第56話 襲撃
ゼルシカ・リファルレンスによって確立されたマグ・ワンセンテンス機構、すなわち術式は、魔術、ひいては戦争に大きな変化をもたらした。
わずらわしい儀式を必要とせず、状況に応じて柔軟にその効果を操作することが出来る術式は、それまでの魔道士部隊の弱点であった対応力の低さを払拭し、盾兵で防御を固めた混成魔道士部隊は、それだけで砦に匹敵するほどの戦略的効果を発揮することとなった。
結果として、現在の戦争は大規模な魔道士部隊同士の魔法戦が主流になり、魔道士の数と部隊の練度が戦況を左右する決定的な差になっている。
その点から見れば、総軍1万に満たないと予想されるハタツミ軍に対し、ゼルカトリアの侵攻軍は魔道士3万、盾兵1万。
兵士の数で4倍、補給隊も合わせればそれ以上の規模になる大軍勢は、確実にハタツミを攻め落とすための堅実な戦略であろう。
しかし、大軍勢での行軍となると、当然ではあるが様々な弊害が付きまとう。
とろとろと馬を歩ませるロックは、遅々として進まない隊列にいい加減、辟易していた。
仕方のないことではあるが、行軍というものはどうしても軍隊の中核をなす歩兵の速度に合わせるため馬車隊、騎兵隊などは速度を落とさねばならない。
それに加え、4万を超える軍勢は野営の準備だけでも相当な時間を必要とし、1日で進める距離はさらに短くなる。
いや、もともと彼の率いる狩猟部隊が機動性重視の小規模部隊だというところを考えると、ロックの感覚の方がずれているのかも知れないが。
たった1つ言えることは、戦闘を目の前にただ太陽の下をのんびりと進むのはロックの性分に合わないということだ。
「ロック」
そう彼に声をかけたのは、真紅の長髪と同色の顎髭を蓄えたクレルだった。
後方から同じく馬で現れたクレルは、ロックと並走すると、何を言うでもなく視線を前に飛ばす。
クレルの視線の先にいたのは、ロックの隊の先頭で馬にまたがり、艶やかな黒髪を団子にまとめたフランだった。
「クレルさん、フランの事なんですが——」
「ところでな、フランの方は——」
ほぼ同時に口を開いた2人は、互いに口ごもり、気まづい静寂に包まれる。
その静寂を馬鹿馬鹿しいと判断したのか、直後クレルは観念したように口を開いた。
「フランは元気にしているか?」
まるで父親のようなクレルの言葉に、ロックは少し考え込むような表情で再び前方のフランに視線を飛ばす。
「まあ、元気っていや元気なんでしょうが⋯⋯」
相変わらず活力のない澄まし顔で馬を歩かせるフランに、同じく馬で並走するロックの部下の1人が何事か声をかけている。
フランの様子からは分かりづらいが、周囲の様子から察するに、どうやら和やかな雰囲気ではないようだ。
「人間ですからね、俺らドルフの中に放り込まれりゃ、それなりにいざこざはありますよ」
種族としての人間の区別を、あえてエルフ古来の言葉に置き換えてロックは語った。
少し前、クレルの指示によってロックの部隊に配属されたフランは、その実力から副隊長の座を勝ち取った。
しかし、やはりロックの部隊はフラン以外全員がドルフであり、差別され続けてきた彼らは人間であるフランにそう簡単に馴染む事は出来ない。
それくらいのことはクレルも当然分かっているはずであり、今更になって気を使うような言葉を放つクレルの真意がロックには分からなかった。
「あの娘は賢いが、いかんせん分かりづらい所があるからな、お前のような人のできた奴の元に送りたかったんだ」
はるか前を行くフランの横顔を眺めながらつぶやかれたクレルの言葉に、ロックは苦笑する。
