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異世界転生は一度でいい!  作者: 大杉俊
二章 公国と化け物
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第88話 人の規範



 その日、ゼルカトリア軍は決定的な敗北を喫した。

 

 送り込んだ200名あまりの兵士たちのうち、日が暮れるまでに生還できたものはわずか10名に満たない。


 そのわずかな生還者も皆一様に正気を失い、霧の中で何が起こったのか、その全貌は未だ闇に包まれたままだった。


 司令部の不手際による増援部隊の遅れが兵士達の間でまことしやかにささやかれる中、何より彼らを不安にさせるのは、これまでその異質な存在感を軍の隅々にまで示してきたクレルが帰還して以降、不気味な沈黙を貫いていることだろう。


――


 ゼルカトリア軍前線陣地、救護用テントから上がる大音量の悲鳴と怒号。

 

「やめろ! 来るな! ああああ!」


「ちゃんと抑えておけ! くそ! もっと強い気付け薬はないのか!?」


 夕刻から深夜まで、絶え間なく響き渡るそれらを聞き続ける兵士達の表情は暗い。


 そこかしこでたき火を囲む兵達の不安げな会話を片耳に、ロックは立ち並ぶテント群の間を足早に抜けていく。


 厚手の外套に身を包んだロックの目的は1つしか無い。


 霧の中で何があったのか、その真実をただ1人、正確に理解しているであろうクレルから聞き出すためである。


 


 一般兵用のテント密集地帯から少し離れた奥地、森と平野との境目付近に止められた1台の大型馬車。 


 荷馬車より二回りほど大きい、屋敷の一室と大差ない程の広さを持つその馬車の前で、ロックは一人の男の姿を見つけた。


 おそらくは司令部の公爵らの指示でクレルを呼び出しに来た伝令だろう。

 

 しきりに何事か呼びかける男の口ぶりからして、完全な沈黙を貫くクレルを前に、途方に暮れているいる様子だった。


「出てこないんだろ、代わろうか?」

  

 振り返ったの視線が吸い寄せられるように自身のまだら髪に向けられたことに、ロックはいやな顔1つ見せずに相手の返事を待つ。

 

「お前は、狩猟部隊の……いや、ああクソ……ではドランパルド伯爵にさっさと報告会に出るように伝えておいてくれ」


 腫れ物を見るような目でそう答え、肩で風を切って歩き去って行く男の後ろ姿に、うんざりするようなため息を飲み込んだロックは、馬車の扉へと向き直り、大きく息を吸う。


「伯爵、クレル伯爵」


 ロックの呼びかけに応える声はない。

 もちろん、それはロックも想定済みである。

 

 周囲に視線を走らせたロックは、他に人の気配がないことを確認し、そそくさと外套の懐をまさぐる。


 取り出された1本のナイフは、先日の鉈使いとの戦いでも振るったロック愛用の強靱な一品である。

 その柄を使って、ロックは扉についた鍵をためらいなく打ち壊した。

 

「……入りますよ」


 一言断って扉を押し開けたロックは、踏み込んだ室内から漂う強烈な酒の臭気に顔をしかめた。

 酒樽に頭を突っ込んだような錯覚を覚えるほどに濃いアルコール臭、それの原因は明らかだった。


 赤い絨毯が敷かれた室内の奥、片端に燭台の置かれた書き物机の上に所狭しと並べられた酒瓶。

 

 一体何本開けたのか一目ではわからない程の酒の向こうで、椅子に深々と腰掛け、ロックに背中を向けるクレル。

 

「……ああ……ロックか」

 

