第49話 弟子の成長、喜ぶ師匠
太陽の光が差し込まないというだけで、人間はいとも簡単に時間感覚を失う。
それはどれほど膨大な月日を経験した上級転生者であっても変わらない。
天頂からこれでもかと光を降らせる太陽を見上げ、コウは王城のテラスにて、今日の午前に参加する予定だったいくつかの会議に思いを馳せていた。
「⋯⋯やらかした」
そうつぶやいたコウの顔には、言葉に反して清々しい笑みが浮かぶ。
誤解がないように書いておくが、彼が今日すっぽかした会議はどれも重要な案件であり、『やらかした』の一言で片付けていいものではない。
それを踏まえて見た彼のこの態度は、先を見据えての余裕というより、疲労による現実逃避という方が近いか。
国防軍としての本格的な活動は、王城の地下書庫に篭っていた数日の何倍も大変なものだった。
さすがに不眠不休とまではいかないが、それでも1日の仕事の密度は尋常ではない。
クロバと分担してこれなのだから、軍隊の指揮の部分を差し引いても前王の苦労は計り知れず、またこれに加えて国土拡大までやってのけた初代国王の能力は異常というよりほかないだろう。
しかし、今回の失敗は大きい。
疲労に倒れ、寝過ごしたならまだ共感を得られるかもしれないが、何気なく地下書庫で調べ物をしていたら時間を忘れていたなどと。
「まあ、1日ぐらいいか」
乾いた空気に長く息を吐き出したコウは、諦めの言葉と共にくるりと踵を返した。
時間感覚がおかしくなる程のストレスを抱えた状態で仕事をしても捗らない。それならば残りの半日程度をストレス発散に使ってしまうのも悪くはないだろう。
すっぽかした会議と今日1日分の仕事の全てをクロバがこなしてくれていると信じ、コウは外出用の上着に手を伸ばした。
「ソイヤァァァ!」
その瞬間城の裏手から響き渡った、野太く、猛々しく、それでいてどこか間の抜けた咆哮に、コウは小さく笑みを浮かべた。
——
騎士団の訓練場は王城の裏門と隣接する形で建築されている。
初代国王が国家の象徴として作り上げた王城に、前国王が騎士団の拡大と合わせて作り足したらしいその訓練場は、最終防衛線という部分もあり、壁という壁が無駄に頑強な、要塞のような造りになっている。
裏門をくぐって訓練場に入ったコウは、修練の場に有るまじき、和気あいあいとした様子に眉をひそめる。
点在する人だかりの中で、志願兵はもとより、普段から厳しい表情を崩さない騎士達までもが豪快な笑い声をあげている現状は、コウの予想外のものだったからだ。
裏門の下で立ち止まり首を傾げていたコウは、すぐ横の壁際に腰掛けてケタケタと笑い声をあげる袴姿の老人に歩みより、声を掛けた。
「おいっすゼル爺、面白そうなことしてんじゃんか」
声を掛けられた老人、ゼルドロは肩越しに振り返り、目前に立つコウの姿に一瞬驚いたような顔を見せた後、また笑みを浮かべて自身の横に座るように促した。
別段逆らう理由もなく、どっかりと腰を下ろしたコウに、ゼルドロは笑いを堪えるように口を開いた。
「クク、やつれ顔が様になってきたのう」
にやにやとした嫌らしい笑みに違わず、過労のコウの神経を逆撫でするような言葉を放つゼルドロ。
薄々気づいてはいたが、コウの周りにいる人間でまともな気遣いの出来る良識人は数える程もいないのではないだろうか。
「うっせ。それよりさ、何やってんだよこれ?」
些細な挑発を軽やかにいなし、コウは目の前の光景についてゼルドロに問いかける。
「クク、まあ、お主も間がいい。こっからが面白いところじゃ」
笑みとともに、ゼルドロはコウの問いに答えることなく、土煙舞う訓練場の真ん中で向かい合う二人の戦士を指し示した。
兵士たちの歓声に囲まれて長い木の棒を構える二人の戦士。
その内、棒全体の5分の1辺りを右手で掴み、腰だめに構える上半身をはだけた袴姿の大男は、王城にまで響く咆哮を放った張本人、ウチツネである。
「準決勝、用意!」
どこからか、響き渡った審判役の人物の声に、ウチツネと向かい合う、騎士団特有の西洋甲冑姿の男も構えを取る。
身長と同程度の長さの棒を丁度三等分する位置に手を置いた構えから見るに、男は槍使いであろう。
隙のない構えからも、相当な手練れであることがうかがえる。
対するウチツネも腰を落とし、徐々に神経を研ぎ澄ませていく。
実戦ならば誰も待ってはくれない、しかしこれは試合。
静寂に包まれたその場で、向かい合う二人の戦意が最高潮に達した瞬間、審判は力強く開戦を告げる。
「始めぃ!」
その声が響き渡ると同時に地を蹴ったのは槍使いの男だ。
どっしりと構えたウチツネは男の突撃を迎え撃つべく、その全身に力を込める。
間合いで言えば、相手と同じ長さの棒を刀の要領で握るウチツネの方が優れているが、両手で握る槍使いの方が防御力で言えば優れているだろう。
勝負は最初の攻防の後、どちらがより早く体勢を立て直せるかで決まる。
