アポテムノフィリアとカニバリズム
男は自分が生首になった夢を見た。少女は男が目を覚ます少し前まで、自分がスープになった夢を見ていた。その夢のなんと甘美だったものか!少女はうたた寝をしていたことに気が付いた時、自分の肉体が何処も欠損していないことを髪の毛の数本から足の指まで確認し、自らの唇を湿らすように舐めた。そして男がぐっすりと良く眠っていることに微笑み、ソファーの前に転がっていた7センチのお気に入りのピンヒールを履くと、男の腹を踏んだ。眠りながら男が呻く。少女はけたけたとそれを見て笑った。少女は思い切り男の脇腹を蹴り上げる。生首になった夢から、「まだ」生首になっていない現実へと意識が戻ると、男は脇腹を押さえ、歯を食いしばって喘ぎながら、少女のことを見上げたのだった。嗚呼、現実は夢よりも甘美なものである。美しい少女の太腿、胸の膨らみ、そして長い睫毛までを視姦し、うっとりとした挨拶をする。
「お早う、ぼくの踊らないサロメ。」
少女は目線だけで笑うと、まだ寝転んでいる男の口へと自分の足を差し出した。男は少女の履いたピンヒールにキスをする。そして、男の口内にヒールの先を捻じ込んだ。
「お早う、あたしの泳げないアルバートおじさま。おじさまの好きなスープが出来ているの、熱いうちに召し上がってくださいな。」
ああそうだったそうだった。男はそれを聞くとたまらずにキッチンへと向かった。煮込まれた肉の良い香りが充満している。後で塩漬けやソーセージも作らなければ。鮮度の良いうちに刺身でも食べたい。今日の夕食にはステーキにスープ、プディングにミンチ、用意する時間はたっぷりとあった。
「はしたない人。あたしがお皿によそうから、犬みたいに大人しく待ちなさいな」
少女はお玉で鍋の中をくるりとかき回した。具材を満遍なく皿に盛り、熱々のスープをそれにかける。ぷかり、鍋の中から具材がひとつ浮かんできて、少女は感傷的な気分になった。これは、あの人には勿体無いわ。ごめんなさい、あたし、好きなひとが出来てしまったのよ。
「朝食はまだかい、空腹で死んでしまいそうだよ」
「あら、そのまま死んだらいいわ。」
コトリと皿をテーブルの上に置くと、男はありがとう、と言った。男の長い舌がべろりと出て、少女は下品な人、と男を詰る。男にはもう、目の前の皿しか見えていなかった。
鍋でプカリと浮かんだソレは、くるくると二人に知れず回っている。
少女は服をすべて脱いで、自分の部屋へと向かう。待っていた彼を抱き締めて頬擦りをすると、彼が舌をだらしなく出したので、自らの舌を絡めながら彼を諫める。
「駄目よ、そんな風にしちゃ。あの人みたいになってしまうわ。」
彼はまだ幼い…中学生?だろうか、とても器量の良い少年だ。少女は夢中になって彼に口付ける。子宮がじわりと温かくなり、欲情していることを感じる。
「おい、」
「…なあに」
二人の蜜月を邪魔したのは、やはり、男だった。仕方なしに少女は彼を連れて、男のいるキッチンへと足を運ぶ。
「これも食べていいかな」
「…ああ、好きにしたら」
「前に君が酷く怒ったことがあるじゃないか、勝手に食べたって。」
「もういいの。それより邪魔しないで頂戴よ。」
「ああ、すまなかったね。じゃ、いただくよ。」
男はスープをお代わりする。少女は彼の鼻先に口付けた。
少女の昨日までの恋人は、皿に盛られたあと、男の持つスプーンの上で少女を見ていた。少年の生首を舐めまわし、自らの性器を愛撫する。少年の生首からのどす黒い乾いた血が少女の白い躰に付着する。ああかわいいひと、かわいいひと、あたしのヨカナーン、新しいヨカナーン。男が目玉を飲み込むのを、彼女の抱える生首は見ていない。男はきちんと爪の剥がされた指に舌包みを打ち、これは上物だと歓喜する。ああ、すき、すき、すきよ。ソファーに倒れ込んだ少女は少年の瞼をこじ開けて、冷えた眼球を熱い舌で撫でる。
「君、ソファが汚れてしまうよ」
「うるさいわね」
少年の眼球は二人を見ていた。人肉を美味しそうに貪る男を。哀れな生首と化した自分を愛撫する少女を。二人の今朝の会話を思い出すことが出来る、思考能力は生首にはなかったけれども。確かに少年の耳は聞いていたかもしれない。
「踊らないサロメと泳げないアルバート・フィッシュ。」