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異世界転生は一度でいい!  作者: 大杉俊
一章 目覚めと気怠げな死神
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第20話 平穏な日常


 果てしなく続く若草の平野、コウは一本の木の根元に腰を下ろしていた。ふわりと漂う青草の匂い。寝転がり、それを胸いっぱいに吸い込む。胸の奥底をくすぐるその香りに呼び起こされる懐かしい記憶。


——またこんな所にいたのね、ほら、早く起きなさい——


 聞きなれた彼女のその言葉に跳ね起きたコウは振り返り、辺りを見回した。しかし、辺り一面に広がる何一つ変わらない野原に人の気配はない、深くため息をついたコウは、もう一度息を吸い込み⋯⋯


 やけに芳醇な若草の香りに違和感を覚えた。


 頭を殴られたような衝撃にコウは目を覚ました。何事かと目を開けると——


「うわっ⋯⋯」


 スヤスヤと眠るセナの顔が視界いっぱいに映し出された。


「何⋯⋯っつ」


 慌てて頭を上げたコウは自身の頭を打つ鈍い痛みに顔をしかめた。思わず自身の頭に手を当てる。しかしその手はぬるりとした感触に動きを止めた。

 不自然な手触りに疑問を感じたコウは自身の手をふと見ると、


 真っ赤に染まる自身の右手がそこにはあった。


「なんだ⋯⋯もう、なんなんだよ」


 立て続けに巻き起こった予想外の展開に、コウは呆然ぼうぜんとつぶやいた。


——


 とりあえず状況を整理しよう。手を拭きながらコウはまだ少し寝起きの鈍さが残る頭を働かせた。

 これほど早く精神を持ち直したのもひとえに、コウの豊富すぎる人生経験が故であろう。


 まず、コウの頭を染めている真っ赤な液体、これは血ではない。冷静であればすぐにわかる事であるが、フルーティーかつ深みのある香りを放つそれはどう考えてもワインである。

 テーブルに倒れたボトルと今なお床にしたたるワインを見るに、大方寝ている間に腕でも当たってしまったのだろう、それが頭の上に倒れてきたからコウは寝起きからワインをかぶるという相当な災難を受ける羽目になったのだ。夢の中で感じた違和感と殴られたような頭痛の原因はこれだったのかと一人納得しながらコウは次のステップ、というより最も重要な案件に考えを進めた。


 要するに、セナと一夜を共にしてしまった疑惑についてだが、


「⋯⋯大丈夫っぽいよな?」


 間違いはなかった、はずだ。

 二人が眠っていたのがベッドやソファーならば、あるいは一考の余地があったかもしれない、しかし二人は丸テーブルに向かい合うように突っ伏して眠っていたのだ。これが色事かと問われれば100人中100人、いや、98人はNOと答えるだろう、むしろ酒場などで酔いつぶれたオヤジたちの日常風景に近い状態である。


「はぁ⋯⋯いや⋯⋯はぁ⋯⋯」


 何もなさそうで良かったという安堵、いやいやそういう問題ではないという焦り、今更考えてもどうしようもないという諦めを三連続でため息に変えたコウは布巾を手に取り撒き散らしたワインを拭き始めることにした。


 前日、辛くも仕事を勝ち取ったコウだったが、その計画には一つだけ誤算があった。それは、その日の給料が出ないことだ。

 1時間金貨1枚という破格の好条件での交渉を成立させたところまでは良かった、しかし昨日はその段階で夕刻7時にも迫っており、ペルシアやヘイズメルはコウたちの来訪によって中断させられていたその日の仕事を片付けねばならず到底時間は取れない。ならば他の組合員に授業をという話も、未だ不審者の域を出ないコウを一般に紹介しては組合の威信に関わるという理由で却下された。


 かくして、破格の報酬の代償として1日の野営生活を言い渡されたコウであったが、やはり今度も救いの手を差し伸べてくれたのはセナである。


「1日だけなら泊めてあげてもいいわよ」


 なんという事だろう、こんなにありがたいことはない。その提案に嬉々として頷いたコウはセナが住居として使っている店の二階の小部屋でセナ秘蔵の一本を開けたという流れだ。

 しかし、そこから先の記憶がない。


「俺、そんなに酒弱かったっけかなぁ?」


 しばし記憶をたどりながら、コウは近場の棚を探り、手頃なサイズの雑巾を引っ張り出す。

 いうまでもなく、それはこの惨状を片付けるためのものであり、コウはそれなりに手際よく撒き散らされたワインを拭き取っていく。


 事態が急変したのは、この部屋における一切合切の掃除が終了し、雑巾を洗って干したコウが再びこの部屋に戻ってきた時だった。


「ん⋯⋯⋯⋯あ、おはよ」


 机に突っ伏したままだったセナが目を覚ましたのだ。彼女の身長からすれば相当に無理のある体勢で眠っていたのだから仕方がないかもしれないが、パキパキと背骨を鳴らして伸びをするその姿には昨日見せた獣のような威圧感はない。


