第66話 及第点
椅子に腰掛け、疲れたような様子で刀の柄に手をかけたゼルドロと、慌てたような表情で鞘の付いたままの大太刀を振りかぶるウチツネ。
その2人の間で椅子に手足を縛り付けられたクロバは、コウの問いに対し驚いたような表情で答えた。
「隠し事ですか? これといったものは思い浮かびませんが⋯⋯」
しかし、その驚きにも焦りや動揺の雰囲気はなく、言ってしまえば、コウの問いに対する『お約束』として驚いた様子を演じただけのようにも見える。
クロバの見せた柔軟、と言うより豪胆な態度に、カウンター席にひょいと飛び乗ったコウは前置きから話を始めた。
「まあ、『なんで結構な金額のゼルカトリアの紙幣を持ってたのか』とか、『ハタツミ政府も把握してない独自の情報ルートってのはなんだ』とか、色々疑問はあるが、抜け目ないお前のやり口からして、それぐらいのものを持ってても不思議じゃないとは思うぜ」
一連のセリフは、クロバを怪しんだ段階からコウが考えていた自問自答をそのまま言葉にしただけだが、常人が相手なら動揺を誘うには十分な内容である。
「ええ、確かにその辺りは仕事上明かせない秘密はありますが⋯⋯」
しかし、どことなく申し訳なさそうな表情でそう応えたクロバには一分の隙もなく、コウの目論見は鮮やかな空振りに終わる。
「まぁ、誰にでもそれぐらいの秘密はあるじゃろうな」
クロバを擁護するゼルドロの言葉は、どちらかといえばコウに対しての『さっさと本題に入れ』という催促のようにも聞こえる。
その声に応えたわけではないが、大きく一つ頷いたコウはズボンのポケットから折りたたまれた一枚の紙を取り出しながら口を開いた。
「もちろんそこらを追求するつもりはない。だが、まず1つ、明らかにおかしいのはこれだ」
コウが皆に見えるよう広げた紙はそれ一枚で椅子に座った彼の体を覆い隠すほどに巨大なもの。
しかし、その紙は今この場にいる4人、特に作戦立案に関わったウチツネ以外の3人は毎日のように見てきたものだった。
「私が差し上げた地図ですか⋯⋯何か不備がありますか?」
リグルが初めてこの酒場を訪れた時、クロバがコウに渡した地図。
以降、ハタツミ革命からゼルカトリアとの戦争に至るまで、コウにとって重要な情報源となったその地図は、クロバが自らの足で作り上げた、唯一無二の一品である。
「不備はない。道路網から屋台の一つまで、ありとあらゆる情報が網羅されてるこの地図は正しくお前らしい、完璧な代物だ」
クロバの問いを真面目な顔で否定したコウは、巨大な地図をテーブル上に引き上げながら続ける。
「だが、それだけに俺は気になったんだよ」
そう言ったコウは地図の下の端、国境の線に区切られた空白を指差した。
「この地図に載ってるのはハタツミのことだけだ、ここにあるはずのゼルカトリア公国の情報は何一つ載ってない、これはおかしいよな?」
ゼルカトリア公国。
大きな文字でそう記された地図の下端には、直上までの情報の精緻さとは対照的な空白が広がっていたのだ。
「おかしいも何も、ハタツミの地図なのですからそれは当然でしょう?」
さも当然と言った顔で問い返したクロバに、コウは首を横に振って応える。
「いや、お前の性格ならハタツミの地図にこそ、ゼルカトリアの情報は全て書いているはずだ。敵対状態⋯⋯いや、あの時はまだ警戒か? ともかく、要注意国家の国境線の際なら、俺だってもしもの時のために道の一本ぐらい書いてると思うぜ?」
少しの揺らぎも見逃さぬよう、真正面からクロバの瞳を覗き込み、コウは決定的な一言をぶつける。
「完全な地図から意図的にこの部分を消した、少なくとも俺にはそう見える」
一瞬の静寂の後。
放たれたクロバの言葉はあくまでも平静であった。
「こじ付けですね、そもそも王都の中に屋敷を置き、これといって僻地に用事のないバルティンシャイン家に仕える執事にとっては、外周付近の村の名を記している時点で道楽の領域ですから」
しかし、クロバのその言葉もまた事実である。
そして、それ以上の議論が水掛け論にしかならないと判断したコウは即座に問題を変えた。
「じゃあ今日の、さっきの戦闘の一幕はどうだ?」
数時間前の記憶を元に、コウはその情景を言葉にする。
「あの時、我を忘れたセナから逃げ帰ってきたお前はそれを俺に報告した」
「少なくとも俺が知ってるお前の実力じゃ、あの時のセナから逃げおおせるなんて不可能だ」
そう断言したコウを、クロバは沈黙のままに見つめ返す。
「それなのにお前はこれといった怪我を負うこともなく、その上返り血まみれで現れた」
「それは要するに、あの状態のセナを一方的に滅多斬りにしたってことだ」
クロバのその態度に、コウは確信めいた手応えを感じつつ言葉を続けた。
「俺がこうまでして引き分けたんだぜ? お前が戦って相手になるわけがない」
『そうやって実力を隠していた理由はなんだ?』
その問いは、クロバの口からもれた強いため息に打ち消された。
「それは単純に、コウ様が私の剣術の腕を見誤っていたというだけではないですか?」
何食わぬ顔で反論したクロバ。
しかし、面と向かってそう言い返されてしまうと言葉に詰まるのはコウの方である。
もちろんコウに自分の感覚を疑うと言う考えはない。
クロバの様子に違和感を覚えたことは確かであり、そしてその感覚が正しいことを、コウはこれまでの経験から確信していた。
