第61話 笑う化け物
コウとの出会いから今日まで、度重なる戦闘で常に最前線にいたセナは、確実に戦闘の勘を取り戻していった。
体は驚くほど軽く、剣は霞むほど早く動く。
視覚、嗅覚、聴覚、触覚、さらには味覚に至るまでが、周囲の情報を事細かに判別し脳に伝える。
しかし、こと感覚主義なセナにとって、必ずしも鋭敏であることが有利とは限らない。
「アァ⋯⋯ハァ、ハァ⋯⋯」
騎士の1人にとどめを刺したセナは少しふらつき、荒く息をついた。
極限まで研ぎ澄まされた五感は彼女の判断力を追い越し、まるで熱に浮かされたかのように判断力を鈍らせる。
スローモーションな世界の中で、1人の騎士が駆け寄ってくる。
彼の持つ剣がゆっくりと持ち上がり、振り下ろされる。
眼前に迫るそれが、攻撃であると分かった時、セナは思い出したように身をかわす。
研ぎ澄まされた感覚に、思考が追いつかない。
それ故にセナの立ち回りはいつもより不安定なものとなっていた。
しかし、彼女の不調はそれだけではない。
セナは腕から伝わる感触に、強烈な違和感を覚えていた。
(⋯⋯何か⋯⋯おかしい)
剣越しに伝わる、相手を斬った時の感触。
命を奪い合うひりつくような感覚とは違う、一方的な、痺れるような快感。
一人斬るごとに刺激はだんだんと強くなり、比例して五感はより鋭敏になっていく。
これまで感じたことのないような刺激に、セナは戸惑いを覚えた。
その時、セナの瞳にギラつくような銀光が写る。
飛びかかってきた重装騎士に、セナは反射的に大剣を振り下ろした。
鉄壁の大盾も、普通の剣士を相手にしていればの話。
大盾を割り、鎧を砕いて、セナの大剣はその騎士を、いともたやすく破壊する。
瞬間、それまでの何倍とも思えるような強烈な快感が走った。
筋肉、内臓、骨。
肉体を破断する刺激が電流のように腕から脳天へと突き抜ける。
「ッ! くぅ⋯⋯!」
強烈な刺激に、セナはが崩れ落ちるように膝をつく。
戦闘の只中では大きすぎる隙、しかし結果的にそれは彼女を死から遠ざけた。
セナが膝をついた直後、その頭上、直前まで彼女の頭と心臓があった位置を7本の閃光が通過する。
完全な運による回避。
しかし、もちろん敵の攻撃も単なる幸運に左右されるような計画性のないものではない。
わずかな間を置いて飛来した2発の魔弾がセナの体に直撃する。
右肩と左脇腹。
それぞれに深く突き刺さった魔弾は、なお余力を残して強烈な光を放つ。
突き飛ばされたような衝撃と、同時にもたらされた激烈な痛み。
しかし、セナの頭はそれを苦痛と認識していなかった。
剣越しに感じた刺激と同質のものが、傷口から全身へほとばしる。
それは理性を麻痺させ、衝動を解き放つ。
「あ⋯⋯あぁ⋯⋯あああ!」
最後に残された1人の騎士は、眼前でガラリと気配を変えたセナの様子に息を飲んだ。
それまでの殺気とは違う、より禍々(まがまが)しい気配がセナの全身を包み込む。
傷口に刺さる炸裂寸前の魔弾が、たちまちに光を失い、消え失せる。
残された傷口がミチミチと生々しい音を立ててふさがり、最後に表面を真っさらな白い肌が覆って元通りになる。
ゆらりと、ふらつく足つきで立ち上がったセナには1つの傷もなく、その再生工程を目の前で見た騎士は驚きに腰を抜かす。
魔法とは違う、さも生物にとってそれが当然であるかの様に肉体を再生させたセナの姿は、目撃した誰もが目を疑うものだった。
「ば、化け物⋯⋯」
騎士がうわ言のようにこぼした言葉は、まさしく今のセナの姿を表すのに最適な言葉であっただろう。
しかしその言葉、というより声は、残念ながら騎士の寿命を30秒ほど削ることとなる。
ふいと、セナの視線が騎士へと向けられる。
