第90話 公国評議会
ゼルカトリア公国、中央1級区画。
ジュエルロードなどと呼ばれるその高級住宅街に建つ屋敷、その書斎では、身なりのいい一人の男に年老いた執事が一通の手紙を手渡していた。
実年齢に比べてずいぶんと若く見えるその男、リック・ディアヴォルテは、執事から受け取った一通の書状に目を通すと、しばし考え込むような素振りを見せた後、小さくつぶやいた。
「へぇ……あの人が」
クレルの死を知らせる1枚の手紙。
それは普段全くといっていいほど動じないリックにすら、一瞬思考を停止させるほどの衝撃をもたらした。
「旦那様、いかがいたしましょうか」
しばしの静寂の後、主人が結論に達した頃合いを見計らって執事の放った落ち着いた問いかけに、リックは小さく肩をすくめた。
「どうにもならないよ、ただ、この戦争はどうにかしなければいけないけどね」
――
公国評議会は、円卓議会の事実上の上位組織にあたる。
ゼルカトリア公国の最高意思決定機関がその会合に用いるのは、国のほぼ中央に位置する、他とは一線を画する程の大豪邸の中の一室。
テーブル、椅子、壁掛け時計に小さな暖炉。質素な見た目からは想像も付かないほどの値が付くオーダーメイドの家具類が並ぶその部屋の中では、リックを除く6人の公爵が緊張した面持ちで大きな長机を囲んで座っていた。
評議会は円卓を用いない。
理由は単純、評議会には明確な序列が存在しているからだ。
円卓議会が全ての公爵が対等な立場を持って行う公正公平な意思決定機関であるとするならば、評議会は有事の際、真に公国に必要とされる人間のみを集めて運営される緊急意思決定機関といったところであろう。
侯爵であるアルフレート・マクロフが何人かの公爵を抑えて序列11位の座を得ていることからも分かるように、評議会は何よりも実力、その人物の価値を重要視される。
中でも議会に呼ばれる上位数名は、暗に評議員と呼ばれ、貴族社会に関わる誰もが畏怖の対象とする存在になっていた。
さて、そんな評議員達に一定の緊張感を持って待たせる存在など、この国には一人しかいない。
予定より5分遅れて現れたその人物に、評議員達は一斉に立ち上がり、一礼する。
「すまない、少々夕食に時間がかかってしまってね」
しわだらけの顔と、白く長いひげ。
杖を片手にメイドに付き添われ、最奥にある自身の席に腰掛けたその老人は、手振りで皆に座るように示す。
ゲオルギウス・ゼイン・フェルナンド。
公国評議会序列1位にして、ゼルカトリア公国最大の貴族であるゲオルギウス家の家長。
「では、これより会議を始める」
彼のその言葉の元に、リックの一世一代の大勝負は幕を開けた。
「さて……今回の会合を要請したのは君だったな、ディアヴォルテ卿」
続けざまに放たれたゲオルギウスのその言葉に、彼らを除く評議員達の間では静かなどよめきが起こった。
普通、評議会は序列1位であるゲオルギウスが必要に応じて招集するものであり、2位のリックがフェルナンドに要求して招集させるなどと言うことはあり得ない。
加えて、先ほどのゲオルギウスの言葉から察するに、リックはゲオルギウスにすら議会を招集させた理由を正確には説明していないように見える。
そして何より、塩戦争で現在の地位を得て以降、堅実な立ち回りと見事な機転によってその座を守り続けてきたリックの行動として、これほど多大なリスクを孕んだ手段は到底考えられなかったのだ。
「まずは、急にお呼びだてして申し訳ありません」
立ち上がり、軽く頭を下げたリックに向けられた視線は、当然ながら好意的なものではなかった。
「皆さんの貴重な時間を無駄にするのもなんなので、早速本題に入りますが……私は、今行われているハタツミ侵攻戦に公国の総力を結集した大規模な増援部隊を計画するべきであると考えます」
