先端から、無詠唱で魔力の弾丸が放たれる。


 私の眼では追えないが、おそらく比較的射程の短い散弾型の魔力弾だろう。

 命中させるのが容易で、周囲に巻き込んで困るものがない場合は有効な攻撃魔法だ。

 人間を殺すには、十分すぎる火力を持っている。三人がかりで放ったのだから、有効射程内にいる私など、死んだことに気づくこともないだろう。


「……やったか?」


 しかし、それを私が思考しているということは、私にそれが届かなかったことを意味している。

 冷静に分析している脳内とは別に、体は委縮して縮み上がっていた。

 死の恐怖によって体は震え、子どものようになっている。


「いや、まだだ!」


 そんな私が、攻撃魔法を防げたわけがない。

 なんとも情けない話だが、うずくまっている私を守り、前に立っているのは私が製造した彼女だった。


「シンデレラ……」

「ご無事ですか、お父様」


 明らかに人間ではない、鮮やかながらも暗い青の肌。

 それに加えて、小振りながらも頭部の角や臀部の尾、背中の翼。

 細かいことだが、眼球の色や瞳孔の形も人間ではない。


「な……悪魔だと?! それも人間の言葉を話せるほどの悪魔?!」

「我らの魔法をこの距離で喰らっても、さほどの傷もない! この魔法耐性、間違いなく悪魔だ!」

「それを使役するなど……やはり禁術に手を染めた書の魔法使いか!」


 流石に素人ではない。私の製造したシンデレラを、普通の使い魔ではないと見抜いていた。

 まともな魔法が通じない彼女に対して、全員が杖を武器にする構えをとっていた。

 身体能力を底上げする魔法を使ったのか、各々の体がまばゆく光っている。


「いくぞ!」


 彼らは見事な連携だった。

 とてもではないが人間とは思えない速度で動き、その上で連携し合っていた。

 狭い道ではあるが、木なども足場に使い三次元の機動を見せている。

 とはいえ、私はただ腰を抜かしているだけだった。


 とても勇敢な戦士たちが、私に対して正義の鉄槌を振るおうとしている。

 後ろめたさも卑しさもない、素晴らしく真っ直ぐな殺意。

 それを前に立てるほど、私はずぶとくない。


「遅い!」


 だがその私を守るのは、私の最高傑作だった。

 私に限らず書の魔法使いに戦闘能力はないが、その代わり魔法の開発を行っている。

 彼らが自らの力で戦うのなら、私は自分で作った使い魔で戦うのだ。


 理屈ではそうなのだが、私としては自分が戦っているという実感がない。

 何分彼女の性能が高すぎるせいで、何もかもが一瞬で終わっているとしか思えなかったのだ。


「終わったか、シンデレラ」

「はい、苦しませずに仕留めました」


 何が起きたのか見えたわけではないが、彼女の眼光が三人の魔法使いを射抜いたのだろう。

 倒れている三人の魔法使いは、胸に小さな穴が空いていた。出血が無いのは焼かれて止血されているからだろう。


「さほど上位の使い手というわけではありませんでしたので、この姿でも十分対処できました」

「……彼らを侮辱するようなことは言うな、彼らは成すべきことを成しただけだ」


 彼らは習得した魔法を用いて、自らが戦い社会に貢献するという高潔な目標をもって杖の魔法使いになったのだろう。そして、私という犯罪者を見逃すことなく立ち向かったのだ。見なかったふりをしていれば危険を避けることができたはずだが、それでも彼らは職務に忠実だったのだ。

 書の魔法使いだった私とは相いれないが、それでも己の思想に準ずる正当な魔法使いを殺めることは気が引けた。


「彼らを殺したことで、犯罪者が次の街に侵入したことが明らかになってしまいました。長期滞在するのが難しくなりましたね」

「そうだな。だが長く休まなければ、いよいよ私の体がもたない。もうすでに窮地に立っているのかもしれないが、悪いことばかりでもない」


 気が引ける、という程度なのが私の外道さであろう。

 私の理性は感情的には受け入れがたいことを思いつき、それを実行するのだから。


「少々懐が温かくなった、宿代には困らずに済みそうだ」


 内心がどうであれやっていることは、上級憲兵を務める杖の魔法使いを殺害したうえでの窃盗。

 殺人であり強盗、これだけで死刑になって当然の罪状である。


 一度嘘をつけばそのまま嘘を重ね続けることになるように、一度罪を犯せばそのまま罪を重ね続けるしかない。

 まさに雪だるま式に大罪人となっていく私は、なんとも人でなしなことに、嘆くことはあってもあきらめることはないのだった。


「本当は埋めたいところですが、街が近いのでまた誰か来るかもしれません。安易ですが、遠くへ吹き飛ばしましょう」

「頼む」


 自分の倫理観が歪んでいることは知っていたが、こうも犯罪を重ねる男になるとは思っていなかった。

 それもこれも、少し前の論文が発端である。

 冤罪からの死刑から逃れるために、この手を汚し続ける日々が始まったのは、そう……。


「お父様」

「ああ、大丈夫だよシンデレラ」


 他でもない、シンデレラの製造に成功したからだ。

 


 魔法の練習場で火の魔法を使おうとして、杖の整備不良や魔力の不足などにより火が出なかったとしても、それは失敗とは言わない。

 だがもしも、火の魔法が見当違いの方向へ飛んで行って、術者自身やその練習場にいた誰かへ当たった場合は失敗である。当然、火の魔法の威力が高すぎて延焼してしまったり、あるいは練習場を破壊しても失敗である。

 練習における失敗とは、正当な手順や規定を守らずに、不安全な状況が発生した場合をいう。失敗の中でも特に重大なものを、人は事故と呼んでいる。


 つい先日私の所属する国家で、実験が失敗し大事故が発生した。

 新しい技術で作られた強力な使い魔を製造したところ、暴れだして大量の死傷者が出たのである。

 その使い魔を製造していた書の魔法使いたちは全員死亡し、その使い魔を止めようとした杖の魔法使いも多くが死傷し、その発表の場に居合わせた王族も多くが死んでしまっていた。

 まさに不安全の象徴であろう。潤沢に予算があったにも関わらず、安全を疎かにしてしまったのだ。


 安全対策を怠っていた書の魔法使いたちは自業自得だが、その使い魔を止めようとした杖の魔法使いや巻き込まれた王族は本当に不運だった。

 王族へ成果を発表するような書の魔法使いの中でも上位に位置する者たちが、使い魔が暴走することへの配慮をしていないとは想像もしていなかっただろう。

 最終的に使い魔の多くが逃走したことも含めて、すでに死んでしまっている書の魔法使いたちの罪は死してなお償い切れていない。


 さて、私である。

 下っ端の研究員でしかなかった私が、その実験に関われるわけもなかった。だが悪いことに、その実験の基礎理論は私が作ったのである。

 私は独自の研究成果によってシンデレラという使い魔を完成させ、それを上司へ報告した。上司である教授はそれを元に実験を行って、周囲を巻き込んだ大失敗をしたというわけだ。


 余裕ぶった説明をしているが、強がりでもしないと精神の均衡が保てないほど追いつめられている。

 まず私の所属していた研究所は即座に封鎖され、所長は逮捕されてしまった。研究所を監督している大臣にも重い罰が下されることになるらしいが、生まれが平民である私の場合はそれどころではない。


 なんとも笑えないことに、私にかけられた罪は国家反逆罪である。

 確かに国家を統べる王族や、国家の戦力である杖の魔法使いの精鋭が死亡しているので、結果的には国家へ甚大な被害を与えている。

 そんなことを私が意図していたわけもないしできるわけもないのだが、それでも実験にわずかでもかかわっていたこと自体が大罪なのだ。

 私が研究を報告していなければ、事故は起こらなかった、というのも間違ってはいない。


 ただ、私は納得できなかった。

 国家の沙汰を承服できず、シンデレラとともに逃亡生活を送ることにしたのである。

 国家反逆罪だけは冤罪であるが、逃亡とそれに伴う殺人に関しては本当だった。


 今の私は、正真正銘犯罪者である。



 私はシンデレラと共に、大きめの地方都市に辿り着いていた。

 当然ながら、この時点ではなにも騒ぎは起きていない。この段階なら、出入りは自由だった。

 だがそのうち、あの三人がいなくなったことが影響する。死体が見つからなかったとしても、何かが起きたと思うだろう。

 この街が封鎖されるかもしれないし、怪しい旅人が捜査されることもあるだろう。街中の宿が調べられ、三人がいなくなった前後の宿帳を確認していくのだろう。

 なので早々に去るべきである。だがそれは、私の体調を無視した話だ。私の体には、休息が必要だった。


 暖かくなった懐を活用して、安宿に入る。

 疲れ切った体に最後の踏ん張りとして安宿の手続きをして、そのままベッドで横になった。

 もちろんその安宿は値段相応の設備しかない。従業員の職業意識も薄く、寝具はボロボロで手入れもされていなかった。

 だがそれでも、私にとっては格別の休息だった。私はベッドの上で横になると気絶するように眠り、そのまま昼から夕方、夜、翌朝まで寝ていた。


 目を覚ました私は、体が動かなくなっていることを受け入れていた。

 今の今まで長旅で酷使されていた私の肉体は、危機感と緊張感から無理矢理動いていただけで、とっくに限界を超えていたのだ。

 私はベッドで寝たままになっていた。


「お父様、朝食です。消化に良いものをお持ちしました」


 そんな私を献身的に支えてくれたのは、やはりシンデレラだけである。

 彼女は倒れている私に食事や下の世話という絶対に必要なことをしてくれた上で、体を拭いたり体を温めてくれたりした。


「お父様、お体はだいぶ良くなってきました」


 宿代を支払いつつ従業員への説明などを行い、その上で私のそばを極力離れないようにしていた。

 顔を見せられないにも関わらず、よくも私を守れたものである。この時ほど、彼女の知性を高くしておいてよかったと思ったことはない。


 数日の休息によって、何とか私は起き上がれるほどになっていた。

 肉体が回復したことで精神も安定し、相互に回復が早まっていったのだ。

 やはり屋根と壁は偉大である、安宿ではあっても屋根と壁を提供してくれるだけで千金の価値があった。盗んだ金を払っていることが申し訳なくなるし、懐を温かくしてくれた杖の魔法使いには手を会わせたくなっていた。

