第100話 真夜中のコーヒーブレイク
ハタツミ王城。
幾つもの尖塔が目を引く建造物は、霧に暗く沈む街並みの中でただ1つ、幾つもの明かりと人々の熱気に満ちあふれていた。
流水花月の剣士に、元国王直属の騎士隊、そして3ヶ月という十分な訓練期間を経て、十分な戦力となった志願兵。
役場に集められた魔道士を除く、約8千の兵士が詰め込まれているのだ、いかに王城が広いといえど、その城郭内部は祭りの人だかりに匹敵する。
決戦を前に高ぶった兵士達の喧噪は、しかし月が天頂に昇る真夜中を前に少し勢いを落としていった。
城内で2番目に高い東の尖塔の最上階でその光景を見下ろしていたフランは、嫌気がさしたように視線を外し、その後ふと星空を見上げる。
特別星が好きというわけでもないが、霧の向こうに隠れた街並みでは他に見るものもなく、そして、眠る気にもなれなかったのだ。
軽いノックの音に、フランはゆっくりと振り返る。
「おーい、起きてる?」
何者かのその問いに、フランは驚くことなく答えた。
「ええ、起きています」
何しろ随分前からガタガタと階下から迫る耳障りな騒音が聞こえていたのだ。フランの感覚的にはむしろ待っていたまである。
「こんばんは~、眠れない夜に熱いコーヒーいかがっすか~」
それなりに大きな台車を押しながら現れた青年は、とってつけたような笑みでフランに語りかけた。
小柄で地味、覇気もなく、その見てくれは兵士にすら見えない。
しかし、その平凡な顔の中にある異質な右目を忘れるはずもなく、フランは即座にその人物が何者なのかを理解した。
「では、あなたが『コウ』ですね」
クロバがコウと呼ぶ男、昼の戦いでフランとロックを生かした張本人。
慣れていないのか不器用なのか、最後にガチャンと台車を柱にぶつけたコウは、その衝撃に痛むであろう両手首をひらひらと振りつつ、引きつった笑みで頷いた。
「おう、ハタツミのトップ、総司令官もしくは大将ってとこだ」
どこか自慢げにそう言ったコウに、フランは小さく頭を下げる。
反射的に行った会釈。
床の木目に視線を落としつつ、フランははてと首をかしげた。
夜も遅くにわざわざこんな塔の上まで訪ねてきたコウの目的は何か、一通り考えた後、思い至った最も有力な可能性に、フランはふいと顔を上げた。
「なるほど、それで、こんな真夜中に捕虜の監禁室に赴かれたということは、その手の要求を覚悟するべきでしょうか?」
するりとブラウスの襟首に手を掛けたフランに、コウは慌てた様子で手と首を左右に振る。
「まてまて、そういうんじゃねえよ、コーヒーだコーヒー!」
そう言えばそんなことも言っていたような記憶がある。
開口一番のコウの言葉を思い出しつつ、フランは続くコウの言葉を待つ。
「クロバの奴があんたが紅茶党だって言うからさ、コーヒー党の俺としては、こっちの魅力を知ってもらわないとってね」
紅茶党、フランとしては1度足りとも言った覚えがない言葉であり、コーヒーに関しても別に飲まないわけでもない。
そして何よりも、今は真夜中である。
「こんな時間にコーヒーですか?」
フランのその問いに、コウは眉根を寄せつつ口角を上げる、典型的な苦笑いの表情を浮かべて答えた。
「いやぁ、それはね、思ったけどさ、明日の朝には決戦だろうし、それが終わったら戦後処理が山積みだろ? それに、どうせあんたもこんな所じゃ眠れないだろうしさ?」
敗北など微塵も考慮しない、腹立たしいほど自信に満ちた言葉。
とはいえフラン自身、眠れないことは確かであった。
「なるほど、そういうことでしたら、こちらも覚悟を決めて振る舞われる事にしましょう」
さて、すぐにコウ自慢のコーヒーが飲めると考えていたフランは盛大に待たされる羽目になる。
コウが台車から取り出したのはミルとランプ、ご丁寧なことに、豆を挽き湯を沸かすところからコーヒーを入れようというのだ。
クロバの軽やかさとは対照的な、生真面目にも程があるやり方。
完成を30分後と見積もり、ガリガリと豆を挽く音が響く室内でフランは静かにその工程を見つめる。
「……ねえ、何か話そうよ」
しかし、コウの方はその沈黙に耐えきれなかったようで。
問いかけられたフランははてと左右に視線を走らせ、話題になるものを探す。
とはいえ、さして広くもない部屋の中、目に付くものは少なく、見つけたそれらもクロバから説明を受けたものばかりである。
「……そうですね、今のところ話すことはありません」
フランの答えに、何か熱いものでも飲み込んだようなうめき声を上げたコウは、静かに作業に戻った。
(もしや、傷ついたのでしょうか)
一国の軍隊を束ねる総司令官としてそのうたれ弱さはいかがなものか。
フランがそんなことを考えているうちに、豆を挽き終えたコウは、台車から取り出したガラス製の見なれない容器のようなものにその粉末入れた。
余談だが、あれほどガチャガチャとけたたましい音を鳴り響かせておいて、よく割れなかったものだ。
さて、上下逆さまに2つのフラスコをつなぎ合わせたような外見のそれは、フランの知識の中にない代物だった。
「なんですか、それは」
問いかけたフランの言葉に待ってましたと言わんばかりの表情でコウは答える。
やはりさっきのしおらしい態度はこのための布石だったようだ。
