第96話 寂れた酒場の会談
ロックが案内された先は、小さな酒場のようであった。
いくつかのテーブルとカウンター席しかないこぢんまりとした店内は、濃霧も合わさって昼間だというのに薄暗い。
大国間の会談の席には似つかわしくないが、それでもこの席にまでたどり着けたのは奇跡と言えるだろう。
とはいえ、代償の上に成り立ったそれを幸運と考えるか不幸と考えるかは、ロックの心情次第である訳だが。
言葉を交わす間もなく引き離されたフランの横顔。
目に焼き付いて離れないその光景に小さく歯がみしたロックに、奥の部屋から燭台を片手に戻ってきた小柄な男は気さくに話しかける。
「悪いな、何しろ最初から殺すつもりだったもんだから、交渉の席なんて用意して無くてさ」
気さくに、実に気さくに。
物騒な言葉に反して笑みすら浮かべる彼の態度は、むしろ相手に恐怖を覚えさせる類いのもの。
しかし、クレルという狂気の塊のような男を主人としていたロックにとって、はらわたを撫でられるようなその違和感は、感じなれたものだった。
ロックに窓際の席を指し示し、自らも向かい合うように席に着いた男は、変わらない軽薄な調子で続ける。
「じゃあ改めて、俺はコウ、ハタツミの国王って訳じゃないが、いわゆる首領って所だ、ああ、司令官でもいいかもな」
薄っぺらな笑みを絶やさず名乗る男、コウにならって、ロックも簡潔に名乗った。
いろいろと省略した自己紹介といい、とても戦争の行く末を決める会談とは思えない。
不意に襲う非現実感に頭を振りつつ、ロックもコウに合わせ、簡潔に名乗った。
「ロックだ、ゼルカトリアの使者として、こちらの要求を持ってきた」
そう言って顔を上げたロックの視線は、やはり吸い寄せられるようにそこへと向けられる。
榛色の右目。
以前戦ったときに見たそれとは明らかに違う色のコウの瞳に、ロックはわずかの間気をとられていた。
時間にして3秒足らずの沈黙である。
しかし、その沈黙が意味するところにめざとく気付いたコウは、ほとんど間を置かずロックが抱いた疑問に答えた。
「ああ、この目は、ついこの前の戦闘で赤髪の爺さんにやられたんだ。応急処置のつもりだったんだけど、思いのほか馴染んじゃってさ」
赤髪の爺さん、その言葉が指す者がクレルである事を、ロックは直感的に理解した。
「てか、今日の交渉も、お前じゃなくてあの爺さんが来るもんだと思ってたんだけどな」
突発的な会話、不意な話題転換。
含みのあるコウの言葉に、ロックは問い返さずにはいられなかった。
「なぜそう思う?」
言葉にした直後、にやりと笑みを深めたコウの表情にロックは自身の失策を思い知る。
「だってあの爺さん、とんでもなく強かったんだぜ? 指揮官としてみても超一流、正直勝てるか怪しかったしな」
ヘラヘラと語るそれは勝者の余裕か、それとも別の何かか。
「なのに……あんなに優秀な男がいるくせに、ゼルカトリアの反応はいつも後手後手だった。それはつまり、頭の悪いトップに押さえつけられてるって事だ」
しかし、ほとんど前線の状況のみでそこまで推察するコウの判断力は、少なくとも常人の域を超えている。
「難しい立場だよなぁ、お前達みたいな有能な部隊を持ってたって、それを活かせる戦場を作れないんだ、指揮官としちゃ歯がゆいもんだよ」
そしてロックの不自然な返答は、それだけで多くの情報をコウに与える事になっていた。
一呼吸の間を置いて、ロックは観念したため息とともにつぶやいた。
「クレルは死んだ、自決しやがったよ」
今更ごまかしたところでコウの目を欺けるとは思えず、何より隠すことで生じるメリットもない。
ただ、荒くなった語尾はロックが意識したものではなかったが。
「そうだクレル、確かそう名乗ってたよ……死んじゃったのか、そりゃ残念だ」
そう言ったコウの表情は、少なくとも表裏のない落胆に見えた。
「なるほど、やけに数が少ないと思ったら、それはお前らの専売特許だったわけだ」
しかし、次の瞬間には嫌らしい笑みを浮かべ、ロックの傍らに置かれた法器を見下ろしているのだからその真意は分からない。
「さあ、余計な話は終わりだ、さっさと本題に入るぞ」
さて、必要以上に手の内を晒すことはロックの望むところではない。
多少強引に話題を変えたロックに、コウは嫌な顔1つ見せず頷いた。
しかし、それと交渉への意欲はまた別の話。
「つってもさっき言ったように、俺はそもそも交渉する気なんて無かったんだよな」
背もたれに背を預け、大きく伸びをしながらそう話すコウ。
交渉には一切応じないという意思を隠そうともしない様子の彼に、ロックは静かに思案する。
