小説家は傷害者である
さる勉強会で聞いた、本田技研工業創業者本田宗一郎氏の言葉に感銘を受けて思ったことです。
現在では世界的自動車メーカーとなった本田技研工業の創業者である本田宗一郎氏はこのような言葉を残しています。
曰く――、
創業者とは傷を負う覚悟を持った者のことである。
創業の『創』は貫通銃創などという様に、傷のことであるから、創業とは傷を負うことにほかならず、自らが傷を負うことを厭う者は創業者とはなりえない。
この話を聞いた時、評論子はなるほどと納得してしまいました。
書籍化したなろう作者はある意味で、自分の事業を興した創業者と言えなくもないでしょう。
創業の『創』は創作の『創』 かつ 創造の『創』でどちらにしても傷を作る/造る。
本田宗一郎氏の弁を借りるならば、小説家のみならず、創作者というものは皆すべて傷害者と言ってもいいと思います。
「馬鹿な! 自分は異世界転生モノを書いてるだけで誰かを傷付けるつもりなんかない!!」
こう主張する人もいるかとは思いますが、どう受け取るかは読んだ読者次第で作者が介入する余地など何処にもありません。
とはいえ、作者としては「そんなのは逆恨みじゃないか」と云いたくなると思います。
ええ、実際、そんなのはただの逆恨みです。
ですが、作者としてその小説を書かなかったなら、その読者が自分の書いた小説で傷付くという因果関係が成り立つことは無かったという事実は厳然として残るでしょう。
とうぜん、作者には何の責任もありませんが。
自ら創を作り出しておいて、自分が返り血を浴びないなどと思うのはどうなんでしょうか。
「剣に生きる者は剣に死す」のと同じく「ペンに生きる者はペンに死す」わけで、
読者が小説を読んで傷付くこともあれば、読者の感想を読んで作者が傷付くこともあるのは確か。
作者としては「お前は本当の自分の書いたものを読んで感想を書いているのか!?」と云いたくなることもあるかもしれませんが人間の記憶なんて曖昧なものです。
……生涯アマチュアという考えならこんなことは別にどうってことないでしょうけど。
とはいえ、書籍化=プロと捉えたらそうはいきません。
なろうでアマチュアが歴史物書いてて「これはファンタジーです」で通してたものが、いざ書籍化となると考証面で編集からツッコミが入る。
なろうでアマチュアの間はそんなツッコミが感想欄に書かれたとしても、感想欄を見ないか又は閉鎖してしまえばいいだけだし、読者の中には「そんなことを追及するな」と擁護してくれる読者もいる。
でも、編集から擁護してくれる読者はいないと思います。
読者は作者と契約関係にはありませんので。
どうしても「返り血を浴びたり、傷付きたくない」ってんならヘンリー・ダーガーのように公開せずに死蔵するしかない。
もしも書籍化するとしたら、なろう感想欄やファンレターすら読まず、書評なども見ない、ネット検索の際に自分の名前や作品名がひっかかったらブラウザをそっと閉じる。
仮にアニメ化や実写化されたとしても、その話題から遠ざかってしまう。
その上で編集に介入されない版元を選べば、返り血すら浴びることなく自分の好きなように書けるんじゃないでしょうか。
「じゃあ、これを書いている評論子のお前はどうなんだ?」と思われるかもしれませんが、誰だってストレスは嫌です。
ただそれでも、創作が創を作る作業だという事実は変えようがありません。
自分が傷付くか、他人が傷付くかは別としても。
追記、
西部邁に言わせれば作家というのは売春婦なんかよりも汚らわしい存在なんだそうです。
売春婦は自分の身体を見ず知らずの他人の前でさらけ出して金を稼ぐけれども、作家は自分の心の中を赤の他人の前で露出して金を稼ぐ。
これほど卑しく罪深い商売があるものか。っていう。
傷付きたくないし返り血も浴びたくないけど書籍化による果実だけは味わいたいという考えはどうなんでしょうか。
でもやっぱり創作上の障りとなるストレスは要りませんよね……