第58話 偵察と計画
同日、昼。
森林の中を3人のゼルカトリア兵士が歩く。
隊長のジョセフを先頭に続くマルコとメルの3人は、共にダウブルフ伯爵の指揮下にある中級騎士だった。
情報伝達のために前線部隊のもとへ向かう彼らであったが、その表情は少しばかり疲弊しているようにも見える。
それも当然といえよう。
かれこれ30分程度とはいえ、都会での生活に慣れきった彼らには鬱蒼とした森林を歩いた経験などないのだから。
「はぁ、なんでこう、テントと前線が遠いんだよ」
マルコが苛立ち気味に漏らした不満に、隊の紅一点であるメルは疲れたように答える。
「しかたないでしょ、相手が何してくるかわからないんだから森の中に陣なんて敷けないし」
「じゃあ森を切り開けばいいだろ」
マルコの無茶な、しかし、もっともな発言に、メルは呆れたように口を開く。
「そんなこと、私たちが言ったってどうしようもないでしょ」
メルの返答は、彼女も不満を抱いている証拠だった。
しかし、そんな愚痴の応酬がいつまでも続くことはなく、先頭を行くジョセフのため息に2人はピタリと口をつぐんだ。
「静かにしろ、任務中だぞ」
立ち止まり、振り返ったジョセフの厳しい表情と口調に2人はピンと背筋を伸ばした。
ただ、中級騎士に叙任されたばかりのマルコはまだ若く、反抗的だった。
「へいへい、分かってますよ⋯⋯って、なんだ?」
不満気味につぶやいたマルコは立ち止まったジョセフの横を抜けるように足早に追い越し、そして少し先の地面の不自然な痕跡に気づく。
靴の踏み跡と木につけられた目印を頼りに先行隊の道筋を辿ってきた彼らには、一箇所だけひどく踏み荒らされた木の根の周りが特に目立って見えたのだ。
靴跡は交錯し、争ったようにも見える。
そしてマルコは、その痕跡のすぐ脇の薮の下に残った血溜まりに気づいた。
「ジョセフ隊長、これ⋯⋯」
マルコの緊張したような声に、ジョセフは静かに頷いた。
血の跡をたどり、3人は森の奥に進む。
視界が通ることのない森林の中で、それは唐突に3人の目の前に現れた
「なんだ? ⋯⋯ッ!」
木立の間にあったそれが、バラバラに切り分けられた人間の死体の山であると気づいた瞬間、3人は言葉を失った。
これまでの人生で一度も見たことがないような、ひたすらに凄惨な死。
ふらつくように、吸い寄せられるようにマルコはそれに近づいた。
「待て! マルコ! 下がれ!」
即座に放たれたジョセフの声はしかし、遅かった。
一歩踏み出したマルコは、不意に体勢を崩す。
前のめりに倒れこむ彼はとっさに両手を突き出し、そして直後、その両腕がブツリと体を離れ、宙に飛ぶ。
「ぐ、アアアア!」
マルコのあげた悲鳴に、メルは動揺を隠せず一歩後ずさる。
しかし、彼女より少し前に立つジョセフには、2度閃いた銀光と、マルコがすでに足も失っていることに気づいていた。
膝から下を断たれ、腕も失ったマルコはろくな受け身も取れずその体を地面に打ち付ける。
衝撃でマルコは息を詰め、悲鳴が止まる。
静寂の中、不意にマルコのすぐ脇にある薮が大きく揺れた。
薮からぬるりと現れた迷彩柄のコートを着込んだ青年、コウが、ハタツミ軍の最高司令官であるなど彼らは夢にも思わなかったことだろう。
髪に絡みついた薮の小枝を左手で毟り取りながら、コウは手足を失ったマルコの首に、ためらうことなく剣鉈を振り下ろした。
「ひっ⋯⋯!」
瞬く間に解体された仲間の姿に、メルは小さく声を漏らす。
気づいていなかったわけではない。
しかし、コウはさもメルの声に反応したかのように視線をそちらへと向けた。
その演出は、攻撃の対象が自身に移ったことをメルに自覚させ、そして彼女の足を縛り付けるにたる恐怖を与える。
しかし、コウの策略は成功しなかった。
「メル! 下がれ! お前は応援を呼んでこい!」
ジョセフの怒号に弾かれたように、メルはくるりと踵を返し、来た道を全速力で駆け戻る。
彼女を追おうと踏み出したコウの前に、ジョセフは剣を抜きはなちながら割って入った。
「チッ、めんどくさいなぁ」
ジョセフの立ち回りにその実力を推し量ったコウは不満げにつぶやく。
だらりと垂れ下げられた右手に握られた、武器としては珍しい鉈。