 静かにそう答えながら振り返ったクレルの様子は、ロックの知る性悪な老剣士のそれではなかった。


 老いさらばえ、酒に溺れる哀れな老人。


 そう表すよりほかない程に覇気の抜け落ちたクレルの有様に、ロックは目を見開いて問いかけた。


「……一体、何があったんですか?」


 唇の端を吊り上げ、ゆがんだ笑顔を形作ったクレル。


「ククッ、兵達をああも無様にした相手など考えるまでもない。あの夜、私とフランで殺し損ねた狂った雌犬が、その本領を発揮したのだろうさ。まあ、勝てない部隊ではなかったはずだから、適当に指揮を押しつけた男の力量が足りなかったのかもしれないが……」


 意図的にロックの問いを誤認して返されたクレルの答えは、しかし、普段のように切れのあるものではなかった。


「部隊の話じゃない。あんたに何があったのかって聞いてるんだ!」


 ロックは声を荒らげてクレルの言葉を遮った。


 打ち据えられたような静寂の中で、それだけが時間の流れを示すように、燭台に灯るロウソクの炎の揺らめきが卓上に並ぶ瓶のそれぞれに反射し、2人を照らす。


「……奴に会った」


 沈黙の後に、クレルは静かにそう答えた。 


「奴?」


 注意深く問い返したロックに、クレルは右手で1本の酒瓶を手に取りながら答える。

 

「あの夜、お前が命からがら逃げおおせた鉈使いの男だ」


 『鉈使いの男』クレルのその言葉に、ロックは鮮明なあの日の記憶をまぶたの裏に映し出した。


 確実に、着実に、数多の技と読めない太刀筋でロックを圧倒した小柄な鉈使い。


 今から考えても、なぜ自分が逃げ切れたのか不思議なほどの手練れは、記憶の中でも鮮やかであり、生々しいその記憶にロックは戦場の緊張感を覚え、顔をしかめる。


 そんなロックの考えを見透かしたように、クレルはそれまでに比べて多少落ち着いた笑みを浮かべ、口を開いた。

 

「フフッ、アレは敵の首魁だ、技量も場数も群を抜いていた。はっきり言って、私が知る中で一番だ。お前、よく逃げ切れたなぁ」


 クレルの言葉に、ロックは肩をすくめて首をひねる。

 

 『ごもっとも』、その意思が伝わったのか、ククッといつもの笑い声を上げたクレルは、酒瓶の中身をグラスにつぎ、瓶を置いてグラスを手に取った。


 無色透明な液体は、おそらくきつい蒸留酒の類いだろう。


 アルコールそのものとすら言えるそれを、まるでワインのテイスティングでもするように鼻先でくるりと2回回したクレルは、再びグラスを卓上に置く。


 迷いか、ためらいか、普段のクレルにはその片鱗すら見えない感情が、確かにその瞬間、老人の目の奥で瞬いているようにロックは感じた。

  

「ロック、お前には私がどう見える?」


 長い、長い間を置いて、放たれたクレルの問いは、突拍子もないものだった。

 

「どう見える、ってのは?」


 それでも、ロックがそう聞き返すまでに少なくない自問自答を繰り返したのは言うまでも無い。

 

「そのままの意味だ。戦場で、公国で、屋敷で、おそらく最も付き合いの長いお前の目から見て、私という人間はどんな風に見えた?」

 

 クレルが考えなしを嫌うことをロックはよく知っていた。


「……あんたは恩人だ、あんたがいなけりゃ、俺たちみたいなはぐれ者はとっくの昔に、どこかの街の路地裏で野垂れ死んでたんだろう……だが……」 


 同時に、今クレルが求めている答えが、おふざけや機嫌取りでなく、真実であることをロックは理解していた。


「イカれてる、それ以外、あんたを表す言葉は思いつかない」


 吐き捨てるようなロックの言葉に、クレルはしかし、満足げな笑みを浮かべた。

  

「……ククッ、そうだ、それで正しい」


 ひょいと再び持ち上げたグラスの中身を飲み干し、焼けるような酒で喉を潤したクレルは、詩でも読み上げるように蕩々と語り出した。

 

