第15話 香るコーヒー、燻る闘志
パチパチ、パチパチ。
鉄鍋の中で小気味いい音を響かせる豆をかき混ぜながら、コウはその音に耳をすませる。
コーヒーの焙煎において、1ハゼと呼ばれるその音は豆の煎り具合を示す重要なファクターである。この段階で焙煎を終えても、浅煎りのコーヒーとして十分に楽しめるが、コウはどちらかと言えば深めに煎られた苦めのコーヒーの方が好みだ。
しばし無心で鍋をかき回す。
暫くすると豆の爆ぜる音が消え、代わりにコーヒー特有の香ばしい香りが先ほどのボヤ騒ぎで発生した焦げ臭い臭いを押しのけて部屋に充満する
「⋯⋯いい匂いね」
「だよな」
コーヒー嫌いを公言していたセナもこの香しい香りには好反応だ。
しばし考えたコウは、再び豆が騒ぎ出したタイミングで豆を火から下ろした。2ハゼと呼ばれるその現象が発生した直後に火から離したシティロースト(いわゆる、中煎り)の豆を皿に移し、手早く冷ます。そのままにしておくと余熱で味が変化してしまうからだ。
「何か小瓶みたいなものあるか?」
と同時に、隣で足を組み、暇そうにこちらを眺めているセナに小瓶を要求する。
ゆっくりと立ち上がったセナは吊り戸棚から手頃なサイズの瓶を取り出し、コトリとテーブルの上に置いた。
——余談ではあるがこの部屋の吊り棚はセナの身長に合わせて取り付けられているため、ごく平均的な身長(コウ曰く)であるコウには高すぎるのだ。——
用意された小瓶に光沢を放つブラウンの豆をざらざらと流し込んだコウは、ふうと一息つくとそばの椅子に腰を下ろした。
「できたできた、完成だ」
一休みするコウに対して、セナは小瓶を覗きながら尋ねる。
「飲まないの?」
「飲まない、まだ飲めない」
流石にこれだけでは不親切だと考えたコウは、疑問の表情でこちらを見ているセナに軽く説明する。
「焙煎してすぐだとガスが出て味が薄いから2、3日置いとくんだよ」
「へぇ⋯⋯」
しかし、帰ってくる返事には納得の裏に、少しばかりの期待はずれの色を見たコウは面白そうに尋ねる。
「何だ? もしかして飲みたくなった?」
「⋯⋯別に⋯⋯」
「⋯⋯今度淹れてやるよ、それより何か食べるものないか? 朝飯まだなんだよ」
想像以上に残念そうなセナの声音に、なぜか申し訳なくなったコウはそそくさと話題を変える作戦に出る。
「そうね、サンドイッチなら出せるわよ」
そう答えたセナは、ニッコリ笑顔で左手を差し出した。
「えっと⋯⋯その手は⋯⋯」
「20ブロンズ」
「はい?」
「サンドイッチ、1皿20ブロンズ」
ぼったくりである、文句なく、ぼったくりである。しかし他の選択肢をコウは思いつくことができなかった。
「⋯⋯ちくしょう」
「毎度あり〜」
結局、コウは話題転化のために20もの銅貨を手放すことになった。
——
「頼もう! どなたかB,A,Rと言う名の店を知らんでござるか?」
約束の時間から実に2時間遅れてやってきたウチツネは開口一番、不可思議な単語を発しながら店の扉を開け放った。
「⋯⋯お前まさか全部の店でそれ言ってまわったんじゃねぇだろうな?」
引きつった顔で問いかけるコウは、しかし、カウンター席にどっかりと腰を下ろし完全にくつろいでおり、ウチツネの遅刻に対する怒りは微塵も伺えない。
そもそも、ウチツネが予定の時刻にここにたどり着けないことは分かっていた。慣れ親しんだはずの道場の中ですら、思い切り道に迷ったこの男がこのような裏道にある寂れた店を見つけることができるはずがない。それが分かっていたからこそ、コウはちょっとした嫌がらせとして簡素な地図しか渡さなかったのだ。むしろ2時間でたどり着けたことの方が奇跡に近いと言えるだろう。
今回の件でコウ唯一の誤算といえば——
「⋯⋯う⋯⋯んっ⋯⋯」
カウンターに突っ伏して小さな声をあげるホワイトヘアーの女性、その頬はほんのりと赤く、そして右手に握られたタンブラーの半分ほどを満たす深い赤の液体——
——そうだ、この女、開けやがったのだ——
仕事中にもかかわらずコーヒーが飲めなかった腹いせに、ワインを呷って惰眠を貪るセナのその姿に、コウは真剣に衛兵に突き出してやろうかと思ったほどだ。
(ったく⋯⋯俺は今からが仕事だってのに)
腹いせに、コウはセナの癖のついた髪をひとしきりかき回してから重い腰を上げた。
「うっし、じゃあちょっとやるか」