しかし、その確信を言葉にしても『そう思ったんだもん』という駄々っ子のような弁明にしかならず、かといってクロバは拷問で口を割る人間でないことも確かであり、その背景が何一つ分からない以上、強請るネタもない。
かと言ってこのまま放置できるような問題である訳がなく、そうなればコウの方が譲歩するしかない。
「確たる証拠もなく縛り付けられるのは不本意以外の何物でも有りません」
そこに来てこんな事を言われれば『もういいよ俺が悪かったよ』と引き下がりたくなるのも無理はない。
少なくともコウにそれ以上に言い返す言葉はなかった。
なかった、のだが。
「⋯⋯が、そうですね⋯⋯返り血の件が盲点だったことは事実です。及第点を与えましょう」
その言葉とともに、クロバを包む空気がガラリと色を変える。
それは今までウトウトと船を漕いでいたゼルドロが目を見開き、ガタリと椅子を蹴る程の豹変ぶりであった。
直後バラバラと音を立てて地面に落ちたのは、今の今までクロバを椅子に縛り付けていた荒縄。
いたるところが切り裂かれたようなその縄の断面とは裏腹に、クロバの手にはナイフの一つも見当たらない。
「まあ、私としてもそろそろ種明かしをする頃合いだとは考えていましたし、あなたの観察眼を評して」
燕尾服の襟を正し、何食わぬ顔でそう続けるクロバは、それまでに見たことがない程に高慢な笑みを浮かべ、優雅に1度腰を折った。
——
翌日、早朝。
太陽が顔を出すまであと1時間ほどという時間帯、コウは、リグルとリムカを連れたヘイズメルと共に、クロバに続き山道を歩いていた。
厳密に言えば、リグルとリムカを乗せた馬車を操るヘイズメルと共に、というべきか。
ゼルカトリア方面の村々から避難させた住民と激戦が予想される王都で暮らす国民を安全な北部の都市に疎開させる計画、その責任者に名乗りを上げたヘイズメルは魔道士組合の仕事の傍、北部の都市への挨拶回りを行なっていた。
色々と安定感に欠けるペルシアの補佐を務めていただけあって、雑務から政務までありとあらゆる仕事をそつなくこなすヘイズメルの手腕は凄まじく、結果として彼の多忙は魔道士組合長であるペルシアや騎士長であるシャルロットとは比較にならない程のものとなっていた。
つまりは、早朝というには早すぎる時間帯に山道でばったり出会うような働き方をしていたということである。
荷台でスヤスヤと眠るリグルとリムカの様子を見れば多少なりとも心が和むが、あいにくその一幕も過去の話。
「まったく、君みたいな面倒くさい男がペルシア様に指図していると思うと虫唾が走るよ」
少なくとも、徒歩で道端を歩いていたコウ達に、わざわざ並走してまで愚痴を語るほどにはヘイズメルも疲弊していたということだろう。
さて、ハタツミ北部は、ゼルカトリアの脅威がある南部と違い、大規模な都市が多い。
コウ達が今歩いている山の中でさえ、馬車が数台並んで通れるほどの道が整備されている程だ。
そして、北部との交渉をヘイズメルとウォズワンドに任せきっているコウは、その複雑奇怪な道路網のほとんどを知らない。
ただ一つ、確かなことがあるとすれば、コウの目の前、山道の真っ只中に広がる薔薇園が、いかにも場違いな代物だということだろう。
「君、いつの間にこんなものを作らせたんだい?」
そして、コウの不安はここ最近、この道を何度も往復してきたはずのヘイズメルの言葉によって決定づけられる事となった。
クロバの後を追い、赤い薔薇に埋め尽くされた山道を進むコウとヘイズメル。
想定外の事態に、渋々コウを馬車に乗せたヘイズメルは手綱を振るい、馬車を引く二頭の馬を走らせる。
気まずい表情で黙り込んだコウとヘイズメルをよそに、周囲の風景は刻一刻と変化し、薔薇はその勢いを増す。
ついにクロバに追いついたとき、そこはまさしく別世界だった。
地平線の彼方まで続く薔薇の花畑と、正面に立つ巨大な館。
「君、私は7時には会議場についていなければいけないだよ? 頼むから面倒くさい冗談はよしてくれ」
ヘイズメルの呆然とした言葉に、コウはこの時、初めて彼に同情した。
——
流されるままに馬車を降りた4人に対し、クロバは館の扉の前で振り返ると、こう切り出した。
「さて、この扉を開ける前に、ひとつだけ注意点があります」
ガイドさながらにそう述べるクロバの言葉は、眠気まなこのリグルとリムカにも余計な緊張を与える事なく場の空気に張りを与える。
「この館の主人であるお嬢様⋯⋯辺境伯様は、たいへん気難しいお方です。くれぐれも彼女の気分を害さないようお気遣いをお願いします」
辺境伯、国家によってその権限は様々だが、国王一強を徹底したハタツミのそれは今で言う村役場の長と同程度の権限である。
「辺境伯か⋯⋯随分と中途半端なお偉いさんだな」
その認識からそうつぶやいたコウだったが、その言葉はクロバの失笑を買うものだった。
「フフッ、ハタツミではそうかもしれませんが、ここ、ゼルカトリアではもう少し力がありますので」
扉に手をかけたクロバは、ゆっくりとそれを押し開きながら、ささやくようにこう付け加えた。
「ああ、それともう1つ」
両手を扉にかけ、肩越しに振り返ったクロバの瞳は、子供に向けるようなものではない、壮絶な殺気が宿っていた。
「お嬢様に対する愚弄は、一片たりとも許しはしませんので」