「私はイカれている、まともではない、塩の戦争から今日まで、立ち塞がる全てを排し目に映ることごとくを殺し続けた私がまともなはずがない……いや……」


 一拍の間を置いて、顔を上げたクレルは横柄な態度で断言した。


「まともな人殺しなど存在しない」


「人が人を殺す限り、まともであり続けることなど不可能だ」


 狂気、そう言うよりほかないクレルの言葉に、ロックは顔をしかめて鼻を鳴らす。

 そんなロックの顔をのぞき込むように首をひねったクレルは、悪意のある笑みを浮かべながら問いかけた。

 

「お前もそうだろう、法器ほうきで敵を狙うとき、その軍勢を焼き払うとき、照準に写った人間を、お前は真に理解した上で殺しているのか?」


 クレルのその言葉に、ロックは反論することはできなかった。


 照準器の向こうで何も知らず談笑を交わす敵兵。

 悲鳴を上げて逃げ惑う背中。

 そして、まっすぐに向けられた怯えきった瞳。


 それらに引き金を引くとき、情や罪悪感が照準を狂わせると思ったとき、ロックは無意識のうちに、相手を別の物として捉えている。


 訓練で何千と撃ってきた、物言わぬ木材の的。

 幸福も、恐怖も、その全てを木の板に書かれた絵だと思えば、ためらう必要は無くなる。


「ククッ、さしずめ、まと案山子かかしと言ったところか、いずれにせよ1人の人間の命をそれらと同程度に考えるなど、いかれていると言わずして何という?」

 

 そう笑ったクレルの声音はは、その内容に反してどこか優しげな響きをはらんでいた。


「1度でも人を殺した人間は命の重責に振り回される、目を背け、耳を塞いだとて、それは逃れられるようなものではない。それでも殺さねばならないから、人は狂気に染まる、そうならないために、人は命に対する価値観をねじ曲げる」


 記憶をたどるように遠い目でつぶやいたクレルは、優しい笑みを浮かべて続けた。

 

「それは、日常的に人殺しを行う我々のような人種にとって、起こりうる当然の変化だ」

 

 その言葉は、クレルの人生という後ろ盾を経てロックの心に重くのしかかった。


 しかし、それらが単なる前振りに過ぎなかった事をロックはクレルのこの言葉で理解した。

 

「だが、奴は違う」


 そう吐き捨てたクレルの瞳からは、笑みが消えていた。

 

「奴は、おそらく、知っているのだ」


 感情が消え失せ、表情がこわばり、記憶の中の何かを見つめるような曖昧な視線でうわごとのようにそうつぶやいたクレルに、ロックは静かに問い返した。

 

「知っている?」

 

「ああ、そうだ、知っているのだ、何もかも……」


 次の瞬間、それまでの動揺が演技であったかのように、高慢な表情を取り戻したクレルは、ロックの瞳をまっすぐに見つめゆっくりと語り出した。


「人の目は3つの光を宿す」

 

「命の瞬きと感情の揺らめき、そして理性のもたらす確かな光だ」


 指で作った輪を右目にあてがい、のぞき込むようにしてクレルは続けた。


「最初、奴の目は全く普通の人間のそれと、何ら変わらないように見えた」


「鼓動に瞬き、怒りに揺らぎ、それらが強まるにつれて理性が陰る。そこいらの兵士達と変わらない、いや、それらよりは少しばかり上等な、優秀な戦士の瞳だ」


「だが違ったんだ」


 一瞬の間を置いて、そうつぶやいたクレルは身体を引き、再び遠い目をして口を開く。


「すげ替えられた奴の瞳は……あの榛色はしばみいろの瞳は、奴が隠していたその奥を私に見せた」


「揺らぐことも瞬くこともない暗い光……理性の光の奥にある本質、知識の枠を超えた知識、全知とすら言える膨大な思考と情報の奔流」


「命も、思想も、戦略も戦術も軍も国家も……怒りや憎しみ、悲しみの本質でさえ、奴は理解しているのかもしれない」


「……あるいは死すらも」

  

