第64話 夢から覚めて
重厚で豪奢な細工を施されたその扉をどかりと蹴り開けて、セナは太陽が燦々と降り注ぐ中庭に一歩踏み出す。窮屈な城から解放されるその瞬間は大抵気分のいいものだが、夏場の炎天下となれば話は別だ。
照りつける日差しが暑い。
やたらと熱がこもる長い黒髪に、焼けもしないくせにヒリヒリと痛む自身の白い肌。
日差しがあるというだけで辛いのに、輪をかけて強烈な夏という季節を、セナは心底嫌っていた。
しかし、そんな状況でも元気いっぱいに話しかけて来る人間はいる。
「——ですから複製術式を安定させるためには⋯⋯ってセンパイ! 聞いてるんですか?」
耳元で元気よく騒ぎ立てるマリーの言葉を無視し、セナは鬱陶しそうに左手で日差しを遮りながら足早に歩む。
「おいチビ、少しは静かにしてろ! でないとただでさえ機嫌の悪いお嬢がキレちまうだろうが!」
なおも騒ぎ立てるマリーをたしなめるように、2人の後ろを歩く髭面の男がしゃがれた声で怒鳴りつける。
数秒の間ふてくされたように黙り込んだマリーは、しかしすぐに目を輝かせ、懲りる事なくセナに問いかけた。
「でもセンパイってとっても肌が綺麗ですよね、白いし。何か秘訣とかあるんですか?」
——
城の裏口から主城門までの半端に長い道のりは特筆すべき事柄はなかった。変わったことといえば、マリーの頭に大きなたんこぶができた事くらいのものだろう。
城壁の作り出す日陰に入り、多少歩みを緩めたセナ。
暑いことには変わりないが、日差しがないだけで感覚的には大分楽だ。
びくびくと緊張した様子の門番を横目に、開け放たれた城門を通り抜ける。
再び牙を剥いた日差しに思わず視線を背けたセナは、脇道からこちらに駆けてくる少年と目があった。
10歳ほどだろうか。子供というものはこの炎天下の中でもむやみやたらに走り回る。
ほんの目と鼻の先を駆けていく、どこか見覚えのあるその少年は、セナの前でポケットに手を突っ込み——
反射的に身をかわしたセナの鼻先を、ギラリと光る刃がかすめる。
刃渡り10センチもないそれは、しかし首に刺されば十分に人を殺せる凶器。
そしてそれを握る小さな手は、セナを追いかけて振り下ろされ——
腕を掴み、叩きつけるように投げ飛ばす。
少年の体は一切の抵抗もなく地面を打ち、苦しそうに息を吐き出す。
振り乱され、視界を流れる自身の長い黒髪。その先に倒れる少年の姿にセナは自分が笑っていることに気づいた。
その時、駆け寄った2人の門番の槍が、少年の体を順番に貫いた。
憎悪に染まった幼い瞳と、怒りをそのままに食いしばられた歯。
飛び散った返り血の生々しい感覚に、驚いたように目を見開き、
「⋯⋯あぁ、そういう事⋯⋯」
直後、疲れたようにため息をついたセナは、ゆっくりと目を閉じた。
——
悲鳴が遠ざかり、日差しが肌を焼く感覚が消える。
完全な無音の暗闇の中で、地に着いた両足が溶け落ちるように支えを失い、変わって背中に簡素なクッションの少し固い感触が生まれる。
ふっと鼻先をかすめるワインの香りに、セナはようやく目を開いた。
ところどころ傷んだ天井、小さな窓から差し込む一筋のほの白い光。
見慣れた光景に、詰めていた息を吐き出したセナは、ゆっくりと体を起こして辺りを見回す。
そこはハタツミ市街の脇道にひっそりと佇むセナの酒場、その2階にある彼女の自室だった。
しばしぼんやりとその部屋を眺めていたセナ。
その時、頬を撫でた冷気に、セナは振り返る。
薄く開いた窓から吹き込んだ風が小さなカーテンを揺らし、冬場の乾いた、冷たい空気を部屋に引き込む。
セナは、不意に聞こえた足音に、再び顔を室内へと向けた。
足音は軽やかに階段を駆け上がり、扉の前で止まる。
間を空けず扉が開かれ、現れた人物は小脇に手桶を抱えたコウだった。
「お、やっと起きたか〜」
