第101話 指揮の本質
その日、ハタツミは見渡す限りの青空に包まれていた。
整然と並ぶ兵士の隊列。
中でも目を引くのは、地平線の端から端まで続くような途方もない規模の隊列のほぼ中央に位置する、巨大な大将櫓であろう。
8頭の軍馬に引かれる、攻城塔にも似た大櫓。
攻城塔との違いは、おおよそ兵器とは思えないその華美な装飾と、頂上部に備え付けられた司令室。
天蓋に覆われた頂上部は広く、数人の弓兵と指揮官が並び立っても全く窮屈さを感じさせない。
中央に据え付けられた椅子に腰掛けたアルフレートは、金細工の肘置きをするりと撫でた。
重く、大きく、きらびやかな椅子、さながら玉座のようである。
下らない妄想に耽っていたアルフレートは、はっと我に返り、視線を上げる。
それはちょうど、伝令からの報告を受けたヘレフォードが、満を持してアルフレートに向き直った所だった。
「侯爵、準備が整いました」
ヘレフォードのその言葉に、アルフレートはゆっくりと立ち上がり、ぐるりと自軍の全貌を見渡す。
(なるほど、王というのはあながち間違いではないかもしれない)
1万の剣士隊と1万の盾兵隊、そして2万の魔道士隊によって構成された4万の軍勢。
地平の果てまで続くような隊列、その全てがアルフレートの言葉通りに動くのだ。
絶対的な権力、そして、それに伴う途方もない責任。
ふらつくように腰を下ろしたアルフレートは、背もたれに背を預け、束の間目を閉じる。
全身を駆け抜けるざわめくような感触に、ゆっくりと目を開けたアルフレートは静かに口を開いた。
「作戦、開始」
――
平野に響き渡る角笛の高らかな号令。
大気を震わすその笛の音に、それぞれの師団の長が声を張り上げる。
「魔道士隊、詠唱! 爆雷球!」
師団長の命令に続いて、軍団規模の魔道士達の詠唱が始まった。
詠唱される術式は、一体となって大地を揺らす。
無数の火球が軍団の頭上に生まれ、そしてそれは目の前の地面に放たれる。
連鎖するすさまじい爆発。
地面に激突した火球は、その地表を抉り飛ばし、前方数十メートルに渡って大地をひっくり返す。
炎が消え、土煙が治まった後、残されるのは焼け焦げた黒い大地。
そして再び響き渡った笛の音に、師団長らはもう一度声を張り上げた。
「全軍、前進!」
――
アルフレートの導き出した地雷への対処。
それは前例のない、大規模魔道士部隊による直接発破処理だった。
進軍する地表の全てを面爆撃することで、短期間に、効率的に前進する。
当然ながらこの手法をとった場合、魔道士部隊は大幅な消耗を強いられる訳だが。
「どのみちあの霧中で魔道士は役に立たない。ならば、その力は価値あるうちに消費しておくべきだろう」
その数2万2千。
兵士の半分以上を占める魔道士は、少々強引な作戦などたやすく遂行できるだけの余力を持っていた。
「さすが侯爵、全くその通りでございましょう」
ダウブルフの言葉は、再び響き渡る轟音にかき消された。
――
朝も早くからドカドカと、響き渡るけたたましいことこの上ない爆音に耳を押さえながらコウはコーヒーカップを傾ける。
ハタツミ王城、大部屋のバルコニー。
城壁内に詰め込まれた自軍を一望できるその場所で、コウは仲間達と共に作戦指揮をとっていた。
といっても、コーヒー片手にバルコニーなあたり、決戦前の緊張感とは無縁な訳だが。
「ちゃんと眠ったの?」
傍らでコウの顔をのぞき込むセナのその言葉に、コウは所在なく顔を背ける。
「あー、ちょっとはな。にしても早すぎるだろ」
敵軍の早朝行軍に難癖を付けてはいるが、寝不足の原因が昨夜の真夜中コーヒーブレイクである事は間違いない。
「んふふ、あたしはちゃんと寝たわよ、しかも昨日は飲んでないの」
ふにゃけた笑顔でテーブルにもたれかかったセナの、くるりとグラスを回す仕草に、コウは乾いた笑みを浮かべる。
飲みたかったけど我慢して飲まなかったのよ、偉いでしょ。
つまりはそういうことだろう。
殊勝な心がけではあるが、決戦の前夜に最後の晩餐という発想が微塵も出てこないあたり、空恐ろしい話だ。
そんなことを考えている最中、再び大きな爆発音が響き渡る。
距離が距離だけに多少くぐもってはいるが、それでもテーブルに置いたコーヒーカップの水面が揺れる程度には強烈な爆撃である。
しかし、その轟音に城内の兵士達はむしろ活気づいたように見えた。
怒声を上げ雄叫びを上げ、闘志を奮い立たせる彼らの姿はなんとも頼もしい。
さながら柵越しに闘牛士をにらむ手負いの雄牛のようである。
ただ1人、弱腰に聞こえる声を上げたのは、大テーブルに置かれた地図をにらむクロバだった。
「しかし……これはまたすさまじい爆撃ですね」
畏怖しているような声音に反して、作業の手は一切緩まないクロバの様子に、コウは小さく苦笑する。