司令部の要求は降伏であり、文書にはそれを最低条件にいくつかの妥協点が記されているのみである。
コウの態度を見れば明らかなように、持たされた文書は全く意味をなさない。
であるならば、今ロックが持っている権限で出来ることなど何一つ存在しないわけだが、何も馬鹿正直に司令部の言葉に操られる必要は無い。
本来なら死んでいたはずの命だ、多少の無茶は義務とすらいえる。
「俺たちが撤退すると言ったらどうだ?」
「……へえ、大きく出るじゃんか」
愉快そうに身を乗り出したコウ。
はったりを見透かしたようなコウの笑みに、ロックは考えていた例文から最も嘘の少ない真摯なものを選んだ。
「無理な話じゃない、実は俺たちの本国でちょっとした暴動が起きているらしいんだ。貴族ども……司令部の連中はどうやら早くこの戦争を終わらせて本国への救援に戻りたいらしい。うまく説得すれば軍を退かせることが出来るだろう」
もちろん司令部が同意する可能性は低い。しかし、コウとの会談を通して、ロックはコウが待ち構える陣地に乗り込む危険性を理解していた。
仲間達のために、皆の命のために。
ロックの無茶は、自身が本陣に帰った後に始まるのだ。
「うーん、でもなぁ……散々ハタツミの領土を荒らしておいて『帰ってやるからありがたく思え』ってのはどうだ?」
(領土を爆薬で焼き払ったのはお前だろうが)
口をついて出そうになったその言葉をなんとか飲み込み、ロックは説得の言葉を探す。
『今の状況よりましだろう』、『このまま戦って勝つ見込みがあるのか』、『こちらの優勢から考えれば妥当なはずだ』
思いつく言葉の数々は、しかしロックの口から放たれることはなかった。
そんな理屈をコウが聞き入れるとは思えなかった。
コウが交渉をはねつけなかったのは、そんな言葉を聞くためだとは思えなかった。
「だが……あんたも分かってるんだろう、俺たちが次にやるのは総攻撃だ、あの地平線にいる軍団がこの都市を攻め落とすんだぞ」
その時、ロックの口からこぼれ出した言葉は、1つの彼の本心だった。
「あぁ、ここ数日で増えたよな、実際2万もいないだろうと思ってたが、今朝見たら4,5万はいるように見えたよ、ちょっとした町ぐらいあるよな、あの陣地は」
乾いた笑いを漏らすコウ、その笑みは現実逃避から来るものにも、計画の上に立つ余裕から来るものにも見えた。
「もう上の連中に被害を抑えようなんてつもりは一切無い、あいつら本気でこの街を焼き払う気なんだ、そうなればあんたがどんな策を用意してたとしても止められるようなものじゃない」
「もしも、もしもあんたらが勝ったとして、焼け野原になったこの街を、あんたはどうするつもりだ」
ただ一心に、コウの瞳を見つめて語ったロック。
心に訴えかけるなど芸の無い、古典的な手段ではあるが、コウに対してロックはそれ以外の手段を持たなかった。
ゆらゆらと2人の顔を照らす燭台の明かり。
束の間、考え込む素振りを見せたコウは、ゆっくりと唇の端を吊り上げた。
「なるほど、悪い話じゃないな」
笑みを浮かべ、小さく頷いたコウ。
しかし直後、彼はゆっくりと首をかしげた。
「だが残念、どう転んでも答えはノーだ」
ロックに返答の暇を与える事無く、コウは矢継ぎ早に続けた。
「なぜか? 簡単な話、撤退されると困るんだよ」
ぐいと腰をひねり、足を組んで肘置きにもたれかかったコウ。
酒場の簡素な椅子が、瞬く間に暴君の座する玉座に様変わりする。
演出、これは演出である。
ロックがそうしたように、コウもまた言葉を選び、相手にできるだけ大きな影響を与えるべく、呼吸の1つから調整する。
暴君の雰囲気は彼の本質ではなく、むしろあからさまな演出。
ただ、そうと分かっていても、コウの言葉は単なる言葉以上の重さを持ってロックの耳を打った。
「気付いてるかもしれないが、この都市は今すっからかんだ、街をそのまま要塞にして、市民のほとんどを北に逃がしたからな」
「そいつら、今頃どうしてると思う?」
そのコウの問いは、答えを求めるものではなかった。
「切羽詰まってる頃だろうぜ、なんせ北部への物資の供給を相当に絞ってるからな」
返答を待たずに放たれたコウの言葉に、ロックは息を詰めた。
「まあきっちり分配してりゃ死にはしないさ、だが、死にはしないまでも相当に飢えてるはずだ」
「飢えってのはきついぜ、それだけで不安や恐怖を生み出し、集団の士気を下げる。まあ戦闘に直接参加しない民衆の士気なんてどうでもいい訳だが――」
「大事なのは、飢えが苦痛であると言うこと、その苦痛が怒りやら憎しみをかき立てるということ、そしてそれらは強力な着火剤、例えば敵軍打破の完全勝利なんて知らせで、狂信的なほどの支持に様変わりするって事だ」
