第63話 コウとセナ
森林奥、ハタツミ軍前哨基地。
思わぬ伏兵との戦闘から帰還した部隊の面々は一様に安堵の表情を浮かべる。
しかし、その中にあってコウの表情は決して明るいものではなかった。
発生した戦闘には勝利したハタツミ軍であるが、元々の夜襲作戦に関していえば完全な失敗に終わったのだ。
加えて言えば、敵部隊の配置は完全にこちらの作戦を読んだ上でのものであり、敵の強気な索敵魔法を加味してもコウは策略家として負けたということになる。
(まぁ、被害が少ないのがせめてもの救いか)
とはいえ、今はそんな事でへこたれている場合ではない。
ため息ひとつで気持ちを切り替えたコウは、とりあえず近くにいた一団、不安げに辺りを見回す魔道士隊の面々に声をかけた。
「おーいお前ら! よかったよかった、ちゃんと撤退できたみたいだが⋯⋯どうした?」
しかし、コウは最大限気さくに話しかけたにも関わらず、自身に向けられた視線から一向に不安が拭われない事に首をかしげた。
コウは改めて1人1人の顔を見回し、そして気づいた。
「⋯⋯てか、クロバ⋯⋯と、セナはどこだ?」
その時、コウの後ろの兵士たちにどよめきが広がる。
コウが振り返ると同時に後ろの人だかりを割って現れたのは、今まさにコウの脳裏をよぎった1人の男。
返り血にまみれたクロバは、過去のどの記憶にもないほどに緊迫した表情で口を開いた。
「コウ様、セナ様が——」
コウがまともに聞いた言葉はそこまで。
しかし、それだけでおおよその状況を察したコウは、弾かれた様に地面を蹴り、誰が声をかける間もなく木々の暗闇へと消えた。
——
少し開けた森の中、響き渡る打撃音。
コウが最初に目にしたのは、緩慢な動作でへし折れた木の幹に大剣を振り下ろすセナの後ろ姿だった。
そこら中に飛び散ったおびただしい量の血液から察するに、彼女はクロバを逃してから今までの間、ひたすらにそこにあった何かに大剣を振り下ろし続けていたのだろう。
「おーい、セナ?」
コウの呼びかけにピタリと彼女は静止する。
その後、ほとんど首だけで振り返ったセナは、じっとコウを見つめる。
開ききった瞳孔と剥き出しの八重歯、さながら獣のようなその表情は、コウがこれまで見てきた中でもっとも強い敵意に満ちていた。
振り返り、歩き出したセナの姿にコウは息を飲んだ。
全体が激しく切り裂かれ、血にまみれた白のブラウスと、同じく損傷の目立つ黒いズボンから突き出た銀色の刀身。
セナがあまりにも平然と立っていたために、コウは彼女の足を大ぶりの両手剣が貫いていることに今の今まで気づいていなかったのだ。
あまりの様子にコウの視線が一瞬、セナの足に突き立った刀身に流れ、
その瞬間、恐ろしく鋭い踏み込みで距離を詰めたセナは大剣を振り抜き、コウは飛び下がってそれを回避する。
猛烈な速度で振り抜かれた大剣は、ほとんど不意打ちに近い攻撃であったにも関わらず、コウの胴体をほんの少しかすめる程度に止まった。
「ぐっ⋯⋯ふぅ」
しかし、ただそれだけでコートの胸倉は盛大に引き裂かれ、打ち砕かれた彼の肋骨は散弾のごとく体内を傷つけていた。
(マジかよ⋯⋯どんな威力してんだよ)
コートに仕込んだ術式鉄札がばらまかれ、視界は激しく明滅する。
気絶寸前の衝撃を受けながらも、コウは宙を舞う鉄札の中から一回り大きな1枚を掴み取り、そのまま発動した。
回復魔法、その中でも修復の術式は詠唱の工程が多く、鉄札に刻みつけることが難しい。
その上詠唱して発動するより魔力効率も悪くなってしまうのだが、こと緊急時において、魔力を流しこむだけで即時発動できることの利点は大きい。
コウの全身を薄緑色の光が包み込み、直後、その全身から苦痛を取り払う。
なおも追撃の姿勢を見せるセナに対し、コウはコートの袖から取り出した爆式鉄札を投げつける。
飛び退いてかわしたセナの左腕を、巻き起こる爆炎が包み込む。
しかし、炎の中から現れたセナの姿に、コウはクロバの報告をしっかりと聞かなかったことを後悔した。
焼けた腕の皮膚が瞬く間に再生し、傷一つない美しい白肌へと変わる。
よく見れば彼女のブラウスも、血にまみれた破れ跡の奥に見える肌には傷一つない。
(再生してんのか⋯⋯)
驚愕は、しかしほんの一瞬だった。
