第41話 人殺しの最後
それはまさしく、決着に相応しかった。
セナの傷口からは止め処なく血が滴り、服と床に広がる。
彼女がまだ息をしているのは、リリアが急所を意図的に外したに他ならない。
それはもちろん、セナにさらなる苦痛を与えるため。
「どうです? 痛いですか? 苦しいですか?」
胸と腹を光り輝く剣で貫かれ、膝をついたセナに向かって、リリアはその顔に慈悲深い微笑を浮かべてささやいた。
「アハッ、少しは苦しんでくださいよう。私も面倒臭かったんですから、光剣魔法を昔みたいにちまちま振り回すのは」
直後、彼女の表情は甲高い笑い声と共に、勝ち誇ったような下卑た笑みに変わる。
「さあ、どうやって死にたいですか? お腹に刺さった剣で滅茶苦茶にかき回されたいですか? 胸に刺さった剣をひねって心臓をやぶっちゃいましょうか?」
月が天頂へと達するなか、嬉々として問いかけるリリアの声は、しかし、セナには届いていなかった。
——痛い⋯⋯——
朦朧とする意識の中、セナはぼんやりと自身の胸から突き出す剣を眺めていた。
腕も、足も、ピクリとも動かなかった。
彼女の腹と胸を貫いた光剣は、致命的なほどの出血を伴って彼女に膝をつかせたのだ。
——痛い⋯⋯苦しい⋯⋯——
しかし、意識は鈍っていようとも、肉体が発する死のシグナルである痛みだけは鋭く彼女の思考を刺激する。
——久しぶりね⋯⋯こんなに痛いのは⋯⋯——
セナは、自身を蝕む苦痛に小さく、懐かしむような笑みをこぼした。
それは、整合性の取れた思考ではなく、苦痛と混濁の中に生まれる錯乱状態に他ならない。
そう、勝負はこの時すでに決していたはずなのだ。
だが、リリアはそこでとどめを刺さなかった。
「ねえ、何とか答えたらどうですか?」
どこか嗜虐的な響きのある彼女の言葉と共に、セナの腹部を貫く剣が、その傷を切り開くように90度回転する。
「んぅ! ⋯⋯がふっ」
途端、それまでに倍する激痛がセナの肉体を打ち、強烈な吐き気と共に行き場を失った血液がセナの口から吹き出す。
その瞬間、セナの視界に映ったのは、吹き出す血と、その奥で自身に向かって手を伸ばす、醜い笑みを浮かべた少女の姿だった。
——あれが⋯⋯こんなに痛くしたんだ⋯⋯——
この時、セナの脳裏には目の前に立つ少女が、今の今まで死闘を演じていたリリアであるという認識はなかった。
しかし、舞い散る血液と痛み、そしてそんな自分を笑みを浮かべて眺める少女とくれば、否応なくその状態を想像できるだろう。
そして、それは連鎖的にセナの思考を活性化させる。
——そっか⋯⋯あれが⋯⋯あたしを殺そうとしてるんだ⋯⋯——
その考えに至った瞬間、セナの全身を蝕む痛みは、全く意味の違うものになった。
不幸にも、リリアがセナに与えた責め苦は彼女の本質を、加虐と被虐に酔いしれる狂気を、より強く引き出すこととなった。
「あ⋯⋯あぁ⋯⋯」
セナの口から漏れる苦鳴はそれまでと変わらない。しかし、その目には次第に鋭い光が戻る。
「あ⋯⋯あああ、アハ、アハハハハハ!」
リリアがその異変に気付いたのは、セナの発するうめき声が、不気味な笑い声に変わってからの事だった。
「なにを⋯⋯」
鋭い目つきで問いかけたリリア。
しかし、セナはその問いに応じず、強く足を踏み出して立ち上がる。
その衝撃で、セナの腹を切り開いた光剣が支えを失い、傷口から滑り落ちる。
瞬間、リリアは小さく舌打ちした。
ただ、その光景はさして不自然なものではない。
魔法によって創造された光剣は、セナの大剣と打ち合ってなお傷の1つもなく、したがってセナの体内に引っかかるということもない。
加えてその術式は、打ち出し、セナの腹部を貫いた瞬間から左手の延長線上に存在するという制限を解除されているため、抜け落ちるという動きももちろんあり得る。
リリアが舌打ちをしたのは、セナの急な動きに対応できず、むざむざとその優位を手放した自身の失態に対するものだ。
しかし、リリアはこの事実をそれほど重く受け止めていなかった。
抜け落ちたならば、また刺し直せばいい、少なくともこの瞬間、リリアはそう考えていた。
セナの信じられない行動を目にするまでは。
立ち上がったセナは、おもむろに左手を胸から突き出た光剣へと伸ばした。
