第53話 魔道士組合の2人
商人は兵糧をかき集め、職人は寝る間も惜しんで剣を鍛える。
大工という大工が国中から集められ、街のいたるところに櫓と防壁を作り上げる。
しかし、その全てと比較しても魔道士組合の多忙さは特筆に値するだろう。
ただでさえ戦争を前に事業組合からの依頼が膨れ上がっているにも関わらず、そこにコウが無理難題を書き連ねた要望書を持って来たのだ。
魔道士組合の現状、特に研究員達の毎日はほとんど惨劇であろう。
荒々しく開け放たれた研究室の扉からふらふらと歩み出た男が天高く鼻血を吹き上げて倒れる光景を、誰もが既視感を持って眺める、そんな有様である。
「リグル! ちゃんと頭支えててよ!」
「やってるよお姉ちゃん」
そしてリグルは今日も今日とて、姉のリムカと共に倒れた魔道士の応急処置に励む。
リグルが倒れた男を引き起こし、リムカがその鼻に小さく切った包帯を詰め込む。
魔術の学がない彼らがここで出来ることといえば雑用ぐらいのものなのだが、それでも重宝される程度には魔道士組合の仕事量は飽和していた。
そうこうしているうちに医務室からやって来た医務員達が倒れた男を担ぎ上げ、リムカに感謝の言葉を述べてから男を運び去る。
悲しいかな、魔道士は回復魔法にも精通している。
たかだか過労で倒れた程度瞬く間に処置され、1時間もしないうちにあの男は仕事に戻ることとなるのだろう。
男を運ぶ医務員の後ろ姿を何の気なしに眺めていたリグルは、彼らと入れ替わるようにして現れたヘイズメルの姿に多少の驚きを覚えた。
別にヘイズメルがいる事自体は不自然なことではない、副組合長という立場より前にヘイズメルは腕利きの魔道士、研究棟の廊下にいたとして誰が違和感を覚えようか。
リグルが驚いたのは、ヘイズメルが明らかにリグル達に向かって歩いているように見えたからだ。
そして、その見立ては的中し、リグルとリムカの目の前で足を止めたヘイズメルは、笑顔で口を開いた。
そしてヘイズメルは、なぜか顔をリムカに向けて問いかける。
「リムカ君、少しの間リグル君を借りてもいいかな?」
「ええ、もちろんです!」
元気溌剌に答えたリムカにも、リグルの意向を確認するそぶりはない。
「よし、では手伝ってくれるかい?」
ほとんど選択の余地のないヘイズメルのその問いかけに、リグルは力なく頷いた。
——
ヘイズメルの指示通り、資料室から探し出した資料の山を抱えて、リグルはヘイズメルの待つ組合長室へと向かう。
いくつか階段を上り、長い廊下を抜けた先にある荘厳な扉。
否が応でも沸き起こる緊張感に、リグルは呼吸を整えて扉に手をかける。
「で、出来ました〜」
そして、廊下にまで響き渡るペルシアのすっとんきょうな声に、緊張感が急速に薄れていくのを感じながらリグルは扉を開いた。
「さすがです! 素晴らしい出来ですよペルシア様!」
半ば想像通り続いたヘイズメルの声にリグルは室内を一望する。
扉と同等の見事な調度品で揃えられた室内の、本来なら会合か何かに使うはずの重厚な机の上には様々な実験道具が所狭しと並び、その真ん中にはおそらく完成品であろう一冊の本が鎮座する。
「ああ、ふう、はぁ⋯⋯これでコウ様の要望書は問題ないですよね?」
その奥ではペルシアが、崩れ落ちるようにソファーに深くもたれかかり、段階的なため息の後にヘイズメルの顔を見上げた。
「⋯⋯はい、これで全てですよ」
答えるヘイズメルの表情が引きつっているのは、彼が敬愛するペルシアが、彼が目の敵にしているコウを様付けで呼んだことへの拒否反応であろう。
「よかった⋯⋯では⋯⋯少しだけ仮眠をとってもいいですか?」
しかし、そんなヘイズメルの表情には目もくれず、徐々に垂れ下がるまぶたを懸命に持ち上げながらペルシアは問いかける。