ニヤついた笑みとふざけた口ぶり、普段と変わらないコウのふてぶてしい態度に、セナはほのかな笑みを浮かべて答える。
「⋯⋯うん」
その声は、セナが自分で思っていたものより弱々しいものだったが、コウにそれを気にする様子はない。
そのまま後ろ手に扉を閉めたコウに、セナは率直な疑問を投げかけた。
「なんで、ここに⋯⋯?」
「撤退したんだよ、俺もお前も戦えないんじゃ、あの拠点は守り切れないからな」
返ってきたコウの答えもまた分かりやすいシンプルなもので、それ以外の疑問が思い浮かばなかったセナは、とりあえずベッドから出ようと床に足を下ろす。
「おい、いきなり動くなよ、左足の傷は治ってないんだから」
そのコウの言葉通り、セナはベッドから下ろした左足に強い痛みを感じ、顔をしかめた。
その痛みに視線を下ろしたセナは、今になって自身の左足に巻き付いた血塗れの包帯に気づいた。
「魔道士たちの魔法が効かなくてな、まあ、こんだけあればなんとかなるだろ」
ポケットから包帯と薬瓶を取り出してニカッと笑いかけたコウは、ベッドに腰かけたセナの前にかがみ込み、その傷口を覆う包帯を丁寧に解く。
現れた傷口は、膿んでこそいなかったが大きく酷い有様だった。
コウは、手桶の水で濡らした布で、傷口にべったりと広がる血糊を拭く。
セナにほとんど苦痛を感じさせる事なく、慣れた手つきで血を拭き取ったコウは、薬瓶の蓋をひねりながら話しかけた。
「ゼルシカの婆さんのところに担いでいったんだが、どうやら魔症が関係してるみたいだ、俺の魔法は少し効いたみたいだからはっきりとは分からなかったんだが⋯⋯」
淡々と喋りながらもコウは、薬瓶から取り出した薬を傷口に塗り、丹念に包帯を巻きつける。
「これでよし」
その末端を処理し、最後に一度、傷口の上からパチンと叩いたコウは、悶絶するセナを尻目に大きくため息をついた。
「はぁ、まったく、好き放題暴れやがって⋯⋯おかげでひどい目にあったぞ、いやマジで」
激痛に、文句を言おうと顔を上げたセナの視界に、布をすすぐために袖まくりをしたコウの左腕が写る。
そこには真新しい縫合の痕が残っていた。
「その傷って⋯⋯」
セナの怯えたような問いに、コウはちらりと視線を腕の傷に向けて答える。
「ああ、どうやらお前に付けられた傷にも術式魔法が効かないみたいでな⋯⋯」
「⋯⋯ごめんなさい」
罪悪感に、ただそれだけ口にしたセナは顔を背ける。
そんなセナの姿に、立ち上がったコウは不意に言い放った。
「それで、頭の方は大丈夫か?」
話の流れから考えれば、セナを気遣った言葉にも見える。
しかし、今回のコウの聞き方は明らかに人を馬鹿にする時のものだった。
「⋯⋯は?」
数秒遅れてそれに気づいたセナは、わけも分からず問い返す。
そんなセナの、鳩が豆鉄砲を食ったような顔にニヤついた笑みを浮かべたコウは、わざとらしい口ぶりで続けた。
「いやぁ、今日はえらく素直だなぁと思ってな⋯⋯なんだ? 悪い夢でも見たか?」
不意に核心を突かれ、セナは答えに詰まった。
「いや⋯⋯別に」
セナの要領を得ない返答に、コウはすべてお見通しと言わんばかりにニヤリと口の端を吊り上げると、大仰な身振りで驚いてみせる。
「へ〜、お前が嫌がるような夢か⋯⋯気になるな」
余裕ぶった言葉とは対照的に、コウの目は早く話せと催促している。
コウの目つきに観念したセナはベッドから下ろした足を持ち上げながら、コウの後ろにある木棚を指し示し、疲れたようにつぶやいた。
「じゃあそこの棚から1本取ってくれる? 飲まないとやってられないような話じゃないけど、どうせなら飲みたいし」
セナの言葉に苦笑いを浮かべながら、コウは彼女が指し示した棚から1本のボトルを取り出し、投げてわたす。
「病み上がりなんだから程々にな」