 重い沈黙はクレルが再び口を開くまで続いた。

 

「その上で、奴は全く普通の人間のように振る舞う」


 どこか達観したような、諦めたような表情でそう語り出したクレル。

 

「それは人間にあるまじき行為だ、人の身で到達してはいけない領域だ」


 それは、クレルの思想であって、万人の知る教えや道徳ではない。


「奴は、人であって人ではない、化け物なんだよ」

 

 しかし、そう語るクレルにとってのそれは、まさしく唯一無二の規範であった。

 

「とまあ、そういうわけだ、奴は私には少々荷が重かったのだ。私程度の狂気では、そうそう渡り合える代物ではなかったのだよ」

 

 少しの間を置いてそう締めくくったクレルの声には、どこかクレルらしくない不自然な響きをはらんでいた。

 その不自然な響きがなんであるか、聞き返そうとしたロックの言葉を押しとどめてクレルは続けた。

 

「それにな……見ろ、この腕を」


 そう言ってクレルは身体をひねり、机の裏に隠れていた左手を持ち上げ、その袖をまくり上げる。


 魔法によって接合された痕跡がまざまざと残る左腕。

 洗浄で切り落とされ、クレルが地力で持ち帰って魔道士につながせたその左腕は、しかし、小刻みに震えていた。


「このざまだ、どんなに人格を取り繕っても、恐怖心を排除しても、この1度切り落とされた左手の震えだけは、どうやっても消えないんだよ」


 力なく笑ったクレル。

 ロックは、初めて見るクレルのその姿に何も言えなかった。

  

「こんなざま、お前以外の誰にだって見せることはできんよ」


 笑みを深め、彼は最後に大きく両腕を広げ、おどけたように締めくくった。


「何せ私は、クレル・ドランパルドなのだからな」


 その言葉に秘められた覚悟に気づいたロックは我知らずのうちに一歩足を踏み出す。

 瞬間、ロックは踏み出した右足が伝える、不自然な感触に視線を落とした。


 絨毯、クレルの好む赤い絨毯。


 その大部分に染みこんだ何らかの液体と、馬車に入った直後から感じていた、強烈な酒の匂い。

 

 反射的に視線を上げたロックの目に写ったのは、机の端に置かれた燭台に手をかけるクレルの姿だった。


 やめろ、待て、ふざけるな。


 ロックの脳裏をよぎったそれらの言葉が彼の口から発せられることはなく、緩やかに過ぎる時間の中で、燭台はゆっくりと回転しながら赤い絨毯の上に落ちた。

 

 小さなロウソクの炎はアルコールが染みこんだ絨毯を伝って瞬く間に馬車の隅々まで広がる。


 紅蓮の炎よりなお赤い髪を老人は、身を包む炎の中で、しかし、確かに笑っていた。


 その様子をただ呆然と見つめていたロックは、背後から外套の裾を引く強い力に大きく体勢を崩した。


 燃え上がる馬車の中から、星空の下の冷たい地面に、半ば投げ飛ばされるように転がり出したロックは、裾を引いた反動でロックの上に倒れ込んだフランに漠然と視線を落とした


「隊長、しっかりしてください」


 表情1つ変えず、語気を強めたわけでもない。

 しかし、身を起こしたフランの瞳には、映し出された馬車の炎とはまた違う、強い別の光が浮かんでいるようにロックには思えた。


 命の瞬き、あるいは感情の揺らぎ。


 クレルの言ったそれが目の前に示された時、薄れていた現実感は腕を焼く軽いやけどの痛みとともにロックの胸を締め付けた。

 燃え上がる炎に向かって、ロックはうわごとのようにつぶやいた。 


「……やめろ、待て、ふざけるな」


 今更になって口から飛び出した遅すぎる制止の言葉。

 

「ふざけるなぁ!」

 

 慟哭にも似たロックのその叫びは、夜の森に深く響いた。

 


 

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