「おう、おはようさん。よく寝れては⋯⋯なさそうだな」


 単純に先に起きた優越感からコウは父親のような威厳溢れる口ぶりで話しかけた。

 もっとも、椅子に座って伸びをしているセナと、立って作業をしているコウの視線の高さが変わらないあたり、むしろ母子に近いほどの身長差があることは明らかだが。

 

「ふう⋯⋯あれ?」


 そして彼女は気づいてしまったのだ、テーブルに転がる空になったワインボトルに。


「これ、なに?」


 にこやかな表情で突き出されたボトルに、コウは久方ぶりの恐怖を覚えていた。


「ん? ワインのボトルだな」


 冷静なていを装いながらもコウは自身の背中を流れる冷や汗を感じる。


「そうね、私の大好きなワインのボトルね」


 セナのこの発言に至ってコウはそろそろ逃げ出したい気分ではあったが、流石にそれは非礼が過ぎるという考えとそもそも逃げきれる気がしないという予感が彼の足をその場に縛り付けていた。


「どうしてからなの?」


 しかし、コウは考えた。「ひっくり返しました」などと言うバカみたいな真実ではなく、素晴らしい言い訳、もとい自身が生き残るすべを。


——幸運なことに片付けは今終わったところだ、証拠はない。昨日の状況は何一つ覚えていないが二人ともテーブルに突っ伏して眠ってしまったあたり、相当に泥酔していたと推理できる。ということはセナの記憶も曖昧である可能性が高い。とするならば俺が取るべき言い訳はセナを納得させるリアリティ溢れる内容じゃなきゃいけないわけだが——


「え? 飲んじまったんじゃないか? 俺はよく覚えてないが」


 そして思いついたのだ、責任を押し付け、保身を図り、不味くなっても「覚えていない」で全てうやむやにできる最高の言い訳を。


「あらそう? 残念ね、まだ半分ちょっと残ってると思ってたんだけど」


 以外にもあっさり引き下がったセナにコウは安堵に胸をなでおろした。そして、


「じゃあ」


 その油断を見計らったかのようなタイミングで、するりと伸びてきたセナの腕をコウはかわす事が出来なかった。


「うぐぅ⋯⋯」


 そのままセナはコウの頭を抱きしめるような形で自分の顔の前に持ってくる。


「なんでアンタの頭はこんなにいい匂いがするのかしらね?」


 猟奇的な笑みと圧倒的な力でコウの頭を締め上げるセナの前に、彼は朦朧もうろうとした意識の中つぶやいた。


「できるだけ痛くない方でたのんます⋯⋯」


————


「コウ殿⋯⋯大丈夫でござるか?」


「大丈夫じゃねーよクソゴリラ」


 セナによるアイアンクローの刑を受けたコウは、顔の真ん中に紅葉という、全日本ドウシテコウナッタ選手権があれば銅賞ぐらいは取れそうな顔でモーニングコーヒーをすすっていた。


 あれほど楽しみにしていたコーヒーにも関わらず、やたら酸味ばかりが目立つその風味に顔をしかめながらコウは朝食のパンに手をつけた。


「あら? 案外美味しいじゃない」


 先日はあれほどコーヒーを批判していたセナだったがいざ口にしてみれば態度は一転、先程の暴力事件の余韻も感じさせず上機嫌でカップを傾けていた。

 

「へいへいそりゃよかったなー」


 これを素直に機嫌が直ってよかったと捉えられないあたり、コウが受けた痛みは相当なものであったのだろう。


「して、本日の修練の内容はなんでござるか?」


 4日目にしてやっと予定の時刻に店にたどり着くことができたウチツネは意気揚々とたずねる。


「そうだな⋯⋯」


 コウはまだダメージが抜けきっていない様子ではあったが、便宜上内弟子であるウチツネの問いを無視することはできない。自分が淹れたコーヒーが以外にも好評だったこともあいまって、機嫌だけは直っていたコウはニヤリと笑みを浮かべながらウチツネに向き直った。


「今日はもっと実践的なやつを教えてやろう」


——


 早朝からのウチツネの修練を終えたコウは、多少の疲れを押し殺して魔道士組合役場の門をくぐった。

 と同時に、その身に突き刺さった複数の視線にコウはたじろいだ。


「あれが昨日の⋯⋯」

「エントランスで座り込んだっていう⋯⋯」

「組合長と副長ふくちょうに連れてかれたって人?」


 前日それなりに暴れた事はコウも認めてはいるが、さすがに昨日の今日でこれ程までに噂が広まっているとは思いもよらなかった。

 コウは浴びせられる好奇の視線から逃げるように足早にロビーを駆け抜け、エントランスのスタッフに用件を伝える。


「すんません、今日の3時から組合長に面会の約束があるコウっていう者なんですけど」


 その際、怪訝な顔をするスタッフに、昨日ヘイズメルから渡された怪しげな書状をチラつかせる事も忘れずに。


——


「先程は本当に申し訳ございませんでした!」


「ああ、別に大丈夫ですよー」


 副組合長が直々に招待状を出すような重客に思いっきり不審な顔をしてしまった哀れな女性スタッフの、もう何度目か分からない謝罪を聞き流しながらコウは案内された部屋に足を踏み入れた。

