第43話 勝利宣言
明朝、王城。
ガサゴソと王の書斎で資料を漁っていたコウは、差し込む朝日に顔を上げた。
「朝か⋯⋯そろそろ、頃合いかな」
立ち上がり、パタパタと服の裾を払いながら、コウは散らかった書類を避けて歩く。
「そうですね⋯⋯しかし、本当にその格好で行かれるんですか?」
そんなコウの言葉に応えたのは、彼の後ろで同じく資料を漁っていたクロバだ。
しかし、同じ作業をしていたにも関わらず彼の足元には1枚の紙切れもなく、代わりに彼の後ろにあるテーブルの上には綺麗に分別された4つの紙束が並ぶ。
もはや自身への当てつけのようにも見えるクロバの美しい仕事ぶりに、漏れそうになったため息を飲み込んで、コウはふいと自身の格好に目を向けた。
返り血に塗れ、所々焦げたり破れたりしたシャツに、左足を切り落とされた事が一目でわかるチグハグな丈のズボン。
確かにクロバの言う通り人前に出るような格好ではない。
しかし、コウはぱっと両手を開き、すかしたような顔で言い放った。
「ま、これくらいボロボロの方が激闘の末の勝利って感じがしていいだろ」
確かに、革命軍の大将が命からがらもぎ取った勝利というものは、その事実を知るごく一部の人間が漏らさない限り、素晴らしい武勇伝として存在できるのだ。
そう、この男が決戦の後半、ほとんど何もしていなかったという事実を。
さて、革命戦争においてコウが犯した最大の失敗といえば、決着の報告を知らせるのが遅れたことだろう。
結果としてコウは、騎士団援助のために集結した貴族の私兵部隊と一触即発の睨み合いを行う革命軍前線部隊との間に、国王崩御の一報を片手に駆け込むことになった。
私兵隊の長が頭の切れる男でなければ、あわや国王の敵討ちという名目の大虐殺につながるところだったのだから、この失敗はいただけない。
しかし、そのミスは結果として、これ以上ない程の大群衆の前で演説する機会を作り出すことに繋がったのだからあながち悪いことばかりではない。
革命軍の全軍と騎士団の残党(と言っても、組織のトップが全滅しただけで、死者はそれほど多くはない)、駆けつけた貴族の連合私兵隊とそれを率いる貴族、そして戦闘終了の知らせを聞いて舞い戻ってきた中央街の市民。
廊下に面した窓から覗いた城下は、城門の前に押し寄せた膨大な人々の不安と喧騒が渦巻いていた。
——
さんざんに待たされた群衆の放つ喧騒がひときわ大きくなった時、城門が鈍い音を立ててゆっくりと開かれる。
城門が開ききるのを待たずに、その隙間からするりと歩み出た、木箱を担いだボロボロの青年。
しんと静まり返った群衆の前をつかつかと歩いた青年は、群衆と城門のちょうど中間にあたる位置に木箱を転がすとひょいと飛び乗り、おもむろに口を開いた。
「よし、じゃあ始めようか」
朝まで待たされ、不満と緊張が頂点に達していた民衆からすれば、拍子抜けするような地味なスタートだろう。
しかし、群衆の中に怒鳴り声をあげるものはいない。それどころか、離れた位置で話し始めたコウに近づこうとする者もいない。
なおも異様な緊張感に包まれる群衆、理由は明確だ。
街道を埋め尽くす群衆の最前列、彼らの目の前から、石畳は真っ赤に染まっているのだ。
死体はすぐに片付けられても、石畳に染み込んだ血は数時間で洗い流すことはできない。
セナが殺した騎士の血が染め上げる、真っ赤な舞台に1人立つコウ。
清々しい朝日のもと、木箱1つから見下ろすコウと、それを前に血に染まった地面に一歩、踏み出す事ができない人々。
それこそが、この瞬間のコウと彼らの差なのだ。
「まず、俺は勝った」
静寂の中で、つぶやくように放たれたコウの言葉は、しかし、群衆の端々にまでかすれることなく届く。
「愚王を倒し、失うだけの下らない政策を終わらせた」
この情報は、この場に集った群衆の誰しもが知っている事実。
「だが、これで俺たちの戦いが終わったわけじゃない」
しかし、静かに続けられたこのコウの言葉は、群衆にこの日一番の緊張感をもたらした。
発言の真意を探るような群衆の鋭い視線を前に、コウはその全体を見渡す。
このような状況で、むやみに民衆を煽ることは逆効果だ。
