第102話 コウの兵法
霧の魔道書。
コウがペルシアを通じて魔道士組合に制作を依頼した、全348ページからなるその魔道書は、都市全体を覆う魔力障壁として、ゼルカトリア軍の侵攻を約1ヶ月に渡って食い止める働きを見せた。
しかし、その魔道書に秘められたもう1つの役割を知る者は、ハタツミでも数少ない。
水という、火や電気に比べて安定した形態、霧がもつ、大気中に滞留する性質。それらの特徴が合わさった結果発生する、魔力が空間に蓄積されるという状態。
それは、魔道士の数で大きく劣るハタツミが魔法でもってゼルカトリアの大軍勢に対抗する唯一の方法。
コウによる収束術式の発動から2秒後、王都全域に分布した霧の粒子1つ1つが活性化する。
魔力を感知する術を持たぬ剣士達さえ身じろぎするような、大気がざわめくような不気味な感触。
発動から4秒、活性化した霧の粒子は魔道書から下される命令に従い、都市の一点に向けて収束する。
高速で移動する粒子は大気を巻き込み、生み出された突風が街並みを駆け抜ける。
発動から8秒、収束した霧は純粋な魔力へと還元され、さらなる術式によりゼルカトリア軍の兵士達の目の前で形を変える。
王都正門、その上空。
発動から12秒、空に浮かぶ巨大な魔法弾を前に、ゼルカトリアの魔道士は為す術などなかった。
「退避、退避ぃい!!」
魔道師団長の悲痛な叫びは、誰に届くこともなく、降り注ぐ白い光にかき消される。
すさまじい閃光、次いで訪れる轟音と衝撃。
何もかも無に帰すようなエネルギーの奔流は、瞬く間にゼルカトリアの隊列を包み込んだ。
――
濃い霧に閉ざされていた王城に、
そして見えるのは、見るも無惨なゼルカトリア軍の有様だった。
赤く焼けた石畳と、炭化した正門の残骸。
「霧の都、大〜爆〜発〜!」
両腕を突き上げ狂喜乱舞するコウと、爆音に跳ね起きたセナ、その2人を除いて、一同は皆、驚きの表情を浮かべる。
指向性を持った爆発。
爆心地から一方向へ、街道に沿って焼き払うように炸裂した魔法弾は、その絶大な威力にもかかわらず、ほとんど街並みへの被害を与えなかった。
「1万……いえ、1万2千といったところでしょうか。目算ですが、少なくとも8千を下回ることはないでしょう」
地図上の分布と現在の生き残りを照らし合わせ、爆発が敵に与えたおおよその被害を見積もったクロバは、自身が言葉にしたその数字の膨大さに静かに頭を振った。
死者1万人。
通常、速度とバリエーションで戦う魔道士部隊同士の攻防ではあり得ない、一切の防御なしに最大威力の一撃を受けるという状況。
完璧な不意打ちによってなされた、魔法という兵器そのもののポテンシャルを最大に引き出す攻撃は、史上類を見ない絶大な被害をたたき出していた。
遙か遠く、うごめく敵兵の様子に、我に返ったクロバは静かにつぶやく。
「普通なら立て直すでしょうが……」
「いいや無理だな、そんな余裕、あそこにいる兵士達にはないよ」
クロバの言葉を即座に否定したコウは、動揺の治まらない様子の敵陣を指さして続けた。
「何せ、そうなるように下準備をしたんだからな」
コウの言葉通り、敵陣の回復は遅々として進んでいないように見える。
「恐怖……じゃな」
ゼルドロの言葉に、コウは深く頷いた。
「そう恐怖だ、エルフの村を吹っ飛ばしてから、俺達は絶え間なく奴らに恐怖を与えてきた。敵の見えない恐怖、凄惨な死に様の恐怖、どこで踏むかも分からない地雷の恐怖に、前の見えない霧の恐怖と、ストレス要因を数えりゃきりが無い」
「そこに来てドカンだ、初めての大打撃だ、トラウマ掘り起こすぐらいの一撃だ、手も足も固まるさ」
得意げに語るコウに、ヘイズメルは眉をひそめた。
「だが彼らも軍人だろう、そう簡単に怖じ気づくだろうか?」
ヘイズメルのその指摘に、コウはこくりと頷く。
「まあ確かに、兵士やってるくらいだしあの連中もそれなりに心臓は強いだろうさ、だが全員じゃない」
「これは、選別だよ。より弱い人間を見分けるためのな」
