第38話 快活、それでいて悪逆非道
頬をかすめ、後ろへと抜けるコウの刀。
そして、覆い被さるように踏み込んだコウと、倒れそうな程に仰け反ったシャルロット。
これが映画のワンシーンならば、間違いなくスロー演出と共に花びらが舞い散るような場面だが、残念ながらこれは実戦。小洒落た演出も、また優雅な結末も待ってはいない。
直後、シャルロットは後頭部を掴まれ、決して逞しいとは言えないコウの胸板に顔面を叩きつけられた。視界を奪われた彼女は、鼻の奥に走る激痛に顔をしかめる暇もなく、強烈な加速感に表情をひきつらせる。
シャルロットを左腕一本でしっかりと抱きかかえたコウが、とてつもない速度で飛び下がったのだ。
コウがしっかりと頭を押さえていなければ、シャルロットの首は容易に折れていただろう。
そんな中、あたりに響く硬質な金属音。
スピードを殺しきれず、尻餅をつくように倒れながら床を滑るコウと、それにのしかかる形で引きずられるシャルロット。
頭を押さえつけられたシャルロットの目の前でブレーキをかけるように大理石の床に突き立てられたコウの刀は、その半ばから折れ、激しく火花を散らせていた。
シャルロットは息を詰めた。
シャルロットと大立ち回りを演じたコウの刀を一刀の元に叩き切るほどの剣の腕。正確にはコウにそれを避ける対処をさせないほどの速度か。
ともかく、シャルロットの脳裏にはそれほどの実力を持つ人物は思い浮かばなかった。いや、考えたくなかった、と言うべきか。
「もう、なんであなたが助けちゃうんですかぁ」
しかし、シャルロットが思考の奥底に仕舞い込もうとした人物は悪びれる風もなく、ただただ不満げに口を開いた。
「いやー、アンタとはな。びっくりだ」
相変わらずの小馬鹿にしたような口調で、しかし、はっきりと驚きを言葉にしたコウ。
その言葉に促されるように振り返ったシャルロットの目に映ったのは、つい先ほどまで彼女がひざまずいていた位置に深く突き刺さる剣と、それを両手で掴み、必死に引き抜こうとするリリアの姿だった。
「なぜ⋯⋯」
シャルロットの口から溢れたその問いは、ある種、うわ言のようでもあった。
「よいしょっと⋯⋯なぜって、あなたが裏切ったからじゃないですかぁ」
剣を引き抜いたリリアは、その刀身を注意深く確認しながら至極どうでも良さそうに答える。
「しっかし、副騎士長様がねぇ、黒幕は国王様だとばかり思ってたんだがな」
含みのある言い方で突っかかるコウに、
「やめてくださいよ、1反逆者の分際で」
刀身に走る一筋の傷を見つけたリリアは、忌々(いまいま)しそうにその傷を指でなぞりながら吐き捨てるようにつぶやいた。
「黒幕だろうよ、奴隷商も騎士団も、思いのままに操って、問題は騎士長と国王に押し付けて自分は好き放題。何を使って国王に取り入ったのかは知らないが、その目の前でこれだけのことが出来るんだ、力関係も逆転してんだろ?」
それでもなお、コウは問い詰めるように言い募る。
「うるさいなぁ、もう。そんなもの、あなた達逆賊が知ったからって何になるんですか」
しかし彼女はシャルロットと違い、コウの話に一切耳を傾けるつもりはないようだ。鬱陶しそうにその問いかけを切り捨てたリリアは、話は終わりと言わんばかりに刀身の傷から手を離し、風鳴りを起こすほどの速度で一度振り払った後、倒れたままのコウとシャルロットに向かって一歩踏み出す。
途端、シャルロットのそれとは比較にならないほどに重く、禍々しい殺気が部屋一帯に充満する。
これまで幾度となく恨み辛みのこもった眼差しや、対峙する軍勢の強大な殺気を浴びせられてきたコウですら、一瞬息を詰めるほどに、リリアのそれは苛烈なものだった。
さて、そんな中シャルロットが口を開くことが出来たのは、彼女の甘さと強い責任感の相乗効果によるものであろう。
「リリア⋯⋯」
どちらが裏切り者かは別にして、自身に刃を向けるかつての仲間の姿にシャルロットはやるせない気持ちで呟く。
幸運だったのは、リリアの中でも、まだシャルロットが完全な反逆者として切り捨てられていなかった事だろう。
「何ですか? 騎士長様」
一転した柔らかい声音で、リリアはシャルロットの声に応える。
しかし、それに反して彼女はゆっくりと歩みを進め続ける。
混乱した頭の中でも、シャルロットはそれがリリアの設けたタイムリミットであることは理解できた。
「私達は、国の為に、人々の為に命をかけて戦ってきたんじゃなかったのか?」
震える声で問いかけるシャルロットの言葉は、お世辞にもこの状況を打開できるようなものではなかった。しかし、今の彼女にはそれを考慮する余裕はなかった。
「ええ、そうです騎士長様、あなたは国の為に、私の幸せな毎日を確約してくれる国王の為に戦ってきたんです」