ジョセフがそれ以上の情報を探るより先にコウは動いた。
前のめりに屈み込み、ジョセフの懐に一直線に駆け込む。
そこから続く攻撃に対処するべく、ジョセフは大きく足を開き油断なく剣を構える。
ジョセフの扱う直剣とコウの扱う大振りな剣鉈では、ジョセフの方がわずかに間合いに秀でており、従って接近するコウに対し、ジョセフは先手を打つことができる。
しかし、疾駆するコウはひるむこともなく、瞬く間にジョセフの間合いに飛び込んだ。
この瞬間、ジョセフは選択を迫られた。
目的の見えないコウの突撃に対して、様子を見るか、先手を打つか。
様子を見れば有利を捨てた上でコウに先手を譲ることになり、不利益なことこの上ない。
しかし、仮にコウの作戦がジョセフの一撃をいなしてからのカウンターだった場合、とっさに放つような斬撃は容易に弾かれ、致命的な隙になる。
ローリスクローリターンを取るか、ハイリスクハイリターンを取るか。
ジョセフが選んだのは、ローリスクハイリターンな第3の手段だった。
コウがジョセフの間合いに入った直後、ジョセフは強く地を蹴り飛び下がりながら剣を袈裟に振り下ろした。
中級騎士特有の玉石混交な戦場でジョセフが生き抜くために身につけた体術は、一瞬とはいえコウの疾駆と同じ速さでの後退を可能とし、それを基盤に大きく剣を振り下ろすことで、コウのあらゆる動作をけん制する。
踏み込めば距離も詰められぬままに一太刀をもらい、いなしても距離は詰まらず、足を止めれば詰めた分の距離を失う。
コウは体を起こすと同時に、自身のふところに突っ込んだ手を振りぬく。
その手から放たれた、空中に銀色の尾を引く鉄片に、ジョセフは間一髪で剣を合わせた。
弾いたのは、両端が鋭く削られた細長い鉄札だった。
(ここで投剣か!)
前のめりに屈んだのはふところに突っ込んだ左手を隠すため、不用意に踏み込んだのはジョセフに剣を振らせ、鉄札を確実に撃ち込む隙を作るため。
正確に首筋を狙って放たれたコウの投剣攻撃に、ジョセフは額に冷や汗を浮かべる。
そんな思考の直後、ジョセフは弾いた鉄札が不自然な光を孕んでいることに気づいた。
ジョセフが対処する間も無くその光は強まり、瞬間、強烈な衝撃がジョセフの両手を撃ち抜く。
「ぐあっ!」
それが、金属製の刀身を経由して到達した電撃であると気づいたのは、激しく痙攣する両手から剣を取り落とした後だった。
電撃の衝撃で明滅する視界の中、ジョセフは自身に向かって飛来する、赤い光を帯びたもう一枚の鉄札を目にした。
——
爆発。
しかし、これは爆薬によるものではなく、鉄札に刻まれてた爆裂術式によるもの。
大人1人の体を包み込む程度の爆発だが、コウの投げた爆式鉄札は腹の深くにまで突き刺さっていた。
要するに腹の中に爆弾を埋め込まれたようなものである、即死は間違いない。
「死んだ⋯⋯よな?」
撒き散らされた肉片を浴びぬよう、木の裏に身をかわしていたコウはひょこりと顔を出し、ほとんど確定的な事実を目視で再確認する。
跡形もなく、とまではいかないが、元の原型をとどめていないそれをひと目確認したコウは、逃げた騎士を追って即座に走り出した。
——
木立の中を1人の女騎士が鬼気迫る表情で駆ける。
メルの頭には、ジョセフの命令などとうに存在していなかった。
ただ眼前で巻き起こった惨劇に対する恐怖と、それを起こした男に対する恐怖。
メルはその場を離れたい一心で、誰かにすがりたい一心で来た道を全力で走っていた。
そんな状況であれば、気づかなかったとしても仕方ないか。
いや、仮に冷静にその異変に気付いていたとしても、それは対処できるようなものではなかっただろう。
そよ風に木々の葉は揺れ、その間からさした木漏れ日がメルの顔を照らした直後、途方も無い衝撃と同時に彼女の意識は刈り取られた。
——
「う、んぅ〜⋯⋯」
木漏れ日の下で、セナは大きく息を吸い込み背伸びをする。
吹き抜けるそよ風を肌に受け、彼女は大きく息をついた。
セナは腰を折り、地面に置かれた自身の大剣の柄に手をかける。
ずるり。
と、湿った音を立てて持ち上がった錆びついた鉄塊から、赤黒い血が流れる。
大剣の下には、上半身を叩き潰された女騎士の死体があった。