おそらく理由はそれだけでなないのだろうが、もしそれが真意だとすれば、フランの考えを何1つ読むことの出来ないロックの今の有り様は期待はずれもいいところだと思ったからだ。
「それに、見てくれのいい娘だからな。屋敷に置いておくと妾どもがうるさいったらない」
しかしその直後、苦い表情で漏らしたクレルの本心は、とても笑えるようなものではなかった。
(妾『ども』ってのが肝だな)
多少の怒りを飲み込み、ロックは先を促す。
「まあ、できるだけやってみますよ。それで、要件はそれだけですか」
「おっと、忘れる所だった」
本当に忘れていたのか、はたまたロックの問いを待っていたのか。
「時にロックよ、随分と暇そうだな」
そう問いかけながらクレルは鞍をまたぎ、進み続ける馬の上で器用にロックに向き直った。
鞍に横向きに座ったクレルは馬の歩みに合わせて発生するそれなりに激しい揺れをものともせずに優雅に足を組む。
「ええ、まあ暇っていや暇ですが⋯⋯」
曲芸じみたクレルの動作に、多少の驚きを感じながらロックは肯定の意を示す。
何の気なしに頷いた、それが失敗だったのだ。
「そんなお前のために、私自らが本部から任務をひとつもらってきてやったぞ」
言葉とともにクレルは胸ポケットから小さく折りたたまれた一枚の紙を取り出した。
受け取ったロックはその紙をパサリと広げる。
おそらく折りたたむこと自体に問題がある。高品質な紙で作られたそれは、本部発行の命令書だった。
内容は、最前線の部隊に合流し、ハタツミ領内での最初の中間拠点となるフライヤ村の占拠を指揮せよというもの。
見るからに面倒臭さそうな内容である。
それに対するため息を飲み込んだロックは、1つの質問を投げかけた。
「⋯⋯っと、これに対する報酬は?」
「私に休みができる」
悪びれる風もなく答えたクレルに、ロックは今度こそ深くため息をついた。
——
部隊をクレルに任せ、フランと2人、1時間ほど馬を走らせたロックは程なくして目的地であるフライア村に到着した。
先行隊はすでに村に入っており、村の入り口にはすでにゼルカトリアの兵士が2人、門番として待機していた。
槍を交差させた門番は、ロックが目の前まで迫ってもその封鎖を解こうとしない。
(⋯⋯チッ、急いでるってのに)
内心で舌打ちをしつつ、ロックはポケットに手を突っ込む。
そこから取り出されたくしゃくしゃの紙を門番の鼻先に突きつけ、ロックはいらだたしげに口を開いた。
「本部司令だ、通してくれ」
ロックの言葉から数秒、緩慢な動作でゆっくりと槍を引く門番に、いい加減怒鳴りつけてやろうかという衝動に駆られたロックだったが、すぐさまそれは建設的ではないと思い直す。
隊長から指揮権を譲り受けるべくロックは村へと足を踏み入れた。
異常にはすぐに気がついた。
村の中には、行き来するゼルカトリアの兵士以外人の気配がなかった。
そればかりか、ほとんどの民家の扉が木の板で何重にも塞がれていたのだ。
「村を捨てたのでしょうか?」
抑揚のないフランの問いかけに、ロックは眉をひそめる。
(村を捨てるのなら、わざわざ全ての家の扉を塞ぐなんて手の込んだことをする必要はない。村に火をかければいいだけの話だ)
数秒の間、逡巡したロックは、先に自分がここに来た目的を果たす事にした。
「⋯⋯いや、分からんな、ひとまずここの隊長さんから指揮権をもらおう」
——
「これはこれは! 狩猟部隊の隊長様ではないか!」
村の中央にできた人だかり、ただ1人馬にまたがった先行隊の隊長は、ロックを見下ろしながら大仰に声をあげた。
