第78話 2人の関係
大通りに満ちた濃霧は日暮れの陽光など容易く遮断する。
散歩に行くと言ったきり、いくら待っても帰って来ないセナを探しに店を出たコウは、数歩先も見えないような濃霧に頭を抱えていた。
(この中で⋯⋯人探しかよ⋯⋯)
戦闘面では大いに活躍した『霧の魔道書』も、今この時だけはとてつもない足枷となってコウの視界を奪う。
青白く霞む風景にひとしきり目を凝らしたコウは、疲労感にパチクリと目をしばたかせてため息をついた。
そもそも、基本的に自分から店を出ることのないセナの散歩コースなどわかるはずもなく、視界があったところで捜索範囲は未知数なのだ。
(多分これ⋯⋯帰ってくるのを待ってたほうがいいよなぁ)
消極的になりかけた思考を振り払い、コウはある種の保護者的な責任感に引きずられるようにして霧の中に歩みを進めていった。
——
幸運にも、セナの捜索に時間はかからなかった。
王城の尖塔。
並び立つ3塔のうち、最も高い1塔の屋上にかすかに見えるシルエット。
特に考えもなく、ただ大通りに沿って城の方へと歩いていたコウは、不意に見上げた視線の先にその姿を見つけた。
——
濃霧を突き抜けた尖塔から見た果ての空の夕焼けは、まるで薄絹を透かしたように柔らかな光をたたえていた。
城内から塔を登ったコウは、埃をかぶった天窓を押し開けて屋根上へと身を乗り出す。
首をひねった先に見えたのは、常人ならば足がすくむような高さの尖塔の縁に腰掛けて屋根の傾斜に背を預け、目を閉じるセナの姿だった。
その経路に最近人が通った形跡がなかったところを見ても、やはりセナは外壁をよじ登るか飛び上がるかしてこの場所に到達したようである。
(あいつ、思ったより元気なんじゃないか?)
そんな疑念も程々に、一跨ぎで屋根上に飛び出たコウは補修用の足場を伝ってセナの座る縁へと踏み出す。
コウは高所恐怖症ではないが、ここが足を滑らせれば即死は間違いない高さであることに変わりはない。
平均台ほどの幅の縁を一歩一歩慎重に歩んだコウは、セナの横にしっかりと腰を下ろしてから声をかけた。
「何してんだよ、こんなとこで」
コウの問いにセナの返答はなかった。
もっとも、隣に腰掛けて何も言わなかった時点でセナのこの反応は予想できており、それ以上問い詰めることもなく、コウは辛抱強くセナの言葉を待つ。
しばらくの間を置いて、ゆっくりと体を起こしたセナは、霧に包まれた街並みをぼうっと眺めながら口を開いた。
「⋯⋯覚えてる?」
唐突なセナの言葉に、コウは素直に首をかしげる。
「何をだ?」
コウ返答に、セナは眼下に続く大通りを指差して続けた。
「そこの大通りをさ、2人で突っ切ったじゃない」
ハタツミ革命の、最大の戦場となった大通り。
その時の記憶を思い返すようにセナは続ける。
「並んだ盾を蹴散らして、向かってくる奴らをなぎ払って⋯⋯後ろをあんたに任せて、ただ前だけ見てまっすぐに進んで⋯⋯」
どこか楽しげに話すセナは、思い出に浸るように口を閉ざす。
数秒の間を置いてセナは、静かにつぶやいた。
「あたしさ⋯⋯あんたの為に戦うことにするわ」
それまでの彼女からは想像もできないような発言に、コウは驚いてセナの顔を覗き込む。
「なんだよいきなり⋯⋯」
しかし、コウの疑問の声は、儚げに微笑むセナの横顔の前に、消え入るように小さくなっていった。
「最近ずっと考えてたのよ、自分が何のために生きてたのか、何をしたかったのかって」
落ち着き払った声音でそうつぶやいたセナは、視線を街並みから夕焼へと上げて胸いっぱいに息を吸い込む。
彼女の表情は次の言葉を境に吹っ切れたような笑顔へと変わった。
「あたしにはさ、やっぱり殺し合いしかないのよ。英雄なんてなれっこないし、殺す為に生きて殺されて死ぬ以外の生き方なんて思いつかない」