——
セナの店から出た道をさらに奥に進むとちょっとした広場がある。ボロボロのベンチと生い茂った下草には全く人の手入れがなされている様子は無いがちょっとした組手には十分な広さがあった。
そして、その広場の真ん中に倒れこむ大男、大の字になって転がり、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返すウチツネを前に、コウは今日、何度目になるかわからないため息をついた。
その日、互いに木の棒を持って行われた組手は、コウの大圧勝で終わった。
「弱えぇ⋯⋯」
一応解説しておくが、コウのこの発言はウチツネが脆弱という意味では無い。むしろ身体能力、特に筋力や瞬発力、耐久力の面ではこれまでの努力の賜物か、かなりのものがあった。反応速度の面でも途中、コウが繰り出した斬撃のことごとくを回避、ないし防御出来ていた。さて、そのようなハイスペックな剣士に対し、コウが用いた秘策は——
フェイントからの足払い、これだけである。
上段切りをチラつかせて足払い、胴薙ぎと見せかけて足払い、はては足払キャンセル足払い。と言ったふうに、簡単な陽動にこの男は面白いように引っかかるのだ。最初の方こそ笑ってたしなめていたコウだったが、足払いクリティカル回数が2桁に達するあたりから頭痛を感じ始め、ついに3桁に達した現在に至ってはもうため息しか出てこなかった。
頭が悪い、考えが甘い、相手の攻撃の意図が理解できない、そもそも意図が存在することに考えが至らない。
ウチツネには近接戦闘の根幹である読み合いのセンスが皆無だったのだ。
「やはり⋯⋯拙者には剣の才はないので御座ろうか?」
そのようなコウの思考を読み取ったかのように、ウチツネが漏らしたその日初めての弱音に、コウは答えた。
「ないな」
ウチツネの目を正面から見据える、その瞳に映るのは諦めでもなく悔しさでもなかった。その光は己が定めた道へとひた走る武士の覚悟。
その目にコウは少し口元を綻ばせた。
「ない才能は伸びない、しかし才と強さはまた別だ、強さと勝利もな」
「答えろサムライ、お前が望むのは何だ?」
自身の口から放たれる、くさいセリフに内心赤面しながらもコウはウチツネの返答を待った。
「強さでござる」
覚悟の滲むその言葉に、コウは大きく頷いた。
——
舞台変わってセナの店。
——少年漫画顔負けの胸熱シーンを演じたウチツネはその直後、盛大に腹を鳴らした。聞くところによるとどうやら朝早くから家を出たため朝食すら食べていなかったらしい。挙句財布を忘れたために道中で食べ物を買うこともできず、そのまま組手に入ったため腹が減りすぎてどうにもならないとのことだった、ここでコウは昨日買ったにもかかわらず、朝に食べ損ねた朝食セットを思い出し、一旦店に戻ることになった——
「で、どうだったの?」
ウチツネ育成計画の手順に頭を悩ませるコウに、セナがグラスを磨きながら話しかける。
「どうもこうもねぇよ、頭悪すぎだよあいつ」
——ウチツネに聞こえないように声を落として、コウは事の顛末をセナに話した。——
「ふっ、強くなりたいって、ふふっ」
「当事者のこっちは笑い事じゃねぇんだよ」
声を押し殺して笑うセナを睨みながらコウは話す。
一転、コウは表情を崩してセナに問いかけた。
「なんか手っ取り早く強くなる方法ないか?」
「決まってるじゃない、死合いよ死合い、殺し合い」
セナの衝撃発言に、しかし、コウは動じなかった。
「そりゃそうだけどな?」
死合いは戦士を急速に成長させる。互いに命をかけた真剣勝負はそれぞれに大きな変化をもたらす。何十年積み重ねた修練を、たかだか数回の試合による経験が上回る。効率面において素晴らしい事この上ない実戦なのだが——
「あのクソザコゴリラじゃ瞬殺されて終わりなんだよ」
その選択肢にはある程度の実力が不可欠なのだ。
何かを察したセナの表情と、思案にくれるコウの間に沈黙が流れる。
「まあ、それが一番手っ取り早いか⋯⋯」
ボソリと呟いたコウに、今度はセナが問い返す。
「えっ、でも死んじゃうんじゃない?」
「ああ、だからまずはあのクソザコゴリラをマッスルゴリラぐらいまで強化することにしよう」
ニカッと笑いながら宣言したコウに対して。
「⋯⋯何か、どっちも嫌ね」
セナは、心底嫌そうな表情で返した。