「すごいだろ、サイフォンって言うんだ、まあ魔道士組合の研究所にあったフラスコとかを組み合わせただけだから『なんちゃってサイフォン』なんだけど……」
そんな説明と共にコウはそのサイフォンなるものをランプの上に取り付けた。
下部に注がれた水がランプの炎で温められ、沸騰すると程なくしてコーヒーの粉末が入れられた上部へと吹き上がる。
「ほう、蒸気で抽出を」
みるみるうちに黒い液体で満たされた上部のフラスコに目を丸くしたフランに、コウはしてやったりという笑顔で頷いた。
「そうそう、おしゃれで良いだろ」
満足げな言葉と共にランプを消したコウ。
水分を押し上げていた気体が冷やされ、下部のフラスコへと抽出された液体が下降する。
ゆっくりと落ちていくコーヒーを眺めていたフランは、おそらくフラスコの継ぎ目であろう箇所から吹き出した蒸気にびくりと顔を引いた。
「漏れていませんか? それ」
高温蒸気の掠めた鼻先を押さえつつそう指摘したフランの声に、コウはきょとんと目を丸くする。
「え? あ、あれぇ?」
鼻先を押さえるフランと蒸気の吹き出した角度を交互に見たコウは、申し訳なさそうな笑みを浮かべてぽりぽりと頭をかいた。
「あはは、いや悪い。何しろ急ごしらえなもんだから、いろいろパーツが足りないんだよなぁ……」
誰に向けての言い訳か、視線を泳がせ、尻すぼみに消えたコウの言葉を、しかしフランは無視して問いかける。
「それはさておき、急ごしらえとおっしゃいましたが、このフラスコはちゃんと洗われたのですか?」
突拍子もない質問に分かりやすく首をかしげるコウ。
「……どうしてだ?」
並べたカップにコーヒーを注ぐコウに向かって、フランは再び問いかけた。
「魔法薬には有毒なものも多いと聞きます。中には一滴で死に至る非常に毒性の強いものもあると聞きます。もう一度聞きますが、そのフラスコはしっかりと洗ったのですか?」
「……」
無言の返答。
それが意味するところを正確に察知したフランは、目の前に置かれたカップをすっと前に押す。
「それではあなたが先にご賞味下さい、私はコーヒー一杯の為に命を落とすのはごめんです」
――
幸いにもフラスコは丁寧に洗浄されていたようで、体調不良者が出ることもなく深夜のコーヒーブレイクは滞り無く進んだ。
苦み、酸味、そして情緒。
コーヒーが与える安らぎは、単なる味覚を超えてそれを飲む人々に影響する。
たわいない会話、つまらない雑談。
敵対する国家の人間同士が交わすにはあまりにも日常的な時間に、フランは湧き上がる疑問を言葉にした。
「不思議です」
「なにが?」
カップから口を離し、首をかしげるコウに、フランは刹那のためらいの後、口を開いた。
「あれほど残酷な戦略をとった指揮官と、今目の前でコーヒーを飲むあなたが同一人物とは思えないのです」
おそらく、相当に答えにくい問いだろう。
しかしコウはしばらく考え込んだ後、フランの問いに真摯に答えた。
「まぁ、指揮官ってのは部隊の規模によって向いてる性格も変わってくるからな、俺みたいに1人で全部まかなおうって奴は、人間味あふれる懐の深さと殺伐とした取捨選択を使い分けなきゃいけない訳だ」
効率的な思考、しかしそこには、その手の考えを持つ人間の口からはおおよそ聞きかない言葉も含まれていた。
「懐の深さ、ですか」
言葉に秘められた意図を理解しきれず問い返したフランに、コウは笑みを浮かべて答えた。
「そうそう、例えば今だってそうだ」
「クロバがあんたのことを変人だの非常識だのと言っていたが、なんのことはない。こうして向かい合ってコーヒーなんて飲みながら、ダラダラと下らない話で笑えれば俺は満足だし、それで十分だ」
「俺にとって、他人ってのはそういうもんなんだよ。話が合うか、一緒にいて楽しいか、そいつがいる空間に満足できるかなんだ」
再びカップに口を付け、傾けたコウ。
一口のコーヒーに、ゆっくりとため息をつくコウの姿は、その言葉通り満ち足りているように見えた。
「逆に言えば、それ以外はどうでも良いんだよ。人間なんてみんな違うんだから、肌の色や目の色、種の違いなんて今更な話だろ」
他の人間が言えば、それはきれい事に過ぎない。
しかし、コウの口からこぼれたその言葉は、内なる本心を吐露してる物のように聞こえた。
「やはり不思議です、あなたの言葉は無性に信用したくなる」
「そりゃ何より……あ、そうだ」
不意に思い出したような様子でコウは振り返る。
「クロバがこれ持ってけって言ってたんだけど」
そう言いつつ、コウが台車の下から取り出したものに、フランの目は釘付けになった。
芋、大ぶりな芋、拳より大きな芋。
「それを……どこで?」
問い返したフランの切迫した様子に、コウは面食らったような顔で答える。
「は? いや、普通に食料庫に転がってたのを拾ってきただけだけど」
その言葉が意味するのは、この程度の芋はこの国にごろごろあるということ。
コウの手からふんだくった芋をまじまじと見つめ、フランは小さくため息をついた。
「ほう……素晴らしい、大きさも色味も、ゼルカトリアでは早々お目にかかれない代物です、さすが商国と言うべきでしょうか、お芋1つとってもこれ程違うとは」
「へぇ……実は他にも何種類かあるんだけどな」
その後、深夜のコーヒーブレイクは真夜中のお芋品評会へと速やかにすり替わっていった。




