表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生は一度でいい!  作者: 大杉俊
二章 公国と化け物
91/141

第91話 紙切れの価値


 鮮やかな深紅のドレスと純金にも似た輝きを放つ金髪。

 髪と同じ金色の瞳と、ほのかな笑みを浮かべる薄紅色の唇。


 熟年の名士達が集う会合の場に、あまりにも不釣り合いなその少女に対し、リックを含め評議員の面々は対応を決めかねていた。


 ここは厳重に作られた屋敷の一室であり、部外者が入ってくるという事はあり得ない。

 そして何より、この屋敷の主人であり、評議会序列1位であるゲオルギウスが不自然な沈黙を貫いている事が彼らの舌の根を縛り付けていた。


 対応を間違えれば首が飛びかねない静かな緊迫感。

 その中で声を上げるのは、やはり他の評議員と比べても度胸で頭1つ抜けているアダマンテミスだった。


「お嬢さん、誠に失礼ながら我はあなたのことを――」


 しかし、彼の声は向けられた少女の視線に、締め付けられたように途切れた。


 リックには、その理由が容易に理解できた。


 少女の瞳がアダマンテミスに向けられる直前、一瞬のぞき見えた彼女の異質な眼光。


 見つめられただけで背筋が寒くなるようなその視線を、リックは1つ知っていた。


 赤い髪を振り乱し、喜々として戦場にその身を投じた1人の男。

 物思いにふけるクレルの瞳に垣間見えたおぞましい光。


 少女の瞳はその光だけを目一杯に湛えているように見えた。

 

「そんなにかしこまらないで下さい、多忙な評議員の皆様なら知っていなくて当然ですわ、私もこんな場所に顔を出すのは久しぶりのことですから」


 どこか違和感のある言い回し。

 しかし、リックがそれを指摘する間もなく、立ち上がった少女は長机を囲む8人に向かって優雅に一礼する。 


「初めまして皆様。私はエーデルヴァイン・リッツ・アルトリア、爵位は辺境伯、どうぞ、アルトとお呼び下さい」


 歴史ある名家で聞くような古風な名前と、この国に無いはずの爵位。

 しかし、何よりもその瞬間、鋭く息を呑んだゲオルギウスにリックは注目していた。

 ゲオルギウスは、間違いなくこの少女の事を知っている。


 ちょうどリックがその確信を得た時、アダマンテミスの野太い声がアルトに向かって放たれた。 


「では、エーデルヴァイン卿――」


 しかし、その言葉は再びアルトの強烈な眼光によって押しとどめられる。


「アルト、とお呼び下さる?」

 

 微笑を浮かべ、柔らかな表情であるにもかかわらず、彼女のその言葉はある種の命令に近い圧力を持ってアダマンテミスに言葉を失わせる。


 このまま無意味な沈黙に突入している場合ではない。


 瞬間的に頭をよぎったその思いからリックは、とっさにアダマンテミスの言葉を引き継いでこわばる口を動かした。

 

「失礼、アルト嬢」


 本来なら公爵が仮にも伯爵と同等の階級の人間にこれ程へつらうということはあり得ない。

 しかし、満面の笑みとともに向けられた彼女の瞳を見てリックは彼女が自分にそうさせる理由を理解した。


 正面から見据えるアルトの瞳は、ただおぞましいだけの物ではなかった。

   

 複雑な多面体に光をすかしたような、美しく、そして歪んだ光。


 リックは少しずつ早まっていく自身の鼓動に耐えきれず、ひどい作り笑いを彼女に向けた後、逃げるように顔を伏せた。


 突き詰められた意思、極まった感情。

 人間の心が引き起こすそれらがいかに強く、美しいかはリックも知っていたし、それらが引き起こす奇跡という物もリックはこれまでの人生で幾度となく目にしてきた。


 ただそれが、あのようなおぞましい物にすら当てはまるとは、リックは思ってもいなかったのだ。


 アレはいわば1つの狂気である。


 その本質がどのような思いや感情であるか、リックには分からなかった。

 しかし、それは少なくとも鏖殺おうさつと虐殺によって紡がれた人生を歩んできた人間が見せた片鱗を、極限まで凝縮した物に違いはない。


 湧き上がる生唾を幾度となく飲み込み、震える足を強く地面に押しつける。それでもなおリックは思考を止めなかった。


 理解し、許容し、恐怖心を押し殺し、動機が治まるのを待ってリックは再び顔を上げた。


 相手が何者であろうともやらねばならないことに変わりは無い。

 少なくとも、彼女に聞かなければならないことはいくつもあるのだ。


「それで、あなたはなぜここに?」


 リックのその問いに、いつの間にか執事が用意した紅茶のカップに手をつけていたアルトははじかれたようにそれを置いた。

 

