第32話 クロバの流儀
前の男の大きく踏み込んだ逆袈裟斬りに、潜り込むように2人目の男が柄打ちから切り上げの連撃を放つ。
ほとんど同時に襲い来る2つの刃を、クロバは軽やかにバックステップを取りながら、革製の鞘の中で、そこだけが唯一金属板で補強された鐺(鞘の先端部)と柄で受け、弾き返す。
会敵から数度にわたって繰り返された攻防において、2人が満足に動ける道幅がなく、またクロバが後退を主体とした消極的な戦法を取った事を踏まえたとしても、騎士団の中でも相当な手練れである2人の騎士の猛攻を防ぎ切ったクロバの剣の腕は相当なものであるといえる。
だからこそ、2人の騎士はクロバのその行動の意図が理解できなかった。
ついに行き止まりにまで追い込まれたクロバに対して、前衛に立つ男は足を止め、静かに問いかけた。
「⋯⋯なぜ、それを抜かない?」
男のこの問いは、いまだ抜刀せずに鞘に収まったままの剣を振るうクロバの戦いぶりに対してのものだ。
たった数センチの鐺と柄頭の2箇所のみで2人の騎士の猛攻を凌いだクロバの戦いは、華麗で鮮やかなものであった。
が、しかし、もし早々にクロバが剣を抜いていたならば、防御の手段はそれだけにとどまらず、同時にこれほどに防戦一方になることもなかったはずだ。
何か剣を抜けない理由があるのか、はたまた抜かないだけなのか。いずれにせよ、彼等騎士にとって実戦で剣を抜かないという選択は、死闘の最中に相手に問いかけるなどという愚行をさせるに足る、意外で興味深い、理解しがたいものだったのだ。
「それ?⋯⋯ああ、抜刀をしない理由ですか⋯⋯ううん、なんといいましょうか⋯⋯私が個人として持っている考え方⋯⋯というより、行動原理のようなものでしょうか?」
さしものクロバも、いきなり問いかけられるとは思っていなかっただろう。答える必要のないその問いかけに要領悪く言葉を濁したクロバは、しかし直後、軽く頷く様な仕草を見せた後、にこやかに答えた。
「私は私である前に1人の執事ですので、当然、執事であるための規則と、主人の命令は絶対遵守です。それ以外に3つ、私には心に決めている絶対の規約、流儀の様なものがあります」
彼等の予想だにしかしなかったクロバの言葉に、前の男の背後に隠れて隙を伺っていた2人目の男も疑惑の眼差しでクロバを見つめる。
2人の猜疑的な視線の前に、クロバは執事服の襟をぴしりと正しながらこともなげに口を開いた。
「1つ。主人の命令に対し、私は持てる全ての力でもってその遂行にあたること。
2つ。主人が主人の望まぬ危機にさらされた時、その救援は何よりも最優先で行うこと。
3つ。それ以外の全ては些細な事柄、決して全力であたらず、あくまでも無難に、しかし完璧にこなす事」
クロバの言葉は、より上位の存在に仕える、使役する立場にある人間として、騎士である彼等にも通ずる所のある内容だった。
しかし、だからこそ、彼等はクロバの言葉に込められた意味を理解した時、強烈な怒りを覚えた。
「貴様にとって我々は、抜刀する必要もない取るに足らない存在であると、そう言いたいわけだな」
前に陣取る、もう1人に比べて比較的大柄な男は、じりりと一歩踏み込みながら、静かに怒りを宿した声でそう吐き捨てた。
「いえ、そういう訳ではありません」
しかし、クロバはその男の姿に目を丸くした後、慌てた様子で弁明の言葉を口にした。
しかし、騎士はクロバの釈明などおかまいなしに動いた。
剣を突きつける様に構え、猛然とクロバに突撃する男。
男の背後には、仮に彼の突きがさばかれた場合に追撃を仕掛けるべく、静かに追従する2人目の男の姿がある。
最早クロバに退路はない。それをもう一度確認した男は、クロバを間合いに収めた瞬間、大きく自身の剣を引きつける様に体をひねった。
全身のバネを連動させ、突き出す右腕に全身全霊の力を込める。
疾走の速度も相まって、恐ろしい速度で放たれたひと突きは騎士達の目論見通り、この戦いを終わらせるに足る決定的な一撃となった
「抜刀など関係なく、ただあなた方を倒すということそのものが、私にとってなんの考慮にも値しない、戯れ事だという事です」
突如響いた硬質な金属音と共に、クロバの喉元に向けて繰り出されていた男の剣が止まる。
全力の突きを止められた衝撃によって、腕から全身を駆け抜けた激痛に男が顔をしかめる。
しかし、男に再び仕切り直しをはかる機会は与えられなかった。
強烈な横方向への加速感と、直後訪れた衝撃。今度のそれは、紛れもなく全身を打ち付けたことによる痛みだ。
激痛と衝撃の中で、男は確かに目にした。
自身の突き出した剣が、半ばまで抜刀されたクロバの剣の腹に、まるで飲み込まれているかの様に埋もれているさまを。
