第85話 人読みの剣術
主戦場の熱気から離れた遙か後方、冷たい霧を切り裂く白銀の斬撃がクレルの鼻先を掠める。
小柄な鉈使い、コウの苛烈な攻撃をすんでの所で裁きながらも、クレルはその剣技に見入っていた。
右手に握る剣鉈をだらりと垂れ下げ、無手の左手を中心に組み立てられる素早い近接戦闘。
威力と速度を兼ね備えた斬撃と、柔軟に相手の防御をこじ開ける素手の格闘は、クレルが知るあらゆる剣術と比較しても、ずば抜けて高度で効果的だった。
しかし、その中で最もクレルが注視していたのは、コウの切れ目のない連続剣技の中にちりばめられた、独特の間であった。
不用意に突き出された左手、クレルの防御が明らかな状態での無意味な溜め、大きすぎる踏み込み。
一見して無駄に見えるその動きの数々に、しかしクレルは幼少期、初めて血みどろの戦場を見たときに等しい興奮を覚えていた。
(ククッ……ああロックよ、全くもってよく生きて帰ったものだ!)
クレルは脳裏で部下の生還にこれ以上無い、賞賛の言葉を浴びせる。
それほどまでに、実際に自身の目で見たコウの力量はすさまじいものだったのだ。
対人戦闘という目的の中で、1つの完成にたどり着いた剣術と、それを完璧に操る一人の超人。
それが、クレルがコウに対して抱いた印象である。
不意に現れる独特の間と、歩幅すら不揃いな変則的な足さばき。それらは全てクレルの判断に迷いを生じさせるための罠であり、それと同時に戦いを有利に進めるための数多の布石である。実際にクレルが1つでも判断を誤っていれば、そこから始まる数回の剣戟のうちにコウの刃がクレルに致命傷を与えることになっていただろう。
相手の心を読み、心を揺さぶり、心の弱さを突く。
戦闘の一側面としてある心理戦を徹底して突き詰めたのが、コウの剣術であった。
当然ながら、コウが連続口撃の中に仕込んだ罠は、1度見せるだけで種が割れる1回こっきりの型である。
その点、真に評価すべきはその緻密に計算された剣技を10分以上繰り広げたにもかかわらず、1度たりとも全く同じ型が出てこないところであろう。
大きく飛び下がって距離をとったクレルは、小さくふんと鼻を鳴らした。
(手札の量で勝負していては話にならないな)
しかし、その思考に反してクレルの表情に焦燥はなく、相対するコウにはむしろほくそ笑んでいるようにすら見えた。
それも当然といえるだろう。
何しろ、クレルには奥の手、膨大な手札の差をたった1枚でひっくり返す鬼札があったのだから。
――
「しかし、素晴らしい腕前だなぁ」
何度目かつばぜり合いの後、大きく距離をとったクレルの不意の言葉に、コウはため息交じりに言い返した。
「うるさいなあ、黙って戦えよ」
実際の所、徹底した防御を貫くクレルの戦略に攻めあぐねていたコウにとって、この手の流れを乱す要素はむしろ願ってもないものだったが、これまでの経緯から建前として否定的な言葉を浴びせる。
実際命を奪い合う敵同士なのだから、賞賛するよりも挑発する方が建設的な対応であろう。
しかし、コウは自身の判断が幾分か甘かったことを、すぐさま思い知らされることになった。
「それほどの実力を持っているならば、あの女に固執することもなかろう? あんなものは所詮人間の域にない、獣同然の能なしだぞ?」
全くなめらかに、ほとんど予定通りであったように、コウの神経を逆なでする的確な言葉を選ぶクレルの口撃術は、コウのそれをも上回るかもしれない。
「……ほんと、あんたってつまらない挑発が得意だよな」
――
霧の街に響き渡る爆発音は、コウの放った爆裂鉄札によるもの。
1対1の状況になってから初めて使う、それも先ほどの集団戦で見せたものとは違う術式を、しかしクレルは広がる火炎より素早く飛び下がる事でたやすく回避した。
しかし、さしものクレルも、コウが火炎そのものを突き抜けて追撃してくるなどとは思ってもいなかっただろう。
大きくのけぞったクレルと、その懐に飛び込んだコウ。
速度を重視した踏み込みにより、武器を振りかぶる時間的な猶予こそ無かったが、幅広で厚手の刃をもつ鉈であれば、この間合いからでも押しつけるように切り込むことで腹部の革鎧を裂き、致命傷を与えることができる。
(……1つ足りない)
その違和感に、コウは直撃寸前にまで迫った剣鉈の軌道を変え、クレルの太ももを浅く切りつけながら左方向へと身を投げ出す。
絶好の機会を逃し、多大な隙まで晒したコウの判断は、結果として正しかったといえるだろう。
踵を返し、踏み切った直後、右脇腹を掠めた焼けるような熱に、コウは額に冷や汗を浮かべた。
倒れ込んだ勢いを利用して、ごろごろとレンガ敷きの道路を転がり、クレルから距離をとったコウは、地面を蹴りつけ、その反動で飛び起きる。
「ククッ、気づかれたか、当たると思ったんだがなぁ」
唇の片端を吊り上げ、もう片端を噛みしめる。
笑顔と悔しがるような表情がない交ぜになったクレルの凶相に、コウが目を留める事はなかった。
起き上がったコウの視線は、クレルの左手に握られたそれに釘付けになっていた。
黒い金属の銃身と、それを支える木製の外枠。
そこから一体化したストックへと続くそれは、以前戦ったドルフの男、ロックが用いていた魔道具の構造とほとんど変わらない。
ただ、少し違うのは、クレルが用いるそれは、ロックが用いていた魔道具に比べて引き金の周りの構造が猥雑なことと、全体にわたって施されていた装飾が一切施されていないこと。
「あんたの力量なら、あの体勢からでも防御できただろ。なのに守らないってのは、どう考えたって罠だろうがよ」
火薬の匂いを振りまき、先端から細い白煙を上げるそれは、紛れもない銃であった。