声に反応して顔を向けた彼女はまるで、その存在を初めて見たように首をかしげる。
「なんだよ⋯⋯なんなんだ!」
その不明瞭な目線に言いようのない恐怖を覚えた騎士の男は怯えたように座りこんだまま後退る。
その行動が決定打となった。
目の前で恐れを示した男に、セナはニヤリと口角を吊り上げ、加虐的な笑みを浮かべる。
彼女の手に収まった大剣は、その錆び付いた刀身飛び散った鮮血を赤く輝かせていた。
——
コウによって伝令に出されたクロバは、彼が想定していた遭遇地点よりはるか手前で魔道士部隊の姿を見つけた。
「あっ! クロバ様!」
女性魔道士がかけた声にクロバは笑顔で頷く。
しかし、本職が執事であるクロバにとっては、様付けで呼ばれる事は違和感以外の何物でもない。
(様をつけるくらいなら、ちゃんと『クローバー』と呼んで頂いた方が嬉しいのですが⋯⋯)
しかし、そんな内心はおくびにも出さず、クロバは自然な様子で問いかける。
「皆さん、ご無事なようでなによりです。ところで、皆さんは何故こんなところにいるのですか?」
音もなく後方から現れたクロバに彼女らが気付けた理由。
それは、彼女らが後方を向いていた、つまり後退途中だったからに他ならない。
そして、司令官からの指示なく勝手に後退するのは命令違反以外の何物でもなく、重大な軍規違反となる。
「あ、それは⋯⋯」
今更になってその事実に気付いた女性魔道士は青い顔で口を閉ざし、場には気まずく重苦しい空気が流れる。
その沈黙を打ち破って声を上げたのは、部隊の中心的な立ち位置の青年魔道士だった。
「セナさんに言われたんだ。様子がおかしいから下がっておけと」
クロバは即座に問い返す。
「様子がおかしい?」
「ああ、いきなり立ち止まったセナさんがそう言ったんだ。僕たちには分からなかったんだけど、彼女の目はまるで敵の姿を見据えたように遠くを見つめてた」
青年魔道士の言葉通りならば、彼らは実質的な隊長であるセナの言葉に従っただけで、責任はセナが負うことになる。
結果的にはコウの指示通り撤退している訳で、セナとコウのパワーバランスを考えても彼らの行動が問題になることはないだろう。
「そうですか⋯⋯少し不安ですね」
しかし、クロバは不気味に揺らぐ森の暗闇に、言いようのない胸騒ぎを抱いていた。
——
巨人狩りの陣形。
巨人か、それに匹敵する強力な個人に対処するためのそれは、3つの部隊を鶴翼、つまり標的に対して逆三角形に配置し、一斉射撃から戦闘を展開する陣形。
今回は一部隊3人の総勢9名、1人の剣士を殺すには十分な体制で攻撃を開始したにも関わらず、不運な偶然と想定外の能力により攻撃は失敗に終わった。
「失敗しましたね」
構えた砲器を顔から離したフランは、事も無げにそうつぶやく。
「失敗しましたねじゃない! どうするんだ!?」
そして、彼女の横で同じく砲器を下ろしながら怒鳴り声をあげるブランドン。
彼女らの前方はるかかなたで、撃ち漏らした白髪女が騎士隊の最後の1人を殴打する。
素手とはいえ、繰り返し、恐ろしい力で打ち込まれた拳には血がまとわりつき、傍目には凄惨なことこの上ないが、騎士に関していえば最初の一撃で頭蓋を潰されているためそれ程苦しんではいないだろう。
そんな光景を眺めながら、フランは考えを巡らせる。
(自己回復ですか⋯⋯あの様子では半端な攻撃は効果がなさそうですし)
しばらくの間考えていたフランは、ふいと顔を上げると横に立つブランドンに指示した。
「ブラックさん、あなたは隊員を連れて後退してください」
息をするように名前を間違えるフランに、ブランドンは怒りを飲み込む。
しかし直後、フランの言葉の意味に気付いたブラッドは弾かれたように問いかけた。
「ッ! ⋯⋯お前は、どうする気だ?」