——
「ふう、こんなものでしょうか?」
呟かれたクロバの声に答えるものはいない。先ほ雑談に興じていた2人の騎士は、重なり合う様に倒れこみ、ピクリとも動かない。
流石騎士というべきか、自身の剣から一切手を離さなかった1人目の男を、その剣ごと振り回して壁に叩きつける事で無力化したクロバ。
彼にとってラッキーだったのは前の男の横を通り抜けようとした2人目の男が、叩きつけられた男と壁の間に挟まれる様にして巻き込まれてくれたことであろう。
騎士の敗因としては滑稽極まりないが、追撃を考えるならば哀れな2人目の男の無茶な判断も分からないものではない。
彼らを数秒眺めていたクロバは、ふっと顔を上げ、思い出した様に自身の剣に手をかけた。
滑らかな金属音と共に、半ばまでその姿を露わにしていた刀身が月光の下にその身を晒す。
と同時に、派手な金属音を立てながら抜け落ちた、騎士が使っていた直剣が地を跳ねる。
ついぞその姿を現したクロバの剣は、極めて異質な形をしていた。
彼の剣は、刃のみを持っていた。縁から数センチのみ刀身を持ち、剣の腹にあたる部分がくり抜かれていたのだ。その姿は、まるでふた振りの日本刀を背中合わせに貼り合わせたかの様にも見える奇抜な代物だった。
強度的に大丈夫ではない様に見えるが、しかし先ほどクロバはこの隙間に騎士の剣を挟み込むことで男の月を無力化したのだから戦術的な面から見れば需要があるのだろう。
静かに剣を収めたクロバ、最後にパチリと鍔をならして、彼は改めて、2人の男に向き直った。
「さて、あとはこの方達が何者であるかという点ですが⋯⋯」
そもそも、彼がわざわざこの様な少数部隊の制圧のために動いている理由は、不穏分子の特定のためである。
現在、革命軍の後衛部隊というのは、魔道士を除くほぼ全てが戦闘経験のないものや女子供、いわゆる、非戦闘員で構成されている。それは、戦闘を前線部隊で完結させることを前提に、革命軍の規模と影響力をかさ増しするための作戦であり、負傷者の手当てと同時に情報戦略の面も担っている。
しかし、いくら革命軍とはいえ、後衛部隊はそのほとんどが一般人である。形はどうあれ国のために民衆を殺せという類の指令を実行する、それも奇襲という、相当に悪質な戦術でもって市民を虐殺しようとする輩は、人々の為にを旗印に行動するコウ達にとっては都合の悪いものであり、排除する必要がある。
だからこそ、あえて陣の側方の警戒を薄くし、敵がすり抜けやすい状況を作った上で少数精鋭で制圧するというまどろっこしい作戦をとったのだが。
「しかし、気がかりです。随分と⋯⋯そう⋯⋯きな臭い」
クロバは、全力でないとはいえ、終始彼を圧っし続けた、想定よりはるかに手強かった騎士達を前に、妙な胸騒ぎを覚えた。
——
さて、手に汗握る激闘を演じたクロバとは打って変わって、こちらは計画通りの鮮やかな一撃から始まった。
後方から聞こえた鈍く打つ様な音と、それに続いたどさりという音に、先行していた3人の騎士が一斉に振り返る。
そこには、倒れこむ1人の騎士と、その横で刀を振り抜いた形からゆっくりと身を起こす1人の老人の姿があった。
「安心しなされ、殺しちゃおらんよ。ほれ、刃もついとらんじゃろ」
刃のない、鈍く光る刀身を指でなぞりながら、老人はよく通る声で騎士達に呼びかけた。
倒れ伏す仲間と、此方に歩み寄る老人、ゼルドロの姿を理解した瞬間、3人の騎士は荒々しく抜刀しゼルドロに向かって突撃した。
仲間を斬られた怒りの滲む、あからさまな殺意を前にゼルドロはピタリと足を止め顔をしかめる。
「じゃから生きていると言うておろうに⋯⋯」
面倒くさげにつぶやいたゼルドロは、騎士達の間合いに入る寸前、電光石火のごとく構えをとった。
刀を左腰の鞘に収め、足を開き、大きく体をひねり力を溜める抜刀術の構え。
駆ける騎士達が一歩を踏み出す間に瞬時に構えを変えたゼルドロに対し、騎士達は戦慄と共に防御の構えをとる。
「霧抜き」
ポツリと、ゼルドロが誰にも聞こえない様な声でつぶやいた。
途端、彼の刀がまるで霧に包まれたかの様にその輪郭を失う。
そこから放たれるであろう、左から右への抜刀斬りはらいを、騎士達が察知した瞬間、その予想をあざ笑うかの様に、ゼルドロの刀は右から左に、鮮やかな弧を描いた。
「枯れ柳」
音もなく鞘に収められた刀の前に、同様に首筋を打ち据えられた3人の騎士が次々に崩れ落ちた。
地に伏せる騎士の1人の頭上にかがみ込んだゼルドロは、ため息とともにつぶやいた。
「飛び込んでおいて、守りに走っちゃあいかんじゃろう」
指導者ならではのアドバイスと共に、ゼルドロのこの戦争での戦いはあっさりと幕を閉じた。




