第79話 飼い猫の首輪
心機一転、志も新たに顔を上げたセナに、尖塔から足を滑らせるという大失態をやらかしたコウはしかし、横柄な口調で1つ釘を刺した。
『あ、そうだ、戦う気になったんなら帰る前にゼルシカ婆さんの家に寄ってくれ、必要なものを用意してくれてるはずだからさ』
時間はすでに夕暮れ時。
それから出発したセナが大魔道士ゼルシカの家に着いた時、日はすでに地平線の彼方に沈もうとしていた。
(こんばんは⋯⋯でいいのよね)
最近までろくに客も来なかった店で腐っていたセナが他人の家を訪れる際の礼節など知っているはずもない。
ゼルシカ宅の扉を前に、セナは日が沈みかけた半端な時間に適した挨拶の言葉が思い浮かばず立ち往生していた。
その時、不意に扉のノブが回った。
ひどく軋んだ音を立ててゆっくりと開いた扉。
その内側から現れた、セナの腰丈ほどの高さしかない人影にセナの目は釘付けになった。
丸太から棒切れのような手足を生やした木偶人形、そうとしか言いようのない人外の姿。
2つのガラス玉がはめ込まれたつぶらな瞳で見上げてくる彼に、我に返ったセナは慌てて口を開いた。
「あ、あはは⋯⋯こんばんは、おばあちゃんいる?」
礼節の前に、そもそも口も耳もない彼が言葉を理解できるのか疑問だったセナの口調は、幼い子供に使うようなような柔らかいものになっていた。
幸いにして、木偶人形はセナのその呼びかけを理解した様子で振り返り、指し示すように腕を伸ばす。
しかし、彼が指し示した先にあった書き物机にゼルシカの姿はなく、セナは首を傾げていたのだが。
その時、書き物机の後ろの壁が突如として開いた。
何の前兆もなくぽっかりと穴の空いたそこから、翡翠色のカギを片手に現れたゼルシカは待ちくたびれた様に声を上げた。
「やっと来たさね、白いの」
——
長い螺旋階段を下った先に続く、これまた長い廊下。
触れればひやりと冷たい石材で構成されたその空間は、洞窟にも似た独特の息苦しさを持っていた。
先ほどセナを出迎えた木偶人形、自動ゴーレムについてのゼルシカのうんちくにもいい加減嫌気がさしたセナは、前を歩くゼルシカの言葉を遮って声をかける。
「ねぇ、そろそろ何でコウがあたしをここに寄越したのか教えてくれないかしら」
苛立ち混じりのその問いかけに、ゼルシカは足を止め、不思議そうに目を細めて振り返った。
「はえ? 何も聞いてないんさね?」
問い返されたセナは肩をすくめて首を縦に振る。
「⋯⋯まったく、あの軟弱者が、ひよったね⋯⋯」
ぼそぼそと含むように呟いたゼルシカの声はセナの耳には聞き取れなかった。
「あの男があんたをここに寄越したのはね、あんたをこのまま戦わせるわけにはいかないからだわさ」
いい含めるようにはっきりとそう述べたゼルシカの言葉は、声量に輪をかけてセナの頭の中に響いた。
「どうしてよ?」
反射的に問いかけたセナの声は疑念と怒りの混じった、ひどく棘の立つものになった。
「何さね? あんたがあの男の腕をへし折ったんじゃなかったんさね?」
しかし、不思議そうにそう問いかけるゼルシカの言葉に、セナは自分の愚かな憤りを恥じた。
セナの表情の変化にゼルシカは悪意のある笑みを浮かべて口を開く。
「まあ、最近じゃ、忠臣の1人が君主を裏切って下克上なんてよく聞く話さね、惜しかったねぇって言った方がよかったさね?」
ゼルシカの意地悪な問いかけに、セナは喉をついた否定の言葉を生唾と共に飲み込んだ。
狂気に飲まれたセナが無差別にその刃を振るい、コウに重傷を追わせた事は事実であり、それは言い訳の余地もなくセナの落ち度である。
どんな言葉も自分の擁護にしかならず、何を言っても惨めになる。そう考えたセナはせめてもの抵抗に、ただ黙ってゼルシカの瞳を見つめ返した。
