破顔する彼女
夕食を摂り、入浴を済ませ、時刻はそろそろ午後8時。
自室に篭った天音久遠は昼間に買った例のブツ、『フェアリア・クロニクル・オンライン』を早速プレイしてみることにした。
食後それなりに時間を置いたので寝転がっても大丈夫。
事前にトイレは済ませたからプレイ途中で催すこともない。
通帳と印鑑も忘れずに持った、とは定番のボケである。準備は万端。
VR用のヘッドギアを手に取り「さあやるぞ!」というところで、ふと気になった。
「アイツ、一人プレイでって言ってたよな?これタイトルに思いっきり”オンライン”って入ってんだけど」
今更な心配だった。
(タイトル見た時点で気付けよ……)
数時間前の自分を引っ叩いてやりたい、久遠は怒りの衝動に駆られた。
これでもしも複数人プレイ専用だったら泣くに泣けない。
ケースの裏側を恐る恐る確認すると……
『プレイヤー人数:1人 オンライン対応』
オンライン”対応”だ。
オンライン”専用”ではない。ならば、問題はない。
しかし、念のためネット回線は外しておこう。
いそいそと線を引っこ抜いた久遠は、抜け目無き自身の用意周到さにニヤリと笑みを浮かべた。
この光景を見て『お前が用意周到とか笑わせるなよ』と、思った方も居られるだろう。
だが、待っていただきたい。天音久遠という少年がその人生において人間らしい表情を見せるのは、恐らくこれが最後になるのだ。どうか寛大な心で見逃してあげて欲しい。
ニヤついた顔のままヘッドギアを被り、久遠は電脳世界へと旅立ったのだった。
◇
真っ暗。
一面の暗闇。
『フェアリア・クロニクル・オンラインの世界へようこそ。これよりキャラクターメイキングを行います』
声が聞こえる。女性の声だ。
(いきなりか?)
どうやらオープニングムービー的なものは無いらしい。声の主は続ける。
『この世界を救わんとする救世主よ、まずは貴方の名前を教えてください』
(なんつーか、急に持って回ったような言い回しになったな)
名前、名前ね、と突如現れたモニターを前に天音久遠は考える。
PNを決めろと言われて真っ先に思いつくのは『オルスロット』という名前だ。これは久遠がシャングリラ・フロンティアで活動していた頃に使っていたものである。
かの有名なアーサー王伝説に登場する騎士『ランスロット』をもじって名付けた中二精神溢れる傑作なのだが、同時期にシャンフロを購入していたらしい姉・永遠の使用キャラがランスロットの主君『アーサー・ペンドラゴン』に由来したPNだったという苦い思い出がある。
九つ年上の姉は当時から既に自立して一人暮らしをしていたため、この結果は偶然である。姉弟の力関係を如実に示したようなこの因果な偶然には、当時は頭を抱えたものだ。
(オルスロット、ん~……)
天音久遠はオルスロット時代を思い出す。
色々な出来事があったはずだが、思い出すのは煽られたこととキルされたことばかりだった。
良い思い出が無い。クソである。
かといって、オルスロットに代わる傑作がそう簡単に浮かぶとも思えない。正直な話、こんな作業はとっとと済ませて早くゲームがしたいのだ。
頭を三回転半ほど捻りつつ久遠が出した結論は……
(メンドくせ。もう本名でいいや。キャラネを……”ク オ ン”っと)
どうせオフラインの一人プレイなのだ。身バレの心配もない。気にする必要もなければ、名前に拘る理由もない。天音久遠は無精者である。
『分かりました。それでは クオン、次にこの世界に降り立つ貴方の器を創造してください』
キャラの外見を決める工程だ。
まずはプレイヤーの情報を読み取って、リアルと変わらない姿の像を投影する。そこから顔のパーツをいじったり、身長や体系を変化させる。これはどのVRゲーでも変わらないお馴染みの工程である。
(これもいいや。そのまま次……)
三秒悩んで身長を5センチだけ伸ばした。次だ。
『最後はジョブの選択です。ジョブ名にカーソルを合わせればジョブごとの特性が詳しく表示されます』
(世界だの救世主だの散々盛り上げといて急にゲーム的になったな!?)
