第80話 アルフレートの計略
ゼルカトリア軍、前線司令部
そこでは、巨大な地図の置かれた机を囲んで、4人の男たちが、正確には3人と1人の男たちがあれこれと意見をかわしていた。
その中の1人、ヘレフォードは、斥候部隊の生き残りが持ち帰った情報に落胆したような声を漏らした。
「⋯⋯しかし、2部隊送って得た情報がたったこれだけとは⋯⋯」
卓上に置かれたハタツミ王都の大地図は、そのごく一部に赤いインクで走り書きが記された程度のほとんど真っさらなものだった。
さて、先ほど示した『3人と1人』というのは会議に対する熱意の差を指す。
具体的には、卓を囲んで顔を付き合わせるアルフレート、ヘレフォード、ダウブルフの3人に対して、卓に背を向けて、窓際に置かれた揺り椅子を揺らすクレルを別として数えている訳である。
「当然の帰結だな、敵の術中に斥候部隊を送り込むなどうまくいくはずがない」
しかし、会議に参加しないからと言って嫌味を言わない訳では無い。
そして、会議は非協力的なクレルの発言を無視して進行される。
「アルフレート侯爵、やはりここはもう一度敵の情報を知るために兵を派遣するべきです」
やたらと丁寧に整えた口髭を撫でていたダウブルフがそれらしい顔で進言すれば。
「だから、そのまどろっこしい逐次投入がこの馬鹿げた停滞を引き起こしているんだろう? いい加減気づきたまえよ」
長い赤髪に雑に手ぐしを入れるクレルが即座に悪意ある言葉をかける。
しかし、幾度となく繰り返された展開に、今回ばかりは机を叩く音が響いた。
「ならば貴様は、ろくな情報も視界もない霧中に全軍で乗り込むべきだとでもいうのか!」
激昂したヘレフォードの怒声が響き渡り、その場は打ち据えられたように静まり返る。
しかし、その静寂は緩慢な動作で振り返ったクレルのせせら笑いに呆気なく破られた。
「誰がそんな事を言った? あぁ、成る程、頭だけでなく耳まで腐っていたか、それは悪い事を聞いたな、詫びと言っては何だが帰ったら腕のいい靴職人を紹介しよう。どれほどお前が無能でもその皮を剥げば軍靴の一足ぐらい作れるかもしれないからな」
もはや嫌味ですら無い、悪口にしてもひどいクレルの物言いに、ヘレフォードの顔は、紅潮を通り越してむしろ青ざめていた。
「貴様ッ⋯⋯⋯⋯」
しかし、ヘレフォードの言葉は、瞳に浮かべる憤りに反して尻すぼみに消え失せた。
葛藤、あるいは恐れにも見えるヘレフォードの表情をちらりと横目で盗み見たクレルは一瞬、嘲笑うような笑みを彼に向け、その後視線を窓の外へ向ける。
再び怒りに火がついたヘレフォードの怒号を遮ったのは、この場で最も位の高い、総司令官の言葉だった。
「ドランパルド伯爵、君はどうするべきだと思うかね?」
アルフレートの問いかけに、クレルは揺り椅子を止めて口を開く。
「ふむ⋯⋯そうですなぁ⋯⋯」
長い沈黙の後、再び揺り椅子を漕ぎ始めたクレルは、とうとうと自身の意見を語り始めた。
「平野の至る所にばら撒かれた地雷といい、都市を覆う大規模な防御術式といい、ハタツミ側は戦争を始める前から時間稼ぎを予定していた節がある」
まず、敵軍の行動を客観的に見た場合の不審点を挙げる。
「開戦前から一切の躊躇いなく時間稼ぎの戦略に走るという事はつまり、時間を稼いだ先に明確な勝利の形を見ていると言う事だ。が、裏を返せば、それは単純な真っ向勝負において奴らの軍力が我々と戦えるだけの水準に達していないと言うことになる」
そして、それに対する答えとして、敵軍の内情のある程度を予想する。
「それを踏まえれば、軍力で圧倒的に勝る我々が確実に勝てる戦略は明確」
その予想を基に、自軍の優位を的確に活かせる戦略を考える。
くいと顔だけで振り返ったクレルは、無言で先を促す3人に向かってあっけらかんと言い放った。
「持久戦だ」
持久戦、それは本来防御側が決戦を回避する為にとる、極めて消極的な戦略。
「馬鹿な! 持久戦だと? 時間稼ぎをしている相手に持久戦だと?馬鹿馬鹿しい!」
ヘレフォードのこの言葉も、クレルの発言の矛盾を考えれば無理のないものである。
敵の取っている時間稼ぎとは、ある種の持久戦であり、両軍が共に持久戦の戦略を取れば戦闘そのものが発生しなくなる。
クレルの予想に従えば、その場合、得をするのは敵軍の方であり、クレルの提示した戦略はなんとも本末転倒なものなのである。
