第50話 部外者たちの決勝戦
真昼間から行われた、騎士と志願兵の交流と気晴らしを兼ねた親善試合。その決勝は、ほとんど無関係の2人によって争われることとなった。
その片割れ、長身痩躯の女は、訓練場の隅で彼女より頭一つ小さい男に問い詰められている。
しかし、その問答ははっきり言って無意味というものだ。
「だって、暇なんだもん」
左手でくせ毛をかき混ぜながらあっけらかんと言い放ったセナに、唖然と言葉を失うコウ。
寝る間も惜しんで働き続けてきたコウに対する当て付けとも取れるが、今この瞬間に関して言えばコウも完全にサボっている為、どうにも言い返しづらい。
「⋯⋯いやいや、お前立場分かってんのか?」
どうにか口を動かしてそう問いかけたコウに、
「大丈夫よ多分。あ、ほら、髪も変わってるし」
根拠のない笑顔と共に、セナは自身の頭を指差す。
「多分ってお前な、指名手配だぞ? 国家反逆罪だぞ? バレたらお前⋯⋯どうするんだよ」
あれほど饒舌なコウも言葉に詰まるような状況である。
しかし、それでもセナに悪びれる様子はない。
「あの手配書でわかる奴なんていないわよ。それに、騎士団にいた頃も他の隊とは全然接点無かったし」
本当に、彼女のこの自信はどこからくるのだろうか。
仮にも自分の古巣で知り合いに出会わない保証などないはずだ。
しかし、次なる説得の言葉を考えているコウに、ひょいと横から現れたゼルドロは予想外の言葉をかけた。
「まあ、コウよ、そう心配することもないじゃろう。 それに、嬢ちゃんのいう『いめちぇん』っつうのも案外馬鹿にできんもんじゃぞ」
発音に違和感があるのはイメチェンという言葉を使い慣れていないからだろう。それにしても、いち早くセナの正体に気づいた男のものとは思えない危機感に欠くセリフだ。
しかし、これで多数決的には2対1、これを覆すにはより正当性のある理屈をぶつけるしかないのだが、
「だから大丈夫だってば。バレてないし、なんなら仲良くやってるわよ」
退屈な問答に嫌気がさしたのか、そう言い切ったセナはコウを押しのけ、静止するコウにヒラヒラと手を振りながら歩み出て行った。
その後、彼女の言葉を裏付けるように湧き上がった歓声に、ゼルドロは小さくつぶやいた。
「騎士団には肉付きのいい女はおっても、細い女はおらんからのう」
——
かくして、セナを決勝に送り出したコウは再びゼルドロと2人、訓練場の壁際に座り込んで事の成り行きを見物することとなった。
不安は残る。
セナの正体が暴かれない保証はない。そして彼女が指名手配犯だとバレた場合、その余波がコウを今の地位から引きずり下ろすことは想像に難くない。
「俺は知らないからな」
しかし、わがままを通したセナを止める術もなく、せめてもの抵抗として現実逃避的な言葉と共に、コウは思考を対峙するセナとウチツネへと向けた。
訓練場の中央に堂々と立つウチツネは準決勝でへし折れた木の丸棒を交換し、万全の態勢でゆっくりと腰を落とし、構えを取る。
相対するセナはウチツネから目測で7メートルほど離れた位置に立っていた。
さして構えを取ることもなく、だらりと垂れ下げられたその右手には長さ30センチ前後の短めの棒が握られている。
極太の大剣と木の棒では使用感が違いすぎるのか、セナはコウが初めて出会った時と同じ、短剣と格闘による接近戦スタイルで臨むつもりのようだ。
近接戦における遠、中、近距離全てをカバーするウチツネの大太刀術と、至近距離オンリーのナイフ術。
2人の間合いから見ても、ウチツネの方が有利といえる。
しかし、残念ながら結果は始まる前から明らかだった。
「始めぃ!」
鋭い審判役の声が響き渡り、同時にセナは強く地を蹴って駆け出す。
低く、地を這うような前傾姿勢で猛然と迫るセナを、ウチツネは落ちつた様子で迎え撃つ。
冷静に、堂々と。
そして、疾駆するセナの上体が彼の握る長大な木棒の間合いにきっちりと収まった瞬間、ウチツネは力強い発声と共にその木棒を振り抜いた。
「ムン!」
激しい、空気を引きずるような異様な音を響かせながら振り抜かれたウチツネの一太刀は、間違いなく先の試合で見せた一撃を上回るものだった。
だからこそ、それが空を斬ったという事実に、訓練場の隅でコウは小さくため息をこぼした。
まるで、それまでの疾駆が幻であったかのように。
