第71話 伯爵達と侯爵
ゼルカトリア軍司令部。
静かな風に揺れるテントの中に、男の甲高い怒声が響く。
「クソッ! ああ、忌々しい! あの社会不適合者め!」
固く握り締めた拳を机に叩きつける寸前で踏みとどまったヘレフォードに、腕組みをして座るアルフレートは呆れた様な表情で口を開く。
「叛骨精神と言ったらどうだ、ヘレフォード」
普段ならそこで我に返るヘレフォードだったが、今回は怒りを収めることができず、そのままの勢いでアルフレートに食ってかかる。
「しかし、アルフレート侯爵、いくら何でも侯爵の部隊の指揮権をあの男にくれてやることはなかったのではないですか?」
沈黙を貫くアルフレート。
その沈黙はヘレフォードをたしなめる意味もあったのだが、しかし、今回はヘレフォードに助け舟を出す声があった。
「私も腑に落ちませんな、指揮権の話は別にしても、あの戦果とも呼べぬ損失に、なんのお咎めもなしというのは如何なものかと」
これまで一歩引いた態度で聞き役に徹してきたダウブルフのその言葉に、幾分か平静を取り戻したヘレフォードは、なお残る苛立ちを乗せた問いをぶつける。
「なぜ貴方があの男にそれほど気を使うのか、その理由をそろそろ教えていただけませんか?」
2人の伯爵に詰め寄られたアルフレートは、しかし侯爵である。
彼は明確な階級の差をもって、2人の問いを有耶無耶に葬る事も出来ただろう。
「気を回さねばならんのだ。あの男は何をしでかすか⋯⋯いや、はぐらかしても仕方ないな」
しかし、アルフレートは一瞬ためらった後、諦念のため息とともに2人の問いを受け入れた。
ひとまずアルフレートは、腰を浮かしてまで詰め寄ってきたヘレフォードに椅子に座るように促す。
ヘレフォードとダウブルフ、2人の顔を交互に確認した後、アルフレートはゆっくりと口を開いた。
「クレル・ドランパルド、またの名を『ウサギ狩りのクレル』。奴について話す前に、まずは塩戦争に触れておく必要があるだろう」
30年以上昔の一件からアルフレートの説明は始まる。
「西部山脈の岩塩坑、その利権をかけた戦争は、最初期こそ近場の領主同士がいがみ合う程度のいざこざだったが、そこに公爵⋯⋯評議員の思惑が絡み始めてから、自体は重篤化していった」
評議員、アルフレートの口からその言葉が出た瞬間、ヘレフォードとダウブルフの表情に緊張が走る。
公爵が絡んでいる事自体は聞いていた2人だが、やはり『評議員』という言葉の重みは違う。
その2人の顔を見ながら、アルフレートはそれまでに輪をかけてゆっくりと言葉を放った。
「ディアヴォルテ公爵、アダマンテミス公爵、マーモレッド公爵⋯⋯君達も知っているだろう? この3人を」
アルフレートのその言葉に、2人は息を飲んだ。
ディアヴォルテ公爵、それは今のゼルカトリア評議会序列2位に位置する男の名であり、マーモレッド公爵は評議会の序列4位に座する重鎮。
そして、アダマンテミス公爵は前序列2位、現序列3位の英傑。
その全てが大公爵と呼ばれる、ゼルカトリアでも指折りの大貴族である。
「彼ら3人の隠密部隊がそれぞれの思惑に従って紛争に介入した結果、岩塩坑をめぐる抗争は瞬く間に西部山脈の周辺広くに伝播し、一時は伝令もまともに届かないほどに混乱した、文字通り地獄のような戦場へと変貌した」
アルフレートの言葉に、ヘレフォードは素早く記憶を辿る。
ダウブルフに比べて、幾分か僻地の情勢に精通しているヘレフォードであったが、残念ながら彼の記憶にある塩戦争の概要は、やはり単なる中小貴族間の抗争が飛び火して起きた戦争に過ぎず、当時の彼はそれをかけらも気に留めていなかった。
公爵達の念密な情報工作の片鱗を垣間見たヘレフォードだったが、それに構わずアルフレートの説明は続く。
「マーモレッド家が撤退し、実質的にディアヴォルテ公爵側とアダマンテミス公爵側の2つに派閥が分かれ、戦争の体を成すに至ったのが紛争勃発から10年後のことだった」
冷戦状態でも、正面戦闘でも無い、西部の限られた大地の中で、群雄割拠する数多の勢力が日夜、その全方面と戦う。