心中で吹き荒れるツッコミの嵐に声は答えてくれなかった。
代わりに先を促すようにパネルが表示される。無情だ。
(けっこう色々あるな)
ちなみに本当に色々あるので説明は簡略する。
フェアリア・クロニクル・オンラインにおけるジョブは大まかに分けると全部で四つ。
一つ目は剣士、戦士に代表される”近接職”。武器の数だけジョブがある為、四種の中では最も数が多い。
二つ目は”魔法職”。これは使える属性が一つずつに設定されており、火・水・風・土の四種類から選べる。
三つ目は神官、呪術師、薬師の三つから成る”支援職”。回復専門の神官、バフ・デバフ特化の呪術師、両方のいいとこ取りではあるが事前にアイテム調合の必要がある薬師、と考えれば分かりやすい。
四つ目は遠距離物理の”軽戦士職”。解錠・索敵をこなせる盗賊と、弓矢使いの狩人の二種類がいる。
さて、今回の天音久遠は……
(魔法使いにしよ、属性は炎で)
その心は?
(シャンフロじゃ剣士だったからな、気分転換に魔法とか撃ちてーし)
大した理由は無かった。炎属性は男の子だ。
なにはともあれこれでキャラメイクは完了した。女性の声が語りかけてくる。
『これで準備は整いました。お願いします、救世主 クオン。どうかこの……世界を……救って…………を……止めて……くだ……さい』
息も絶え絶え、まさに「残り少ない力を振り絞ってます!」といった風に語りかけてくる声の主。
RPGでありがちな『いかにも重要そうなのに肝心な部分が伝わらないセリフ』だ。
久遠はこういった手法が大嫌いである。
(いや、なら要点を先に言えよ!せめて前半部分削ればもうちょい頑張れただろ!?)
とかいちいち考えてしまうのだ。現にこの場面でも考えていた。
『ど……うか……おね……が……い…………』
(だからそういうのいいから!要点を言え!ラスボスの名前とか言え!)
所詮は人間とシステム。想いは届かないのか?
光が広がり、目の前が真っ白になった。
会話は広がらなかった。
◇
『……世主様、救世主様』
声が聞こえる。女性の声だ。
が、先ほどまで案内していた声とは感じが違う。どうやら別人らしい。
次第に目が慣れ、周囲の様子が分かるようになってきた。
ここは、建物の中のようだ。
周りを見渡せば、なにやら荘厳な雰囲気を醸し出している。
城、というよりは神殿と表現したほうが適当だろうか。
そして目の前には、金髪の少女がいた。ハッとするほどの美少女だ。
『ああ、救世主 クオン様。ようこそこの世界へお越しくださいました!』
鈴のような声が響く。見た目に相応しい美しい声だなぁ、と久遠は酔いしれた。
『あの クオン様』
少女が問いかける。
『ご自分が何故この世界に召喚されたのか、理解されておられますか?』
何故、何故……。
空いた時間にゲームの説明書は読んでおいたので大まかなストーリーは把握している。
「ああ、分かってる」
たしか”邪神のせいで世界がヤベー”とか、そんな内容だったはずだ。
沈黙。
静寂。
(あれ?なんかマズったか?)
困惑する久遠。
『あの、 クオン様?』
(……ん?)
少女も困惑している。
どういうことか、と眉を顰める久遠。
と、その時視界の端に奇妙なものが映った。
『A ああ、邪神を倒しこの世界に平穏を取り戻すことが私の使命だ』
『B いや、分からない。一体どういうことなのか説明してくれ』
どうやら目の前の少女の美しさに気を取られて見落としていたらしい。
それは宙に浮かぶ二つのウインドウと、そこに映る選択肢だった。
同時に久遠は合点がいったとばかりに頷いた。
(そうか、VRゲーってのは元々こういうもんだったな)
一般的なVRゲーのAIでは人間とNPCが直接会話することはできない。
基本的にNPCのセリフに対して、プレイヤーが選択肢で返答するのが通例なのである。
最近までプレイしていたシャングリラ・フロンティアが異常なのだ。あの優秀なAIに慣れていたせいで、すっかり忘れてしまっていた。
(ええと、じゃあ、こうか?)