血に濡れ、滑るその刃をしっかりと掴んだセナは、それを引き抜くように力を込める。
一瞬の抵抗ののちに、ゆっくりと滑り出した剣。
その光景に、その場にいた全員が驚愕に目を見開いた。
セナは、光剣の柄を持って引き抜こうとしているのではない。その切っ先を掴んで引き抜こうとしているのだ。
この場合、剣は背から胸に向かって突き抜けるように動く。それはつまり、刀身によってつけられた傷口を、それに倍する幅を持つ鍔が通過するという事であり、傷口を自身で押し広げるそれは、ある種の自傷行為のようでもある。
皆が固唾を飲んで見守る中、セナはその身を震わせながら剣を引き抜いた。
左手に血まみれの切っ先を掴み、右手には強大な大剣を握るセナは、しばし放心したようにその場に立ち尽くしていた。
——ああ⋯⋯最ッ高⋯⋯——
ふらつくセナの、快感に震えるような表情に気付いたリリアが感じた恐怖はどれほどのものだったのだろうか。
「ひっ⋯⋯」
引きつったようなリリアの悲鳴は狂気を見せつけたセナに対するものか、はたまた彼女が投げた大剣に対するものか。
いずれにせよ、セナが無造作に投げた大剣は投げやりのごとく一直線に飛来した。
直撃などしようものなら体が千切れ飛ぶことは確実な速度、防御の失敗は即、死を意味する。
しかし、リリアは飛来する大剣を防御することができなかった。
といっても、防御が間に合わなかったわけではない。攻撃が間に合わなかったのだ。
リリアが反応するよりも早く、自身が投げた大剣を追い越して駆けよったセナが、その右手でリリアの顔面を捉えたのだ。
そのまま、突き飛ばすように右手を打ち出す。
打撃とも投げともつかない半端な攻撃だが、それだけで、リリアは立っていた場所から壁までの20メートル余りを吹き飛ばされた。
「がはっ!」
壁に叩きつけられ、大きく息を吐き出したリリア。
しかし彼女に苦しんでいる時間はない。
苦痛に顔を歪めながらも、リリアは左手と右手に握る剣をせわしなく動かす。その刀身に一瞬文字列が浮かび、前方から高速で舞い戻った二刀の光剣が彼女の握る長剣の前で十字に組み合わせられる。
その直後、一直線に飛来した柱のごとき大剣がリリアの剣に激突した。
轟音と衝撃波。
空中で再びセナを追い越した大剣と、リリアの三本の剣を組み合わせた三刀防御が火花を散らせながらしのぎを削る。
数瞬の均衡ののちに、その勢いを弱めた大剣の前に、リリアは小さく息をついた。
その気の緩みが、彼女にとって致命傷となった。
爆発的な衝撃とともに、二刀の光剣が爆ぜる。
リリアの抵抗も虚しく、彼女の握る長剣は、その表面に浮かぶ術式を霧散させながら真っ二つに砕けた。
「あがっ、ぐあ⋯⋯」
大剣は、リリアの両腕を巻き込みながら彼女の胴に、サビに覆われ、切断能力を失った平たい切っ先を浅く埋める。
その反対、巨大な剣の柄にはその時、真っ直ぐに伸ばされたセナの右足があてがわれていた。
リリアを突き飛ばしたセナは、自身のすぐ横を飛んで行く大剣を見送った直後、その大剣を追うように駆け出した。
セナは、リリアがその大剣を防いでる姿を認めると、満を持してその柄を蹴りつけた。
本人は気づいていないかもしれないが、セナの投剣速度は凄まじいものであり、そしてそれに倍するセナの疾走速度は文字通り、目にも留まらぬ程のものだった。
そこから繰り出された、長い足を余すことなく使った蹴りの威力は、もはや言うまでもないだろう。
セナはのけぞらせた上体を戻し、蹴りつけた柄に体重をかけながらその足をゆっくりと曲げる。
優雅に、怠惰に、突き立てた自身の大剣にしなだれかかるように、セナは一歩踏み込んだ。
「ぎっ!」
痛みに耐えかねたリリアが、小さく悲鳴を漏らす。
後ろに伸ばした腕を柄にかけ、大剣の刀身に左手を添えて顔を近づけたセナの姿は、さながらホールでキューを構えるビリヤードプレイヤーの様でもあった。
「ねぇ、痛いでしょ」
先ほどまでの絶望的な状況は何処へやら、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)血に濡れた自分の口元を拭いながら問いかけるセナの姿を前に、リリアはここで初めて、セナの胸にぽっかりと空いた傷口から一滴の血も流れ落ちていないことに気づいた。