『セナは正気を失っていて、なぜだか殺すという選択肢が非現実的になるほどの再生能力を得ている』
その事実から考えられる対処法は、再生の効かない攻撃で時間を稼ぎつつ制圧する事。
尋常ならざる速度で迫るセナの大剣に、コウは迷わず左手を突き出す。
針の穴を通す様な完璧なタイミングでその刀身の側面に触れたコウは、自身の体軸からその斬撃をそらすべく左腕に渾身の力を込める。
そしてコウは、さながら城を支える石柱のごとく、微動だにしないセナの斬撃に舌を巻いた。
しかし、それだけで破綻する様な作戦を、コウはもちろん立てていない。
コウは構わずあてがった左手にありったけの力を込める。
ずさりと、多少地面にめり込みながら地表を滑ったコウの両足とその横をかすめて大地に突き立ったセナの大剣。
コウは自身の体を斬撃の軌道上から押し出す事でそれを回避した。
即座に切り返されるセナの大剣を、コウは腕の下に潜り込む様に踏み込んでかわす。
肉薄したコウに対し、セナは左手の爪を立て、平手打ちの要領で腕を振り抜く。
速度、威力共に尋常ではないが、理性を失ったセナの攻撃を見切ることはそれほど難しくない。
引っ掻きが肉を裂く寸前、滑る様な足さばきで彼女の背後に回りながらセナの左手を掴み取ったコウはその手を捻り上げ、と同時に勢いを乗せた蹴りで彼女の左足に突き立った両手剣を蹴り飛ばす。
「ギャッ!」
短い悲鳴と共に体勢を崩したセナは、眼前に迫る木の幹にとっさに大剣を離し右手を着く。
コウはそれを待ち構えていた様に幹に着かれたセナの右手を払いのけ、先ほど掴んだ左腕と合わせて後ろ手にセナの両腕を極め、木の幹に押しつける様にして拘束する。
たとえどれほどの再生能力があったとしても、人体の破壊を伴わずに発生する痛みには効果がない。
「グッ⋯⋯グウウゥ!」
しかし、しばしの唸り声の後、セナは強引に体を捻った。
鈍い音と共に彼女の左肩が外れ、続けて右肘が折れる。
自身の苦痛を一切省みない彼女の行動に、コウは咄嗟に抑えていた両腕を離した。
「ガアアアァ!」
悲鳴にも聞こえるその叫び声と共に、振り返ったセナはコウに覆いかぶさるようにして大きく口を開く。
噛みつかれると判断したコウは、反射的に左腕をセナの口に押し付けた。
押し付けられたコウの腕に、セナは文字通り食らいつく。
コートの布地や仕込まれた鉄札をものともせずに肌に達したセナの八重歯は皮膚を裂き、躊躇いのない噛みつきは容易に腕の骨を砕く。
体内から響いた破砕音と共に左腕の肘から先の力が抜け、すべての感覚が苦痛に置き換わる。
「チッ! 痛いっての!」
腕の骨が完全に砕かれたとみるや、コウは正常な機能を失った己の左手に自ら噛みつき、頭ごと押し付けるようにしてセナの頭を押さえつけた。
再び木の幹に押し付けられたセナは、ここに来てついに反撃の選択肢を失った。
聞こえるのは荒い呼吸とギチギチとコウの腕に食い込む歯が擦れる音。
しかし、後10秒もすればのセナの両腕が回復し、瞬く間にコウの体をバラバラに引き裂く事が出来るだろう。
それまでの限られた時間の間に取れる選択肢は限られる。
そんな中、コウは1つの賭けに出た。
コウはありったけの魔力を込めて組み上げた渾身の魔法を、噛みつかれた左腕を介して発動する。
精神安定効果を持つ、分類としては『治療』にあたる回復魔法。それは即効性であるとはいえ、効果が現れるまでの時間には多少の個人差がある。
コウにとって、セナが正気を取り戻す事を信じたこの博打は、実際には何の根拠も確証もない。
これ以上コウに出来る事は、セナが早く正気を取り戻すよう祈る事のみ。
しかし、そんなコウの祈りを他所に、セナの瞳に敵意が浮かんだまま刻一刻と時は過ぎる。
折れた右肘が元通りに戻り、外れた左肩がひとりでに鈍い音を立てて肩の関節に収まる。
次の瞬間、コウの首を襲ったのは、絞首台にも匹敵する衝撃。
あてがわれたセナの両手は首が折れなかったのが奇跡と言いたくなるほどの怪力で、コウの首を締め上げる。
足が浮き、急速に意識が遠のく。
酸欠と血流の制限によって徐々に目の前が暗くなっていく中で、コウは最後の力を振り絞って声を上げた。
「お⋯⋯き、ろ⋯⋯ば、か」
その声が、引き金になったかどうかは分からない。