 罪の意識は感じつつも、罰を受けようとは思わないのが私の性根を表していると言っていいだろう。


「ああ、ありがとうシンデレラ。何もかもお前のおかげだ」

「光栄です。では……」

「ああ」


 ベッドの上に座っている私の膝の上で、丸くなるシンデレラ。

 私は角のある彼女の頭を、出来るだけ優しく撫でていた。

 この位置だと顔は見えないのだが、とても嬉しそうにしているのだと察しはつく。


 私を毛布の中で温めてくれた、彼女の素肌。

 それは悪魔のそれだが、私にとっては守護天使と言っていい。

 もちろんそれは、私にとってである。彼女が私を世話する傍らで何をしていたのかは、聞かない方がいいのかもしれない。

 下手なことは知りたがらないのも、一種の賢さなのだろう、きっと。


 本当はこのまますぐにでも彼女に、現状の確認をしたい。

 仮に何も起きていなかったとしても、このあたたかな寝床を用意してくれた宿を後にしたかった。

 なんの罪もない宿が、杖の魔法使いとの戦闘に巻き込まれるのは避けたいところである。


「えへへへ……」


 しかしだ、私よりも賢く頑丈だとは言え、シンデレラはずっと頑張ってくれたのだ。

 張り付けていた緊張を和らげて、私に思いっきり甘えてくる彼女を無碍にすることはできなかった。

 彼女に愛想をつかされれば、そのまま私の人生は終わってしまうのだし。

 彼女が私に甘えたいという欲を満たすまでは、彼女を甘やかすしかない。打算に満ちた愛情だが、それでも私には必要なことだったのだろう。


「もう結構です、とても満たされました」

「そうか、それはよかった」


 シンデレラへ献身に対する労いをしていると、文字通り日が暮れかけていた。私が朝目が覚めて、既に夕方になりかけている。

 頭を撫でるのはともかく、膝の上に少女を乗せ続けるのは重労働だった。

 費用対効果から見れば素晴らしいのだろうが、私の両足はまたも限界を迎えていた。

 とりあえず、しびれきっている。今歩けと言われても無理だろう。

 何よりも、私は今日絶食である。正直空腹だった。


「では現状を説明させていただきます。あの魔法使い三人は二日前から行方不明となっており、この街は現在警戒態勢になっています。現在山を捜索しているらしいので、そのうち発見されるでしょう」

「そうなればいよいよ、下手人である私たちが捜索されるな。そこそこ大きい街ではあるが、宿を調べればすぐだろうしな」

「おっしゃる通りです。それに、申し上げにくいのですが、今街を無理に脱出することは困難です」


 それはそうだろう、厳戒態勢になっている街で、顔を隠したまま出入りができるわけがない。

 そしてシンデレラの場合、どう頑張っても顔や角を見られればそこまでである。

 かといって、私と彼女が別れた場合、合流できるとも思えない。私は貧弱で、しかも体力は落ちたままなのだ。


「強行突破を提案します」


 中々頼もしいことを提案してくれるシンデレラだが、多分それなりに根拠があるのだろう。

 私が寝ている間にどうにかして周辺を調査して、この街に駐留している戦力を調べ、自分ならどうにかできると判断したはずだ。


「今なら捜索に戦力を割かれていますし、逃走は比較的簡単かと」

「なるほど……」


 私はその提案に対して、安易に頷くことができなかった。

 その理由は簡単である。彼女の言う強行突破とは、はっきり言えば邪魔をするものを皆殺しにするということなのだから。

 私はシンデレラを製造したし、その性能も確認している。はっきり言えば、後先を考えなければこの街を吹き飛ばすこともできるだろう。

 そんな彼女も決して無敵ではない。杖の魔法使いの中でも上位に位置する者が十人も集まれば、彼女と言えども確実に殺されるだろう。

 そもそも、シンデレラがそこまで強かったら、逃亡生活などしていないわけで。


「被害の程を考えれば、極力避けたいな。それに、色々な意味で今後に差し支える」

「ですが」

「ああ、勿論わかっている。お前の言うことだ、信じよう。おそらく他に手が無いのだろう」

「ありがとうございます」


 私は無垢で善良な一般市民ではない、国家権力から逃げている逃亡者だ。

 だがだとしても、別に大量虐殺が好きというわけではない。積極的に民間人へ被害を出したいわけではないし、杖の魔法使いと戦闘をしたいわけではないのだ。


「一応聞くが、今からというわけではないだろう?」

「できれば今すぐがいいのですが、まだ早いでしょう。今出れば、宿の者が不振がります。ここは妥協して、翌朝早くにしましょう」

「それまでに死体が見つからないといいのだが……」


 積極的に殺したいわけではないが、消極的には殺さざるを得ない。

 罪悪感を感じないわけではないが、必要なら仕方がない。

 どれだけ犠牲が出るとしても、このまま座して死を待つわけにはいかない。

 私はまだ死にたくない。本当にただそれだけの理由だが、私にとっては殺人をするには十分な理由だ。


「一応言っておくが、余り殺さないことだ。私たちへの追手が増えてしまうからな」

「承知しております」


 この期に及んでも、自分の保身しか考えていない自分が恨めしい。

 もういっそ諦めて自決でもしたほうが世の為だとは思うのだが、世に迷惑をかけてでも逃げたいと思ってしまう。


 特に意味のない自己嫌悪に陥っていると、宿の薄い壁を越えてとても大きな声が聞こえてきた。私が世を乱す前に、なにやら世間が乱れてきたようである。

 私でさえなんとなく『人が死んだ』と聞こえたぐらいなのだから、高性能なシンデレラなら詳しく聞こえるだろう。


「……お父様、どうやら山に入った捜索隊に死者が出たようです」

「なんだと?」


 なんだと、というのは知性を感じられない言葉だが、本当にそうとしか言えなかった。

 私だけではなく、シンデレラも困惑しているようだった。


「情報が不足していますが、おそらく私たちとは無関係な脅威がこの街に迫っているのではないでしょうか」

「そのようだな」


 街の噂というのは中々馬鹿に出来ない。

 少なくとも、人が死んだとか大事件が起きただとか、そういう危険を知らせるという意味では有効だ。

 もちろん、それを聞いたからといってすべての裏事情を知ることはできない。


「好都合ですね」

「ああ、まったくだ」


 私もシンデレラも、ほんのわずかも罪悪感なく、この街を脱出するのが容易になったと思っていた。

 同じ人死にでも、自分が殺すのと他人が殺すのでは、私にとって意味が大きく違う。

 ここで『この街の為に何かしよう』とは毛ほども思わないのが、私の自己中心さを示している。

 まあ大丈夫だろう、ここには杖の魔法使いが沢山いるのだし。


 しかし、こういう幸運が何度も続くとは思えない。

 はっきり言って、私という人間が逃亡生活に不向きすぎる。

 これを解決するには、やはり戦力を向上させるしかない。


「……」


 私は研究所を脱出する時に、唯一持ち出せた試験管を見る。その中には、受精卵状態ともいうべき使い魔が眠っているのだ。

 設備と時間さえあれば、成長させて使役することができるようになるのだ。


「……お父様、いつか必ず安住の地を手に入れましょう。このシンデレラはそのためになら何でも致します」

「そうか、すまないな……」


 私には死にたくないという当然の欲求のほかに、もう一つだけモチベーションがある。

 もう一度研究者としての生活がしたい。研究しなければならない事柄があるのではなく、私にとっては研究こそが日常だからだ。

 どれだけ世間へ迷惑をかければ取り戻せるのかわからないが、それでも私にとっては唯一の目標だった。



 強行突破の予定を変更して、私もシンデレラも食事をしてから眠た。

 とても長く寝ていた後なので目が覚めないか心配だったが、目を覚ますと朝だった。すでにシンデレラは朝食を調達しに行っている。使い魔が勤勉なのは有り難いが、何もしていない自分が呪わしい。貧弱にもほどがある私の体は、一体どれだけ睡眠を求めているのだろうか、。

 とはいえ、寝てばかりというわけにもいかない。起きた私は宿の主へ挨拶をすることにしていた。

 二階建ての宿で一階の部屋で寝ていた私は、部屋を出て廊下を歩く。床がぎしぎしと軋むので、受付にいた宿の主は私にあっさりと気づいた。


「お、目を覚ましたのか」


 暇そうにしている、けだるげな主人。彼は頬杖を突きながら、私のほうを向いていた。

 普通なら少しは嫌悪感を感じるだろうが、感謝の気持ちでいっぱいの私は抵抗なく受け入れていた。


「ええ、寝ているだけでよくなりまして」 


 私が倒れている間に、シンデレラは顔を見せないようにしながら宿の主に対して説明をしていた。

 急ぎの旅をしているが、父親が倒れてしまった。宿代はあるがちゃんとした医者にかかれるほどではない。体が治り次第すぐに発つ、という事情である。

 大体あっていたし、詮索されることもなかった。安宿の主人は宿代さえ払ってもらえれば不満はないし、ちゃんとした医者というものがどれだけ贅沢なのかも知っているのだろう。もちろん、ちゃんとしていない医者がどれだけ信用できないのかも、私以上に知っているのだろう。