ブランドンに部隊を任せるということはフランは部隊から離れるということ。
まともな攻撃の効かない化け物に対し、1人で挑もうというフランの言葉はブランドンにはとても正気とは思えなかった。
しかし、すでに先の指示で会話を終わらせたつもりのフランは、ブランドンの問いを完全に無視して茂みにかがみこみ、標的の女の観察を再開する。
「? どうかしましたか? 早く下がってください」
フランがそう問い返したのは、業を煮やしたブランドンに肩を掴まれたからだった。
「ふざけるな! 貴様1人でどうこうなる相手ではないだろう!?」
ブランドンはフランを嫌っている。
それでも彼がフランの身を案じるのは、ひとえに彼の持つ部隊に対する仲間意識によるものであろう。
「私にも策はあります、勝算は5割ほどですが、ダメでも時間稼ぎにはなるでしょう」
そう言い返したフランの声に感情はない、しかしその表情には少しばかりの苛立ちがにじむ。
ブランドンが初めて見た、明確な感情を示すフランの姿に、彼は続く反論の言葉を飲み込んだ。
なおもフランを睨み続けるブランドンに、フランはしっかりと向き直り、姿勢を正して口を開いた。
「⋯⋯あなた達が残っても作戦の成否は変わりません。1つの命で勝算5割だから意味があるんです。それに、もしここで私達が全滅すれば、アレが直接本隊を襲撃するなんて事に成りかねないんですよ?」
フランの言葉は正論である。そして、時には1人の人命より戦果を優先するのが狩猟部隊なのだ。
「⋯⋯チッ、分かった! なら応援を連れてくる、それまで生き延びていろよ!」
しかし、踵を返し、部隊に指示を出そうとしたブランドンの耳に、フランの気の抜けた声が届いた。
「おお、いいアイデアです。できれば隊長を呼んできてくださいね」
能天気極まりないフランの言葉に、ブランドンは肩の力が抜けていくのを自覚した。
「⋯⋯ああ、選べるだけの余裕があったらな」
——
ブランドンの指揮による迅速な撤退を見届けたフランは、なおも死体を分解する白髪女へと向きなおる。
と言ってもフランの持つ策はそれほど難しいものではない。
手始めに、彼女は構えなおした砲器から手早く詠唱した、簡単な攻撃魔法を放った。
「火針魔弾」
魔力消費の少ない、いわば威嚇の一撃。
砲身から放たれた魔弾は一直線に飛翔し、ひょいとかわした女の鼻先をかすめて後ろの木へと着弾する。
顔を上げた女は相当な距離があるにも関わらず、まっすぐにフランを見つめると、ギラリと目を輝かせ、サディスティックな笑みを浮かべる。
ふらりと立ち上がった女は、しばしの間風に吹かれたように周囲を見回し、そしてひょろ長い腕を下ろしてそばに転がる自身の大剣を拾い上げる。
束の間の静寂。
瞬間、女は弾かれたように走り出した。
木々の間を縫い、茂みを次々と突き破って近づく女の足取りは、木の根の這い回る森の中とは思えないほどに速い。
(⋯⋯困りましたね、あの速さは予想外です)
多少の驚きを感じつつもフランは第2射、本命の高威力術式を詠唱する。
——高い再生能力を持つ魔物に対する多処方は、一撃で急所を完全に破壊すること。
問題は超高速で動き回る標的に、いかにしてごまかしの効かない高威力な術式を当てるかということであるが——
引きつけて撃つ。
シンプルかつ効果的なその作戦で、フランは地を這うように駆け寄ってくる女を迎え撃つ。
「炸裂魔弾」
フランは詠唱を終えた術式を保持し、引き金で発射のタイミングを計る。
(勝算は3割程度になってしまいましたが、命1つの対価にしてはいい見返りです)
「まぁ、分相応な最期だとは思いませんけど⋯⋯」
そのつぶやきに未練はなく、力みもない。
普段と何1つ変わらない疲れたような表情で、フランは引き金を引いた。




