第62話 狩人と化け物
疾駆するセナと、静かに砲器を構えるフラン。
赤く錆びついた刀身と、黒い艶消しを施された銃身。
セナが大剣を振り下ろし、フランが引き金を引く。
銃声と共に眼前は朱に染まり、フランは重い金属音を聞く。
その紅色が頬を撫で、そしてフランは突き飛ばされる衝撃とともに、それが血より深く、濃く、また活力に満ちた輝きを帯びていることに気づいた。
直後、爆発音と共に視界の奥で大木がへし折れる。
それが、外れた自身の魔法がもたらした結果であるということにフランが気づいたのは、もう少し後の話である。
静止するセナの大剣。
その大剣と交差するように受け止めるのは、比べれば随分と細いが、人が扱う物としては十分に大ぶりな両手剣。
「おおっと、ギリギリいっぱいだ」
少ししゃがれた、しかしどこか楽しげなその声に、フランは目を見張った。
「クレル、伯爵⋯⋯」
真紅の長髪をなびかせた快活な老人の横顔に、フランは驚きと共に口を開いた。
——
上体ごとしならせて振り下ろされたセナの叩きつけるような斬撃を、クレルは鋭く突き出した両手剣の切っ先を滑らせるようにして体軸から軌道をそらす。
本能のままに振り回されるセナの連撃を、クレルは齢60にして一切の衰えを見せない正確な剣技で捌いていく。
人間が持てる域にあるクレルの両手剣と、あまりにも巨大なセナの大剣。
少しでも角度を間違えばたやすく刃を折られるようなギリギリの戦い。
しかし、フランの目には、せわしなく両手剣を動かすクレルの横顔はむしろ楽しんでいるように見えた。
回転しながら続けて放たれたセナの薙ぎ払いを、クレルは大きく後退してかわす。
1撃目、2撃目。
そして勢いの弱まった3撃目を、クレルは強く両手剣をぶつけることで弾く。
一瞬の空白。
その一瞬を逃さず、クレルは鋭く右肩から飛び込み、セナの胴体の真芯を捉えた強烈な体当たりで彼女を吹き飛ばす。
「カハッ! ぐぅ!」
苦鳴を漏らし、もんどりをうって倒れたセナを見下ろしたクレルは、一息つくように息を吐いた。
「ふぅ⋯⋯しかし、『巨人級武器』か、誰かの公爵の銅像以外で初めて見たぞ、私は」
そうつぶやいたクレルの声に滲むのは、驚きというよりむしろ感慨。
一片の恐怖も感じさせないクレルの姿は、強大な獲物の狩りを楽しむ狩人のようでもある。
立ち上がろうとしたセナの首をめがけて、クレルは大きく振りかぶった両手剣を振り抜く。
とっさに上体をのけぞらせたセナはしかし、唐突に軌道を変えたクレルの太刀筋に対応することができない。
切断音と共に、大剣を握るセナの右手首から先が切り飛ばされた。
「ギャッ!」
悲鳴と共にもんどりを打って倒れ込んだセナ。
その表情は苦痛に歪み、目には涙がにじむ。
「ア⋯⋯アァ⋯⋯ハハハ!」
しかし、その表情は次第に笑みへと変わり、そして直後、失われた右手首から先が新しく生ええ変わるようにして再生する。
「にしても、自己回復は厄介だな、このままでは決め手がない」
ここにきてクレルは初めて弱音を漏らした、もっともその芝居掛かった口振りからもわかる通り、クレルのこの言葉は後に続く文言に必然性を持たせる為の前振りにすぎない。
「ということでだ、フラン。少しばかり協力してくれたまえよ」
そう口にしながら振り返ったクレルの目を、普段通りの無表情に戻ったフランが見返す。
往々にして強靭な部下の精神力に満足そうな笑みを浮かべたクレルは、早口に作戦の説明を始めた。
——
斬り飛ばされた右手の回復にかかった時間は10秒と少し。
全く元の通りになった右手を2度、確かめるように握りしめたセナは、足元に転がる大剣の柄に残された、斬り落とされた自身の右手に触れる。
たったそれだけの刺激で、柄に残された右手は乾いた音を立てて砕け、跡形もなく消え去った。
大剣を掴み、ふらりと立ち上がったセナは眼前に立つクレルに視線を向ける。
その瞬間、今まで受けた傷の全てを思い出したかのようにビクリと身を震わせたセナは、猟奇的な笑みを浮かべて、両手剣を構えるクレルに対して一歩、足を進める。
一歩、一歩、また一歩。
獣が襲いかかる隙を伺うように、少しずつ間合いを詰めるセナ。
対するクレルは腰を落とし、右半身に構えた両手剣の切っ先を相手に向けるように構え、迫るセナを迎え撃つ。
そのクレルの視線が、不意にセナの大剣へとそれた。
その隙を待っていたように、瞬間セナは弾かれるように飛び出した。
それまでの2倍のに近い速度まで瞬時に加速したセナの踏み込みは、到底見切れるような物ではない。
しかしクレルは眼前でセナの姿が霞むや否や、鋭い声を発した。
「今だ!」
セナが地に足をついた人間である以上、絶対に必要な踏み込み。
その出足を狙ってクレルは命じる。
もとよりその場所を狙っていたフランには照準の調整すら必要なく、彼女はクレルの命令に即座に引き金を引く。
「衝撃術式!」
攻撃用ではない、純粋な衝撃波の魔法。
直撃すれば出足を突き飛ばし、外れても衝撃に砕けた地面ではまともな踏み込みなどできない。
魔法の飛来を察知したセナは直後、鋭く足を蹴り出す。
体勢を崩すことに特化されたフランの魔法は、空気を蹴って飛び下がるというセナの離れ業によって回避された。