「おかげで大分よくなりました。ありがとうございます」

「あんた、魔法使いかい?」

「え、ええ……」

「だろうねえ、なんかあの子もやたら賢かったしなぁ」


 体が良くなったので宿の主へ挨拶に行くと、失礼な質問をされた。

 余りにも唐突だったので、つい正直に答えてしまっていた。


「杖かい? それとも箒かい?」


 私よりも少しだけ年上であろう彼は、やや困った顔をしながら俺へ訪ねていた。

 どうやら杖の魔法使いへ引き渡す気はないらしい。まあその場合、いちいち確認しないだろうが。


「いえ、書です」

「書? なんだそりゃ。魔法使いってのは、杖と箒だけじゃないのかい」

「表に出るような魔法使いではありませんので……」

「ああそう」


 どうやら世間話程度だったらしい、宿の主はあっさり話を終えていた。

 我ながら軽率な返答だったが、私という人間の性質から考えれば仕方がないだろう。

 体調が戻ったことによる油断を抜きにしても、突発的な状況に対応できたとは思えない。


「アンタも運がないね~~、体が良くなったと思ったら、道が通れなくなっちまった」

「いえいえ、歩けるようになっただけでも運がいい方ですよ」


 私は幸運だった。

 ここで十分な休息をとれたこともそうだが、私の罪をかぶる形で新しい脅威がこの街を脅かしてくれている。

 騒動がおさまるまで待てば、あとは大手を振って逃走できるはずだ。幸い懐はまだ温かいので、不要な移動もせずに済むだろう。


「娘さんを褒めといてやれよ、頑張ってたんだからな」


 そんな話をしている私たちの背後を、布を頭からかぶっているシンデレラが速足で歩いていく。

 抱えているパンの香りだけを残して、そのまま部屋へ戻っていった。


「はい、本当によくできた娘です」


 私にとって、シンデレラは本当に最高の財産だった。宿の主が言うように、私は彼女を労うことにしていた。宿の主に挨拶もできたので、とりあえず彼女の元へ戻るとしよう。


 宿泊している部屋の扉を改めて見ると、私の人生の中でも屈指の朽ち具合だった。

 一応カギはついているが、それなりに力のある大人なら簡単に壊せてしまいそうである。錠そのものだけではなく、扉そのものを含めて。

 おそらく製造された段階で既に頑丈ではないものが、経年劣化によってさらにもろくなったのだろう。多分、使用の状態も良くない。従業員の手入れが雑だったり、宿泊客の扱いが雑だったに違いない。

 喉元を過ぎれば熱さを忘れるというが、今更のように私はこの宿に滞在することに不満を感じ始めていた。とはいえ、これも封鎖が解かれるまでである。少々待てばいいだけだ、と言い聞かせる。

