第39話 忘却の剣
殺し、殺される、それだけの瞬間。
身分、性別、人生、全てがその瞬間だけは、対等なものとなる。
教養ある剣士は言う。
経験の差は戦場で大きな差になると。
高慢な貴族は言う。
剣の腕があるものが、戦闘経験のない者を襲うのは単なる虐殺に過ぎないと。
しかし、それが何だと言うのだ。
構えすらおぼつかない新兵であっても、その剣がふとした事で彼女の首筋に届くかもしれない。
恐怖に震える幼子でさえ、その手に握るナイフで、その手に並ぶ爪で、指で、未だ生え揃わない歯を彼女の首に突き立てて、殺せるかもしれない。
あるいはそれが勝ち負けだけを争う競技なら、その差は不平等であろう。
しかしそれが死合いであるのなら、万人が唯一平等に持つ命を賭けた死合いであるのならば、それは平等に決まっている。
平等であるからこそ、人の命もまた平等なのだ。
しかして、セナは自身のこの思想が異常である事を自覚している。
積極的に殺人を行い、その刹那に生まれる濃密な命のやり取りを楽しむ自身の性は、他のあらゆる人々から忌避され、排斥されて然るべきであるし、その為に人々が用いた手段が、どれほどに非人道的なものであったとしても、それは彼女の思想に照らせば命を賭けた選択の上で選んだ判断であり、当然の選択であると彼女は考えている。
だからこそ、彼女は、気を許した仲間のほとんどを惨殺され、仕えてきた国に裏切られても、その事実を当然の様に受け止めたのだ。
いや、国に裏切られたというのは少々語弊があるか。
横たわるコウからふっと視線を外したセナは、自身が弾き飛ばした1人の騎士に目を向けた。
「はぁ⋯⋯にしてもさ、アンタも何も変わってないみたいね、マリー」
吹き飛ばされながらも、空中で器用に体勢を立て直したリリアは、大きく地を滑りながら着地し、うつむいたままに口を開いた。
「私はもうリリアです。リリア・テレスですよ、センパイ⋯⋯いや⋯⋯負け犬って呼んだ方がいいでしょうか」
うわずった語尾は怒りに震えてのものか、あるいは突然の襲撃者に対しての挑発の意味を込めたものか。
どちらにせよ、はっと顔をあげたリリアの、いや、マリーと呼ばれた女性の顔に張り付いた笑みは、これまでとはいくぶんか気色の違うものだった。
——
第24特設騎士隊。
12年前、当時の騎士長によって秘密裏に作られたその部隊は、当時の極めて不安定な上級貴族間の勢力のつりあいや、国家勢力の安定のために、必要な任務を遂行するべく組織された。
具体的には、反対勢力、現代でいう政敵の主要人物の暗殺や、いわゆる、反社会組織、それも奴隷商や山賊などの、簡単に判別できる悪組織ではなく、社会に溶け込む形ではびこる、グレーゾーンに近い反社会組織を正当な手順を踏む事なく抹殺する、要するに汚れ仕事専門の騎士隊である。
そんな部隊の隊長に選ばれたのが、当時16歳のセナだった。
詳細はまたの機会に語るが、セナはその時既に、騎士団の中でも飛び抜けた実力を持っていた。それこそ、セナ以外の隊員の仕事が彼女の補助程度でしかなかったほどに。
さて、セナの率いる部隊は目覚ましい活躍を見せた。具体的には、編成から1年で当時の貴族院のトップを蹴落とし、2年で国内の反乱分子のほとんどを排除。その時点で、既に現王中心の政治体制は盤石なものとなっていた。
消化試合のようなつまらない任務をこなす日々。
そんなある日、セナの元に1人の新人がやってきた。
マリー・ガレット。
そう名乗った少女は、これまでセナの周りにいた人間とは全く違う雰囲気を持っていた。
殺伐として、それでいて希薄な雰囲気を持つ殺人者の中で、マリーの快活な振る舞いと、そのキラキラと光る瞳はセナの目に眩しく映った。
その光が、野心に飢える獣のそれと気付いたのは、1年後、国家から逆賊として剣を向けられた後のことだった。
——
切り飛ばされたコウの足を挟んで対峙するセナと、リリア。
降り注ぐ月光はセナの白い肌を美しく照らし、リリアの身を包む藍を基調とした重厚な色合いの騎士服と対比して互いを際立たせる。
先手を放ったのはセナだ。
瞬時にかがみ込んだセナは全身を弓のように引きしぼり、爆ぜるように駆け出した。