夕焼けを見つめるセナの、悲しい独白。
その内容とはあまりにもかけ離れた笑みのまま、セナはふっと視線をコウへと向ける。
「でも、あんたは知ってるんでしょ? あたしみたいな、どうしようもない人間の使い方っていうのを」
身体をひねり、正面からコウを見つめてセナは続ける。
「あたしはあんたの為に戦う、あんたの考える通りに動いて、あんたの言う通りに殺す⋯⋯その代わりに、あんたが決めてよ、あたしが死んで地獄に堕ちるまでの間、あたしが奪った命の使い方をさ」
少しの迷いもない、セナの言葉。
淡い夕焼けに照らされ、鮮やかに色付いたセナの姿は、月明かりの下で見るそれとはまた違う美しさを伴ってコウの心に訴えかける。
しばしの静寂の後、彼女の瞳をまっすぐに見返し、コウはゆっくりと口を開いた。
「俺に、お前の命とお前の殺しの責任を取れっていうのか?」
コウの言葉に、セナは真面目くさった顔でコクリと頷く。
「まぁ、そういう事になるわね」
コウは立ち上がり、胸いっぱいに冬場の冷気を吸い込む。
身体の芯から頭を冷やし、セナの言葉を慎重に反芻したコウは、拭いきれない不信感をそのままに口を開いた。
「⋯⋯それ、俺が割食ってるだけじゃね?」
そう、あまりにも真っ直ぐなセナの瞳に惑わされそうになるが、コウにとってセナが行なっているのは、騎士で言う忠誠の誓いなどではなく、タチの悪い契約なのである。
「そう? でもあたしの力は欲しいんでしょ」
対するセナも、コウのその不信感を裏付けるように、悪びれる様子もなく唇の端を吊り上げてそう言い放った。
とはいえ、彼女の実力がその対価に見合うだけのものである事は確かであり、ただでさえ人手の足りない現状で、コウに選択の余地はない。
「⋯⋯足元見やがって」
ふてくされた顔で唸ったコウに、セナはしてやったりと笑いかけるのだった。
しかし、言霊というのは恐ろしいもので、自身の発言につられて訳もなく足元を見下ろしたコウは、改めて現在地の高度に顔をひきつらせる。
「あ〜あ、分かったよ。いいよそれで。取ってやるよ責任ぐらい⋯⋯さっさと行こうぜ、こんな高いとこにいつまでいる気だよ⋯⋯」
投げやり気味にそう言い放ったコウは、コートの裾で拭った右手をひょいとセナに向かって差し出す。
コウにとっては、立ち上がるための手助けにすぎないその動作。
しかし、まじまじとコウの右手を見つめたセナは、顔をうつ向けて苛立ったような声を漏らした。
「⋯⋯そうやって、簡単に⋯⋯」
微かに聞こえたセナの声に、コウはその顔を覗き込んで問いかける。
「ん? どうした?」
問いかけられたセナは気まずそうに顔をそらし、荒っぽいな手つきでコウの右手を掴んだ。
「なんでもないわよ⋯⋯ってバカ!」
後から考えれば、塔の縁などという不安定な足場で人を引き起こすなど馬鹿馬鹿しいことこの上ない愚行である。
予想外に強く腕を引かれたコウは体勢を崩し、半ば投げ飛ばされる形で宙を舞う事となった。
地上およそ80メートル。
その高さから落下したコウが無事だった理由は、彼に引っ張られて塔から滑り落ちたセナの驚異的な姿勢制御能力のおかげに他ならない。
空中で落下方向を調整し、塔の壁面を一度蹴って減速し、猫顔負けの柔軟性でもって着地の衝撃を無傷で受け流す。
ジェットコースターやフリーフォールといった絶叫マシーンが生易しく思えるほどの急制動と急停止を味わったコウは、眼前数センチにまで迫った地表に、詰めっぱなしだった息をどうにか吐き出した。
同時に、荒く息をついたセナの引き攣った声がコウの耳を打つ。
「⋯⋯分かってると思うけど、あんたが先に死んだら元も子もないんだからね?」
言い訳のしようもないセナの言葉に、コウは乾いた笑い声を漏らした。
「⋯⋯はは、以後気をつけます」