 元々住環境に興味があったわけでもないので、暫くなら我慢できるだろう。そうでなければ、価値観が麻痺して慣れるであろうし。


「お待ちしておりました、お父様。パンを買ってきましたので、一緒に食べましょう」

「ああ、すまない」


 扉を開けると、とても幸せそうな顔をしているシンデレラがいた。

 人とは明らかに異なっている容姿をしている彼女だが、笑う顔は人間のそれによく似ていた。

 素体の基本が人間なので、ある意味では当然なのだが、今の私にとってはとても大きな意味を持つ。


「では、お父様……申し上げにくいのですが」


 照れて恥じらいつつ、彼女は私に焼けたパンを渡してくる。

 それが単純に私に食べて欲しいわけではないと、私はよく知っている。


 私は宿の部屋に置いてある小さな木の椅子に座った。

 そして、目の前で口を開けている彼女の口に、ちぎったパンを入れた。

 かなり硬いパンだったので、ちぎるにも少し労力を要した。正直、そのまま食べると顎が疲れそうである。実際、あたたかいミルクも彼女は用意してくれていた。

 しかしちぎったパンを食べている彼女は、とても幸せそうだ。硬いパンであることにも気づいていないかのように、顎を軽々と動かしている。


「美味しいか?」

「はい。美味しいです」


 私はまたパンをちぎって、彼女の口にそれを入れる。

 私よりも多くの栄養を必要とする彼女は、もっと多くを食べたがっているはずだ。

 だがそれでもあえて非効率的に食べているのは、これが彼女にとって必要なことだったからだろう。

 同時に、私にとっても必要なことだった。


 まだ逃走生活を初めて一年も経過していないのだが、経験として学んだことがある。

 いざというときに無茶をするためにも、休める時にはきっちりと休まなければならない。

 油断しきっているとか、隙だらけだとか、今襲われたらどうするのかとか、そんなことを終始考えていたら心が持たない。


 私は唯一信じることができる少女と戯れることで、精神的に弛緩できていた。

 休息という義務的な行動ではなく、娯楽という贅沢な時間。私は彼女の笑顔を見ることで、とても癒されていた。


「お父様、今度は私が食べさせてさしあげます」


 到底満腹には足りないであろうシンデレラは、それでもパンを少し大きめにちぎって、それをミルクに浸して渡してきた。私はそれを口で直接受け取る。

 まずミルクが温かく口の中を満たし、その後に柔らかくなったパンの食感を楽しむ。

 もちろんごちそうとは言い難いのだが、私は温かい食事を食べられるだけでも安心できる。

 逃亡生活の中では、腰を下ろして食事ができるのは貴重だ。その貴重な時間を、今はゆっくりと楽しみたかった。


「ありがとう、シンデレラ」

「えへへへ……」


 幸福や充実とはこういうものなのだろう。

 私は自分がただの人間であることを理解しながら、傲慢不遜にも幸福を享受していた。

 盗んだ金で団らんし、殺人を犯していることで稼いだ時間を楽しんでいた。


 しかし、扉が突如として開いた。簡単にこじ開けられるだろうと思っていた扉が、

 とても無遠慮に、押し込み強盗のように、なんの前触れもなく男が入ってきた。


「動くな」


 たった一人の男が、私たちに向けて杖を向けていた。とても小さな杖で、例えるなら大きめの羽ペンほどの大きさだった。

 見るからに杖の魔法使いであるが、私の知っている、私が殺してきた魔法使いとは異なっている。

 とても誌的、感情的な表現だが、目に光が無い。私を見る目がとても暗い。自分の仕事に対して誇りを持っていないのではないか、そんな勝手な印象を受ける。


「何者ですか」


 突然のことで身動きが取れなくなっている私に対して、シンデレラが立ちふさがる。

 しかし一切身を隠していない彼女は、当然のように悪魔としての姿をさらしていた。

 にも関わらずその杖の魔法使いは、一切驚いていなかった。


「アンタがボスの探している書の魔法使いか」


 私は気づいた、目の前の彼は敵意が無い。とてもいらいらしているが、敵意や殺意はないのだ。

 であれば、公的な勢力に属する杖の魔法使いではない。私と同様に、非合法の魔法使い、悪い杖の魔法使いだ。

 それも、言動からして『職業的な悪人』だ。何かの非合法な組織に属し、ある程度安定した生活をしているのだろう。

 単なる逃亡者でしかない私とは、悪人としての貫禄が違う。


「な、なんのことですか?」

「俺たちのボスはアンタを引き入れたいんだそうだ」


 杖を向けるのをやめて、部屋を出るように促していた。


「ついてこい、ボスの所まで案内する」


 とても強引で、ある意味では男らしいのだろう。

 私に選択の権利はないと言わんばかりであり、実際選択の機会はない。


「お父様、ついていきましょう」


 ここで彼とシンデレラが戦えば、どうあがいても騒ぎになる。

 そうなれば素人の私たちは、潜伏を続けることはできないだろう。

 シンデレラはただ従うことを選んでいたし、私もそれが正しいと思っていた。


 シンデレラは急いで布をかぶり、私も慌てて荷物をまとめて出ていく。

 荷物と言っても、書の魔法使いだったが故の分厚い魔法書と、懐に盛っている試験管だけだったのですぐなのだが。


「おい、いきなり入ってきてなんのつもりだ? 今でっかい音がしたけど、もしかして何か壊したんじゃないだろうな?」


 慌てて部屋を出ていくと、宿の主が悪い魔法使いに対して文句をつけている声が聞こえてきた。

 それに対して杖の魔法使いは一切弁明をしていなかった。ただ黙って、私を宿の入り口で待っているようだった。


「遅いぞ」

「お、お待たせして申し訳ない」


 いきなり押し掛けてきた初対面の男に対して、なぜ私が謝らないといけないのだろうか。

 そう思いながらも宿の廊下を歩いていくと、受付にいた宿の主人は床に倒れて血を流していた。微動だにしていないので、おそらく生きてはいまい。

 無音の魔法による即死。苦痛を感じることなく、死んだことにも気づかないまま殺されたのだろう。

 それが善意や慈悲ではなく、ただうるさいと困るからだと、私は察していた。宿の主人が殺されたのも、おそらくただうるさかったからであろう。


「とっととついてこい」


 盗んだ金を受け取って、私に休息の地を提供してくれていた主人は、ただうるさいからという理由で殺されていた。私が巻き込んでしまった、哀れな犠牲者だ。

 つい先ほど、私と話をしていた男だ。その彼が特に必要性もなく殺されてしまった。


「何度も言わせるな」


 殺人に対してなんの罪悪感も持っていない『悪い魔法使い』その彼に対して、私は嫌悪感や拒否感を覚えた。

 しかしその拒絶が行動に移されることはなかった。私は自分の脚を前に動かして、先導する彼についていく。宿の外に出て、通りに出る。


 なんという軟弱だろう。私は目の前で行われた非道をとがめることはなく、それどころか従順に殺人者へ付いていくのみであった。

 私は悪人ではあるが、不必要に民間人を殺すことはなかった。より罪深いかもしれないし、情状酌量の余地はないが、正義に属する杖の魔法使いしか殺したことはないのだ。

 私の価値観から言えば、ただうるさいからという理由で殺人を犯すことは、選択肢にも浮かばないことだった。 


 にも関わらず、私は目の前の相手に恐怖を抱き、ただその杖が自分を殺さぬようにと祈りながら付いていくばかりであった。

 私は恩義や感謝を向けていた相手が正当性もなく殺されたというのに、自己保身という理由で『理性的』に振舞ってしまう。


「その、失礼ですが。そのボスとはどなたですか? よろしければ組織の名前も教えていただきたいのですが」

「頭のいい使い魔だな」


 速足、というよりは走っているようだった。

 人通りの多い道を、人にぶつからぬように進んでいく。

 その体術は大したものだと思うが、こちらはついていくのがやっとだった。


 そんな彼に対してシンデレラは探りを入れるが、彼は返事をしなかった。

 シンデレラという使い魔を、ただの『利口な使い魔』としか見ていなかった。

 会話をするべき、誠意を向けるべき相手だとは思っていなかった。見下している、という意識もなかった。


 侮辱というほかない。尊厳というものを持っているシンデレラは、布に隠れてなおわかるほどに憤慨していた。

 それでも暴れないのは、彼女が知的で聡明で、私を守るという優先順位を持っているからだろう。

 彼に話をする気がない以上、歩きながらどう話しても意味がないと悟り、怒りを抑えながら彼についていっている。


「シンデレラ、ありがとう」

「いえ……そう言っていただけるだけで十分です」


 私にできることと言えば、そんな彼女へ労いの言葉を送ることだけだ。

 怒ることもできない私を許してくれる彼女は、本当に出来た使い魔である。


「ふん」


 そんな『私』に対しては、露骨に軽蔑の視線を向けてくる先導者。


「自分で作ったモノとお話をして楽しいとは、書の魔法使いってのは本当に変人だな」


 杖の魔法使いであるが故の、無理解からくる言葉。

 よく言われるそれを聞いた私は、よく聞いているにもかかわらず傷ついていた。


「お父様は変人ではありません」

「使い魔に父と呼ばせているのか? 酷い趣味だな」


 私を傷つけた上で、更に嫌悪を向けてくる。

 まさか軽く殺人をしてくるものから嫌悪されるとは、私の製造した使い魔はよほど常識から逸脱しているらしい。

 倫理観は人それぞれだとは思うが、目の前の彼もそれなりにまともな部分があるようだった。


「そろそろ走ることになるぞ、準備しておけ」


 しかしそんな私の柔さを嘆いているに、目的地に達しているようだった。

 目の前の彼は、一切速度を緩めることなく杖を抜いている。

 その杖を向けた先には、封鎖されている門が見える。大きな木の扉の前に、木の樽や資材などの重しが積み上げられている。

 それを見て私は、彼が何をしようとしているのか察していた。

 

「強行突破する」


 私は声を出そうとした。

 私たちの進行方向、つまりは突破しようとしている扉の前には、沢山の人々がいる。

 警備をしている杖の魔法使いもいるし、そんな彼らを見物している野次馬もいれば、ただ通りすがっているだけの通行人もいる。

 十人か、二十人か。もしかしたらもっとたくさんいるのかもしれないが、私がそんな人数を調べる前に先導者は魔法を放っていた。


「行け」


 町中で放たれるなどあり得ない、火属性を込めた魔法。

 小振りな杖から放たれたそれは、軌道上にいる民間人を焼き払いながら直進していく。

 警備をしていた杖の魔法使いはそれに反応しようとするが間に合わず、小さな火の玉は扉を封鎖しているバリケードに直撃していた。


「怯むなよ、突っ切るぞ」


 周囲の人々が悲鳴を上げる。

 警備をしていた杖の魔法使いが、こちらへ攻撃しようとする。

 それでも先導者はひるむことなく走っていく。


 一体何を考えているのか、警備をしている杖の魔法使いは三人。それを相手に勝てるのか。

 不意打ちで一人も倒せなかったのに、どうするつもりなのか。

 そう思っていると、炎上していたバリケードそのものが爆発していた。先ほどの火の玉とは比較にならない爆炎がふきだし、周囲に燃える残骸をばらまいていた。

 バリケードを背にしていた杖の魔法使いたちはその爆風によって吹き飛ばされ、逃げようとしていた人々にも瓦礫がぶつかっていた。


「お父様!」

 

 シンデレラの眼が光った気がした。

 彼女の眼光が、俺に向かってきていた燃える瓦礫を破壊していた。


「ありがとう、シンデレラ」

「いえ……それよりも……」


 何十人という人々を爆殺した男が、飛んでくる瓦礫も気にせずに駆け抜けていく。

 それを見た私は、後ろ髪をひかれながらも彼の後についていくことしかできなかった。


 宿の主を殺すことにためらいが無かったわけである。

 無関係な民間人を何十人も殺すのなら、一人増えても同じなのだろう。


 そんな感情的な思考とは別に、私の理性は恐れるべきことを想像していた。

 彼が放った火の玉は、それこそ普通の火の玉だった。戦闘用の魔法は門外漢だが、アレは火属性であること以外になんの細工もない魔法だと察することができていた。

 だが、あのバリケードは爆発していた。その理由は考えるまでもない、バリケードそのものに火薬が仕込まれていたのだ。あの火の玉はただ引火させただけで、事前に仕込まれた罠が発動しただけなのだろう。


 民間人を巻き込むとはなんとも雑な手だとは思うが、それ以上にバリケードへ仕込みがされていたことに驚く。おそらく、多くの内通者が彼の属する組織にいるのだろう。そうでもなければ、バリケードへ火薬など仕込めまい。

 宿で休んでいた私を見つけたことも、そうした組織力によるものなのだろう。


 だとすれば、私が能天気に幸運だと思っていた、山で捜索をしていた杖の魔法使いが襲われた件も。

 ほぼ間違いなく、彼の属する組織によるものに違いない。


「お父様……よろしいのですか?」

「逃げても無駄だろう。それに……」


 私たちがやろうと思っていた強行突破よりも、数段規模の大きい強行突破だった。

 しかし街を既に抜けているのだから、目の前の男を殺せばそのまま離脱できるのではないか。

 いや、そうではなくとも。目の前の相手についていくのは危険なのではないか。

 シンデレラの言いたいことはよくわかる、よくわかるのだが。


「どこに逃げる?」

「……はい」


 おそらく私は勧誘されているのだろう。お世辞にも善良とは言い難い、邪悪で凶悪な組織からの勧誘だ。

 そんな組織からの勧誘など、悪魔のささやきのようなものだろう。まともな倫理観の持ち主なら、関わろうともしない組織だ。

 だが私は偽善者ですらない。自分の利益や生存のためなら、殺人さえ行い続ける卑劣漢だ。

 今目の前で大量の人々を卑劣にも殺傷した男へ、義憤をたぎらせることが無い。

 