しかし、彼女にそれを問いかける余裕はない。
直後、ぎしりと嫌な音を響かせながら大剣がより強く押し込まれたのだ。
「あぐ、ああああ!」
セナがその手を緩めた時、リリアの姿は酷いものだった
体は痙攣し、顔には脂汗が浮かぶ。苦痛に顎が上がり、舌はだらしなく垂れ下がる。
苦痛に反応する体の中で、その瞳だけが恐怖に怯え、小刻みに震えていた。
「痛いでしょ」
再び問いかけるセナ。
リリアの答えを待たず、もう一度その腕に力を込めようとするセナの姿にリリアは震え上がった。
しかし、瞬間セナはピタリとその手を止め、静かに口を開いた。
「死ぬってのは辛いの、あたし達人殺しは、これを他人に与えてんのよ」
言葉とともに、セナは刀身に添えた左手を自分の胸、光剣によって刻まれた傷口に当てる。
彼女のその傷は、死、そのものではない。しかし、死に直結する様な重篤な傷である事は確かだ。
セナは死という抽象的な概念を、痛みに例えて続ける。
「なら、自分がそれを受けてもしょうがないわよね」
うつむき気味に放たれたセナのその言葉は、リリアに対する問いかけというより、独白に近い。
震えるリリアは、それに応えることもなくじっと痛みに耐える。
「死ぬ気もなく人を殺してきたなんて、まさかそんなこと言うつもりじゃないでしょう?」
再び顔を上げたセナは、満面の笑みで問いかけた。
それは正しくセナ個人の持論。正しいという事はなく、また間違ってもいない。
しかしその言葉に、リリアは抗った。
「いや⋯⋯いや、いや、いやあぁあ! 私は、もっと幸せに生きたかった! 人を殺したからなに!? 殺される方が愚かなだけでしょ!? なんで、私がこんな目に合わないといけないのよ! あんなグズどものせいでっ⋯⋯そうよ、あなたが悪いのよシャルロット! あなたのつまらない正義感のせいで私がッ——あぐぅ!」
最後の最後まで利己的な彼女の叫びは、突き込まれた大剣によって阻まれる。
左手とともに上体を前に滑らせ、至近距離でリリアの顔を覗き込んだセナ。
その目には、その日、初めて見せた怒りの色が浮かんでいた。
「マリー、最後に教えてあげるわ」
しかし、その怒りはふっと消えた。
残ったのは、疲れた様な笑み。
リリアにとって、セナのその表情は見慣れたものだった。
かつて騎士だったセナが、作戦が終わるたび、ため息をつきながら見せた笑み。
返り血に染まり、ただ力なく笑う。リリアはそれを遠目に見ていただけだった。
しかし目の前で、月明かりの下、血を口紅に浮かべる彼女の笑みは、息を飲む程に魅惑的で、
その唇がふっと息を吸い込んだ。
「人殺しに、まともな最後なんてありえないのよ」
瞬間、部屋中に響き渡った悲鳴は、とても言い表せない、ひび割れた、悲痛なものだった。
ゆっくりと押し込まれた大剣は、リリアの体を引き裂き、巻き込みながらその身を貫いた。
その刃は大理石の壁にまで達し、リリアの体を縫い付ける。
リリアの悲鳴が途切れ、その頭が事切れた様に垂れ落ちた時、その場にはただ、静寂が訪れた。
青白い光に照らされて、セナはその笑顔を輝かせる。
しかし、勝者の体のほとんどを、赤黒いそれが覆っていることも確かだ。
途端、思い出した様に、自身の胸の傷から溢れ出す血に、セナは表情を曇らせた。
思考に甘い刺激をもたらしていた痛みが、単なる苦痛に変わり、それと同時に全身からふっと力が抜ける。
「はぁ⋯⋯まあ、あたしの最後だってこんなもんよね」
つぶやいたセナは、目の前で息絶えたリリアから離れる様に上体を起こした。
「だって⋯⋯人殺しは⋯⋯悪い事だもの⋯⋯ね」
しかし、彼女の足は動かない。一歩下がるだけの力も残っていなかった。
彼女の体が揺らぐ。
力なく倒れる彼女は、満ち足りた様な表情で天を仰ぎ見た。
豪奢な天窓の向こうには、鬱陶しい程に爛々(らんらん)と輝く月が、今まさに雲に飲まれようとしていた。
しかし、セナがそのままに果てる事はなかった。
地面に倒れる直前、セナは何者かに抱きとめられた。
その人物は、見上げたセナの眼前にひょっこりと顔を出した。
「大見得切った後で悪いが、お前にはまだ死なれるわけにはいかないんでな」
頭上から彼女を覗き込むのはいつもと変わらない、ニヤついた笑いをその顔に浮かべるコウの姿だった。