「——っと、片付けてくれたみたいだな」
自身の背後から音もなく現れたコウに、セナはぐっと親指を立てて答える。
コウが現れたのはセナの背後の薮、
が、もともとあった場所だった。
先ほどの一幕、逃走する女騎士を一撃で屠ったセナの攻撃は、おおよそ20メートル遠方から薮を突き抜けつつ放たれたものである。
しかし、その速度は尋常ではなく、大剣による異常な威力と合わさったそれは、道程の木々をへし折り、薮のほとんどを吹き飛ばすほどの突撃だった。
相手からすればほとんど交通事故に近い代物であろう。
しかし、セナはそんな攻撃をしたとは思えないほどに軽い口調でコウに問いかけた。
「で、この後どうするの?」
力みなどあるはずもなく、そこが敵地のまっただ中であることを忘れさせるような声に、コウはふと頭をもたげた。
「そうだな⋯⋯」
ボリボリと頭をかき、その手が誰かの返り血で染まっていることに気づいたコウは顔をしかめ、ポケットから取り出したふきんで手と頭を拭く。
その手を剣鉈へと移し、血まみれの刀身を一拭きして鞘に納め、汚れたふきんを投げ捨てて、改めてセナに向き直ったコウは、散々待たされた彼女の放つトゲトゲしい視線に慌てて口を開いた。
「帰るか、もう十分な情報は手に入ったしな」
——
森林奥、ハタツミ軍前哨基地。
コウが率いた100人の先行隊から遅れること1日、シャルロットとヘイズメルが率いる200人程度のハタツミ軍本隊によっ作られた中継拠点は、なかばたまり場の様相を呈している。
中でも、立ち並ぶテントの中で一軒だけ建てられたログハウスなど、完全に前線でくつろごうという、コウの魂胆が透けて見えるようである。
「うーん! 遠慮なく殺れるって最高ね!」
そのログハウスの中で、ソファーに寝そべり、落ち着いたろうそくの光に照らされながら物騒な声を上げているのはついさっき本陣に帰ってきたセナである。
3人がけのソファーに横向きに寝そべって、なお大きくはみ出した足をかわすように迂回しながら、クロバはログハウスの入り口へと向かう。
「本当に、無茶苦茶しないでくださいね、っと、どうやらクマ様が戻られたようですね」
クロバが開けた扉の先では、シャルロットとの作戦報告と打ち合わせを終えたコウが不満げな顔で立っていた。
「誰がクマだ誰が」
「知りませんか? こちらの兵士達の間ではあなたは鬼熊の愛称で慕われているようですよ。もっとも——」
コウの放り投げつけるように渡した迷彩コートを受け取ったクロバは、そのコートの背中の真ん中に鎮座する凛々しいクマの顔のワッペンを指し示して続ける。
「その実態はこの可愛いらしいワッペンと、バイオレンスな作戦のギャップからくるもののようですが」
結局、コウはリムカに作らせたコートに手直しをしなかった。
もともとの迷彩柄に、茶色を基調とした熊のワッペンはそれほど違和感なく収まっていたし、何よりセナなどの一部の人間にこのワッペンはやたらと好評だった。
迷彩効果が下がるわけでもなく、自軍の士気向上につながるのなら何もわざわざ外すことはない。
よもや開戦から2日であだ名を付けられるとも思わず、それを許容したことをコウは今更になって後悔した。
ため息をついたコウの前で、クロバはコウのコートをまじまじと見つめ、納得したように口を開いた。
「なるほど、最初は偵察などどうかと思いましたが、少ない振りで威力を生み出す鉈の特性と迷彩効果の高いこのコートは確かに不意打ちに最適な組み合わせです」
そしてクロバはコートの内ポケットから1枚の鉄札を抜き取り、感心したように眺める。
「加えて、純剣士を封殺するための術式鉄札、隙のない装備ですね」
皮肉屋のクロバがあけすけに他人を賞賛することなど滅多になく、コウは気分良く口を開いた。
「まあそう言うことだ、急にこんなのを投げつけられて避けきれる奴なんかいないからな。それに、これに込めて放った魔法は投げナイフの要領で物理的に属性魔法障壁を突破できる。1対1でも多対1でも、即座に魔法と物理両属性の障壁を張れる奴は少ない、張れたとして、1つの魔法で二発分相手に魔力を使わせられるんだから、どう転んだって有利の取れる使い勝手のいい武器だな」