 我が身可愛さでなんでもしてきた男が、一体どこに辿り着くというのか。

 たとえ悪の組織に身を投じることになるとしても、それは分相応なのではないだろうか。

 それに何より。

 私を勧誘したがっているということは、研究をさせたがっているのではないだろうか。

 もしかしたら、また研究ができるかもしれない。そう思うだけで、息を切らして走る私の胸は高鳴っているようだった。

 せめて、胸に隠している試験管に宿る命だけは、何としても製造しきりたかったのだ。

 どうしようもないエゴである、自分勝手極まりない話である。


「すまない、シンデレラ」

「どこまでもお供致します、お父様」


 私が本当に父親ならば、シンデレラの幸せを最優先で考えるべきだったのだろう。

 だが製造者でしかない私は、彼女の幸せよりも自分の欲求を優先していた。

 それでも父と呼ばせているのだから、私はどうしようもない男である。



 走って走って、私たちは森の中に隠されていた馬に乗りこんでいた。

 どうやらこの馬そのものが使い魔であり、人を乗せれば勝手に進んで目的地まで運んでくれるらしい。

 私とシンデレラを一頭の馬にのせると、先導者はそこで別れた。どうやら、彼の役割りはここまでらしい。


 馬にはちゃんと馬具があって乗りやすくなっていたのだが、荒々しく走り出したので私もシンデレラも振り落とされそうになっていた。

 舗装されている道だけではなく、浅い河へ入ったり、荒い獣道を走ったりと、とにかく揺れ続けて前を見るどころではなかった。

 おそらく追手を撒くためなのだろうが、不健康な時期の私なら落馬してそのまま死んでいただろう。

 そちらの方が世間のためだとは思うのだが、臆病な私が今更自殺するわけがない。

 ただ死にたくない、という一心で恥知らずにも馬にしがみついていた。


「お父様、到着したようです」

「あ、ああ……そのようだな」


 息を荒くしていた私は、更に息を荒くしつつ立ち止まっていた馬から何とか降りた。

 両足が地面に付いているのに、未だに地面が揺れているような錯覚が続いている。

 シンデレラがふがいない私を支えてくれているのだが、それとは別に倒れる音が聞こえた。


「……絶命しています」

「そのようだな」


 聞いた話だが、人間はもっとも長く歩ける生物らしい。

 もちろん空を飛ぶ鳥はその限りではないが、馬だろうが虎だろうが人間よりも長距離を歩ける生物はいないらしい。

 そして、私を乗せていた馬がどれだけの距離を走り続けていたかなど、考えたくもないことだった。


「ここは……なんともらしい場所だな」


 背の高い針葉樹が茂る森であり、とても湿度が高かった。

 おそらく今は昼頃だと思うのだが、生い茂る木によって日光が差し込まない。

 その黒い森の中で、ひっそりと洋館が建っていた。かなり大きい建物であり、三階建てほどで縦にも横にも幅がある。

 その上で周囲を見ると、不気味なほどに人気が無かった。道らしい道が無いのは当たり前だが、人が通ったあとのようなものさえなかった。

 一体どうやって生活しているのだろうか、素直に疑問である。


「ご主人様……本当によろしいのですか」

「ああ。研究をさせてくれるのなら、非合法の組織に属しても構わない」


 ここに来るまでで、私を呼んでいるボスの力は明らかだ。

 それの使い方や性質はお世辞にも善良ではないが、そんなことはシンデレラを製造した私が気にしても仕方がない。


 そのシンデレラ自身も嘆くだろうが、私は自分でも驚くほどに迷いなく洋館の扉の前に立った。

 施錠はされていないが、蝶番がやや軋んでいる。乗馬を終えたばかりの震える腕を酷使して、何とか開けていた。

 暗い森の中に建つ洋館の中は、更に暗く黒かった。

 洋館の入り口を開けると長い廊下がいきなりあり、壁には点々と小さい蝋燭が灯されている。

 明らかに照明が足りていないが、それはそれで雰囲気が出ていた。


 洋館の中の手入れはされているらしく、絨毯を踏んでも変に湿っていることはなかったし、埃がたつこともなかった。

 蜘蛛の巣などが壁や天井に見えるということはなく、この暗さも一種の演出のようである。


「ずいぶんと手間をかけていますね」

「そのようだな」


 シンデレラもそれを察しているようだ。

 言い方は悪いがとても趣味的で、偏執的にも感じる。この住環境が好みだというのなら、まさに趣味人であろう。

 それも、とても裕福な趣味人だ。こんな辺鄙なところに、人の手を入れずに管理を行うなど、信じがたいほどである。


 これは一種の示威行為だ。もっと温厚に私をここまで連れてくることができたであろうが、それでもあえて派手にやって見せたのは、自分にそれだけの力が備わっていることを示すためだろう。

 私としても貧乏人よりは金持ちに雇われたいので、こうして力があることを示してもらうと安心してしまう。もちろんそれは研究者としての理性的な部分であって、人間としての感情的な面ではない。

 あの街で平和に、あるいは人として正しく生活をしていた人たちの多くが、私のせいで死んだのだ。たとえ私の意図しない形であったとしても、特に必要性もなく殺されたのだとしたら、それはとても悲しい。罪悪感が心に残ってしまう。


「お父様、どうか警戒を怠らないでください」

「いや……おそらく私ではどうあがいても、ここの主にはかなわないだろう」


 しかしそれはそれとして、ここの主が悪人として筋金入りであることは確実だ。

 私のような新人の悪人とはわけが違う、組織の主になるほどの熟達した悪人である。

 罪悪感を感じることはあっても、義侠心が沸き上がることはなかった。ただ悪人の持つ権力におびえるだけである。


「それにだ……組織に身を置けるのならこんなありがたい話はない。お前にも負担をかけずに済むだろう」

「そうかもしれませんが……」

「私はお前を強く作ったが、あくまでも試作品だ。お前に戦ってほしいわけではないし、お前の性能を誇示したいわけでもない。それはもう懲りた」


 あまりにも怪しすぎて、私を何度も止めようとするシンデレラ。

 しかし彼女自身、逃げ続ける日々に限界を感じていたのだろう。今回の勧誘を強硬に止めることはなかった。


「ですが、いざという時には……よろしいですね?」

「そうならないことを祈るよ」


 私を呼んだ相手が善良であるわけがないが、私にとって有益な相手であることを願うばかりである。

 か細い蜘蛛の糸の先に待つのが極悪人だとしても、私はそれにすがってしまうのだった。


 長い廊下を歩いたその先には、荘厳な扉があった。

 そこを開けると、私もシンデレラも息を呑んだ。


「ようこそ、若い書の魔法使いよ……」

 

 広い部屋であり、天井の高い部屋だった。

 そこの中心には小さく丸い机と、やはり小さい椅子が二つあるだけで、そこには老人が座っていた。

 だが、その部屋は圧迫感に満ちていた。

 部屋の内装がわからないほど、その部屋に収まるぎりぎりの大きさのゴーレムが一体、一つしかない宝石の目を光らせている。


 巨大なゴーレムだけではなく、中型の、人間の二倍ほどのゴーレムも十体ほど待機していた。

 散々力を見せられた私をして、信じられないほどの光景である。


 ゴーレム、それは金をかければかけるほど強力になる兵器である。

 製造するにも希少で高価な材料を大量に必要とし、それを維持運用するにも多大な手間とコストがかかる。

 それをこうも大量にそろえるなど、普通の富豪程度ではありえない。おそらく、一番巨大なゴーレム一つとっても、中堅貴族では一年で破産してしまうほどの維持費が発生するだろう。

 その分、性能も凄まじい。おそらく、私が先ほどまで滞在していた町程度なら、単独で平らにしてしまうだろう。杖の魔法使いの中でもかなり上位に位置する者でなければ、装甲に傷をつけることもできまい。


「もしや、貴方は……巌の巨人では」

「そう呼ばれておるな。まあ気にすることはない、ただの老いぼれじゃよ」


 着席を促され、私は椅子に座った。

 その隣でシンデレラが待機してくれているのだが、不安は否めない。

 とても物理的な威圧感が、私の心身を圧迫している。

 目の前の老人の弱弱しさなど、まったく気にならないほどだ。


「そちらも相当の使い魔を連れておるのでな、ワシも自慢のゴーレムを準備せねば、挨拶もできんというわけよ」

「きょ、恐縮です」


 巌の巨人と呼ばれる違法魔法使いの存在は、この国でも特に有名だ。

 この国の悪党の半分は、彼が支配し統治しているという噂まである、大物中の大物である。

 もちろん本人が巨大というわけではない、悪人の中で畏怖されているということもあるのだが、当人が凄腕のゴーレム製造者だからである。

 つまり、私と同じ書の魔法使いというわけだ。


「さ、どうぞ飲みたまえ。ここまで来るのに、喉が渇いたであろう?」


 丸い机の上には、ティーカップが置かれている。

 もちろん紅茶が入れられており、あたたかな湯気を出していた。

 私は生唾を呑んだ。もしや毒でも入っているのではないか、と。


「おや、飲めないのかな?」

「い、いえ……」


 慌てて飲み干す。仮に毒が入っていたとしても、飲まなかった場合はゴーレムが私をつぶすのだろう。

 それを思えば、毒が入ってないと信じるしかない。


「だ、大丈夫ですか、お父様?」

「あ、ああ。とても美味しかったよ……」


 味などわからなかったが、そういうしかなかった。

 とにかく、舌が痺れるということはなかった。


「さて。君のことは手配されていた時から良く知っておるよ。災難じゃったのう」


 どうやら私が手配された経緯について、既に知っているらしい。国家の中枢にも、その手が伸びているのかもしれない。

 もしかしたら、私以上に私に起きたことに詳しいのではないだろうか。


「せっかくの研究成果を、ただ長く生きているというだけの教授にとられ、さらにその教授が失敗した責任を負わされる……非道な話じゃ」


 しわだらけで、白い眉で目が見えにくくなっている、そのうえで髭によって口元もみえない。

 だがその言葉だけは、深い憤怒が伝わってくる。

 私が陥った境遇に対して、共感を通り越して暴走しているようだった。


「他人の成果を奪うことしか考えず、それを王族に献上することで名声や地位を得る、書の魔法使いを名乗っているだけの愚か者ども……ワシが国家に仕えていた時は、そうした輩に散々絡まれたものよ」


 どうやら私とは状況、というよりも心境が違うらしい。

 私はただ研究をしていたかっただけなのだが、巌の巨人は書の魔法使いとして名前を歴史に刻みたかったようだ。

 もちろん、私としても残念なことだ。これだけのゴーレムを製造できる才覚があるのなら、確かに魔法の歴史に名を残せていたはずだ。


「ワシは絶望したよ。他の魔法使いどもはともかく、書の魔法使いは魔道の深淵を探る、知識への挑戦者だとばかり思っていたのに」

「確かに私の所属していた研究所でも、上の立場にいるものは上流階級の出身者ばかりでした」


 巌の巨人が今まさに証明していることだが、書の魔法使いが研究をするには設備と時間、そして希少な材料が必要だ。大量の資金が無ければ、研究をすることができないということである。

 そして、書の魔法使いを志す者が皆裕福というわけではない。であれば、裕福な貴族や王族に雇われて、その彼らへ研究成果を献上することで、研究者としての生活をするしかない。


 雇用された書の魔法使いは、研究成果を自分のものとして発表することはできない。しかし安定して給料をもらえるし、成果が出せなかったとしても下働き扱いになるだけで、借金を背負わされるということはない。

