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異世界転生は一度でいい!  作者: 大杉俊
二章 公国と化け物
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第68話 愛と少女の晩餐会


 早朝、バラ園の館にて行なわれた晩餐会は、アルトリアの幼い外見には似つかわしくない言葉から大きく動き出す。


「私はあなたの愛が欲しいの」


 事も無げにそう言い放ったアルトリアに、コウは口を閉ざした。

 突飛な要求に対する驚きから答えに詰まった面もあるが、何よりコウはアルトリアの真意を測りかねていたのだ。

 そして、アルトリアもまたコウの疑問を見透かしたように笑みを浮かべ、口を開く。


「あなたは、この世界でたった1つの、信頼できる価値があるものって、なにか知ってる?」


 しかし、彼女にさっさと答えを口にする気は無いようで。


 アルトリアの遠回りな問いに、コウは頭に浮かんだ単語を何も考えずに言葉にした。


かね——」


「人の心よ」


 アルトリアの口からこれほどに高尚こうしょうな言葉が出てくるなどと思ってもいなかったコウは、自身が口にしかけた酷く俗物的な言葉を飲み込み、真面目くさった顔を取り繕う。

 しかし、その数瞬の間に浮かんだ疑問を、コウは言葉にせずにはいられなかった。


「心か⋯⋯信頼できるか? それ?」


 何を隠そう、コウ自身、心変わりは早い方である。

 そして、コウのその問いにアルトリアは笑いながら頷いた。


「ふふっ、確かにそうね、人の心は簡単に変わりますわ。でも、私が言っているのはそういう事じゃないの」


 否定的な言葉で締めくくったアルトリアは、思い出したようにナイフとフォークを手にすると、目の前の皿に盛られた肉をカットし口に運ぶ。

 貴族らしい、優雅で上品な所作で料理を食べ進めたアルトリアは、3口目を飲み込んでやっと、疑問の眼差しで見つめるコウに向き直り、口を開いた。


「人間が人間たり得るのは心があるから。心がないものを人間とは呼ばないでしょ?」


 そう述べたアルトリアは、横にするりと歩み出たクロバからシルクのテーブルナプキンを受け取り、口元をぬぐう。

 数秒の静寂の後、再び顔を上げたアルトリアは吐き捨てるように口を開いた。


「お金も、国も、勝利も、その全ては人間が後から付けた虚構の価値でしかありませんわ」


 現状、アルトリアが虚構の価値と断じたものの為に戦っているコウとしては耳の痛い話だが、反論したところで話が前に進むようには思えない。

 沈黙を貫くコウの前で、アルトリアの言葉は徐々に熱を帯びていった。


「でも、人の心は違う。人間が人間としてこの世界に生まれたその瞬間から今まで、心の価値は変わる事なく存在し続ける」


 口ぶりから貴族の飾りが抜け、瞳に熱い光が宿る。


「その心を満たし、繋ぎ止めるのが愛なの」


 熱い吐息と共に、アルトリアのものとは思えないあでやかな声がコウの鼓膜を震わせた。


「目移りなんて最初から考えつきもしないような本物の愛」

 

 その言葉と同時に、アルトリアはテーブルにだんと手をつき、立ち上がる。

 衝撃にひっくり返った皿など気にも止めず、彼女はぐるりと周りを見回して続けた。


「この屋敷にいる者たちは、誰もが私を愛しているわ。そして私もみんなを愛している」


 アルトリアのこの言葉に、部屋の隅に控えた女給とアルトリアの横に立つクロバは同時に頭を下げる。


「そうしてやっと私はみんなを信じることができる」


 どこか震えているような声音。


「あなたがその輪に入って、初めて私はあなたを信頼できる」


 再び、コウに視線を向けたアルトリアは、静かに最後の言葉を述べた。


「私は、愛以外信じないの」


 熱が冷め、落ちるように椅子に腰を下ろしたアルトリアは、飛び散ったスープやソースで汚れた両手を、クロバから受け取ったテーブルナプキンで拭う。

 2度の使用でひどく汚れたテーブルナプキンを卓上に置いたアルトリアは、右手の指先に少し残ったソースをクロバに向かって差し出した。


 主人のその態度に、うやうやしく一礼したクロバはその場に膝をつき、アルトリアの右手に両手を添えると、その指先についた赤いソースを丹念に舐め取る。


「理解できたかしら? 今の私の望みは家を残すことだけ。でも、その契約を結ぶのならあなたの愛を約束してもらわなければならない」


 主従の愛を見せつけられるような光景の中、ほとんど平常に戻ったアルトリアの声は、静かにコウの耳に届いた。



 さて、全くもって理解に苦しむ話ではあるが、アルトリアの真意は見えた。


 アルトリアは、ゼルカトリアを裏切る交渉の条件としてコウに『精神的な愛』を要求してきたのだ。


 物理的なものや、肉体的なものであれば容易に片付けられる問題である。

 しかし、精神的な愛となると話は別だ。

 そもそも、初対面の人間相手に精神的な愛情を持つという事自体難しく、仮に愛情を持てたとしてそこから先は他に比べて際限さいげんがない。

 

