竜征のアルトゥール
広大な草原の合間を縫うように流れる穏やかな河。
その脇を畦道のように沿う街道。
霞がかった朝ぼらけの風景に、強烈なオレンジ色が差し込む。
ガシャッと何かの崩れる音が辺り一帯で一斉に鳴り響いた。
それを合図に、周囲を包んでいた戦いの喧騒は突然の終わりを迎える。
辺りはやがて静寂に飲まれていく。
暫しの間、誰もがポカンと宙を見つめていた。
「……日の出だ」
「俺たちは生き抜いた、のか……?」
漸く誰ともなく呟いた言葉は、生き残った王国兵たちに伝播してざわめきに変わった。
しかし、それはまだ戸惑いを多分に含んでいる。
生き残った僕たちの足元には、夥しい数の白骨が転がっている。
夜通し死闘を繰り広げた相手――魔障邪神ミルディンの放った尖兵の残骸だ。
何度斬り倒してもその度に再び立ち上がり続けた彼らは、今はもう微塵も動く気配を見せず、朝焼けの中で本来あるべき静謐さにその身を沈めている。
あるものは粉々に砕け、またあるものは鋭く両断され、無残と言うべき他ない。
悍ましい不死の軍団も、こうなってしまえば哀れな屍に過ぎない。
それも、かつては王国兵たちにとって愛すべき同胞であった者たちの――。
王国兵たちの表情は憔悴しきっていた。
十時間にも及ぶ死闘を辛うじて生き延びた末に、己の手で散々に粉砕した同胞たちの無数の屍を目の当たりにしているのだから、その胸中は慮られる。
物理的な疲労がピークに達したところに、精神的な疲弊の追い打ちを受けたようなものだ。
恐らくその精神的疲弊こそがミルディンの狙いに違いない。
ミルディンの最大の目的は、あくまでこの王国が擁する天目神女オリヴィエ様の身柄を手にすることだ。
邪魔な僕たちのことは殺せれば好都合、そうでなくても心を折ってしまえばそれでいい――そんな風に考えていることだろう。
消耗させられてしまった。
そんな焦りが胸の底から込み上げてくる。
この数日、夜が来る度に繰り返される戦いによって、僕たちは着実に戦力と戦意を削られている。
その一方、敵側にはほとんど痛手がない。
ミルディンは彼の持つ本来の戦力を温存したまま、王国民の死体を操って王国軍とぶつけてきたに過ぎない。
僕たちは否応無しに、ジリ貧の同士討ちを迫られている。
でも、そんな状況だからこそ、僕には果たさねばならない役割がある。
それは兵たちに広がった不安や疑念を取り除くこと。
彼らを鼓舞し、今夜また訪れる戦いに備えること。
――生き延びた命を、もう一度死地に投じろと命ずること。
ああ、自分が嫌になってしまいそうだ。
でも僕はもう、与えられた役割から逃げるわけにはいかない。
約束を果たすためには、立ち止まることはできない。
激闘で荒れた呼吸を整え直し、カラカラの喉に、あちこち痛む胸に、腹に、空気を目一杯取り込む。
「……みんな!」
街道に沿って展開された戦陣の端から端まで届くように、力いっぱい叫ぶ。
ざわめいていた王国兵たちは、僕の言葉に水を打ったように静まり返った。
全員の視線が僕に注がれる。
その表情にはまだ不安や戸惑いが見て取れる。
けれど同時に、そこには微かな期待感も同居していた。
期待感の正体は、彼らの心に宿る『自尊心』だ。
折れそうな心を奮い立たせ、もう一度戦線に立つ――いや、立たたなければならない。
そんな王国兵としての誇り。
彼らの不安にまみれた誇りは、後押しを欲している。
それはさながら燃え上がるのを待つ、油を吸った綿。
――そこに火をつけるのが僕の役目だ。
心中の焦りを気取られないように。
居丈高に聞こえないように。
優しく、力強く、余裕すら感じさせるように。
子供の頃に読んだ、胸躍る物語の英雄たちのように。
大丈夫、この数ヶ月で随分この役割にも慣れた。
きっと上手くやれるさ。
「勝利だ――僕たちは勝利したぞっ!」
叫んだ瞬間、数百の兵たちが一斉に息を呑む音が聞こえた。
それはきっと導火線が火花を運ぶ音。
そして僅かな時間差の後、
「うおおおおおおおおおおおぉぉぉぉッ!」
「勝った、俺たちは勝ったんだ!」
「アルト様、万歳!」
火種は勢い良く燃え上がった。
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