 私はそれに納得していたが、それに納得していないものは多かった。

 しかし、私はさほど裕福ではなかったので、資金というものが無尽蔵に湧くというわけでもないと知っている。

 世界は書の魔法使いを中心に回っているわけではないのだ。


 しかしだからと言って、敬意を向けられない、誠意をもって接されないことに対するいら立ちは納得できる。

 巌の巨人はきっと、相当屈辱的な扱いを受けていたのだろう。彼自身の野心もさることながら、彼の周辺になんの過失もなかったとは思えない。


「忌々しい話だ……呪わしい。魔法の何たるかも知らぬくせに、対価と賞賛だけは欲しがる! カネだけ出していればいいものを! ワシのことを散々軽んじたあげく、最後には小銭を持たせて追い出した……! しかも、方々にワシを雇うなと根回しまでして!」

「心中お察しします」


 だんだんと、老人自身の話になっていた。まさに恨み骨髄というところだろう。

 その気持ちは、痛いほど伝わってきた。


「ふっ……ワシも熱くなったものだ。老いぼれているのに情けない」


 照れを隠すように、老人は紅茶を飲んだ。


「さて、こうして乱暴な手で君を呼んだのは、他でもない君を勧誘するためだよ」

「勧誘、ですか」

「私の部下になって、研究をしてくれないかね?」


 とても事務的な言葉だが、私には十分殺し文句だ。

 躊躇したのではなく、この上ない望みがかなったがゆえに即答できなかった。


「その表情を見ればわかるとも、君は模範的な書の魔法使いだな」


 どうやら表情に出てしまったらしい。

 なんとも情けなくて恥ずかしいが、それだけ私は嬉しかったのだ。


「ワシは多くの地に拠点を持っておる。この場所も、そのうちの一つでしかない。というよりは、一種の捨て石じゃな。あと数日もすれば、ワシが送り込んだ内通者からの情報を聞いて、杖の魔法使いが踏み込んでくるはずじゃ」

「では、このゴーレムは」

「機能を試したあとは廃棄じゃな」


 なんとも贅沢な話である。この老人は、どれだけの資産を持っているのだろうか。


「もちろん、内通者を信頼させるために、この建物にもきちんと設備を作っておる。君がその気なら、そのまま研究を始められるほどにな。まあすぐ捕まるじゃろうが」

「そ、それは嫌ですね」

「安心して欲しい、ちゃんと逃げる手は打ってあるとも」


 理性的な部分が、彼を信用しすぎてはいけないと叫んでいる。しかしそれが吹き飛ぶほどに、私は喜んでいた。

 より深みへ嵌まっていくと理解しながら、そんなことよりも研究者に戻れることで喜んでいた。


「ありがとうございます!」

「なに、ワシとしても同胞が増えるのはありがたいからのう」


 大慌てで礼を言う私に対して、巌の巨人はにこやかに笑っていた。


「なにせワシの部下には、書の魔法使いが一人もおらんのでな」

「そうなんですか?」

「うむ、正直寂しく思っておる」


 寂しそうにため息をつく老人。彼の価値観はおおむね分かったので、確かに嫌だろうと察しはついた。


「やはり、水晶と書以外は、魔法使いとして認められませんか?」


 書の魔法使いは他の派閥から嫌われていることもしばしばだが、書の魔法使いも他の派閥を魔法使い扱いしていない節がある。

 特に杖や箒に対しては拒否感が強かった。もちろん全員ではなく、全体的な傾向でしかないのだが。


「当然であろう? 杖や箒の連中など、魔法使いを名乗ることも認められん」


 やはり、だった。杖の魔法使いを配下にしているはずだが、嫌悪感がとても露骨だった。


「知識や知恵の重要性も考えず、魔力の大きさでしかモノを見れん杖。金を稼ぐことしか考えられん、志の低い箒。どちらも魔導の何たるかも考えず、魔法を使っているだけの連中よ」

「確かに、私も彼らは憲兵か商人の一種としか思えませんね」

「うむ、その通り。そう名乗ればいいものを、我らと同種のように語るからわけのわからん話になる」


 やはり、とても一般的な書の魔法使いだった。ますます安堵してしまう。

 犯罪者ではあるのだろうが、理解できる思考の持ち主だった。


「真の魔法使いである若き同胞を引き入れることができて、ワシは嬉しいわい」

「私も、偉大な先人に勧誘していただき、とても光栄です」


 話がトントン拍子で助かる。やはり私は放浪するよりも、誰かに従って生きる方が安心できる人間なのだ。

 緊張がほぐれ、情けなくへつらった笑みを浮かべてしまう。


「ところでお伺いしたいのですが、私が拒否した場合はどうしていましたか?」

「無論殺していたとも。ここまで来て、生かして返すと思うかね?」

「そうでしょうね……」


 改めて、悪の魔法使いであると認識する。

 たまたま気に入られているというだけで、機嫌を損ねればそのまま殺されるのだ。


「書の魔法使いは、己の成果を魔導書に刻む。それゆえに、本人が死んだとしても持ち歩いている魔導書さえあれば、その成果は簡単に得られるのでな」


 私が肌身離さず持っている本は、特別な価値を持たない。

 しかし、書いてある内容は、私の研究の記録そのものだ。

 通常の本がそうであるように、本そのものではなく書いてある内容そのものに価値があるのだ。


「使い魔に関しても解剖すればわかるのでな、反発するのなら生かしておく必要はない」


 ふと、私はシンデレラを見る。そこには、未だに不信感を募らせている少女がいた。

 断っていれば主を殺していた、自分も解剖されていた、と言われればいい気分もしないだろう。


「とはいえ、解剖するにも手間はかかるし、本人がおるのならこんなありがたい話はないしのう」

「そうでしょうね」


 確かに解剖すれば多くのことが分かるが、そう簡単な話ではないと私もよく知っている。

 魔導書を参考にしたとしても、そう簡単には分かったりしないのだ。

 そんなに簡単なら、私の論文を読んだ上司たちが失敗するわけがない。


「失礼ですが」


 シンデレラは警戒したまま、斬りこむように問いただしていた。


「巌の巨人様、一つお伺いしたいのですが」

「ふむ、よかろう」


 どんなことを聞くのだろうか、私も巌の巨人も興味を持ってしまった。


「なぜ配下に書の魔法使いが一人もいらっしゃらないのですか?」


 なるほど、言われてみれば確かに少しおかしい。

 私自身は無関係だったのだが、普通の書の魔法使いというのは、誰かに使われるか誰かを使うものである。

 研究というのは大変なので、多数の部下と共同で実験を行ったりデータの蓄積を行うものだ。

 一体なぜですか、と聞こうとした瞬間だった。


「あ、あがあああああああ!」

「お父様?!」


 私は無様に床へ倒れていた。

 全身が焼かれたように熱く、指一本まともに動かせなかった。呼吸することもままならない、麻痺と思われる状態になっている。

 理性的には、電撃に属する魔法をくらったのだとわかる。それは症状から明らかだ。

 だが一切予兆が無かった。本当に、まったく気づかなかった。


「お父様、お父様!?」


 私だけではない、警戒をしていたシンデレラも本当に焦っている。

 彼女をして、何時攻撃をされたのか気づかなかったのだ。


「高い知性と魔力を持った、新しい使い魔。それが君の研究だったな」


 とても冷えた声が聞こえてきた。

 どうやったのかはともかく、誰がやったのかは明らかだった。

 先ほどまで私と談笑していた、巌の巨人がやったのだ。


「実に素晴らしい。君をここに連れてきてよかったよ」

「よくもお父様を!」


 私をかばいながらも、シンデレラの眼が光った。

 全くの無詠唱から、貫通性の高い魔法が放たれた。

 それは椅子に座っていた老人を貫き、私同様に絨毯の敷かれている床に転がせていた。


「だが、肝心の魔法使いが間抜けすぎるな。それでは肝心の知性も意味があるまい」


 それでも、地面に転がったままの老人は話を続けていた。

 いや、老人ではない、おそらくは遠隔操作の人形だ。

 椅子に座ったままで、喋ったり手を動かす程度の人形なら、そこまで難しいものではない。

 少なくとも、巌の巨人本人ではない。


「先ほどまで会話が成立していたのなら、本人もすぐ近くにいるはず!」

「そう、その通り。ワシはこの洋館に居るとも」


 ゆっくりと、すべてのゴーレムが動き始めた。

 私たちを包囲していたゴーレムたちが、私たちを殺そうとし始めたのだ。


「卑怯な……お父様を殺し、私を捉え、研究成果を奪うつもりですか! 貴方が嫌悪していた輩と同じことを、自分でやるつもりだったのですか!」


 起動し始めたばかりのゴーレムは、とても緩慢だ。それはゴーレムの弱点ではある。

 だがだんだん早くなっていく。牛が歩くような速さから、馬が走るような速さに変わっていくのだ。


「ワシがあの愚か者どもから学んだことがある。魔法も人も、使うもの次第でいくらでも変わるとな」


 老人の姿をした人形は、冷淡に語っていた。


「どれだけ素晴らしい魔法の理論も、使うものが愚かでは何もなせん。しかし優れた人間が動かす立場に回ったなら、どれだけ下等な魔法も下劣な人間でも、素晴らしい成果を出せる」


 私の理性は、シンデレラの質問に対する解答を理解していた。

 彼は私に限らず、多くの書の魔法使いを勧誘し、乗ろうが断ろうが殺してきたのだ。

 その研究成果を奪うために。


「重要なことは、その優れた人間の素養を持つのが、書の魔法使いだけということ。ワシは元々人を動かす術など学んでおらなかったが、少々の試行錯誤を重ねるだけで簡単に習得できた」