そんなセナの様子に、ゼルシカはニマッと笑みを浮かべる。
「ヒヒヒ、あんたは分かりやすいねぇ⋯⋯いじめて悪かったね、うちの孫娘と似てるもんだからつい、ね」
優しくなだめるようなゼルシカの口ぶりに、セナは戸惑ったように視線を泳がせる。
ゼルシカはそんなセナの両腕を優しくさすりながら諭すように語りかけた。
「敵味方の区別がつかない様な兵士を戦わせるわけにはいかない。あの男がどんなに優秀な指揮官でも、それだけはどうしようもないわさ」
その言葉に対するセナの不安を拭うように、ゼルシカはセナの両肩を力強くポンポンと叩きながらしたり顔で続けた。
「だから、あの男はあんたがやる気になった時のために、このあたしに対策を考えさせたんさね」
——
廊下の突き当たり。
そこにあったのは、それまでのジメジメとした雰囲気とは相容れない、金属製の重厚な扉だった。
鍵穴の周りにメモリがついたような不思議な鍵穴に、ポケットから取り出した翡翠色のカギを差し込んだゼルシカは、そのカギをダイヤルをひねるようにぐるりと半分以上回すと、カチカチと数メモリ分調節してから手を離す。
チチチチチチ。
まるでゼンマイ仕掛けのおもちゃのような忙しない金属音を響かせながらゆっくりと巻き戻っていくカギを見つめながら、ゼルシカはセナに話しかけた。
「あんたの魔症は、私が思っていたものよりもずっと複雑さね。ただ1つ言えるのは、その力の源があんたの意思に強い影響を受けるって事だわさ」
しばらく無言が続いていたこともあり、セナの返答は声量のない静かなものだった。
「あたしの意思?」
セナの問いに、ゼルシカは視線をセナの足元に向けて問い返す。
「足の傷、具合はどうさね?」
ゼルシカのその言葉に、セナは左足の怪我を今の今まで忘れていたことに気づいた。
「臥せってた間、ちっとも治る様子のなかった傷が、あんたがちょっとやる気になっただけでたちまち塞がる。あんたの身体はその強力な魔症に依存してて、その魔症はあんたの感情に依存してんのさ」
ゼルシカの言葉通り、夜戦の夜から今日の朝まで生々しい傷が残っていたはずの左足は、少しの痛み
「あんたに必要なのは、また我を忘れて暴れない様に魔症を抑える枷、感情を抑える束縛だわさ」
ゼルシカのその言葉の直後、再び最初の位置まで巻き戻った扉のカギがカチャリと小気味いい音を響かせた。
——
マルチルームセレクター。
扉の先に選んだ部屋を持ってくる、金と土地と魔術の才に秀でたものでなければ到底実現不可能と言える、いわば逆エレベーターな空間魔法。
地下という、バレなければ税も土地代もかからない空間に100近い部屋を作り上げたゼルシカは、天才というべきかケチ臭いというべきか。
——
開口一番、扉をくぐったセナがもらした言葉は次のようなものだった。
「わーお、趣味わるぅ⋯⋯」
開いた扉の先は、古今東西の拷問器具や拘束具が所狭しと並べられた、物置のような部屋だった。
「余計なこと言ってんじゃないわさ、さっさと1つ選びな」
アイアンメイデンの埃を払いながら、急かすように喚いたゼルシカの言葉に、並べられた多種多様の手枷を眺めていたセナはキョトンとした表情で問いかけた。
「え? あたしこれつけんの?」
その問いに、ゼルシカは多少言い淀みながらも仕方ないと言った様子で答えた。
「まあ、なんさね、あんたの魔症に対する対策として、手っ取り早いのがこれなんだわさ」
大きく、重そうな手枷を片手にゼルシカは続ける。
「重さや痛み、あるいは目に見える形として自分を縛ることで、湧き上がる衝動を抑え込む。我を失う寸前に、枷の重みや締め付ける縄の痛みなんかが我を保つのに役立つってわけさね」
その言葉に、セナは渋々頷いた。