大きく上体をそらし、倒れそうな程に後傾するセナ。
側から見ればウチツネの斬撃に弾き飛ばされたようにも見えるだろう。
しかし、少し目がいい者が見れば、セナの身体のどこにも傷が付いていないことと、仰け反った彼女が口元に浮かべる吊り上がった微笑が見えるはずだ。
そして、もっと目のいいものが見れば、ウチツネの攻撃が当たる寸前、何の前触れもなく急停止し、弾かれたように上体を起こす彼女の動きが見えたことだろう。
その後傾姿勢のまま、セナは滑るように踏み込む。
足だけを前に滑らせ、追いつくように上体を戻す。
幅跳びの着地のような動作だが、彼女はそこに飛び込んできたのではなく、仰け反っていたのだ。
「まったく恐ろしいのう、魔症っちゅうのは」
どこか哀愁ただよう声音で、コウの考えと同じ言葉を口にしたゼルドロに、コウは小さく唇を歪めた。
『孤高』
非常に珍しい魔症という病の中で、最も報告件数の多い症例。
現状、後天的な発症が唯一報告されたそれは、精神力の強い人間に起こりやすい、いわば、究極の自己暗示といえよう。
症状は単純。患者は症状を発症した時点で世界を構成する要素の一つであるアストラルから遮断され、その際に失われるアストラルの現実補完能力がその人物個人の意思で代用されるというもの。
簡単に言い換えれば、自分のイメージで自身の動きを法則を越えて制御することができるようになるということだ。
アストラルから切り離される関係上、魔法が使えなくなるケースが多いが、それも魔法に対するイメージが強ければ補うことが出来る。
イメージさえあれば、剣技の腕は達人以上にまで跳ね上がり、大魔道士のごとき魔法を操り、ひいては無条件に空をも飛べる。
一見すると万能で素晴らしい能力のようにも見える。
しかし、実際それは大間違いである。
「異常と停滞の『孤高』⋯⋯か」
資料を求め、随分と通い詰めたゼルシカ亭で彼女が語ったその言葉をコウは口の中で小さく繰り返した。
孤高の最大の落とし穴は、その変化が個人のイメージに基づいて引き起こされるということそのもの
自分の中にあるイメージ通りに体が動いた時、人はさらなる成長に対応できなくなる。
自分の理想通りに動いたという事実は、それまでのイメージと共にあらゆる法則を書き換えて本人に重くのしかかり、新たなイメージの誕生を阻害する。
人として普通の生活を送ってきた者にとっては、空を飛んだりといった突飛なイメージがあるはずも無く、結果としてこの魔症は人から成長の機会を奪う、忌々しい呪いとして一部の魔術師に知られている。
数少ない例外は、先天的にこの魔症を持って生まれた場合。
接近し、激しく短棒を振り回すセナの連撃に、ウチツネは間一髪で木棒を合わせ、大きく後退しながらも切り返しの一太刀を放つ。
「ぬん!」
先の一撃に比べれば速度も勢いも劣るが、それでも至近距離で前傾姿勢のセナにとっては不可避の一撃となるはずだった。
「アハッ!」
しかし、踏み込んだ軸足をそのままに振り上げるセナの蹴りが、吸い込まれるようにウチツネの斬撃の側面を捉え、彼の腕ごとその一撃を大きく打ち上げる。
右足を蹴り上げ、左足ははるか後方。本来なら転んで然るべきその体勢から、セナは滑らかに駆け出す。
「むぐぅぅ!」
ウチツネの首に短棒をあてがい、足を引っ掛けてその場に引き倒す。
「そこまで!!」
審判役のその宣言が響くまでの数瞬で、セナはマウントポジションから計4発のパンチをウチツネの顔面に叩き込んでいた。
——
「フラット公」
後方から落ち着いたその声が聞こえたのは、セナの殴打で完全に伸びてしまったウチツネを起こすため、べしべしと頬を叩いていた時のことだった。
現状、コウをその名で呼ぶ人物は1人しかいない。
「ウォズワンド?」
振り返ったコウの目の前には、訓練場には場違いな紳士服に身を包んだ初老の男と、彼の横で気まずそうに顔を背ける現国防師団長、シャルロットの姿があった。
ウォズワンドは、にこやかな笑顔で隣に立つシャルロットを指し示し、口を開いた。
「ははっ、なに、王城の門をくぐってみれば、なにやら楽しそうな声が聞こえてきたものですから、ちょうど城門で出会った彼女に案内してもらいました」
指し示されたシャルロットは大層慌てた様子で口を開いた。