 巌の巨人。彼はとても大物の悪人で、とても一般的な書の魔法使いでもあった。

 彼は同じ書の魔法使いだけをライバルと思い、その中でも優秀な者の研究を欲しがっていたのだ。

 なにも不自然な点はない、彼は警戒したままの男だったのだ。


「優れている人間が、必ずしも善良とは限らない。いや、忠実で従順とは限らない、というべきかな?」


 彼は自分の不遇を呪うばかりに、自分が軽蔑していた人間そのものになっていたのだ。

 どこにでもいる、普通の転落者だ。違うとすれば、大物に成長したということだろう。

 現に同じ転落者である私を、いともあっさり追いつめている。


「人間は変わるものだ。どれだけ恩義があっても、愛情を注いでも、裏切る時には裏切る。とはいえ、杖や箒なら問題にならない。警戒するべきは、同じ書の魔法使い。あるいは、水晶ぐらいかな? 指輪など恐れるに足りない、あんな連中は簡単に買収できる」


 比較的小型のゴーレムが拳を振りかぶっていた。

 およそ細かい作業ができるとは思えない、指のない『拳』という岩の塊。それが私とシンデレラを叩き潰そうとしている。

 なんとも悲しいことに、魔導書は血で汚れたぐらいでは判読不能になったりはしないのだ。

 彼の目的が


「その点、使い魔やゴーレムは素晴らしい。何があっても主を裏切らない、どんな命令にも黙々と従う。もしも命じたとおりに動かなかったのだとしたら、それは術者が未熟だった場合だけだ。機能を把握して命令をすれば、必ずその通りに動く」

「あの馬の様にですか!」


 私と自分の窮地、それ以外にもシンデレラを怒らせている要素があった。

 先ほど使いつぶされた、命令を全うして死んだ、使い魔に加工された馬である。


「貴方は! 使い魔になら何をしてもいいと思っているんですか!」

「本当に高い知性を持っているな。人間らしい倫理観に加えて、共感までできるとは」


 シンデレラの言葉を、ただ使い魔の性能としてだけ評価している。


「書の魔法使いは崇高だ。その研究成果には、多くの可能性がある。そしてそれを最も引き出せるのは、書の魔法使いの頂点に座する私なのだよ」


 その上で、相変わらず私にだけ話しかけてきている。

 どれだけ利口でも、使い魔と話す趣味はないようだ。なるほど、私よりはまともである。


「君の研究は特に素晴らしい。人間と同等の魔力と知性を持った使い魔、私が望んだ研究そのものだよ」

「あ、う、ぐ……」

「私が研究し、更なる昇華を遂げて見せるとも。そう、君の意志を私が継ぐ、というところかな? 必ずや、君が生きて研究するよりも、よほど素晴らしい成果を出して見せる。安心できるだろう? 模範的な書の魔法使いである君にとってはね」


 白々しい、心にもない言葉が並んでいく。私と同じで、犯罪者の理屈だった。違うとすれば、罪悪感がまるでないということぐらいである。


「君の研究を理解できずに失敗した愚物たちとは違う、ちゃんとした発展を約束しよう」

「巌の巨人! 貴方にそんなことはできません!」


 怒りに燃えた我が製造物が、勇敢に立ち上がっていた。


「私の性能、その真価をお見せしましょう! お父様から与えられた機能を尽くし、必ずやすべてを打ち砕いて見せますとも!」


 ほとばしる魔力、それは眼光以外の攻撃手段を使用する予兆だった。

 私が彼女に与えた、人間をはるかに超える力が沸き立っている。


「威嚇しても無駄だ。そんな虚勢は、知性のある私には意味を持たない」


 しかし、巌の巨人は相変わらず平静だった。


「被造物である君が知っているかはわからないが、使い魔というものには必ず安全装置が付いている。これはゴーレムも同じだがね、人間以上の性能を持つからこそ暴走しないために制限がかかっているのだ」


 そう、それはとても当たり前のことだ。だからこそ、こうも悠長に話をしているのだろう。


「ワシが君の主へ施した術は、ただ感電させるだけではない、術式を妨害する魔法だ。はっきり言えば、君に施された制御を食い破るものだよ。君にどんな安全装置が組み込まれているのかは知らないが、操作するべき彼がこの術を受ければ解除されることはない」


 飼い犬に手を噛まれるという言葉があるが、使い魔に噛まれればそれまでだ。

 強力な使い魔やゴーレムだからこそ、術者の安全を守るために強力な呪詛を施してある。

 そうでなければ、製造したものがまず危険だからだ。


「君が攻撃をしようとしても、それは絶対に実行できない。君の魔力とは無関係に、君の行動が封じられているからだよ。素晴らしいとは思わないかね? 術者が意図しない動作が絶対にできない、裏切ることができない使い魔とは」


 小型のゴーレムが襲い掛かる。

 魔力を纏っていくシンデレラへ、ついに攻撃が発動していた。


「頭のいい人間にとって、実に都合が良い」


 勝利を確信しているという風ではない。

 検算をしているかのような、予定通りの結果を見届けるような声が聞こえる。

 彼にとって、これも一種の実験だったのだろう。

 しかし私はもはや、巌の巨人を恐れていなかった。


「粉塵圏!」


 とても重い音がした。

 シンデレラの魔法によって、小型ゴーレムが粉砕されて地面に倒れていた。


 それは私が彼女に与えた機能であり、全力で戦うときの彼女の攻撃手段だ。

 魔法そのものは発光することも音を出すこともなく、物体に対して膨大な魔力を注ぎ込み、物質のつながりを破壊して塵のように分解する。

 これの直撃を食らった物体は魔法の有効範囲だけ塵になり、他の部位だけが切り取られたように落下する。

 ゴーレムの中央部分だけが削り取られ、他の部位が床に落下して突き刺さったのだ。


「ば、馬鹿な?!」


 既存の魔法技術ではほぼ不可能とされる攻撃を目の当たりにしたことよりも、彼女が攻撃を実行したこと自体に驚いている巌の巨人。

 倒れたままの人形からは、現状を受け入れられない絶叫が響いていた。


「私の魔法は完全だった! 主の緊急事態に対して制限が外れる設定になっていたとしても、主だと判断する術式そのものにも介入して破壊するはずだ! 攻撃などできるわけがない!」


