count3:前触れの拳槌(アームハンマー)
「ふぅ、……も、もう大丈夫か、アンタ?」
「は、はい!!」
「な、なら降ろしても大丈夫だな?」
彼女が頷くのを確認すると、俺は彼女を地に立たせる。
俺は逃げ切った。
あいつらの餌食にとなることなく、彼女を守りながら逃げ切ったのだ。
「─っ、はぁ、はぁ……」
逃げ切れたという実感が、俺に安心という名の感覚を与えてくれた。
そこが玄関口だと言うことも忘れ、俺は堂々とその場にへたり込む。
「あ、足が、や、やべえ……」
足が攣った感があるので、おそらく走ってる途中で攣ったのだろうがアドレナリン的なものがでているのかそんなに強い痛みは感じられない。
だが、女とはいえ人一人を抱えて全力で走ったのだ。
痛みがなくとも、体力的には辛いものがあった。
「す、すみません。た、助けていただいてありがとうございます!!」
肩で息をしながら座り込んでいる俺の脇に彼女は座りこみ、俺に感謝の言葉を述べる。
「き、気にすんな。」
「はい、でも……ここは?」
そう言った彼女を見て俺はしまったと思った。
ここは俺の通っている高校である。
男子は学生服、女子はセーラー服と決まっているのだが、目の前の女子はセーラー服ではなくブレザーを着用していたのだ。
「あ~、勢いで俺の学校に来ちまった」
「そ、そうですか」
でもまあ、俺の言葉を聞いてホッと一息吐き警戒心を解いたようだった。
「わ、悪いな。いきなりこんなところに連れてきちまって。えーと……」
すまん、俺も自分で何で学校
に逃げてきたかも分からんだ。
「あ、私、鷹瀬 琉奈っていいます。」
どうやら聞くところによれば、市内一の進学校の三年らしかった。
「す、すみません。と、年上だって分からなくて。俺は、芳月 銀って言います。ここの二年生っす」
「よろしくです銀くん。でも確かに私が年上かもしれませんが敬語なんて使わなくてもいいんですよ?」
クスクスと可愛らしい微笑を浮かべる鷹瀬。
「……ああ、わりいな鷹瀬。」
俺も鷹瀬につられて微笑し、いつもの砕けた話し方に戻した。
正直そっちの方が楽なのでここはお言葉に甘えさせていただこう。
「さっきから謝ってばっかりですよ、銀くん?」
「いや、あんな事があったとはいえ、いきなり……」
「いえいえ、その……気に、しなくても……」
語尾に行くにつれて声が小さくなる鷹瀬。
どうやら言ってる途中で先程の光景がフラッシュバックしてしまったらしい。
まあ、思い出すなっつう方が無理か。
俺だってあの光景がまざまざと頭の中に残ってるしな。
あれは死体が動いてるかのようだった。
あの男たちにはまるで生気というものが感じられなかった。
人を喰らい、あんなに血液を垂れ流し、腹に大穴が開いても動けるなんて俺の頭には一つの正体しか浮かばない。
きっとあいつらは─
─あ゛あ゛あ゛
─あ゛あ゛あ゛
─あ゛あ゛あ゛
─あ゛あ゛あ゛
─あ゛あ゛あ゛
「「─ッ!!!」」
俺達がそれに気づいたのは同時だった。
気がつけば先ほどの狂った男のような姿─身体の一部から血を流し、口から涎を垂らし、のそのそと歩く─をした生徒たちが廊下を徘徊していたのである。
だが、その目は虚ろであり俺達を捉えている様子ではない。
これならば─
「し、銀くん!!」
─あ゛あ゛あ゛!!
「─くっ!!」
驚いた鷹瀬が大きめの声を出してしまい
生徒たちに気づかれてしまったようだ。
生徒たちはこちらを向き、のそのそとこちらへと向かってくる。
「鷹瀬ッ、逃げるぞッ!!」
「は、はい!!」
軋む身体に鞭を打ち、俺は立ち上がる。
一瞬ガクッと身体がよろめくが鷹瀬がそれを支えてくれる。
とにかく俺たちはその場を逃げるように走った。
あいつらは尋常じゃない。
─生気というかなんというか。
あいつらからも全くそれが感じられないのである。
「た、鷹瀬」
俺は走りながら鷹瀬の名を呼ぶ。
「は、はい。な、何ですか?」
「おそらくあいつらには聴覚を除いたすべての感覚が存在しないはずだ」
「─え」
その習性には先程気づいた。
あいつらには確実に俺たちの姿が見えていたはずなのに襲ってこなかった。
襲ってきたのは鷹瀬の声が響いた時だ。
確証はないが、おそらくあいつらは音で動いている。
「だからこうやって走ってる時はしょうがねぇが、あんまり音はたてない方がいい」
「わ、わかりました」
そんなわけで、さあどうしたものか。
このまま闇雲に走り回っていても音をたててしまうだけであり、いつかはあいつらに捕食されてしまうだろう。
だが、行く当てがないのが現状。
この学校は一階部分が職員室、図書室、各部室、体育館となっている。
しかし、この様子ではどこに行ってもあいつらと出くわす可能性が高い。
「─きゃあっ!!」
鷹瀬の声が俺の思考を遮る。
振り向くと鷹瀬が転倒していた。
さらにその背後には呻き声とも唸り声ともつかない奇声をあげて狂った生徒が一人近づいてきていたのだ。
「た、鷹瀬!!」
俺はリノリウムの床を蹴る。
「し、銀くん!!」
「─うぉおおおおおおッッッ!!」
足はもう限界に近かった。
それでも俺には、─狂った俺の中にある正しい世界の俺には鷹瀬を見捨てることはできない。
躊躇う余裕なんてない。
戸惑う暇なんてない。
許しを請う時間なんてない。
俺は両の手で握った拳槌を虚ろな瞳を浮かべた生徒の顔面めがけて全力で叩き込むッ─!!
─ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!
さすが全力。
生徒はその威力で後方に吹っ飛ばされどしゃっと倒れ込む。
呻き声を上げているが立ち上がる様子はない。
─好機だった。
「行くぞ、鷹瀬ッ!!」
俺は彼女が返答する前に彼女の手を引き、たった今決めた目的地へと駆け出した。
◇
走り着いた先は─体育館。
俺は手早く鍵を閉めあいつらの追撃を阻む。
あ゛ぁ゛あ゛と扉に向かってぶつかっているが何せ体育館の大扉、いくらあいつらであってもただぶつかっているだけなら破壊されるのはまだまだ先の話だろう。
それにしてもここは妙だ。
俺は体育館に逃げることを決めたが何もノーリスクでここに逃げ込んだ訳ではない。
一応あいつらが居る場合も検討して逃げ込んだのだ。
だが、結果はどうだ。
あいつらの姿は見えず、体育館は静寂を保っている。
俺たちの運が良かっただけなのか、あるいは─
「……はぁ、……はぁ」
いかん、考えていて忘れていた。
「大丈夫か鷹瀬?」
「ちょっと、疲れました……」
息切れしながら俺の方を見上げる鷹瀬。
どうやらただ転んだだけで目立った外傷もなく健康体そのものだった。
「何度も何度もすみません」
頭を下げ続ける鷹瀬に、俺は気にするなと言ってガクガクの足を引きずり歩き始めた。
「まぁ、適当に座って休んでてくれ。
俺はちょっと探し物があるんでな」
そう言うと俺は体育館ステージの脇にある男子更衣室を目指す。
そしてあいつらが居ることを想定し、落ち着いてドアを開ける。
「─誰もいねぇか」
電気をつけ確認してみても更衣室の中には誰もおらずしんと静まり返っていた。
ずかずかと奥へと入っていき並べられているロッカー群の一番奥を目指す。
ばん、と大きな音を立ててあけた先にはおれがもとめた│もの(武器)が記憶と一つも違うことなく鎮座していた。
授業で使っていた硬式用の金属バットが二本、軟式用のバッティンググローブが二組、スポーツ用の肘膝プロテクターが二セット、そして予備の冬用学生服、更にはリュックサックが二つあり、片方には携帯食料とスポーツ飲料、もう一方にはタオルやラジオなどの生活用品が入っていた。
……何もこういう事態に備えてこれらを入れていた訳ではない。
ただ単に前に学校に泊まり込んだ際に持ってきたものを自宅に持ち帰るのが面倒くさくてこの端っこにあるロッカーを占領していたにすぎない。
俺は制服を取ると再び鷹瀬のところへと向かう。
「銀くん。そ、それは─」
俺は鷹瀬の言葉を遮るように言った。
「鷹瀬、嫌かもしれんがブレザー脱いでくれ」
「─え?」
困惑の表情を浮かべる鷹瀬。
そして、彼女はとんでもないことを言い出した。
「わ、私、し、銀くんに襲われちゃうんですか?」
「─はぁ!?」
少し涙目になりながら上目遣いの鷹瀬。
な、何を言ってんだコイツは!?
「だ、だって銀くんブレザー脱げって……」
「─ち、違う!! そう言う意味で言ったんじゃないんだ!!」
俺はこれから逃げるためにはブレザーやスカートよりも動きやすい制服に着替えてほしくて言ったのだ。
その旨を伝えると、鷹瀬は顔を赤らめて無言で俺から制服を取る。
「女子更衣室は向こうだ。俺は男子更衣室にいるから何かあったら叫ぶんだ。分かったな鷹瀬?」
鷹瀬がコクリと頷いたのを確認して、彼女と別れ男子更衣室に戻った。
そして、バッティンググローブを、プロテクターを着け、金属バットで武装して再び体育館へと戻る。
「銀くん!!」
ちょうどそこに鷹瀬が走ってくる。
まだ制服には着替えていないようで胸の前に俺の制服を抱えていた。
「どうした? 女子更衣室で何かあっ─」
「─し、しろがね?」
「……な、奈悠か?」
がチャリとドアを開けて女子更衣室から出てきた人影。
煌めく黒のツインテール、そして琥珀色の瞳、更にそれらを内包する華奢な身体。
それは紛れもなく俺の幼なじみであり、毎朝俺を中華鍋で殴る桜坂 奈悠本人だった。