 一見して目立った特徴のないシンプルな部屋だった。

 広さは昨日通された応接室と大差ない、しかし内装、特にソファーやテーブルなどの家具は単色の非常にシンプルで遊びのないデザインで揃えられ、何処どことなく学習塾のような引き締まった雰囲気を放っている。


「申し訳ありません、すぐに組合長様が来られますので、もうしばらくお待ちください」


 そう言い残し、足早に駆けていった女性スタッフを見送ったコウは、真っ白な3人がけのソファーにどっかりと腰を下ろし、大きく息をついた。

 考えてみればこの世界に来てから働きづめだった(というよりは仕事探しに明け暮れていた)コウは、このような「なんでもない時間」というものがなかったのだ。もともとコーヒーも落ち着いた静かな一服を演出するために飲み始めたものであったのに、今朝は考え事をしながら飲んだだけでなんら休めてはいなかった。


(ここにコーヒー持って来れば良かったな)


 あらかじめ分かっていた空き時間ではなかったのでそもそもありえない発想だったがコウはこの時、かなり本気でコーヒーセットを持ってこなかったことを後悔していた。


「ごめんなさい、遅くなりました」


 それから遅れること約5分、ようやく本日の生徒であるペルシアがやって来た。


「⋯⋯まったく、少しは居住いずまいを正したらどうだい? 一応私たちはここの役人なんだよ」


 なんとヘイズメルを連れて。


「えっと⋯⋯そっちのかたは?」


 言外に「なぜ連れて来た」とペルシアに問いかけるコウの質問の答えは、他でもないヘイズメルによってもたらされた。


「勘違いしないでくれ、私は自分の意思でここに来たんだよ」


「そりゃ、どういう風の吹き回しで?」


 意外感にコウは再び問いかける。昨日はあれほど自らの魔法を誇っていたこの男が自らの意思でコウの魔法を習いに来るなどとは到底思えない。


「君みたいな得体の知れないやからにペルシア様が洗脳でもされたらたまったものではないからね」


 彼の答えはコウを納得させるのに十分なものだった。

 しかし、ペルシアはその答えには納得出来ないようで、頰を膨らませて憤慨を露わにする。


「ヘイズ! 私は洗脳なんてされません!」


 一般にあざといと取られるようなその仕草だが、それに対するヘイズメルは口元を押さえ、照れたように顔を赤らめながらもその表情の端々には隠しきれない疲れが見える。


「ペルシア様、普段のあなたは自分で思っている以上に素直で、分かりやすい性格をしておられるのですよ⋯⋯」



 クールで威厳ある振る舞いを一生懸命演じる天真爛漫で健気な女性に、惚れてしまった貴族出身のプレイボーイといったところか、コウは目の前で向かい合う難儀な二人に軽くため息をついた。


——


「——と、まあこんなところだな」


 疲れた表情で教科書を閉じるコウ、受講者の2人の生徒は共に要領を得ない内容で埋め尽くされたメモを凝視し、それぞれの杖を握って虚空に力を注ぎ込んでいた。

 2時間におよぶコウの講義はごく基本的な魔術の解説にとどまった。

 といっても別にコウが契約期間を引き延ばすために与える情報を絞ったというわけではない。魔力の流れ、意識の仕方、属性別のイメージの要領など、それらを術式魔法の教科書と対比して懇切丁寧こんせつていねいに説明してもなお、彼女達がそれを理解できなかったのだ。

 コウは今更になって人間の固定観念というものの手強さを痛いほどに感じていた。


「⋯⋯こう言ってはなんですがペルシア様、こんな事に時間を割く意味があるのですか?」


 そうそうに細剣レイピアを模した杖を放り出したヘイズメルが熟考で沸騰しそうな頭に手を当てながらペルシアに問いかける。


「諦めちゃダメですヘイズ。果てなき探究心こそ魔道士がもっとも重んじる資質だと先代も言っていたではありませんか」


 真剣な眼差しで魔道士組合の長にふさわしい言葉を述べるペルシアだがその手に握られたシンプルな杖は先程から空中にゆらゆらと無意味な図形を描くにとどまり、なんら考えが好転している様子はない。


「それはそうですが⋯⋯君、本当にこれでやり方はあっているんだろうね?」


 しばらく2人のするように任せていたコウだったが、鬱々(うつうつ)とした空気に嫌気がさし、次のような提案をした。


「教えられるのはそれぐらいだよ、後は練習する以外にどうしようもない⋯⋯でだ、上達には相当かかるだろうから一旦それは忘れて、質問タイムにしよう、何か俺に聞いときたいことはないか?」


 簡単な話、一問一答の質問形式にしてしまえば会話のレスポンスが上がりそれなりに雰囲気も良くなると考えたのだ。


「⋯⋯なんでもいいんですか?」


「もちろん」


「では教えてください、なぜ昨日、ヘイズの魔法を見切ることができたのか」


 しかし、ペルシアの問いは簡単に答えることができる類のものではなく、そこにコウは痛む頭を働かせざるを得なかった。

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