「はぁ、それはどうもご丁寧に」
しかし、コートを壁にかけつつ放たれたクロバの返答は、聞き流していることが丸わかりの投げやりなものであり、ソファーでうつらうつらとしているセナを含めても、コウの懇切丁寧な解説はほとんど独り言に近いものになっていた。
最初の賞賛からこの展開をクロバが予想していたとすれば、とてつもなく手の込んだ嫌がらせだが、そんなところで疑心暗鬼になっていても仕方がない。
なんとかストレスを押さえ込んだコウは少し溜めて口を開いた。
「⋯⋯ただ、これで進行ルートの確認は済んだ」
クロバとセナ、2人の視線がこちらに向いていることを確認し、コウは満を持して本題に入った。
「山場は今夜だ。夜襲に最適なルートと部隊、そのどちらも準備できた以上、あとは実際に敵戦力をどこまで削れるかが勝負の鍵になる」
——
同日、夕刻。
「——と、以上42名の死亡が確認され、3人が行方不明となっています」
酒気立ち込めるテントの中で、酒瓶片手にフランの報告に耳を傾けるクレル。
その隣に座り、鬱陶しそうに酒気を払いながら、ロックはフランの説明に疑問の声をあげた。
「目撃者がいないのか? 40人近く死んでたんだろ?」
その問いかけに、ふっと視線をロックに移したフランは活力のない表情で頷く。
「はい、上がっている情報はどれも、別部隊による死体発見の報告ばかりです」
ロックはフランの言葉に、眉間にシワを寄せて首をもたげた。
「遭遇した部隊はもれなく皆殺しか。しかも、切り刻まれた死体だけじゃなく、爆破された者や叩き潰された者もいるんだろ?⋯⋯いったいどんな部隊がこっちに入り込んでいるんだ」
なおも考えこむロック。
しかし、その表情は険しく、フランに至っては完全な無表情で考え込むロックにプレッシャーをかけ続ける。
その状況に一石を投じたのは、強烈な蒸留酒を瓶一本飲み干しておきながら、まったく酔った様子のないクレルだった。
「前線に穴は空いていないんだ、敵がこちらの陣で暴れているとすれば、それは前線への攻撃に隠れて陣を突破できるような規模、多くて4、5人⋯⋯1人の可能性もある」
クレルとロックはふっと視線を合わせる。
仲は良くないが共に戦った回数は数え切れない。
それだけで互いの考えを共有した2人は、まずクレルから口を開いた。
「これは私の予想だがな、奴らはそう遠く無いうちに夜襲を仕掛けてくると思うぞ」
「中陣への攻撃は進行路の確認のついで、本命は後方陣地への部隊を使った大火力攻撃ですか、まあ、あり得る話ですね」
そして、それを補完するロックが言葉を続ける。
直後、パチパチと拍手する音がテントに響いた。
「おお、さすがです。アイコンタクトだけで複雑な意思疎通までこなされるとは思いませんでした」
本当に驚いているのか甚だ疑問ではあるが、手を打ちなが表情1つ変えずにフランはそうつぶやいた。
落ち着いた雰囲気の女性が、まったくの無表情で拍手しながらこれでもかと賞賛の言葉を述べる。
なんともシュールな絵面にクレルは苦笑し、ロックはため息をついた。
「ともかく、相手の戦略としてはその線がもっとも有力ですかね、じゃあ、本部に夜間警備の増強を進言しときますか?」
気を取り直して、ロックは予測に対する具体案を述べる。
しかし、クレルはそれに首を縦には振らなかった。
「いや、せっかくなら叩き潰してしまおう」
その言葉に、ロックは視線をクレルへと向ける。
唇の両端が持ち上がった、満面の笑み。
こうなればもうどんな忠告も聞かない、完全に面白がっている顔である。
「適当に司令部から部隊を借りてくる。それを使って、敵の夜襲隊を奇襲してやろうじゃないか」
ざっくりとはしているが、しかし単純に効果的な戦略。
ただ手玉に取られ続けているいまに比べれば幾分かマシだ。
その考えを頭に、ロックは大きく1つ頷いた。
「ま、いいんじゃないすか」
——
月は登り、雲に隠れる。
闇夜の中、両陣営の部隊は同時に部隊を出発させる。
それは、ハタツミ森林部で起こる最大規模の戦闘の幕開けであり、そして、
1つ目の化け物をこの世に生み出した、禍々(まがまが)しく忌まわしき一夜の始まりであった。