「あら、ごめんなさい、大事な話があったのにすっかり忘れていましたわ」


 本当に忘れていたような様子でそう言ったアルトは、脇に控える執事に向かってすっと目線を向ける。

 それだけで主の意図を組んだのか、微笑を浮かべて小さく頷いた執事はつかつかとリックの元に歩み寄ると、ポケットから取り出した1枚の封筒を手渡した。


「昨日、街の市場でこんな物を見つけましたの」


 どこか楽しそうなアルトのその言葉に、リックは封筒の中身を取り出す。

 

 中央で半分に折られた、少し小汚い数枚の紙幣。


 市場なら当然あってしかるべきそれらにリックはアルトの意図を図りかねていた。


「ニセモノ、偽造紙幣ですわ」


 ただ一言、アルトの口からその言葉が発せられるまでは。

 

「偽札ですかな? それほど珍しい物ではないと思いますが……」


 評議員の誰かが漏らしたその言葉に、アルトは含み笑いを浮かべる。

   

「そうですわね、これまでも同じような物はいくつも出回っていました」


 1枚の偽札を手に取り、凝視するリックは続くアルトの言葉を聞くまでもなく、今回の偽札が他の事件とは大きく違うことを理解していた。


「でも、今回の物は出来が違いますわ」


それは、これまで幾度となくニセモノの紙幣を目にしてきたリックの目を持ってしても、これが偽札と言われなければ分からない程に高い完成度を誇っていたのだ。


――

 

 金貨は、たとえその刻印がニセモノであったとしても、素材である金そのものがある程度の価値を保証してくれますわ。

   

 でも紙幣は違う、紙幣の価値を保証するのはそれを刷る組織の信頼であり、ひいては国家の信頼そのもの。


 そして、信頼には最低保証なんて都合の良いものはない。評議員なんて素晴らしい地位にまで上り詰めたあなた方なら、当然わかっていますわよね? 


 1G紙幣も、10G紙幣も、100G紙幣も……ニセモノも本物も、その本質は1枚の紙切れに過ぎないのですから。

 

――


 急遽行われた会議は、何の成果も得られずに終わった。

 評議員の誰一人として、これ程精巧な偽札がばらまかれた状況など考えてもいなかったのだ。

 どこから手をつければ混乱を最小限にとどめられるか、などというレベルではなく、何をすれば良いかすら分からないような無意味な議論が延々と繰り返されるだけの有様であった。


 疲れ果て、頭を抱える評議員達、彼らの間に訪れた陰鬱な沈黙に、その様子を、終始どこか楽しそうな笑みを浮かべて眺めていたアルト、クスクスと小さく笑い声を漏らした。

 彼女の小馬鹿にしたような笑みに対する怒りが、アダマンテミスの恐怖心と冷静さを上回ったのだろう。 


「失礼ながら、アルト嬢、あなたにはこの問題を解決しようという意思がないように見える」


 アダマンテミスが言い放ったその言葉に、リックは素早く視線をアルトへと走らせた。


「貴様ッ!」


 しかし、その瞬間今まで沈黙を貫いていたゲオルギウスが放った、張り詰めたような怒声に、リックを含め評議員の全てが、大きな驚きを持ってそちらを振り返った。

 深い泉の水底を除くような落ち着いた瞳は血走らんばかりに見開かれ。

 その唇は言葉を失ってわなわなと震える。


 ゲオルギウスの初めて見る怒りように、あっけにとられていリックは、直後後ろから聞こえた身の毛もよだつような恐ろしい声に背筋を凍らせた。

 

「ええ、ありませんわ」


 それは別段おどろおどろしいわけではなく、少女らしい可憐な声だった。

 しかし、その言葉を放ったアルトの目はそれまでに増して異様な輝きを見せていた。

 

「私は辺境伯、私は私の愛する辺境と、そこで生きる愛する家族達を守れればそれ以上のことは望みませんもの」

 

 凍り付いた評議員対を前に、どこまでも優雅に一礼し扉へと歩みを向けたアルト。


 執事の開けた扉を通り抜けたアルトは、立ち塞がる1人の女給の顔を見上げた。

 

 主人の怒声を聞いて駆けつけ、図らずもアルトの行く手を阻んだ女給の最後は、本当に哀れなものだった。


 瞬間、窓を割って廊下に飛び込んできたバラの蔓が、女給の身体を瞬く間に締め上げた。

 悲鳴を上げる間もなく高々と吊し上げられた女給は直後、なおも締め付ける無数の蔓にねじ切られるようにしておびただしい量の血と肉片を廊下にばらまいて息絶えた。


 本当にあっさりと、どこまでも残酷に。


「それではまた、近いうちに」


 血塗れの蔓に片足を乗せ、振り返ったアルト。

 返り血にまみれたその顔はそれまでで一番自然な笑みを浮かべているように見え、リックは心臓を捕まれたような恐怖に再び身を震わせた。


 砕かれた大窓から吹き込む冷たい風が、長机に並ぶ燭台を次々と吹き消す。

 

 薄い闇に覆われたその部屋でゆっくりと肩をおとしたゲオルギウスの、かすれるような声をリックはしっかりと耳にした。


「終わりだ……」


 その、ひどく弱いつぶやきに、リックは来たるべき終焉をまざまざと予感した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