しかし、次の瞬間コウの気道には溢れるほどの空気が流れ込み、彼の首を締め上げていた手が離れる。
どうにか両足で着地したコウはしばらくの間激しく咳き込み、崩れ落ちそうになる上体を膝についた手で支える。
朦朧とした意識と、揺らぐ視界。
そんな中、するりと伸ばされた白い2本の腕にコウはビクリと身構えた。
しかし、その両手は予想に反し、コウの両頬に添えられる。
されるがままに顔をあげたコウの目の前で、セナは青い顔で口を開いた。
「⋯⋯コ⋯⋯ウ?」
月明かりに照らされたその顔は、今にも泣きそうな、これまでにない程に弱々しいものだった。
直後、セナは全身の力が抜けた様に前のめりに倒れこむ。
その体をどうにか受け止めたコウは、呆れた様に笑いながら静かにつぶやいた。
「あーあ⋯⋯死ぬかと思った」
しかし、彼女を寝かせるにしても運ぶにしても、その足に突き立てられた大ぶりの両手剣をどうにかしなくてはならない。
それまでの驚異的な再生能力が失われた結果、彼女の左足からは止めどなく血が溢れ出していた。
本当なら自身の左腕を直してから処置に当たりたいところだが、あいにくコウに魔力に余裕はない。
右腕を回し、見た目より軽いセナの体を抱き上げたコウは、自身の上体と向かいの木の幹に挟み込む様にしてセナの身体を固定する。
セナの左足に突き立てられた両手剣の柄を右手でしっかりと握りしめたコウは、一度大きく深呼吸した後、セナの耳元で小さく囁きかけた。
「⋯⋯ちょっと我慢してくれよ」
気を失っているセナがその問いかけに応える事はない。
コウはゆっくりと、セナの左足を貫く両手剣を引き抜いた。
傷口をそれ以上傷つけない様、細心の注意を払いながら刃を滑らせる。
しかし、再生能力によって刀身を包み込む様に再生した彼女の足は、どれほどに注意しても刀身を動かすことで引き裂かれ、堪え難い苦痛を生み出す。
幸か不幸か、セナの体には、その苦痛から逃れようとするだけの余力は残されていなかった。
「⋯⋯ぁあ⋯⋯ひっ⋯⋯ぅう」
耳元で響く消耗しきった、弱々しい泣き声は、何とも居心地の悪いものであったが、コウは唇を噛み締め、震えるセナの体を押さえつけながら、それをただ作業と割り切って進める。
血まみれの刀身が、ついにその先端をあらわにした時、引き抜いた両手剣を地面に放り、コウは焦る気持ちを抑えて、自身の右手を注意深くセナの首筋に押し当てる。
静寂。
しかし、その中であっても確実にセナの心臓は鼓動を刻み、弱々しくともその呼吸が止まる事はない。
それを今一度確認したコウは、緊張の糸が切れたようにその場にへたり込んだ。
「⋯⋯ぅう」
しかし、姿勢の変化と同時にセナが漏らしたか細い泣き声に、コウは慌てて彼女の左足の傷を押える。
本当ならば回復魔法で直してしまいたいところだが、あいにくコウにはセナの左足はおろか、自身の左腕を治すだけの魔力も残っていなかった。
その傷口を塞げるようなものがないか少し見回したコウだったが、片腕が使えない状態で使えそうなものは見つからず、コウは小さくため息を吐いた。
久しぶりに感じた、少しの力も残っていないような虚脱感にコウはしばし目を閉じる。
「どうやら、どうにかなった様ですね」
そんなコウに声をかけたのは、真新しい執事服に着替え、髪まで整えて現れたクロバだった。
自身が必死で戦っていた間に身なりを整えていたと考えると、コウとしては腹立たしい気もするが、救急箱を片手に現れたクロバの判断は結果的には間違っていなかったと言えるだろう。
「それにしても、こう言ってはなんですが⋯⋯あなた方は見るたびに仲睦まじいですね」
クロバのその言葉にコウは自らの姿に目をやる。
背中を丸め、すうすうと寝息を立てるセナを、半ば抱きしめるようにして腰を下ろすコウ。
確かに仲睦まじいと言われれば否定できない場面である。
もっとも、それは2人の身体中に惨たらしい生傷がなければの話だ。
「うるせぇよ⋯⋯はぁ⋯⋯」
セナの足に手早く包帯を巻きながら、クロバは不思議そうに問いかける。
「おや? 随分と元気がないですね?」
壮絶な死闘の直後にかけられれば、誰もが煽られていると捉えてもおかしくないクロバの言葉。
しかし、今回ばかりはクロバの言葉通り、コウには怒鳴り返すだけの気力すら残っていなかった。