「そうなれば、何でも出来る。どんな法も、制度も、熱が冷めるまでならいくらでも変えられる」
常人なら、そのような思考に行き着くことはないだろう。
単なる狂気にあてられた人間ならば、それほどに緻密に考えを巡らせはしないだろう。
あるいは、損得だけを基準に生きる人間ならば、それだけの事をして笑えはしないだろう。
しかし、コウは、ケタケタと笑いながらうそぶいたのだ。
自軍を管理し、敵軍を誘導し、戦場を支配し、その上でこの男は自軍の民までも掌握しているというのだ。
あるいは、今のゼルカトリアの混乱すらもコウの手のひらの上なのかもしれない。
瞬間ロックは震え上がった。
それらは、1人の人間が行うには余りにも大きすぎるはずだ。
自分が発する一言一言がどこまで影響を与えるのか。
自軍の行動によって敵軍がどのように動くのか。
自分の全く知らないところで全く知らない人生を歩んでいる人間が、何を考えて生きているのか。
全て知っているのだ。
子供が、大人が、女が、男が、夫婦が、家族が、部族が。
村が、町が、街が、都市が、軍が、国家が、経済が、社会が。
人間という生物がどうすればどうなるのか、それらを単なる知識としてでなく、経験として知っている。
めまぐるしく回転するロックの思考は、ぽたりと落ちた冷や汗の刺激に現実に引き戻される。
瞬間、目に入った燭台の火に、ロックは鮮明な記憶を思い起こした。
『奴は、人であって人ではない、化け物なんだよ』
あの夜、死を前につぶやいたクレルのその言葉の意味を、ロックは理解した。
人間を知り尽くした人間。
それは、人を知らない怪物などとは比べものにならないほどに恐ろしい化け物だ。
しかし、だとしても。
クレルが逃げたこの男から、ロックも逃げているようでは何も変わらないではないか。
「お前に、善悪の区別はないのか」
震えてはいる、しかし、自身の口から放たれたそれが少なくとも言葉の体裁を保っていた事に、ロックは少なからぬ驚きを覚えた。
「国民に必要なのは善悪じゃない、すがれる正義だ」
「そんな手で得た正義が正しいって言うのか」
再び問い返したとき、ロックの声はずいぶんましな物になっていた。
どこか、コウの笑みが深まったように見えた。
「まさか、だが正しい事が必ずしも正義だとは限らないだろ」
「よく言うだろ、正義の反対は別の正義って。結局の所、正義なんて物の本質は誰も分かっちゃいないんだ」
「だが、本質には達していなくても、それを定義することは出来る」
「正義が正義である最低限の条件、それは、悪の対義語であるって事だ」
「国民にとっての悪は侵略者であるお前達であり、正義はそれを打倒した存在」
「悪を討ってくれさえすれば、それが血塗れの殺人狂だろうと最低の商人だろうと、はたまた見ず知らずの放浪者だろうと関係ない、等しく正義であり英雄なんだよ」
訪れた静寂、そこに再び言葉を放つ気力はロックには無かった。
対するコウはまるでロックの健闘をねぎらうように十分な間を置いた後に、ゆっくりと口を開いた。
それまでと何も変わらない、しかし、どこか人間味が増した声。
「さてと、退きたいなら勝手に退けばいい、それならそっちの本土まで追い回して皆殺しにするだけだ。まぁ、その場合はそっちの国民にまで余計な被害が出るからおすすめはしないけどな」
その人間味が、また1つ仕掛けられた罠である事にロックは遅ればせながら気付いた。
「それに、お前の場合はどうしたって退けない訳があるよな」
細められた目と吊り上げられた口の端、あからさまなほどに人を陥れる表情を作ったコウは、その表情に違わぬ陰湿な口ぶりで続けた。
「俺はちゃんと書いてただろ、『歓迎しよう、1人の使者を』って、アレは使者と死者を掛けたダブルミーニングだった訳だが……ええと、そう『1人の使者』をだ、なのにほら、もう1人いただろ」
コウの意図に気付いた時、ロックの頭から憔悴は消えた。
「おい――」
「さあどうする? 撤退を進言すりゃ国は助かるかもしれないが、あの娘はそれはそれはひどい最後を迎えるだろうなぁ、でもおまえが黙ってりゃ……全軍総攻撃が実行されりゃ勝てるかもしれないぞ、そしたら助けられるなぁ」
話を切る暇も無く、わざとらしい演技と共にまくしたてたコウに対して、ロックは浮かせた腰を再び椅子に深く沈めながら、うなだれるようにつぶやいた。
「この……下衆野郎が……」
憎しみのこもったその声音に、コウはずいと身を乗り出してささやきかけた。
「いやいや、下衆なんて心外だなぁ、俺はチャンスをくれてやろうってんだぜ?」