そこから先、おおよそ10分のうちに行われたリックのプレゼンは、度重なる会合と商談で肥えた評議員の目から見ても見事なものだった。
何一つ無駄も無理も不足もない、並の人間なら手放しで頷いてもおかしくないまっとうな計画。
しかし、口先だけで誤魔化せる程に評議会は甘くなかった。
「なるほど、確かに、それは素晴らしい計画でありますな」
そう切り出した男、評議会序列3位に位置するアダマンテミスは、リックに向かってわざとらしく眉をひそめて続けた。
「しかし、なぜ……今、あなたがそれを?」
単純な疑問。
どうしてその計画をリックがこれだけの場を用意してまで通したいのか。
それを問う質問に、リックは長い間をおいてゆっくりと口を開いた。
「……先日、クレル・ドランパルドが、自害したそうです」
唐突にも思えるリックのその言葉に、しかし、アダマンテミスは大きく目を見開いた。
その名はアダマンテミスにとって因縁の相手にして、リックにとっての禁句であるはずだった。
塩戦争でその名を轟かせ、しかし、最後までディアヴォルテ側の一員であり続けた男。
その気になれば公爵の地位も、評議員の座すら得ていても不思議ではなかった男。
「皆さんがお考えのように、私がこの場にいるのは彼の存在あっての者です」
おもむろにそう告げたリックの言葉は、評議会序列2位という彼の地位もあいまって、言葉以上の衝撃を議会にもたらした。
「私という秀才は、彼という鬼才無くしてこの地位に上り詰めることはかなわなかったでしょう」
一見自画自賛にも聞こえるリックの言葉は、自身の立場を正しく反映してのもの。
一介の弱小貴族の生まれから、策略と研鑽によって序列2位にまで上り詰めた男の言葉として、そのほとんどが生まれによって得た莫大な領土を武器に評議員入りした彼らに対して重い意味を持つ。
「いえ、彼にその気があれば、この座に座っていたのは間違いなく彼だったはずです」
内心を吐露するようなリックのその言葉に、アダマンテミスは謙遜や謀略の響きを見いだすことができなかった。
「その彼がさじを投げたということが、どれほど重要か」
リックのこの言葉に、評議員達は皆一様に彼の目的を理解した。
リック・ディアヴォルテが、その力量をもって手にした信頼と、この先得るはずの利益。
彼は、その全てを引き換えに、クレル・ドランパルドの投げた匙を拾おうとしているのだと。
あるいは、それすらも彼の演技かもしれない。
しかし、少なくとも、彼が差し出した代償は、その目的に釣り合って余りあるように見えた。
長い沈黙。
一人一人の顔を見回し、その沈黙を同意と受け取ったリックは、顔をほころばせながら感謝の言葉を述べた。
「ありがとうございます、それではこのまま、増援部隊の細かい部分の打ち合わせに移りたいと思うのですが――」
しかし、その瞬間。
その場の誰一人として予想していなかった人物の登場に、リックの声はかき消された。
「そんな話をしている場合かしら?」
高く、澄んだ美しい声は、鈍い打撃音とともに響いた。
一斉に目を向けた評議員達の目に飛び込んできたのは、鮮やかな深紅のドレスを身にまとったなめらかな金髪の可憐な少女。
開け放たれた扉と、振り上げられた右足だけが何があったのかを物語っていた。
「お嬢様、お願いですから、そのドレスを着たままドアを蹴り開けるのはおやめください」
直後、扉の脇から飛び出すように現れた執事服の青年が少女の行動をたしなめ、その言葉に少女は不思議そうに眉をひそめた後、舞い上がったスカートの先を見て納得したように頷く。
「コホン……ごめん遊ばせ」
わざとらしい咳払いの後に放たれた、少々時代錯誤的な少女の言葉。
誰もが反応に困る中、リックはただ一人気づいた。
少女に向けられたゲオルギウスの表情が、まるで幽霊でも目にしているかのように凍り付いていることに。