「いや! 門番に交代を伝えに行った時ちょうどこの方がおま⋯⋯総司令を探しているようだったから案内しただけだ⋯⋯だけです。決してさぼっていた訳ではないからな! ⋯⋯ないですから!」
しどろもどろになりながら釈明するシャルロット。
彼女の性格からしてさぼりなどするはずがない事は分かっている。
むしろ難しい立場でありながら懸命に職務を全うしようとする姿は、コウの周りの人間と比較しても素晴らしいものだ。
しかし、ただ1つ、コウに対して敬語を使うという事に慣れることができない彼女の性格は、いっそのこと不憫であろう。
「あー、難しいなら無理に敬語使わなくてもいいぞ? お前はよくやってくれてるし、それくらいの特権はあってもいいだろ」
コウのこの言葉は気を使ったつもりだったのだが、シャルロットはさらに困ったような顔で後退った。
「えっ⋯⋯いや、だが⋯⋯」
言葉に詰まるシャルロット。
内心、彼女も自身の要領の悪さを自覚していた。ここで妥協してしまうとコウの顔が立たないが、このままでは仕事にすら支障が出てしまう事は明らかだ。
しかし、これは仕方のないことなのだ。
威風堂々とした威厳溢れる前王と、ニヤニヤ笑いを浮かべ嬉々として嫌がらせを仕掛けるコウを同様に扱うなど。
「そ、そうか?」
結果として妥協を選択したシャルロットに笑いかけたコウは、彼女の発言からふつふつと湧き上がってきた1つの質問を口にした。
「おう、でさ、俺のところに案内したって言ってたけど、どうして俺がここにいるって知ってたの?」
「ああそれならクロバさんが教えてくれたんだ」
なぜクロバに敬称を付けることができてコウに敬語を使うことができないのか。当然浮かんで然るべき疑問であるが、今のコウにとってはサボっている事実がクロバに筒抜けになっている事の方が問題だった。
いったい次に顔を合わせたらどんな嫌味を言われるのか、今から気が滅入りそうになるが、そんなことを考えている暇はない。
「⋯⋯よろしいですか?」
来客者本人でありながら蚊帳の外に放り出されていたウォズワンドがその笑みを崩さず話の切れ目に割って入る。
商人とあってか話を切り出すタイミングは見事の一言だ。
「ああ、悪い悪い。で、なんの話だ?」
相手に自然に謝らせる、常に優位に立つ交渉術は、コウにも学ぶところがあるかもしれない。
「ええ、この間注文していただいた中型直剣230本、それから火燃草と発火石の納入準備が整いましたので報告に参りました次第です」
しかし、そんなコウの考えもよそに、ウォズワンドの口から放たれた言葉は取るに足らない報告、わざわざ大商団の首魁が現れて語るような内容ではない。
「⋯⋯本当に? それだけか?」
コウのこの問いかけも当然というものだろう。
ウォズワンドはぱっと笑みを浮かべて口を開いた。
「さすがフラット公、分かっていますね」
意味のない会話を一度挟んでまで相手をおだてるこの話術は、さすがに少し馬鹿にされたような気分になったが。
「とはいえ、結局私がわざわざ言うような事でもないのですが⋯⋯直剣とは別に特注なされた『刀』の製作が難航しているようで、技師の方から設計者に合わせて欲しいとの要望が」
言葉と共にウォズワンドは胸ポケットから1枚の地図を差し出す。
紙質といい、精度といい、一目見るだけで高価と分かる地図に一ヶ所点を打っただけの贅沢な1枚を受け取り、コウは了承の言葉を口にしようとした。
「なーにしてんのよ?」
しかし、彼の言葉はセナの声に遮られた。
兵士たちによる優勝を祝う胴上げを終え、その過程で体に触れたもののほとんどをセクシャルハラスメントの大義名分の元に滅多打ちにし、その上でなお声援を浴びながら現れたセナに、ウォズワンドはにこやかに声をかけた。
「これはこれはフラット夫人、なに、ちょっとした商談ですよ」
彼としては何気ない一言だったのだろう。
「は?」
しかし、もちろんそれはセナにとっては意味のわからない一言である。
「あの、俺ら夫婦じゃないから」
すかさず訂正の言葉を放つコウ。
しかし、その言葉は遅かったと言うべきだろう。
「どーゆー事か、説明してもらえる?」
笑顔である事は変わらないが、彼女が次に放つパンチがおそらく命に関わる一撃になるであろう事は、その場にいる全員に明らかだった。