「この瞬間、兵士達が取る行動はおおよそ3種類、冷静に隊列を立て直そうとする者、怒りや興奮、痛みなんかでパニックを引き起こし、無策に前進しようとする者、そして何も出来ず、怖じ気づいて立ち尽くす者だ」
「そうなると、何が起こると思う?」
「兵隊には大きく分けて3種類の人間がいる。先駆け、仲立ち、そして後追いだ」
「先駆けはその名の通り部隊の一番槍だ。熱しやすく冷めやすい性格で、ほとんどの部隊で一番の発言力と存在感を持ってる」
コウの説明に、一同の視線を集めるのは、もちろん傍若無人な女剣士。
視線を向けられたセナは、なんとも居心地悪そうにふんと鼻を鳴らし、そっぽを向く。
生まれた微妙な静寂を、咳払いでいなしつつコウは説明を続ける。
「仲立ちは部隊の司令塔。いかなる時も冷静で、作戦を忘れない仕事人、ホントなら一番リーダーに適しているが、大体の場合さっき言った先駆けの方が発言力を持ってる場合が多い。地味だからな、カリスマ性が違う」
「俺達で言うと……クロバ、お前みたいな奴のことだ」
「ハハッ、いえいえ、滅相もありません」
どこか鼻につく笑いと共に頭を振るクロバを、コウは恨めしそうに睨んだ。
「嘘つけよ、いっつも俺より冷静じゃんか……」
「で、ええと……最後が後追い、これもそのままだな、勢いに流されやすく、他人の意見に同調しがち、いわゆる大衆の意見ってやつを作り出すタイプの人間だ。ちなみにストレスに潰されやすいのもこいつだ」
「さて、この3種が入り乱れた戦場をどでかい一撃でかき混ぜると、どうなると思う?」
「答えは……ほら見ろ、きれいに分かれるんだ」
そう言ってコウが指さした先では、先ほどまで塊のようになっていた部隊の最前線が大きく形を変えているところだった。
「激昂した先駆けが突撃し、それに引っ張られた後追いがのろのろと後を追う、冷静な仲立ちが立て直すために部隊を止めようとし、隊列は3層に分かれる」
言葉通り、横の隊列から飛びだした一団と、それを追う一団がハタツミの都市内に侵入する。
街道を王城に向かってひた走るゼルカトリア軍の様子には、とても理性があるようには見えない。
そして、その集団の後部から最後尾にかけて、足取りの重
彼らが正門から王城までの中程に差し掛かったあたりで、コウは再び口を開いた。
「さて、頃合いだな」
高らかに指笛を吹き鳴らしつつ、どこから取り出し出した小旗をぶんぶんと振り回すコウ。
その合図を受け、城門両脇の見張り台に待機していた兵士達は一斉に弓を構える。
街道に沿って立ち並ぶ商店兼住宅街。
王城に最も近い2件に、兵士は火矢を打ち込んだ。
瞬間、派手な爆発音を響かせてその建物は砕け散った。
さながら建物の発破解体。
違うのはその爆発が明らかな殺意を持って準備された物だということ。
ドミノ倒しのように連なる爆発は、瞬く間に街道を駆け抜け、乗り込んできたゼルカトリアの兵士達に迫る。
砕けた石材の破片は街道に向かって打ち出され、兵士の身体を撃ち抜き、爆風と共に打ち砕く。
両側から襲い来る衝撃に、馬鹿正直に街道を突き進んできた先駆け見るも無惨な最期を遂げた。
「あれだ、ミンチよりひでぇやってやつだ」
この際、街並みへの被害に苦言を呈する者はいなかった。
「先駆けは全滅、後追いも半分は死んだだろう」
「さてと、ただでさえ脆弱な後追いの心は、2度目の惨劇に耐えられるかな」
コウがその言葉を言い終えるより前に、立ち尽くしていた敵兵の1人が踵を返した。
「そら見ろ、1人逃げた」
「こうなると止まらないぜ、何せあいつの周りにいる人間はみんな同じぐらい弱い人間なんだからな」
見透かしたような顔で言うコウの笑みは、次々に逃げ出す兵士の後ろ姿により深いものとなった。
そして、逃げ出した彼らのすぐ後ろに控えるのは、最初から心折られて立ち尽くしていた者と、戦線の立て直しに尽力していた仲立ち。