しかし、その後退は近接戦に混ぜるバックステップというには速度に欠ける。
「よし、上出来だ」
最初からその回避を予測していたかのような深い踏み込みで魔法の炸裂点を飛び越えたクレルはセナに肉薄する。
大きく振りかぶられた両手剣から読み取れる攻撃は、急接近からの全力の袈裟斬り。
セナは本能的にそれを察知し、自身の体のほとんどを斬撃から守るように幅広の大剣を突き出し、防御態勢をとる。
クレルの放った一撃は、その大剣に阻まれることなくセナの体を貫いた。
踏み込む寸前、両手剣を逆手に持ち替えていたクレルは、セナの左足を狙って両手剣を刺し下ろす。
足を貫き、木の根を貫いて地面にまで達したクレルの両手剣はセナから自由を奪い、また明確なダメージを与えた。
切り落として再生されるくらいならば、切り落とさず、剣そのものを楔にして残せばいい。
その目論見は成功し、再生しようとする彼女の脚は体内に残る刀身に修復を阻まれ、満足に足をうごかせなくなっていた。
「はは⋯⋯ああ、美しい脚が台無しじゃないか」
眼前にかがみこみ、両手剣の柄に手を置くクレルに向かってセナは右手に握る大剣を振り上げた。
しかし、直後、振り上げられたセナの手から派手な音を立てて大剣が滑り落ちた。
「うぁ⋯⋯あ?」
左足を地面に縫い付ける刃、その傷口から瞬く間に全身に広がった痺れがセナの肉体から自由を奪う。
「根元まで突き込んだからな、少しくらい効いているだろう?」
問いかけるように、引きつったセナの顔を覗き込むクレル。
フランは無表情の奥にかすかに驚きをにじませて口を開いた。
「⋯⋯毒ですか?」
毒。
本来罪人の処刑用、或いは害獣駆除などに使われるそれは、時に回復魔法と併用した拷問としても使用される。
そして、その拷問の原型となった、『毒に強い耐性をもつ、或いは不死性の強い者に対して使い、苦しめる』という手法は、そのまま不死性の強い怪物を制圧する為の奥の手として使用されている。
「さて、あとは煮るなり焼くなりというやつだが、この不死性だ、どこぞの生物学者のところにでも持っていけば、いい金になるかもしれんなぁ」
今後の算段にほくそ笑むクレルと、ほっと溜息をついて銃を下ろすフラン。
少なくともその瞬間、誰もがセナを無力化したと信じきっていた。
力なくだらりと地面についたセナの右手が突如、跳ね上がるようにして振り抜かれた。
目を丸くしたクレルと、その左頬に刻まれた3本の傷。
引っ掻かれて出来たとは到底思えないような深い傷を撫でたクレルは、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「まさか、まだ動けるとはな」
直後、セナの頭を鷲掴みにしたクレルは、それを地面に叩きつける。
1度、2度、3度、打ち付けるたびに飛び散る血の量は増え、クレルが手を離した時、そこにある血溜まりはセナの腰あたりまで広がっていた。
血にまみれ、ピクリとも動かなくなったセナはまるで死んでいるようにも見える。
しかし、現に彼女の胸は呼吸のたびに上下し、その傷は湿った音を立てて塞がっていく。
「ふむ、止めを刺せないのは残念だが、私はここでお暇するとしよう、君の仲間も来ているようだしな」
立ち上がり、身にまとったコートの裾で無造作に血を拭ったクレルは、両手剣の柄に手をかける。
そこで異変に気付いたクレルは、珍しく明確なため息を漏らした。
再生しようとするセナの肉体がクレルの両手剣にまで侵食し、その刀身にヒビを入れていた。
「ふぅ、再生能力という次元ではないな、これは」
柄から手を離したクレルは必要のなくなった両手剣の鞘を肩から下ろし、放り捨てる。
鞘と剣を一瞥したクレルはニヤリと笑みを浮かべ、物言わぬセナに向かってこう言い残した。
「それではな、狂犬のお嬢さん」
——
セナの足取りを追っていたクロバは、立て続けに聞こえた轟音と悲鳴に歩みを速める。
そして走り出してすぐ、突然に開けた森に、クロバは眉を細めた。
というのも、その開け方が明らかに人為的なものであったからだ。
へし折られた木々に、打ち払われた薮。それは明らかな戦いの後だった。
周囲を警戒しながら、クロバは先へと進む。
それから少しもしないうちに、クロバは木の横に転がる、両断されたゼルカトリアの騎士の遺体を見つけた。
クロバはその脇にかがみこみ、注意深くその断面を観察する。
刀で切り裂いた傷より荒く、ところどころ押し潰されたようになっているそれは、ほぼ間違いなくセナの大剣によって斬られた傷だった。
(セナ様がここに⋯⋯しかし、戻っていないとすると⋯⋯)
その時、不意にガサリという音が響き、クロバは反射的に剣帯の剣に手をかけながら振り返る。
薮を1つ挟んだ先でひょいと立ち上がった人影。
血にまみれ、泥に汚れてはいるが、それは紛れもなくセナの後ろ姿であり、クロバは安堵したようにため息をつくと、立ち上がりながら声をかけた。
「セナ様! 大丈夫です⋯⋯か⋯⋯」
そして、セナの腰から下を視界に納めた時、クロバは凍りついた。
足から剣を生やしたセナはクロバの声に振り返る。
月明かりに照らされた彼女の瞳には、少なくとも、理性はなかった。