カップを持って席を立ち、コウはクロバに近づき問いかける。
「そんで、どうなってる?」
先ほど戻った伝令の報告に従い、地図上で素早く敵軍を示す赤色の駒を動かしながら、クロバは一転して快活な声音で解説した。
「大きく陣形を変化させながらの進軍、ゼルカトリアではよく知られた大軍奇襲戦術の古典です」
10秒とかからず全ての赤駒を動かし、背を伸ばして図面を俯瞰したクロバは、直後、嘲るように唇をゆがめ、首をかしげた。
「……が、今回の場合は、いささか効果的には見えませんね」
ハタツミ王城から続く街道、そこへ向けて収束するように隊列変化したゼルカトリアの陣形は、さながら蟻地獄に吸い込まれているようだ。
「なー、4万も押し込もうとするからつっかえるんだよ」
致命的な人口過密。おそらく街の正門はゾンビ映画のワンシーンのごとく、積み重なる人波に、怒声と罵声が飛び交う無法地帯となっていることだろう。
しかしながら、この有様がゼルカトリア軍にとっての最適解なのだ。
まず、渋滞を避ける簡単な方法として部隊の分割があるが、その場合、指揮の難易度は尋常ではなく跳ね上がる。
軍を1つの大部隊として運用する場合、必要な指揮官は1人である。
もちろん、1人で全軍を直接指揮できる訳ではないが、それでも高い権限を持つ指揮官は1人で事足りる。
では軍を2つの部隊として分割する場合、指揮官は何人必要だろうか。
第1部隊に1人、第2部隊に1人、そしてその2部隊をまとめる最高指揮官が1人。
計3人、高い権限を持つ優秀な指揮官が必要となるのだ。
当然ながら指揮系統も2つ用意しなければならないし、それらを統括するラインも必要だ、別々に運用するならば最高指揮官の負担も2倍になる。
部隊を1つ増やすだけで、かかる負担は2倍以上。
とにかく技量と力量を要求され、それができない場合、部隊を襲うのは混乱と分断、そして無慈悲な各個撃破である。
では、全軍突撃はそのままに、細かく部隊を指揮して円滑に進軍する事は可能だろうか。
否、角笛1本で掌握できるほど、4万の軍勢は甘くない。
司令官の力量と部隊の練度を鑑みても、下せる命令は3つが関の山であろう。
前進、後退、それ以外に1つ。
広すぎる戦線全てが同様の状況に陥ることがない以上、個々の判断はそれぞれの分隊長に任せ、司令官は全体の混乱を避けるため、大まかな流れを指示することに徹するしかないのだ。
それ以上の介入は、前線に無理を強いるだけで無用な犠牲を生む原因になる。
それが大規模戦闘の鉄則にして最適解。
大抵の指揮官は最初の数戦でそれを学ぶこととなるのだ。
それが大きな間違いであるとも知らずに。
戦争において、全ては時価だ。
必要なときに、必要な物を、必要なだけ。
それは物資であり、そして人員でもある。
突破した戦線に届く補給と、切迫した戦線に届く補給。
押し込まれた戦線に届く増援と、制圧した戦場に届く増援。
どちらがより価値があるかは明白であり、そしてそれは逆の場合も同様である・
崩壊した戦線に届く補給と、切迫した戦線に届く補給。
押し込まれた戦線に届く増援と、敗北した戦場に届く増援。
より価値のある方を優先し、価値なき方を犠牲にして優位を獲得する。
冷酷に切り捨て、非情に計算することこそ、指揮官が本来するべき判断なのだ。
もちろんそれは非道であり、とても公に言えるようなことではない。
しかし、その計算を突き詰めた先にある物こそ、理想的な戦運びの形なのだ。
必要なときに、必要な物を、必要なだけ。
それ以外を最初から排除したコウの指揮は、とても素人に真似出来たものではない。
戦争という物を熟知し、どうすればどうなるかを最初から知っている人間だけが行うことの出来る、無駄のない戦争。
ここに来て、これまでのコウの適当に見えた指揮が意味する真の意図に、周囲は気付き始めていた。
「これも計画通りですか?」
問いかけたクロバの言葉に、コウはさも当然のように頷く。
「当然、むしろそのための準備だ」
「さて、それじゃ1発。すこぶる景気のいいやつ、いっとこうか!」
「いぇーい!」
無駄にノリの良いセナを除き、全員が固唾を呑んで見守る中、コウは軽やかな足取りで大部屋の中に戻ると、その中央に置かれた台座に近づく。
書見台に開いておかれた『霧の魔道書』。
傍らに立つペルシアに許可を求める視線を送り、彼女が頷いたのを確認してから、コウは魔道書に手を掛けた。
明滅する術句が刻まれたそのページに手を這わせたコウは、その端をつまみ、ペロリと1枚ページをめくる。
魔術の光が空中に半円の軌跡を描き、紙同士が重なり合った瞬間ひときわ強い閃光が魔道書全体からあふれ出す。
エネルギーの奔流。魔力の爆発。
ちぎれそうな程に波打つページを押さえつけながら、コウは高らかに宣言した。
「収束術式、起動!」