「もちろんです」
ヘイズメルの優しい一言に、ペルシアは安心したように立ち上がった。
「では⋯⋯1時間ほどで起こしてください⋯⋯」
それだけ言い残し、おぼつかない足取りで組合長室を後にしたペルシア。仮眠室に向かう彼女の後ろ姿を横目に、リグルはヘイズメルに手招きされ、運んで来た資料の山を散らかった机の端に置く。
先ほどまでペルシアが腰掛けていたソファーに浅く腰を下ろしたヘイズメルは、テキパキとリグルが持って来た資料に目を通す。
やる事もなく、ただぼうっと立つリグルの前で、資料を半分ほど読み進めたヘイズメルはため息とともに顔を上げた。
「ペルシア様はね、頼まれたら断れない⋯⋯どころか、どんなに自分が不利益を被っても断るという考えすら浮かばない人なんだよ」
手をひたいに当て、ため息の後に放たれたヘイズメルのその言葉は不満ではなく、愛おしささえ込められているように感じられる。
「あの人にきちんと睡眠をとってもらうために、どれほど手を焼いたことか⋯⋯」
もっとも、その後に続いたヘイズメルの言葉は疲労感に満ち溢れていたが。
「つくづく、君のところの首魁にはうんざりさせられるよ」
ヘイズメルがこぼした愚痴も、彼の心労から考えれば仕方のないものだ。
「ごめんなさい⋯⋯」
ただそれをこぼした相手が、律儀で真面目でそこまで世間を知らないリグルであったというところが悪かった。
「ああ、いや、君が謝るようなことではないんだ⋯⋯」
慌てて訂正するヘイズメルの言葉は、しかし2人の間に気まずい沈黙をもたらしたに過ぎない。
そして、やはり真面目なリグルはその沈黙をどうにかしようと口を開く。
「ヘイズメルさんは、どうしてそこまでペルシアさんを尊敬されているんですか?」
ずいぶんとでしゃばった問いであるが、しかしヘイズメルはそれを咎める事なく真剣な表情で口を開いた。
「⋯⋯ペルシア様はあの若さで組合長の座を得たんだ。それも、血筋に頼ったものでなく実力で⋯⋯これまで誰も成し得なかった術式圧縮を完成させてね」
どこか歯切れの悪いその言葉は、リグルでも何かを誤魔化していることがわかる様であったが、リグルにはそれよりも他に耳についた言葉があった。
「血筋⋯⋯」
リグルは聞きなれないその言葉を繰り返す。
そんなリグルの表情に、ヘイズメルは驚いたように目を見開いた。
「リファルレンス家といえば、魔道に携わっているものなら誰もが知っている名家さ」
「ゼルシカ様の生み出したマグ・ワンセンテンス機構はそれまで長ったらしい呪文書を読み上げる事でしか扱えなかった魔法に術式と術句という、無駄のない完璧な基礎を作り上げ、その孫であるペルシア様の編み出した術式圧縮がそれをさらに昇華させる、名家と呼ばれて当然だろう」
軽い身振りも合わせ、とうとうと話すヘイズメル。
「そうだったんですか⋯⋯」
実際のところ、ヘイズメルの熱弁のほとんどはリグルにはよくわからないものだった。
しかし、ヘイズメルの言わんとするリファルレンス家の素晴らしさというものは漠然とリグルに伝わり、だからこそ、生まれて然るべきある疑問がリグルの口をついて出た。
「それじゃあもしかして、ペルシアさんのお母さんも——」
しかし、リグルはそこでピタリと口をつぐんだ。
先ほどまであれほどに熱く、そして楽し気にリファルレンス家の成し遂げた偉業を語っていたヘイズメルが、一瞬にして表情を凍らせたからだ。
そして彼が再び口を開いた時、その気配は息を詰めるほどに変化していた。
「⋯⋯君は、やはり聡いね」
静かに席を立ったヘイズメルは、ふいとリグルに背を向けた。
普段あからさまに感情を示すことが多いヘイズメルが見せる、押し殺したような、静かな暗い怒りを前に、リグルはたじろぐ。