しかし、それに対するリリアの答えは極めて独善的なものだった。
「私は、私が幸せであればそれで十分なんです。民衆の幸せも、国の安泰も望みません。ただ、私が死ぬまでの歳月が幸福に包まれていればそれでいいんですよ」
リリアの言葉は、シャルロットの心に重く、冷たくのしかかる。
「シャルロット様」
そんなシャルロットの表情に何を思ったのか、リリアは、少し間をおいて話し始めた。
「あなたこそ、謝罪の1つもできないんですか?」
その言葉の意味をシャルロットは理解できなかった。
「10年前、私とあなたが出会った日から、今日まで支えてきた私の努力を一瞬で無に帰しちゃって、あなたのせいで、私はまた都合のいい騎士長探しをやり直さないといけないんですよ?」
吐き気がするほどに自己中心的なリリアの物言いに、シャルロットはかつての仲間の顔を信じられない思いで見つめた。
「マジで身代りかよ⋯⋯」
呆れたように呟いたコウの言葉に、シャルロットはこれまでの日常が崩れ落ちるような錯覚を覚えた。
ほんの先ほどまで全幅の信頼を寄せていた少女の姿はそこにはなかった。
そこに立っているのは我欲に塗れ、他人の生死を鼻で笑い、底抜けに明るい笑みを浮かべる、リリア・テレスと言う名の女の姿だった。
「さあ、そろそろ死んでくれませんか? 抵抗するのなら相手はしますが⋯⋯まあ、その足じゃ無理でしょうけどね」
さて、ここにきてようやくシャルロットはある異変に気付いた。リリアのまとう青いスカートの一部が赤く染まっていたのである。
と同時に、地面についていたシャルロットの左手に生暖かな感触が広がる。
はっとその手を見下ろしたシャルロットが見たのは、手を染める真っ赤な血と、床一面にひろがる鮮血。
そして半ばから断ち切られたコウの左足だった。
「あ⋯⋯」
息を詰めるシャルロット。今の今まで気づかなかったのも無理はない、それほどに今日、彼女が受けた衝撃は大きかったのだ。
「うん、まあこんな感じだな、打つ手なしだ」
そんな彼女に、コウは人ごとのように自分の足を見下ろしながら申し訳なさそうにはにかんだ。
「なぜ、そこまで——」
この怪我は、間違いなくシャルロットを助けた時に負ったものだ。
だからシャルロットはこれまで棚上げしていた1つの疑問をぶつけようとした。
「なぜ助けたか、なんて質問は無しだ。打算だからな。ったく、それにしても足まで持ってかれるとはな⋯⋯」
しかし、シャルロットの質問を遮るように放たれたコウの答えは、リリアに勝るとも劣らない程に独善的なものであり、と同時に、ある意味紳士的なものであった。
(打算⋯⋯か⋯⋯)
ことここにきてもシャルロットの心から迷いが取り去られることはなかった。
しかし、我欲を嘘で塗り固め、シャルロットを利用した者と、我欲をぶつけ、彼女と戦った者、そして何より命を奪おうとしたものと、救おうとしたものの単純な比較によって、シャルロットはコウの手をとった。
「ここは私が食い止めよう、貴様はその隙に逃げろ」
コウの右手に手を伸ばし、その折れた刀を手に取りながらシャルロットはなけなしの力で立ち上がる。
勝算は皆無に等しい。しかし、それはシャルロットがコウを助ける唯一の手段だった。
しかし、彼女の決死の覚悟はあっさりと阻まれた。
「まあ待て、そんな不穏なセリフ吐きながら行こうとするな」
立ち上がろうとしたシャルロットは刀ごとコウに強く引っ張られ再び彼の上に倒れ込む。
疑問の声を上げようとしたシャルロットの耳元に、コウは素早く口を寄せ、笑みを浮かべながら小さく呟いた。
「なに、打つ手はないが手札はあるのさ」
瞬間、ひときわ強烈な殺気がシャルロットの背を襲う。振り返った視界の端に捉えたのは、2人の目前で大きく剣を振りかぶったリリアの満面の笑みだった。
その時、シャルロットは再び頭を強く押さえつけられた。
後ろ向きに倒れ込んだコウが、シャルロットを思い切り抱き寄せたのだ。
こんなことをしても剣が達するのがコンマ数秒遅くなるだけ。
しかし、そのコンマ数秒は、時に人の生死を左右する。
リリアの剣がシャルロットの背を捉える直前、途方も無い轟音が大気を震わせた。あっけなく弾き飛ばされるリリアの姿と、巨大な剣。
衝撃に巻き起こる突風は血と鉄の香りを孕んでいた。
「わーお、危なかったわね〜」
状況に反して全く緊張感のない言葉を吐きながら。彼女はゆらりと立ち上がった。
「俺らのエースは、間違いなくこいつだ」
自慢げなコウの言葉に、驚くほどに白く、長身の女性は不満げな声を漏らす。
「てか、何でそんなに追い詰められてんのよ?」
猫のように目をつり上げ、自身を見下ろすセナの姿に、コウは悪びれる風もなくうそぶいた。
「なに、お前の登場も想定の内だ」
「⋯⋯ほっといた方が良かったかしらね」