現状、民衆が黙ってコウの話を聞いてるのは、達成した革命という偉業と、眼前に広がる惨状に対する恐怖の面が大きい。
簡単な話、人々が少しでもコウのバックボーンの脆さに気づけば、つまり、実質的なコウの持つ兵力の少なさに逃げ出せば、それだけでこの革命はほとんど無意味なものになってしまう。
とはいえ、嘘で人々を安心させるわけにはいかない。
今すぐに準備を始めなければ、ゼルカトリア公国の侵攻に間に合わないからだ。
「俺が勝ち取ったのは自由だ」
考えを巡らせながら、コウは慎重に言葉を選ぶ。
「知る、考える、選ぶ、そして、戦う。国王の手の中で、仮初めの平和にうつつを抜かしてた、お前らが持っているべき自由だ」
誰一人、息をする音も聞こえない静寂の中で、コウはニヤリと唇を釣り上げた。
「そして、自由ってのは守らなきゃならない」
つぶやかれたコウの言葉に、その真意を悟った幾人かの表情が変わる。
「その自由を、今度はゼルカトリアが奪おうとしている。国王から取り返した俺たちの未来を、ゼルカトリアの薄汚い貴族どもがまた、奪おうとしている」
民衆を束ねるコツは、共通する1つの敵を作り出すことだ。
その目的は、動揺と怒号の飛び交う群衆を見るに成功したと言っていいだろう。
「だが、今度は違う、俺たちはそれを知っている。俺たちは、戦える」
堂々とそう言い放ったコウの姿。
傷だらけになりながらも勝利を掴みとった青年の堂々たる姿。
それは、人々に勇気を与える。
群衆の一人一人の顔に浮かぶ表情は、怒りではない。
自らの無知に肩を震わせた愚民など、もうそこにはいない。
知り、考え、選ぶ、それだけのことで、彼らはその瞳に希望を、闘志を浮かべる事ができるのだ。
湧き上がった歓声の中で、コウも声を張り上げる。
「恐れることはない、俺がついてる! な〜に、国王も倒したんだ! ゼルカトリアの1つや2つ、むしろ攻め落としてやろうぜ!」
猜疑は信頼に、畏怖は力に変わる。
一体となった群衆の歓声は、いつしか貴族の私兵たちにも広がり、そして騎士の残党も、波に飲まれるようにその拳を突き上げる。
成功、と言っていいだろう。
なおも際限なく、大きくなり続ける大歓声を前に、コウは満足げに頷いた。
——
演説を終え、歓声を背にそそくさと城門の内側に滑り込んだコウを、クロバはにこやかに出迎えた。
「見事なものです。コウ様、あなたには独裁者の才能がありますよ」
その慇懃な態度とは裏腹に皮肉たっぷりなクロバの言葉に、コウは忌々しげに眉を歪めながら答える。
「うるせぇな、今は半端な民主主義なんてしてる場合じゃない、独裁政権ぐらいやらないと間に合わないだろ」
まあ、コウも自身の非は理解している。
独裁とはすなわち個人の力。どれほどに優秀な人間がその指揮を取ろうとも集団、すなわち完璧に連携した民主主義国家の多様性には、安定性の面ではるかに劣る。
しかし、ゼルカトリア公国が迫っている以上、国王が死に、前体制の崩壊したハタツミ商国で、人々全てから意見を聞いたり、慣れない選挙制度を導入してじっくりと新体制を作る時間はない。
完全ではないが最善、というより、都合がいい。
「ですが、よろしかったのですか? ゼルカトリアの侵攻などという不確かな情報で釣り上げて」
本当に、最初の皮肉はクロバにとって挨拶がわりだったのだろう。
コウの返答などほとんど聞かず、新たな質問をぶつける。
舌打ち寸前までせり上がった苛立ちを抑え、コウはクロバの問いに訝しむような表情で答える。
「不確かなもんか、誰だって侵攻するだろこんな状況」
これまで、小競り合いを続けていた大国同士のパワーバランスが崩れれば、その先にあるのは当然戦争。
この判断には多少の経験則もあるが、クロバなら思い至っているだろうと、コウは考えていたのだ。
しかし、クロバの懸念はそこではなかった。
「確かに私も来るとは思いますが、国内の貴族共のプロパガンダの対象になるのではないかと思いまして」
確かに、コウ達から民衆を引き離すために貴族連中が彼の発言の揚げ足をとり、妄想論者などと騒ぎ出す可能性はある。
いかに主導権を握っているとはいえ、民衆の少しでも離反すれば、国が一丸となって挑むべき戦争への熱は簡単に下がるだろう。