並び立つ建物の中でひときわ厳重に封鎖された大きな平屋には、30人近い兵士が張り付いて打ち付けられた板を剥がし、その封を破ろうと躍起になっていた。
ロックは再びくしゃくしゃに折れ曲がった司令書を突きつけて口を開いた。
「本部司令だ、指揮権を譲ってもらうぞ」
しかし、先行隊の隊長はそれを受け取ろうとしなかった。
「まあそう急ぐな、我々は今このなんとも怪しい大屋敷を調べようとしているところでな」
要求をはぐらかそうとする眼前の男に、ロックは目を見開く。
ロックもまさか司令書を突きつけての要求をはぐらかされるとは思っておらず、すぐさま追求の言葉を発することが出来なかった。
そして、その一瞬の間に、事態は急転してしまった。
「っな! なんだこれ!?」
平屋に取り付いていた兵士の1人があげた、素っ頓狂な声にロックは目線をそちらに向ける。
平屋の正面扉の封鎖を、他に倍する速度で剥がしていたその兵士の足元には、扉の隙間から鈍色のどろりとした液体が滲み出していた。
その液体が何か、確認するために一歩近づいたロックは、胸の焼けるような強い匂いに顔をしかめる。
しかし、数瞬遅れてわずかに感じられた鉄臭さに、ロックは顔色を変えて叫んだ。
「全員下がれ!」
そのロックの叫びと同時に、村の北の森の中から一斉に矢が放たれた。
上空に赤い軌跡を残すそれは、見間違いようもなく火矢であった。
「防御障壁!」
先行隊の隊長の命令に従って、山なりに飛翔する数十本の火矢に対し、先行隊の魔道士達は迅速に防御障壁を展開する。
盾兵との連携がないとはいえ、障壁は曲射された矢を苦もなく弾き、
しかし、たった一本。
他とは全く違う射線で放たれた矢が、恐ろしい勢いで飛来する。
高く展開された防御魔法の下を潜るように放たれた矢は、針の穴を通すように兵士達の間を縫って平屋の扉から漏れる、鈍色の液体の中に突き立った。
鈍色の水たまりにパッと赤い炎が広がる。
その炎は平屋の扉を舐めるように駆け上り、瞬く間にかやぶきの屋根に広がる。
ロックに出来た事といえば、ぼうっと炎を眺めるフランを押し倒し、自身もその場に伏せる事程度のものだった。
直後、凄まじい轟音と衝撃があたりを揺らす。
遅れてやってきた熱風を背中で感じながら、ロックは自身の体をかすめて飛んでいく平屋の残骸が己に当たらないことを祈っていた。
「この匂いは⋯⋯火燃草ですね」
爆発から数秒。ロックの体の下でフランの放った、普段通りの抑揚のない声に、ロックはゆっくりと体を起こした。
火燃草
各地で発生するほとんどの山火事の原因と言われているその野草は、非常に燃えやすい草として山仕事に従事する者たちに広く知られている。
しかし、よく絞り十分に乾かしたそれと粉末状に加工した鉄を混ぜることで、非常に激しく燃焼する特性を持つという事はあまり知られていない。
錬金術師たちの一部に『爆薬』と呼ばれるその性質は、魔道士が魔法で容易に火球を作り出せる現代において、手間がかかり、取り扱いが非常に難しい物質として極一部の商人に知られている。
平屋に張り付いていた兵士達は先の爆発でほとんど絶命し、離れた位置に立っていた魔道士隊も家屋の破片の直撃や、炎に焼かれて半壊していた。
そんな中、爆発の衝撃で横倒しにされ、奇跡的に馬が盾となって軽傷で済んだ先行隊の隊長はぶつけた頭を押さえながら立ち上がり怒号を飛ばす。
「全隊突撃準備ィ!」
衝撃的な奇襲を受けた直後でありながらも、先行隊は迅速に隊列を組み上げた。
近接兵を前衛に、魔道士を後衛に配置し、先頭に立つ先行隊の隊長の突撃の号令とともに、彼らは矢が飛来した森に向かって疾駆する。