引きずられた大剣からは激しく火花が飛び散り、血溜まりを轢いた瞬間その火花は血しぶきへと変わる。
瞬く間に迫るセナの大剣を前に、リリアは剣による応戦も最小限に、後方の空間を目一杯使って回避する。
しかし、もちろんセナも甘くはない。踏み込んだ足でそのままかがみ、即座にもう一度地を蹴る。
追撃の手を緩めないセナと防戦一方のリリア、早々に勝負がつきそうな展開。しかし、そう簡単に終わるほどにリリア・テレスの野心は甘いものではなかった。
ついに壁際にまで追い詰められたリリアに、セナは容赦なく大剣を振り下ろす。
絶体絶命の状況を前に、リリアは余裕すら感じさせる笑みを浮かべながら左手に握る何かをセナに向かって投げつけた。
それは、先の戦闘でリリアがシャルロットの援護のために用いた魔法の杖だった。剣帯に括り付けていた長さ30センチ余りのそれは、まっすぐにセナの顔をめがけて飛翔する。
首を傾けてそれを避けようとしたセナは、直後思い出したように表情をひきつらせて大きく上体をそらした。
普段の彼女ならば、無視して顔面で受けながら斬り下ろしていてもおかしくない場面での予想外の回避に、コウは眉をひそめる。
その杖が不自然なほどにまっすぐ飛翔していることにコウが気付いた時、それは起こった。
飛翔する杖の中ほどに、突如強烈な光の球が生まれる。
歪な光だった。
太陽やロウソクのように辺りを照らすことはなく、それ故に眩しいということもない。しかしその光量は凄まじく、まるで光という概念そのものが固体化し、他と干渉する事なくその場に浮かんでいるようである。
その光は、杖を包み込むように薄く広がり、滑らかな刀身を作り出す。
簡素な杖は、瞬く間に鮮烈な光の刀剣へと姿を変えた。
炎ほどの揺らぎもなく、くっきりと輪郭をあらわにしたその剣は、光でありながらもその表面で光を反射しているように見える。
と、その刀身が切っ先から柄頭をつなぐ中心線を軸に音もなく角度を変える。地面に対して平行にあった刃が垂直に、すなわち、刀身の下でアクション映画のごとく上体を仰け反らせているセナに向けられる。
そんなセナの姿を前に、リリアはにこやかに、突き出した左手を振り下ろした。
先ほどまでの優位は何処へやら、リリアによって絶体絶命をお返しされたセナは、急加速しながら降下する光刃を、地面に触れさせた大剣を軸に地上で体を滑らせるという、物理的に違和感しかない荒技で回避した。
惜しくもセナを捉える事が出来なかった光刃は、地面を捉える直前でピタリと停止し、振るわれるリリアの左手に連動して、空中に鮮やかな軌跡を描きながら飛翔し、ぴったりと指を揃えてまっすぐに伸ばしたリリアの左手のほんの10センチ先で静止した。
さながら、二刀を構える剣士のようなリリアの立ち姿に、額にうかぶ冷や汗を誤魔化すかのように大きく大剣を振り回して構えを取り直したセナは、震えてこそいないが、少々不自然なほどに大きな声を上げた。
「それの腕は鈍ってないみたいね!」
先ほどの回避の仕方と、この『わかってたわよ』とでも言いたげなセリフ。お互いに面識があったような言葉から察するに、セナはリリアのあの技を知っていたのだろう。しかし、
(うん、忘れてたんだろうな)
先ほどの動きは、いくら何でも危なっかしい。
動きの端々からにじみ出る、行き当たりばったり感が、なんとも言えない笑いを誘う。
「そういうあなたはダメダメじゃないですか。剣の手入れを怠っちゃあ。『巨人級武器』も、それじゃ台無しですよ」
しかし、茶化してやろうと口を開いたコウよりも前に、嘲るような響きを一切隠そうともしないリリアの声が響いた。
「別に⋯⋯どうせ斬れなくても潰れるし⋯⋯最近使ってなかったし」
最早、セナのこの言葉も言い訳にしか聞こえない。
錆だらけの大剣を、隠れるはずもないのに後ろに引きずりながら、その長身を感じさせない程に縮こまりながら、セナは尻すぼみな声を上げる。
先日の『この剣は私の一部』発言から1日、使っていなかったり手入れが行き届いていなかったりと、見事なまでに墓穴を掘ったセナは突き刺さるコウの視線に頑なに振り向こうとしなかった。
ワンサイドゲーム。
革命の成否をかけた決戦は、セナの完敗に始まった。