手元を操作し選択肢を選ぶと
『ああ、邪神を倒しこの世界に平穏を取り戻すことが私の使命だ』
声が響いた。
キャラ設定で弄らなかったのでリアルの久遠そのままの声だ。
声に呼応し、少女が頭を垂れる。
『 クオン様。私は神殿の巫女、フェアリアと申します』
(なるほど、この娘が……)
ゲーム開始直後に現れた時点で予想はついていたが、どうやらこの少女がタイトルにもなっている”フェアリア”であるらしい。
『 クオン様はこれより邪神を討つために旅立たねばなりません。その旅は苦難に満ちたものになることでしょう……』
(偶然だけど”クナン”と”クオン”って似てるよな)
久遠は頭の悪いことを考えた。
構わずフェアリアは続ける。
『 クオン様、どうか クオン様の旅に私を同行させていただけないでしょうか?』
『巫女として神殿で祈りを捧げることは大切です。ですが、それよりも私は苦しむ民の為に直に力を尽くしたいのです』
思わぬ……いや、定番の提案だった。
『私は生まれつき精霊の声を聞くことができます。私の力は世界各地の、邪神の手を逃れた精霊たちを探し出す助けになるはずです』
(そういや世界中の精霊が邪神に捕まってどうだのって話だったか。皆が皆捕まったワケじゃないんだな)
『私は光の魔術と癒しの奇跡が使えます。決して クオン様の足手まといにはなりません』
(ん?初期選択の魔導師は四属性だけだったけど、光属性はフェアリア専用なのか?)
『お願いします クオン様。どうか……』
選択肢が現れた。
『A 実に心強い。フェアリア、どうか私に力を貸して欲しい』
『B いいだろう、足手まといにはなるなよ』
(選ばせろや!どのみち連れて行くしかないんかい!)
角が立つのもイヤなので、無難に選択肢Aを選ぶ。
『実に心強い。フェアリア、どうか私に力を貸して欲しい』
『ああ、ありがとうございます!必ずお役に立ってみせます!』
フェアリアがとびっきりの笑顔を浮かべた。
(か、可愛い……!)
元々が美少女なだけあって、さすがに笑顔がよく似合う。
先ほどまでの鬱屈した気分が晴れていくように感じる。
やる気全開だ。
(なんか、この娘の為なら何だって頑張れそうな気がするな……)
ガラにもなくそんなことを考えた、その時……
フェアリアの顔がグニャリと歪み、割れた。
いや、破れた?
どちらにせよ尋常ではない光景である。
「!?!?!?!?」
突然の事態に声にならない悲鳴を上げる久遠。
しかし、AIに人間の心の機微は伝わらない。驚愕に目を見開く久遠に気付かぬまま、フェアリア(?)は台詞を重ねた。
『これからの道中、どうかよろしくお願いしますね♪』
一歩、二歩と近付いてくるフェアリア(仮)。
顔の裂け目から得体の知れない何かが飛び出している。
グワッ!というよりは、ウゾッ……!という感じに飛び出している。
待て、近寄るな!
そのまま何をするつもりなのだ?
この瞬間、久遠の心は限界を迎えた。
「うぁあああああああああああああああ!!!?」
天音久遠15歳。
恐らくはこの世に産まれ落ちた時以来の絶叫を上げ……
『システムエラー、システムエラー。プレイヤーの体に異常が生じています。現在プレイ中のゲームを強制終了します』
意識を失った。
※ 顔が割れた
文字通り顔面が割れて、色々飛び出すバグ
VRゲーなので初見のインパクトは凄まじい
ある事情により、全キャラ中フェアリアのみに発生する。解説は次回
笑顔を浮かべた瞬間に発生しやすいことから、通称『微笑みの爆弾』
顔のポリゴンがヤベーことになるので 『ポリゴンショック』 とも呼ばれる