悪い戦術ではない。相手が一切視認できていなければ魔道士隊の魔法は当たるものではないし、付与魔法で強化された近接隊での近接戦は混成魔道士部隊では一般的な戦術だ。
しかし、それは相手がただの弓兵隊ならの話。
突撃する部隊の前衛が森へ差しかかろうとしたその瞬間、再び強烈な爆発音が響き渡った。
森のすぐ手前の地面が横一列に爆発し、近接隊のほとんどが爆炎と土煙に包み込まれる。
指揮を失った魔道士隊はここにきて完全にパニックに陥っていた。
「下がれ! 撤退しろ!」
ロックの声の限りの叫びも、爆音でやられた先行隊の耳には届かない。
そして、ただ右往左往するだけの魔道士隊を、土煙を突き抜けて現れた数十人の剣士達は容赦無く斬り捨てた。
——
爆発の衝撃で吹き飛ばされた兵士の首を剣鉈で切り飛ばしたコウは、仰向けに倒れた兵士の腹めがけてなたを振り下ろし両断する、鉄鎧と背骨の抵抗をものともせずに地面にまで突き立った鉈を引き抜きながらコウは叫んだ。
「よし行け! 殺せ! できるだけ無残に!」
その声に応えるように、慣れない弓を投げ捨てた剣士たちは我先にと立ち込める土煙りに飛び込んでいく。
その直後、煙の向こうから次々と上がった悲鳴を耳で確認したコウは、近くに転がる、爆発で焼け死んだ敵兵の死体に剣鉈を振り下ろした。
返り血を物ともせずに作業を続けるコウに、後方から称賛の声がかけられる。
「さすがです、弓の腕前も達人級ですね」
声の主は仮面のような笑みに血しぶきを吹き付けたクロバだった。
彼の言葉からも分かる通り、平屋に仕込んだ爆薬に火をつけた矢を放ったのはコウだった。
「まあ、昔ちょっとな」
適当極まりない答えではあるが、今クロバに構っている時間はない。
対するクロバもはなからまともな答えは期待していなかったのか、素早くコウの横にかがみこみ、手に持つ騎士団正式装備の直剣を別の死体の脇に差し込んだ。
しばらくの間、互いに言葉を発する事なく刃を動かす。
しかし、やはりこの手の作業は『慣れ』による差が大きく、クロバの手つきはいかんせん要領を得ないものだった。
切るところを間違えたのか、激しく飛び散っ血がクロバの顔中に浴びせかかり、それを拭ったクロバは不満たらしい声を上げる。
「それにしても、むごたらしい作戦を立てたものです」
確かに死体を解体するというのは、はたから見ればむごたらしいのかもしれない。
しかし、コウにはそれを忌避するような思考はなかった。
「俺みたいな何の取り柄もない人間が敵にまで気を使ってちゃ、命がいくつあっても足りないんだよ」
驚いたように顔をあげたクロバは、白々しい言葉を放つコウに1つ苦言を呈す。
「嫌味ですか?」
「本音だよ」
クロバの前に転がる死体の胴に一撃、剣鉈を振り下ろしたコウはすくっと立ち上がり、大きな声で呼びかけた。
「よし、そろそろいいだろう。撤収!」
コウの命令に、少し薄まった土煙の向こうから次々と剣士達が帰還する。
多少傷を負っているものはいるが、死者はいない。
目視でそれだけを確認したコウは、解体したいくつかの死体を派手に蹴り飛ばし、剣士隊の後を追うように森の奥へと走り去って行った。
——
瞬く間に、何の対処もできないほどの一瞬で、先行隊は壊滅した。
悲惨な死体の転がる戦場にロックは今一度、全身を包む強烈な緊張感を自覚する。
「隊長、一旦撤退したほうがよろしいかと」
そんな中、ただひとつ変わらないフランの落ち着いた声だけが、ロックの耳に静かに届く。
「ああ、分かっている」
そうつぶやいたロックは、最後に襲撃者が去った森を一瞥すると部隊に退却の指示を飛ばした。