しかし、やはり拘束具の類は動きの邪魔になるものが多く、そうならないようなものは衝動を抑え込むだけの働きをするか怪しい。
どれを使うのか、なかなか決められずにいたセナは、突然後ろからかけられた声に振り向いた。
「これなんかどうだわさ?」
そう言ったゼルシカは比較的小型の拘束具が並べられた棚から、金属製のコルセットを取り出した。
「なに? それ」
警戒心もあらわに問いかけるセナの声に、ゼルシカは嬉々として答える。
「魔症には発動時に魔力の流れを乱すものが多いからね、ここの刻印が魔力の流れを感知すると、内側から刃が飛び出して腹を切り刻むって寸法さね」
背面部の刻印に魔力を流し、禍々しく飛び出した大量の刃を見せつけるようにセナの前に差し出す。
当然ながら難色を示すセナに対し、ゼルシカはダメ押しとばかりに続けた。
「まあ、魔法を使うと暴発したり、飛び出した刃が致命傷になったりしてろくに使える物じゃ無かったんだけども、あんたなら魔法も使えないし、再生能力も付いてるしで、おあつらえ向きさね」
説明通りならば胴体に着けるそれは、手枷足枷の類に比べて通常時の負担が少なく、強い痛みも気付けには相応しいように思える。
しかし、ある1つの疑問に思い至ったセナは首を縦に振る直前、言葉を選ぶようにゆっくりと問いかけた。
「それ、相手の魔法で動いたりしないわよね?」
「よく気づいたね、これを着れば最後、相手の攻撃魔法も味方の補助魔法も、くらえばもれなく切腹タイムさね」
ニヤニヤと小馬鹿にしたような顔で笑うゼルシカを睨みつけたセナは、ゼルシカがコルセットを取り出した戸棚の奥にそれを見つけ、ハッと目を見開いた。
「ねぇ⋯⋯あたしに必要な束縛で、1番大事なことって何?」
不意に声のトーンが下がり、瞳に深い熱が宿る。
その表情は、セナが殺し合いの最中に見せる、最も鮮やかな一瞬と遜色ない程のものだった。
様子を一変させたセナ対して、ゼルシカは内心の戸惑いを一切表に見せず、答える。
「まあ、肉体的な負担が大きいほど効果は高くなるけど、1番は心の束縛。自分に合ったもの、思い入れのある拘束具なんかの方が効果的だとは思うさね⋯⋯」
ゼルシカの説明に、セナは満足したように頷くと、すくっと立ち上がり、戸棚の奥のそれに向かって手を伸ばす。
「じゃあ、これにするわ」
軽く、しなやかで、手のひらにのる大きさ。
この部屋に置かれた他の、拘束具とは明らかに違うそれを片手に、セナは小さく微笑んだ。
——
同日、夜、酒場『溜まり場』
ゼルドロやウチツネといった連中がそれぞれの帰路についた後、この場に残るのはその建物を住処とする2人のみ。
帰ってからやたらと上機嫌なセナと、対照的に不機嫌なコウ。
2人の機嫌の差は、同じ1つの理由、セナの選んだそれから来ているものだった。
「良いわよね、これ」
指に引っ掛けて、それをくるりと回したセナに、コウは不満の目を向ける
「いや、首輪はねーだろ」
黒革に銀の金具。
銀という特別な素材が使われていることを除いて、大した装飾もないそれはどう見ても一般的なベルト型の首輪であった。
「どうして? チョーカーなんて珍しくもないでしょ」
セナの言葉通り、この世界でファッションとしてのチョーカーは珍しくない。
「いや、でもお前は首輪としてつけるんだろ?」
しかし、セナの持つそれは明らかに動物用の作りをしていた。
「いいじゃない、あんたが飼い主みたいなものなんだからさ」
もちろんセナに魔症を縛る枷を用意させたのはコウであり、その責任はコウにある。
しかし問題は、首輪というある種特徴的な装備に対する周囲の目である。
コウの周りを取り巻く賑やかし、冷やかしが大好きな連中はともかくとして、問題なのは軍全体、民衆からの見え方であろう。