得てして冷静な者ほど敗北の兆しには鋭いもので、逃げ帰ってくる集団とかち合った彼らが踵を返すのは時間の問題だった。
「1度逃げ出した人間はある種の恐慌状態に陥る、周りの悲鳴と目の前の背中を見ているうちに、自分のすぐ後ろに敵が迫っているような錯覚を覚えるのさ」
逃げ惑う一団となったゼルカトリアの兵士達は、制止する味方の怒号にも一切耳を貸す様子はない。
「そら、逃げ出した兵士が本隊とぶつかった、大混乱だ。4万人の大混乱なんてどうやって止められる?」
程なくして、ゼルカトリア軍の最前線は大混乱の渦に飲み込まれた。
人間の性質という、あまりにも不確定な要素。
戦略という合理性が織りなす分野で、本来避けるべきゆらぎ。
しかし、何もかもコウの言う通りに進んだ事は事実であり、クロバはしばし考え込む素振りを見せた後、静かに問いかけた。
「……貴方なら止められますか?」
質問を質問で返すタブー、しかし、この場合はそれが最も正しい回答であった。
「……俺には多分無理だ、ああいう時に通る声ってのは、死よりも恐ろしい人間の言葉であって、俺はそういう指揮官を演じちゃいない」
肩をすくめるコウの様子には、しかし、目の前の状況への恐れは微塵もなかった。
そうなったときの対処法をも知っているからこその余裕。
「それが出来そうなのは……ああ、あの赤毛の爺さんなら出来たかもな」
しかし、ぱっと顔を上げたコウの表情には、どこか哀愁の影が差していた。
「クレル伯爵っつったっけ? あの爺さんは戦線を破綻させないためにどこまで犠牲を強いるか、それをよく分かっていた」
珍しく賞賛の言葉を口にしたコウは、テーブルに突っ伏すセナに視線を向けて続ける。
「あいつが読み違えたのはたった1つ、こいつが兵士として素晴らしい成長を遂げてたって事だけだ」
「どういうことだい? 彼女は最初から十分な実力を持っていたじゃないか」
ヘイズメルの問いに、コウは考える素振りを見せつつ答えた。
「ああ、でもそれは腕だけの話で……性質としては兵士ってより殺人鬼だったろ」
「見境なく皆殺しにしちまうような兵士、そんな奴、どれだけ強くたって俺は使いたくない」
くせ毛の強い白い髪。
セナの頭をワシャワシャとかき回しつつ、コウは笑いながらつぶやいた。
「正直、俺も驚いてるんだよ。こいつがこういう風に吹っ切れた事にな」
びくりと身をこわばらせ、直後ゆっくりと起き上がったセナの、大理石の柱程度なら打ち砕きそうな裏拳打ちをひょいとかわしたコウは、テラスの手すりに駆け寄ると、城内の自軍を見下ろして声を上げた。
「そろそろ兵士達を動かすか! いい加減暴れ出しそうだし……よし!門を開けろ。徒党を組んで突っ込むお時間だ!」
コウの言葉に、高らかに追撃の拳を振り上げていたセナは、なんともうれしそうな様子で自身の大剣を取りに戻る。
各々が準備を始める中、敵陣を見つめていたヘイズメルはコウに問いかけた。
「もう決着は着いているんじゃないのかい?」
その問いに答えたのはコウではなく、クロバだった。
「まさか、むしろここからが重要です」
その言葉を引き継ぐように、コウは続けた。
「恐怖だけで、人は死なないからな」
「私の立場はご存じでしょう? ここであの軍勢を取り逃がすと、ゼルカトリアの方で少し面倒なことになります」
面倒なことにはなるが、手の施しようがない程ではない。
悪い笑みを浮かべる2人組に、ヘイズメルは冷や汗を浮かべつつ引き下がる。
「まあ、そういうことだ、それじゃあ各自、手はず通りにな!」
その言葉と共に振り返ったコウは、袖から取り出した1枚の術式鉄札を天高く放り投げる。
時間差で発動した鉄札は、黄緑色の炎を放ち、空に印を映し出す。
丸い顔、丸い耳、三角の鼻につり上がった三角の瞳。
恐ろしき熊、鬼の熊、或いは背中のパッチワーク。
ハタツミで知らぬ者はいない、絶対的指導者の象徴。
キャラクター花火にしか見えないそれに苦笑いを浮かべるコウをよそに、ハタツミの兵士達は張り裂けんばかりの歓声を上げていた。