 計画が狂ったことが信じられないのだろう。散々繰り返された実験に、誤差が出るなどあり得ないのだろう。

 だがしかし、それは机上の空論というものだ。

 これが本当に実験だというのなら、私たちという存在に対する理解が不足している。

 情報が、数値が不足しているのに、他と同じ手段で干渉を試みること自体が間違っているのだ。


「私の魔法に、失敗などあり得ない!」


 混乱している余り、他のゴーレムたちは静止していた。

 巌の巨人の困惑へ、私に代わってシンデレラが答える。


「私の知性を褒めていただいたことには感謝します。ですが、肝心の貴方からは知性を感じられませんね」


 先ほどまでの待機形態とはちがう、美しい女性の姿になったシンデレラ。

 その髪は腰まで延び、背中の羽は飛行が可能と思えるほどに拡がり、一対から六対に増えている。

 頭部の角も本数を増やし、より複雑な形態に変わっていた。


「実証された現実を前に、失敗を認めないのは愚かというのではありませんか?」


 憤怒と軽蔑、それに加えて強者ゆえの余裕が溢れていた。


「わ、ワシが愚かだと?! そんなわけがない!」

「では説明していただけるのですね、私がこうして行動できている理由を」

「う、うるさい! 使い魔風情が、このワシに向かって何をほざくか!」


 他のゴーレムが再起動する、シンデレラに向かって攻撃しようとする。

 私の眼では追えない、圧倒的な速度で挑んでいく。

 しかし、それをシンデレラは余裕をもって迎え撃っていた。


「粉塵壁」


 高密度の魔力に壁に阻まれて、彼女に近づいたゴーレムたちの体が崩れていく。

 極小の塵だけが、粒子として大気に解けるように消えていきつつ、シンデレラの体にかかっていく。

 ただ物体をぶつけるだけでは、私の作品に触れることもできはしない。


「灰かぶりこそが私の名前ではありますが、些か不愉快ですね」

「馬鹿な……ここまで強力な使い魔を、人間が制御できるわけがない!」


 馬を呪詛によって操作し、簡易な使い魔にしたように、人間も呪詛によって操作することはできる。

 だが多大な魔力を持つ人間、具体的には杖の魔法使いなどには極めて効きにくい。

 同様に、強力過ぎる使い魔には、相当強い呪詛を点けなければならない。


 強力な使い魔の製造は、常に制御の限界と両輪である。

 制御できない強力な使い魔ほど、危険な爆弾は存在しないのだから。


「い、いや! 仮に制御できる呪詛があったとしても、それは相当強力なはずだ! そこの小僧一人でどうにかできるわけが……ない!」

「私のお父様を、小僧?」

「お前はおかしい、あり得ない、あってはならない! お前はインチキだ!」


 一際巨大なゴーレムが、その足を上げた。

 それを全力で振り下ろし、私たちを踏みつぶそうとする。


「粉塵昇」


 直後だった。シンデレラの放った魔法によって、巨大なゴーレムの全身とその上の天井が一瞬にして塵になっていた。

 巨大な質量でさえ、彼女の射程に収まってしまえば材質とは無関係に崩壊するだけである。


「あ、ああ……」


 無表情な人形が、感情のこもった声を発する。それにはもはや、一切の知性が存在しなかった。


「お父様、大丈夫ですか?」

「ああ、ああ……」


 シンデレラは、その伸びた手で私を抱き上げていた。

 力の入らない私は、彼女の肢体に体重を預けることしかできない。


「馬鹿な、なぜだ、魔法の原則に沿わない。どれだけ強大な魔法でも、必ず原則に沿うはずだ! お前はこの世界の秩序に反している!」


 人知を超えた魔法を操る彼女に対して、巌の老人はただ叫ぶだけだった。


「お前の様に強大な使い魔を作ることはできるだろう! だが制御することはできない、できるわけがない!」

「その通りですよ」


 シンデレラは悪戯っぽく笑いながら、老人の人形に見せつけるように私の頬に口づけをしていた。

 実に女性的な所作であり、とても妖艶だった。まさに魔性と言うほかない。


「私には、安全装置が施されていません」


 私は彼女の製造者だ。私を温かく抱きしめている彼女の手が、ただの腕力で私を二つにへし折ることができると知っている。

 彼女が一切制限されておらず、私を殺すことが可能だということを知っている。


「お父様は私をそう作りました。私はいつでもお父様の命令に反することができ、いつでも傷つけることができ、殺すことさえできる」


 シンデレラは私を抱きしめたままふわりと浮かんで、塵の積もった人形の上に立った。

 圧倒的な力を発揮した優越感を持って、その頭に足の裏を触れさせた。


「馬鹿な……ではなぜ、お前は製造者に従っている?! それだけの知性と魔力を持ちながら、非力な男に従っている!」

「裏切られるのを怖がっている貴方には、一生分かりませんよ」


 ぐしゃりと、木や石でできた頭を踏みつぶす。

 それを成した彼女は、あくまでも美しかった。

 危険な美しさだった。



 もちろん、それでも巌の巨人は生きていた。操作していた人形やゴーレムを破壊しただけなので、当たり前だが。

 いくら広いと言っても、所詮は洋館ひとつ。城というわけではないので、調べつくすのは簡単だった。

 一つの寝室に辿り着いた私たちは、その扉を開けた。


「ひ、ひいいい!」


 そこにいるのは、とても太った中年男性だった。

 先ほどまでベッドで寝ていたであろう彼は、あわてて逃げようとしていたが恐怖と混乱でうまくいっていない。間抜けにも倒れて、なんとか起き上がろうともがいていた。


「や、やめろ、来るな!」


 これが書の魔法使いでしかない、この国の闇を支配している男の限界だった。

 本人がとんでもなく強いということはなく、私同様に弱弱しい姿をさらしていた。


「私のお父様を傷つけておいて、生かして返せるとでも?」

「ま、待て! ワシは、ワシは巌の巨人と呼ばれた魔法使いだ! 配下はたくさんいる! 杖や箒だけじゃないぞ、沢山、そう沢山いるんだ!」

「今は、誰もいない。そうでしょう?」


 彼は無力だった。

 どれだけの悪人だとしても、どれだけの大罪人だとしても、無力な書の魔法使いでしかなかった。

 私の中の感情が、彼を殺したくないと思っていた。


「だ、だが! だが、そうだ! ワシには力がある! 今度こそ、そう、今度こそお前たちを配下にしてやる!」

「配下? 私のお父様が、お前如きの配下?」

「ち、違う、お前たちは、いや、君たちは! そうだ、ワシの後継者だ! ワシは見ての通りの年齢だ、君たちよりも先に死ぬ! であれば、お前たちに巌の巨人としての座を譲ろう!」


 理性的に考えても、それはとても魅力的だった。

 私は研究がしたいだけなのだ、彼の提案を受け入れれば研究ができるのなら、今からでも受け入れていいと思う。


「ワシを今殺してみろ、その場合はどうなると思う?! 流石に私の人脈をそのまま引き継ぐとはいかないぞ! 資金も財産も、希少な素材も! 何もかも手に入らない! すべて失われる!」

「お父様がそこまで強欲とは思えませんが。ここの洋館一つでも、十分満足できると思われますが?」


 そうだった。

 ここを探り当てるまでに、巌の巨人が言っていた研究設備は見つけていた。

 私が望む研究設備が、この館にちゃんと備わっていたのだ。


「確かにそうだが、ほどなくして、この地に杖の魔法使いがやってくる! それは、それも、嘘ではなく本当だ! この洋館で実験を継続することはできないのだ!」


 悪魔の翼を広げてふわりとわずかに浮かんでいるシンデレラは、私のことを愛犬やぬいぐるみのように抱きしめていた。

 そして豊かになった胸部を押し付けている私の顔を見た。しゃべることができない私の表情から、多くを読み取ろうとしたのだろう。


「信じましょう。あのゴーレムも、元は杖の魔法使いと軽く戦うためのものだったのでしょうね。ただ明け渡しただけでは内通者が疑われてしまいますから、この施設が重要だと思わせるために防衛しなければならなかった」

「そ、そうだ! ここからワシは逃げる! 君たちには別の研究施設をいくらでも都合しよう!」


 もちろん、あとで裏切るかもしれない。彼が自分で言っていたが、見逃されたとしても後で怒るのかもしれない。

 だとしても、やはり研究が続けられるのなら魅力的だった。私の望みはそれなのだから。


「私自身は、貴方が憎くてたまらない。誠実さも敬意もない、傲慢不遜な魔法使いを塵にしたくてたまらない。しかし私の主は、お父様は、命乞いを無視することができません」


 提案に乗りたい私の心を、シンデレラは察していた。

 その上で、更に深く私を抱きしめる。豊満な胸で、私の視界をふさいでいた。


「おお! そうか、実に賢い判断だ!」

「ですがお忘れで?」


 私を抱いていた腕の片方が離れていた。視界はふさがれているが、感触でわかってしまう。

 その腕が、何をしようとしているのか。私は察していた。


「な、何をする?! お前の主は、ワシを殺したくないのだろうが!」

「私は、自分の判断で行動できるように作られているのですよ」


 私はシンデレラに知性を魔力を与えた。

 魔力とは戦うため、性能を示すためだった。ある意味では、彼女を生み出した理由そのものだ。

 だが知性とは、彼女に尊厳を与えるということだ。

 彼女には怒る権利があり、それを行動に移す権利がある。

 それがたとえ社会や倫理に反する悪だったとしても、私という創造主の意志に反する暴走だったとしても。


「おい、止めろ! その使い魔を止めろ!」

「貴方は知性もさることながら、記憶力も悪いのですね」


 私の理性も感情も、彼女の意志を尊重していた。

 罠にはまってしまった私には、彼女を止める権利も力もなかった。


「お父様を喋れなくしたのは、貴方でしょう?」

「や、やめろおおおお!」


 巌の巨人は、ただ叫ぶことしかできなかった。

 その彼へ、シンデレラは無慈悲な魔法を撃っていた。


「粉塵症」


 その魔法を、私は知っている。対象の全体を、ゆっくりと時間をかけて粉砕していく魔法だ。

 わかりやすく言えば、今の老人は足元からゆっくりと塵になり、そのまま全身に拡がっていくのだ。


「嫌だ、いやだ!」


 遅行性の魔法であり、途中で止まることはない。


「やめろ、止めてくれ! せっかくここまで成功していたのに!」

「ご安心ください。先ほど貴方がおっしゃっていたように、貴方の研究は私たちが引き継ぎましょう」

「な、なんだと?!」


 彼は痛みを感じることもなく、消えていく感覚に対して恐怖を感じるだけだ。


「お前たち、ワシの魔導書を奪う気か?!」

「当然じゃありませんか」

「ふ、ふざけるな!」


 そして、彼にとってはそれよりも恐ろしいことがあるらしい。

 それが何なのか、同じ書の魔法使いである私は、よく知っている。

 犯罪者になってでも続けたかったことを、私は知っているのだ。


「これは誰にもやらない! この魔導書は、ワシが奪ったものだ、ワシのものだ! ワシのものを、お前たちは奪うのか! また、また、ワシの書いた論文に他の誰かの名前を書くつもりか!」


 彼の無念は、痛いほど伝わってくる。


「ふざけるな! お前にくれてやるぐらいなら、燃やしてやる! もう誰にも、ワシの研究は……ああ?!」

「あらあら、手にも効果が現れましたね」


 魔導書は燃やそうと思えば燃える。

 彼はおそらく、自分の魔導書を燃やそうとして、そのための魔法を使うことができなかったのだろう。

 書の魔法使いは、そういう魔法が苦手なのだ。どうしても時間がかかってしまい、その時間が彼には無かった。


「嫌だ! ワシは、もう二度と利用されたくない! 利用する側に回ると決めたのだ! 苦しむのではなく、苦しめる側へ回ると決めたのだ! 奪われるのではなく、奪ってやると決めたのだ!」


 彼の断末魔が耳に聞こえてくる。

 私は、それを二度と忘れまい。


 彼の醜態を見ても、私は軽蔑することができなかった。

 末路を含めて、私にとって巌の巨人は、偉大なる先人に他ならなかったのだから。


「踏みつぶされる小石ではなく、踏みつぶす巌の巨人に……! ワシは……ワシは、なったのだ!」


 シンデレラから解放されて、私の視界が戻った。

 ふらつく足で何とか立つと、眼下を見る。

 先ほどまで巌の巨人だった方は、砕かれて塵となっていた。


 理性では安心を得て、感情では哀悼を抱いて。

 人間だった塵の山を目に焼き付ける。おそらく、私も似たような末路を辿るのだから。


「お父様、御怪我をさせて申し訳ありません」

「いいんだ、シンデレラ」


 妖艶な女性になっているシンデレラが、私に甘えるように抱き着いてくる。

 そんな彼女へ、私は少女の姿をとっていたときと同じ愛を注ぐ。


「ありがとう、お前のおかげだ」

「はい、お父様……お慕いしております」


 愛を注ぎ、愛されながらも私の心は冷えていた。

 彼女を私が愛したところで、彼女が私を愛したところで、私は悪人でしかない。

 その末路は、きっと苦痛に満ちたものだろう。だがそれが今ではなかったのだ、今はそれだけで満足だった。


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