考えるだけでもおぞましい、血で血を洗う惨劇が10年続いていた事に、ヘレフォードとダウブルフは少なくない衝撃を覚えた。
「そして、その戦争でディアヴォルテ公爵側の矢面に立ったのがクレル・ドランパルド伯爵だった」
アルフレートのその言葉が示すのは、クレルの後ろ盾がディアヴォルテ公爵だという事実に他ならない。
その事実に行き着き、共に目を見開いたヘレフォードとダウブルフを前にアルフレートは諭すように語りかけた。
「わかっただろう? 奴は単なる僻地の紛争の生き残りなどではないのだ」
沈黙。
それを破ったのは、ダウブルフの、鋭く息をのむ音。
「⋯⋯待ってください、塩戦争というと、確かその終結は18年前のはず。ディアヴォルテ公爵が今の地位に就いたのは、それより最近の事だと記憶しているのですが⋯⋯」
残念ながら、ダウブルフはその問いを腹の中に飲み込むことができなかった。
ダウブルフの疑問に、アルフレートは哀れむような、苦い表情で頷いた。
「そうだ、あの戦争の頃、評議会入りしていた公爵はアダマンテミス公爵とマーモレッド公爵の2人のみ、ディアヴォルテ公爵はまだ一介の子爵に過ぎなかった」
アルフレートの言葉の直後、響いたのは卓上から滑り落ちたグラスが砕けた音。
その音は紛れもなくダウブルフが立てたものであり、振り返ったヘレフォードが見たのは、砕けたグラスを気にもとめず、卓上の一点を見つめ、鬼気迫る表情で考え込むダウブルフの姿だった。
当然ながら、ヘレフォードはダウブルフの失態をたしなめるべきなのだが、彼のあまりの様子に、ヘレフォードは声をかけることができなかった。
アルフレートは静かに、しかしはっきりとヘレフォードに向かって告げた。
「こう言えば、今までの話の異常性が理解できるだろう」
アルフレートは続く言葉を一言一言、噛みしめるように言葉にした。
「奴は⋯⋯クレル・ドランパルドは、当時男爵でありながら、子爵であるディアヴォルテ殿の下につき、アダマンテミス公爵とマーモレッド公爵の2人を相手取った戦争にほとんど奴個人の持つ、わずかな兵力をもって勝利したのだ」
その瞬間、ヘレフォードの脳裏にはクレルの持つ異名の1つが浮かんだ。
常勝指揮官。
ヘレフォードが名前ばかりのものだと思っていたそれが、アルフレートの言葉と共に、急激に現実味を帯びていく。
しかし、それは理解すれば理解するほど現実離れしていき、矛盾していく思考の中でヘレフォードが抱いた感情は、得体の知れないもの見てしまったような、深みへと続く底なしの恐怖であった。
「ディアヴォルテ公爵が評議会序列2位にまで上り詰めるに当たって、塩戦争で勝ち取った莫大な資産が大きく影響した事は想像に難くない、そして、あるいはクレル自身がその地位を得ていた可能性すらもある」
アルフレートが述べるのは、あくまでも予想と可能性の話。
しかし、その全てが事実だった場合、ヘレフォードはゼルカトリアを統べる評議会にも匹敵する男に喧嘩を売ったことになる。
アルフレートは動揺する2人を前に静かに話を締めくくった。
「奴は狩人を名乗る。奴にとってのウサギが、我々か、ハタツミか、はたまたディアヴォルテ公爵その人か⋯⋯それを知るのはおそらく奴だけだろう」
呆気に取られた表情で固まるヘレフォードと、青い顔で俯くダウブルフ。
いかに戦争を学ぼうと、いかに指揮を経験しようと、ヘレフォードとダウブルフの本質はやはり、政界に生きる貴族である。
「しかし、だ」
その面では全く同じでありながら、アルフレートはやはり、伯爵の一線を踏み越えた侯爵なのだ。
「今の奴はお前達と同じ伯爵であり、この戦場にいる限りは、指揮権を持つ私の直轄にある」
恐れに囚われた2人を前に、アルフレートは唇に薄い笑みを浮かべる。
その差は、保身か、野心か。
「奴の失態を、私はタダで見逃すつもりはない」
アルフレート・マクロフ。
齢50を越えた男の双眸には、いまだ衰えぬ野心の光が爛々と輝いていた。