「ふん、そこは大丈夫だ。きっちり手は打ってある」
唇の端を釣り上げ、眉をハの字に歪める、俗にいう悪い顔で言い放ったコウに、クロバは小さく苦笑した。
「そういや、セナはどこいったんだ?」
続けられたコウの問いに、クロバの苦笑は一気に深いものとなった。
——
謁見の間の扉をコウは力強く開け放つ。
昨晩の激闘の舞台、そこに彼女はいた。
王が息絶えた玉座、その肘掛けから長い足を投げ出し、横向きに寝そべるセナ。
「行儀悪いったらないな」
たしなめるようなコウの声に目を開けたセナは、顔だけをこちらに倒して口を開いた。
「おー、遅かったわね」
声は上げても起き上がる気は無いようで、そのまま足をふらふらと揺らすセナに、コウはため息をつきながら近づく。
歩み寄ったコウに、セナは左足を引くことで肘掛けの端をあける。
それを座れという意味に捉えたコウは、彼にとってかなり高い肘掛けに、プライド1つでよじ登った。
「負傷者がウロウロすんなよ」
やっとの事で体勢を安定させたコウは、満を持してセナをたしなめる。
「治った」
コウが、先のセナの身を案ずる言葉を発するまでにかけた労力に反して、セナの返した言葉は驚くほどに短く簡潔だ。
一瞬その言葉が理解できず、まじまじと彼女を見つめてしまったコウに対し、セナは少しの間みつめかえしてから、おもむろにその手を自身の腹へと伸ばす。
セナは躊躇なく、自身の着る真新しいシャツの裾をめくり上げた。
細く、美しく引き締まった彼女の体には1つの傷もない。
「おお、痕は残らなかったんだな」
安堵の声を漏らしたコウ。
それほど気にしていた訳ではないが、彼女の怪我はリリアとの戦いを任せ切ってしまったコウの責任でもある。
実際にはより傷が深く、コウがその手で傷をふさいだ胸の傷の方が気になるのだが、流石に彼女に脱げとは言えない。
しかし、その余計な考えはコウにとって不利に働いた。
「あ、もしかして上の方が見たかった?」
一瞬動いたコウの視線を目ざとく見つけたセナは、にやにやと悪意ある笑みを浮かべてコウに問いかける。
意味合いは違うが、逡巡したのは事実であり、どう答えてもバカにされることが目に見えているコウは、唯一の抵抗としてその問いを無視し、話題を変える。
「つか、なんでここにいるんだよ」
セナのいいところはやはり切り替えの早さだろう。
ぐいっと伸びをして起き上がった彼女は、あろうことか両足をコウの頭上を通して地につけ、まともに座り直してから口を開いた。
「別に⋯⋯ただ、そうね⋯⋯昨日、あの時死ぬと思ってからさ。もうちょっとその余韻に浸りたかったのよね」
再びプライドを粉砕されたコウの横で、セナは一瞬言葉を濁したあと、素直にその心情を語った。
「へー、別に今そんなことしなくても、これから先、何度も死にそうな目に合う⋯⋯てか、死ぬと思うけどな」
コウのこの辛辣な言葉には、先程からいい様に遊ばれていることに対しての仕返しも含まれている。
「えー、それ、ひどいんじゃない?」
しかし、不満げに返す彼女の表情がその言葉に反して、笑みに彩られている事からして、彼等の間にある共通する価値観は明らかだ。
「うっせ、人殺しならどんな死に方でも文句は言えないんだろ? なら、俺もお前も、死ぬまで使い切ってやるさ」
こんな言葉をかけられて、常人ならいい気はしない。
「アハハ、そうそう、それでいいわよ。その方が私も楽しいし」
しかし、彼女はその時、ひときわ楽しそうに笑ったのだ。
とはいえ、元気な事も考えものである。
力強く椅子を蹴って立ち上がったセナの反動で、大きく傾いた玉座。
固定されているものと思い込んでいたコウは、その衝撃に体勢を崩す。
数歩進んで振り返ったセナの前で、重厚な衝撃音を響かせながら元の位置に戻った玉座には、肘掛けから滑り落ちたコウが、おっかなびっくり座っていた。
「それで、まずは何するの? 新王様」
コウの痴態にニヤリと笑みを浮かべたセナは、小馬鹿にした様に問いかける。
「この⋯⋯はぁ、そうだな、まずは貴族共をなんとかしないとな」
もはや怒りなど馬鹿馬鹿しい。
ため息で全てを水に流し、コウは新たな戦いに向けて、その準備を始めたのだ。