しかし、ヘレフォードの怒りの声を、クレルは馬鹿にしたようにたしなめた。
「⋯⋯やはりお前は皮にした方が使えそうだな。話を最後まで聞け? 私は確実に勝てる戦略と言ったんだ」
それに続いたクレルの言葉は、これまた突飛なものだった。
「奴らが最も恐れているのは、我々に消耗戦の戦略をとられる事だ」
消耗戦、それは、自軍の損害を度外視して莫大な戦力を一点に投入し続ける、物量戦術の究極の形。
「我々が真っ向から消耗戦を展開すれば、奴らに為すすべは無い。全兵力を投入して抵抗したとしても奴らの兵力は瞬く間に尽きる。形さえ作れれば、我が軍に出る損害は包囲殲滅を実行した時と大差ないだろう、そして、そんな事は奴らも分かりきっている事だ」
淡々と言葉を発するクレル。
振り返ったクレルの瞳には、人を馬鹿にしたような笑みは無かった。
自身の口にした作戦を実行した際の戦場を眺めているような、冷徹な光。
「馬鹿馬鹿しい量の地雷も、都市を包む霧も、森林部での執拗な機動戦も、全ては我々に消耗戦の形をとらせない為の布石に過ぎない」
その言葉の直後、彼の目には再び人を嘲るような笑みが戻り、その言葉も目の前のアルフレートらに向けられたものになった。
「その上で、我々が消耗戦の形をとる為には、まず足掛かりを作る必要がある」
そう言ったクレルは、揺れる椅子の上でふいと視線を動かした。
彼の視線の先にあるのは、ハタツミ王都の正門へと続く長い一本の土道。
「この細い道を使って、敵地の只中に消耗戦が出来るだけの部隊を並べるまでの間⋯⋯敵地の情報を探り、その情報を基にした増援部隊が来るまでの間、防衛線を張るだけの戦力」
クレルのその言葉に、ヘレフォードはようやく彼が言わんとする事を理解した。
「まあ、さしあたって必要なのは、突入から増援が来るまでの間、敵地のど真ん中で十分な持久戦が出来るだけの強固な部隊でしょうな」
最後にそうまとめたクレルは、大きく揺り椅子を揺らしながらにやりとした笑みをヘレフォードに向ける。
「分かったかヘレフォード伯、短期決戦とは無計画に全軍を放り込む事では無い、最も勝てる形に迅速に部隊を持っていく事を言うのだ」
どれほど酷い悪口より、単純な力量差をまざまざと示したその言葉は、ヘレフォードの胸に重く突き刺さった。
「⋯⋯しかし、あの霧の中でそれだけのそれだけの作戦を指揮できるものなど何処にいると言うんだ」
その上で、ヘレフォードがこぼしたこの言葉がより深く己の傷をえぐる事になったのは、むしろ哀れと言うべきだろう。
「お前は己の無能を知らしめなければ気が済まないたちなのか? 消耗戦も持久戦も、兵法の教本にすら乗っている古典的な戦略だろう、」
クレルのこの言葉は、ヘレフォードの心を呆気なくへし折った。
しかし、そのクレルの言葉は、ある男にとって、待ちに待った言葉だった。
「ならば、君が指揮をとるといい」
アルフレートのその言葉に、クレルの揺り椅子はぴたりと止まった。
「なぜ私が?」
鼻で笑いながら問いかけたクレルの言葉に、しかしアルフレートは特有の笑みとも無表情ともつかない表情を崩す事なく答える。
「ヘレフォード伯爵の言葉通りだ、ドランパルド伯爵。ここにいる2人を含め、我が軍の将校の殆どは魔法戦以外の経験に乏しい。本物の白兵戦を経験したものなど片手で足りる程だろう、その中でも君ほどに実戦経験のある、信頼できる指揮官は居ない」
賞賛の言葉の裏に隠した、アルフレートの目的。
おぼろげながらそれを察したクレルに向かって、アルフレートは痛烈な一言を加えた。
「それにドランパルド伯爵、君にとっても汚名返上のいい機会ではないか?」
アルフレートのその言葉に、クレルはピクリと眉を動かした。
「汚名⋯⋯ですか?」
問い返す声音は、隣に立つヘレフォードがたじろぐ程に恐ろしいものだった。
「先日の夜戦、私が貸しあたえた部隊2つを失っておいて、首1つ取れなかった君の働きを快く思わない者も多い」
対して、アルフレートはその様子を一切変えず、クレルの問いに答える。
「⋯⋯ほう、あれを失態と言われるか、アルフレート卿」
激烈な殺意。
クレルが発した覇気を表現するならば、その言葉が最も相応しいだろう。
そして、対するアルフレートはその覇気に、ついぞ表情を変えることなく言い放った。
「そんなつもりは無い、しかし、兵士達の目を考えても明確な勝利を示した方が都合がいいのではないか」