 コウは『ソースを舐め取れ』や『靴を舐めろ』といった要求なら二つ返事で引き受けるだけのプライドの持ち主ではあるが、面倒くさい事を嫌う。


 利益的に見れば破格だが、際限のないしがらみが出来るというのは容易に許容出来る条件ではない。


「⋯⋯ちょっと無理だな」


 国益と自身の心情を天秤にかけたコウは、相当な葛藤かっとうの後にアルトリアの要求を断った。


「そう、残念ね⋯⋯でも——」


 分かり易く残念な表情を見せたアルトリアはしかし、いたずらっぽい笑みを見せ、最後に1つ、追加の条件をちらつかせた。


「私の条件を飲まないなら、これ以上クローバーを貸してあげないわよ?」


 その一言は、交渉の主導権を入れ替えるに足る威力を持っていた。


 現在のハタツミに長時間の頭脳労働に耐えうる人材は少ない。

 そんな中、クロバはハタツミの中でも数える程しかいない優秀な参謀であり、場合によっては代行指揮官としてコウの仕事のほとんどを肩代わり出来るだけの万能さを持っている。

 加えてクロバの率いる執事会は諜報活動ちょうほうかつどう、後方支援、遊撃活動ゆうげきかつどうの全てにおいて高い能力を発揮しているのだ。

 もちろんクロバが去っても執事会がなくなる訳ではないが、それほどの多芸部隊を効果的に指揮するには、やはりクロバに匹敵するだけの人材をあてがわねばならず、そのような人材に余裕はない。

 コウとしては納得しにくい話だが、確かにクロバという優秀な人材を失うリスクは大きい。


「⋯⋯よし、条件を飲もう」


 悩みに悩んだ末、コウはアルトリアの要求に応じることにした。


 憎たらしい表情で笑いかけてくるクロバに、コウは分かり易く喜んでいるアルトリアから見えないよう卓上で組んだ腕の陰に入り、最大限強烈な憎しみを込めた眼差しを向ける。


「ほう、総司令官でありながら最前線で戦い、仲間の手によって殺されかけるような頭のネジが緩んだ男にしては懸命な判断ですね」


 しかし、クロバはコウの視線など全く意に介していない様子で強烈に人を見下した毒を吐く。


「⋯⋯クロバ、覚えてろよ」


 地の底から響くような凄みのある声で脅しを掛けつつ、コウは頭の中の『帰った後クロバに押し付ける仕事リスト』に追加で86時間相当の資料整理を書き記していた。


 そんなコウとクロバのやりとりに、今まで満面の笑みで皿に残った料理を口に運んでいたアルトリアが不思議そうな表情を浮かべる。


「ねえ、さっきからその『クロバ』はクローバーのことなの?」


 今更の感が否めない問いかけではあるが、答えない理由もなく。

 コウはアルトリアの問いに簡潔に答えた。


「ん? ああ、まぁあだ名みたいなもんだ」


「あだ名?」


 しかし、その単語にあまり馴染みがなかったのかコウの答えにアルトリアは再び首をかしげる。

 その様子を見たクロバがすかさず補足を入れる辺り、彼女らの主従ではこの手のやりとりは日常茶飯事のようである。


「親しい間柄の人間同士が使う、愛称のようなものです⋯⋯まあ、彼の呼ぶそれはただの略称なんですが」


 最も、最後の言葉はコウに向けられた不平不満であるが。


「愛称⋯⋯それも愛の形ね」


 しかし、クロバの言葉選びがまずかったのか、しばし考え込むような表情を見せたアルトリアは1つ頷くと、きらきらと輝く瞳をコウへと向けた。


「ねぇ、コウ様、私にもクローバーと同じようなあだ名を下さる?」


「は? なん⋯⋯」


 『なんでだよ』その問いをコウは飲み込んだ。

 精神的に愛を与えるという面倒なことこの上ない要求を飲んだ以上、今後この手の些細な要求が絶えることはないだろう

 無論面倒くさがりのコウがその要求の全てに答えるという事はないが、最初の1回くらい真面目に取り合って心証を良くしておいて損は無いと考えたからだ。

 5秒ほど間を置いて、コウは熟考の末に生み出した会心のあだ名を口にした。


「⋯⋯じゃ、『アルト』で」


 一応釈明しておくと、シンプル極まりないこのあだ名はアルトリアの『トリア』と、ゼルカトリアの『トリア』がかぶるとややこしいと言う問題を解決する、画期的かつ機能的なあだ名である。


 しかし、クロバの『結局略称じゃないですか』という苦言は、コウの言葉に満足げに目を輝かせるアルトの表情に押しとどめられた。


「アルト⋯⋯アルト⋯⋯なんだか新鮮な聞き心地ね」


 繰り返し自分につけられたあだ名を呼び、嬉しそうに笑いかけるアルト。

 その姿は、普段から嫌味な微笑を絶やさないクロバにすら、本心から笑みを浮かべさせるだけの威力を秘めていた。


 しかし、クロバの笑顔は長くは続かなかった。


「クローバー、あなたもそう呼びなさい」


 その言葉と共に振り返ったアルトに、クロバは困ったような表情を浮かべる。


「いえ、そんな⋯⋯」


 子供のようであって、しかし、その視線には有無を言わせぬ力がある。

 言い淀んだクロバの姿に、コウは目の前の少女がその狡猾で嫌味な執事の主人である事を改めて認識した。


「⋯⋯アルト様、これでよろしいでしょうか?」


 クロバの葛藤かっとうは、先ほどのコウの物とは比較にならないものだっただろう。

 しかし、彼の受難じゅなんはこれだけでは終わらない。


「それでいいわ、クロバ」


 不本意なあだ名を、敬愛する唯一の主人に言われたクロバの顔の引きつり方は、筆舌に尽くしがたい。

 易々とクロバを手玉に取るさまは、見ていて気持ちがいいほどだ。

 

「ふふっ、冗談よクローバー」


 してやったりと微笑を浮かべるアルトと、苦い笑みを浮かべるクロバ。


 ニヤニヤと悪意に溢れる笑みを浮かべるコウを他所に、バラ園の館の晩餐はこうして幕を閉じた。

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