「エミリア・リファルレンス、彼女の編み出した術式倒錯は、多くの魔道士にとって大きな躍進となり、またその命を奪った」
ほとんど感情が込められていない、読み上げるようなヘイズメルの声に、リグルは強烈な違和感を覚えた。
しかし、リグルには今のヘイズメルに問いかける勇気もなく、またヘイズメルにもそれ以上を語る様子はない。
「⋯⋯仕事に戻りたまえ」
それまでにない程に冷たいヘイズメルの声に、リグルはびくりと身を震わせた後、慌てて組合長室の扉から一歩踏み出す。
「リグル君」
しかし、扉が閉まる直前届いた、静かに語りかけるヘイズメルの声に、リグルは振り返る。
「君が⋯⋯君がもしあの男の、コウ・フラットの戯れに続くのだとすれば⋯⋯」
「エミリア・リファルレンス⋯⋯倒錯と破滅の魔女の名を覚えておくといい」
再びその名を呼ぶヘイズメルの声は1度目と違い、深い憎しみにあふれていた。
——
魔道士組合で働いている間、リグルは姉であるリムカとともに仮眠室の1つを貸し与えられている。
仮眠室といってもペルシアが改造を施したそこは、二段ベッドとクローゼットに、小さなテーブルと2つのスツールが完備された、生活するには不自由のない立派な宿舎と言えるだろう。
そしてこの日、リグルはヘイズメルが昼間に見せたそれまでにない言動を、リムカに話していた。
「あのヘイズメルさんが?」
二段ベッドの一段目に腰掛けたリムカは裁縫の手を止め、驚いたように顔を上げる。
「やっぱり変だよね」
1日抱えていた疑問を吐き出し、大きく1つため息をついたリグル。
その後しばらくの間リグルとリムカは互いの考えをぶつけ合ったが、満足のいく答えは得られなかった。
リグルとしては、こうしてリムカと2人、姉弟水入らずで過ごす時間は久しぶりであり、それだけでも十分嬉しいものだったのだが、リムカはそれだけでは納得しなかった。
「術式倒錯か⋯⋯」
思い立ったように針を置いたリムカは立ち上がり、自分のベッドの枕元に手を伸ばす。
そこから出て来た一冊の本に、リグルは疑いの目を向ける。
「姉ちゃん、それって⋯⋯」
「魔法辞典。魔道士組合で働くんだから、少しくらい魔法の知識がある方がいいでしょ」
自慢げに語るリムカの言葉は、決してリグルの疑問を払拭するものではなかったが、しかし、彼女のその本だけが手がかりであることには違いない。
『それ、ちゃんと借りてきたんだよね』という疑問を飲み込み、そそくさとリムカの隣に座りなおしたリグルは、姉弟で肩を寄せ合い、リムカの開く魔法辞典を覗き込んだ。
幸いにも、探していた一文はすぐに見つかった。
——
技能・術式倒錯
開発者・エミリア・リファルレンス魔道士組合長
種別・戦闘用補助術式 用途・対人戦闘
概要
本来術式の最初に付加される魔術の各属性を、最終句に変化式を用いて変化させることにより、瞬間的に魔術の特性を変化させる術式
術句
「 」
追記、術式倒錯を用いた術式において、原因不明の魔力膨張現象が確認されたため、術式は一時非公開とします。
追記、東部魔道評議会により、 技能・術式倒錯は『第一級禁忌術式』に指定されました。
今後、術式は『禁忌目録』にのみ記載され、一般の魔道士の使用、および習得は禁止されます。
——
読み終えて数秒、自身が息を止めていたことに気づいたリグルは、荒く息をつきながら顔を上げる。
数瞬遅れて顔を上げたリムカもまた、青い顔で浅く息をついている。
空白になっている術句の欄はまるで初めから何も書かれていなかったように白く、その下に続く2つの追記はその全文が少し浮かび上がるような不思議な質感を示す。
おそらく何らかの魔法によって編集されたその文の中で、『禁忌』という言葉が、言いようもない不安感と共にリグルの脳裏に刻まれた。