コウがそう考えた瞬間、男は構えを変えた。
突き出すように構えた左手を返し、両手の親指が向かい合うように棒を握る。
たったそれだけ、しかし、それがもたらした変化に、コウはあっと声をあげた。
「ハルバードか!」
斧槍、斧と槍、その他様々な武器の特性を併せ持つ、中世ヨーロッパにおいて最強とさえ言われた近接兵器。
男が見せた構えは、そのハルバード特有の構えだった。
とはいえ、男が振るうのが単なる木の棒である以上、ハルバードの特徴である多様な攻撃手段というものは存在しない。
重要なのは戦い方の変化である。
親指を向かいあわせる男の構えは、柄の部分で相手の攻撃を防ぎ、その状態から身体を捻りつつもう一端の斧を振り下ろす攻防一体の構え。
言い換えれば、最初から戦士の強力な一撃を受け止める前提の構えであり、当然それを操るハルバード使いもそのための訓練を積む。
男の身のこなしは完全に手練れのそれであり、彼の得物がハルバードであるならば、ウチツネの間合いの優位は強引な踏み込みに打ち消され、片手で振るう威力の弱さがそのまま決定的な差となる。
二人が交錯した瞬間、コウの脳裏には全力の一閃を弾かれ、なすすべもなく地面に叩きつけられるウチツネの姿がまざまざと浮かび、彼は苦い顔で奥歯を噛んだ。
「ムウアァア!!」
しかし、そんな絶体絶命状況で放たれたウチツネの咆哮は、大気を震わせるほどに雄々しいものだった。
溜めに溜めた力を全て解放するように、熱気を放ちながらウチツネの筋肉がうなりをあげて躍動する。
コウの目から見ても、その一撃はあっぱれな代物だった。
ハルバード使いの振るう棒の丁度真ん中に炸裂した一撃は、互いの得物をまるでガラス細工か何かのようにたやすく打ち砕き、振り抜いた衝撃波だけでハルバード使いは大きく押し戻される。
ただ一人、静寂の中、刀を振り抜いた体勢で微動だにしないウチツネの右手の中には、握りつぶされた棒の一端だけがあった。
さて、お互いの武器が砕け散り、どちらも一度も倒れていない状態で、ウチツネはどう決着を付けるつもりなのだろう。
「うむ、参った」
コウの一瞬の心配は、ハルバード使いの降参の言葉によって杞憂に終わった。
「勝者、ウチツネ!!」
間髪入れずに審判の宣言が響き渡り、一拍置いて凄まじい歓声が上がる。
「どーもどーも! あいやー、ありがたいでござるな!」
歓声に笑いながら手を振るウチツネの姿に、コウは知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。
「ずーっと振っておったよ」
唐突にゼルドロから声をかけられ、コウはゼルドロを振り返った。
いまいち意味のわからない言葉にどう答えたものか迷っていたコウに、ゼルドロはため息まじりにつぶやいた。
「毎日毎日、お主が城にこもってからもひたすらに刀を振り抜いておったんじゃよ、あやつは」
ゼルドロのその言葉で、コウはようやく理解した。
ウチツネは、コウが教えた一文字斬りをひたすらに繰り返していたのだ。
愚直に、一心に、来る日も来る日も彼は木刀を振るい続けたのだ。
そう考えるとウチツネの勝利が一気に感慨深いものになる。
目頭が熱くなるような感覚を、笑みを浮かべて押さえ込んだコウは、しかし、ある1つの疑問に思い至り、首を傾げた。
「あれ? もう1つ教えてたと思うんだけど⋯⋯」
コウがウチツネに教えた戦い方は1つではない。
より実戦的な戦術として、連続一文字斬りの合間をぬって攻めてくる相手への対処法に、振り抜いた刀を投げ捨て、相手の注意がそれている隙にぶん殴るという突飛な戦い方も教えたはずだ。
「ああ、あのぶん殴るやつじゃろう。なんでもこれは相手がいないと出来ないとかなんとか言って悩んでおったぞ」
ゼルドロの言葉に、コウはこみ上げる笑いを必死で抑えていた。
ウチツネがこれほどに間の抜けた男であると知れば、彼に負けたあのハルバード使いはどんな反応を示すだろうか。
あるいは、馬鹿の一つ覚えも極めれば必殺の一撃となる。いい教訓かも知れない。
「決勝戦!」
そのような思考にふけっていたコウは、審判の声で現実に引き戻された。
なんのトーナメントかは知らないが、これほどの成長を見せたウチツネだ、決勝の応援にはがぜん力が入るというものである。
そのような考えで、ウチツネの決勝の対戦相手に目を走らせたコウは、人集りからひょろりと現れたその人物に、目玉が飛び出しそうになる程の衝撃を受けた。
「やっぱり決勝はウッチーなのね〜」
すらりと長く、細い体に真っ白い肌と髪。見慣れた黒ズボンとノンスリーブの白シャツ姿で歩み出たセナに対し、コウはありったけの声量で叫んだ。
「なんでお前がこんなとこにいるんだよ!」
食事、酒、人殺し以外に億劫なその女は、振り返り、コウの姿を認めるとヒラヒラと左手を振り、満面の笑みで頷いた。