迷彩コートの背中に光るファンシーなクマのアプリコットのせいですでに『鬼熊』の2つ名を欲しいままにしているというのに、そこに首輪を着けた狂戦士が追加されれば『猛獣使い』などというサーカスのようなあだ名がつけられる事は容易に予想できる。
(いや、ゴリラ枠のウチツネも入れたら『動物園』まであるぞ、これ)
不意に脳裏をよぎった最悪の状況を思考の彼方に押しやり、コウはなおも思考を続ける。
仮に、覇気のない別名は許容するとしよう。
次に危惧すべきは首輪を着けた女を従えているコウがその手の趣味を持つ人間に間違われる事である。
ただでさえ血の海の中で演説をしたコウだ、これ以上危ない噂が立つと、それこそ国民からの信頼や信用すらも失う事態になり得る。
仮にも国を率いるものとしてそのような事態は絶対に避けねばならない。
そのような考えを元に、コウはもう何度目かもわからない不満の声を放つ。
「やっぱりやめとけよ、もっとそれらしい鎖とかに——」
しかし、その言葉を遮るように、セナのハリのある声が響く。
「飼いならされたあたしの牙は、主人であるあんたの為に」
そんな、どこか仰々しいセリフとともに、うやうやしくコウの手を取ったセナ。
全くといって良いほどに陰りのない彼女の瞳に、コウは諦めのため息を漏らした。
「⋯⋯ややこしい事にはならないようにしろよ」
よくよく考えれてみれば、鈍重な枷をしている方が好奇の目に晒されやすい。首輪が少し解釈の仕方が多いというだけで、人心に与える影響はそれほど大きくないのかもしれない。
そのような考えでどうにか自分を納得させたコウに、セナはひょいと首輪を差し出して微笑みかけた。
「さ、わかったらつけてよ」
その要求に、急な頭痛を覚えたコウは頭を抑えながら答えた。
「なんでだよ、自分でつけろよ」
しかし、セナはさも当然のように言葉を返す。
「飼い主に着けてもらわないと意味ないでしょ」
そういったきり一向に引く様子のないセナに、コウはため息をついて首輪を受け取った。
どのみち首輪の使用を認めた時点でこの手の要求は想定できていたのだ。
避けられない傷ならばせめて傷口を小さく、つまり他の目のない、2人きりの時間のうちに済ませてしまう方が良い。
セナの首に手を回したコウは、留め金がきっちりと正面に来るように微調節してからゆっくりと首輪を締める。
白い肌に対照的な黒い首輪。
真っ白な紙に黒いインクを垂らすような背徳感に、コウ慌ててセナから視線を外した。
「おやおや、これはこれは」
その時、耳に届いた、最も聞きたくなかった人物の声に、コウは弾かれたように顔を見せの入り口へと向ける。
見まごうことなき燕尾服、見まごうことなき慇懃な笑み。
アルトと共に一時ゼルカトリアに帰国したはずのクロバは、しかし確かにそこにいた。
瞬間、コウの身を襲った得体の知れない恥ずかしさは彼の想像を絶するものだった。
「おい、お前! 絶対に余計なことを言うんじゃないぞ、広めたら⋯⋯あれだ⋯⋯そう、殺す! 殺してやるからな!」
我を忘れて怒鳴り散らすとはまさしくこの事だろう。少なくともこの瞬間、コウの脳裏には自身の誇る強力な交渉術などかけらも存在していなかった。
「まあまあ、落ち着いて下さい。私なんかを気にするよりもまず、あなたには気にするべき人がいるでしょう?」
なだめるようにあざ笑う、クロバその意味深なセリフに、彼の視線を辿ったコウの目には、真っ青な顔でコウの腕にすがりつくセナの姿が映し出された
「⋯⋯ヒュ⋯⋯苦し⋯⋯」
犬や猫など買った覚えのないコウにとって、首輪を着けるという作業も人生初のもの。
当然加減など知らない訳で、ズボンのベルトと同じ感覚で締め上げた首輪に一切の余裕はなかった。




