Interlude:ボクの戦う決意
莉愛編Interludeです。
『―そいつから離れろおおおッッッ!!』
まだあの瞬間のことは鮮明に思い出せる。
ボクは助けられてしまったのだ。
弟であるシロくんに。
言ってしまえば他人に。
それはボクの「弱さ」の現れでしかない。
あんなに大勢の敵がいたとはいえ、路面に広がった血にも気付けなかった。
冷静に考えれば、足が取られることぐらい分かっていたのに、ボクは無様に転倒した。
状況判断もろくに出来なかった自分の未熟さに腹が立つ。
それと同時に、かつて聞いたあの言葉を思い出す。
『強さとは単純な力などではない。戦局を、世界を見通す眼こそが強さなのだ。だからこそ見て感じるのだ』
ボクの師匠であるお祖父ちゃんの言葉だ。
見ること、感じることが強さ。
言い換えれば戦いの場においての冷静なというのも生ぬるい、感情を圧し殺すほどの冷徹なる思考と判断力こそが強さという眼に値する。
ボクには、その眼が、その先の世界がまだ見えていないのだ。
今までの努力が何とまあ浅かったことか。
「でも、ボクは―」
芳月莉愛はここで折れたりはしない。
強く、強くならねばならないからだ。
たった一人の家族であるシロくんを護るために。
◇
気持ちを切り替え、ボクは屋敷の中を探索を始めた。
現在は自由に使っていいと言われている女中さんの部屋を漁っている。
流石に部屋の持ち主には悪いと思う心はあるけど、自衛のため、そして日常を護るためには武器が必要なのだ。
ここは組の屋敷。
武器になるものぐらいはあるはずだ。
「あ―」
その時、ちょうど開けたドレッサーの引き出しの中から出てきたのはおよそ30センチほどの長さの棒だった。
ボクはそれを手に取り、逆の手で鞘を抜く。
斯くして現れたのは銀に煌めく刃。
いわゆる懐刀というやつだ。
柄の部分は使い込まれたのか色褪せているものの、刃には刃こぼれ一つすら見当たらない。
「すみません、お借りします」
ここまで手入れのされている代物だ。
持ち主の決意というか思いが伝わってくる。
本来ならば持ち主以外が触れることすら許されない。
だが決意であれば、ボクも負けない。
護る、という決意ならば。
「さて、と・・・・・・」
ボクは再び部屋の中を漁り始める。
そして押入れを開いたその時だった。
「莉愛さん、入ってもよろしいでしょうか?」
入り口の襖の先からは柾さんの声。
「どうぞ~」
「すみません、それでは失礼します」
入ってきた柾さんはスーツ姿、ではなくジャージだった。
おまけにあの、黒のサングラスまで外している。
「ま、柾さん? その格好どうしたの?」
「こちらの方が動きやすいかと思いましてね。若い衆のを借りました」
い、一瞬誰だか分からなかったよ。
「それで、突然どうしたの?」
「-外に出ようと思います」
え?
「何でさ?」
「食料が圧倒的に足りませんからね」
「それって-」
「いえ、違います」
ボクたちがこの屋敷に来てしまったから、と言おうするボクの言葉を柾さんは遮る。
「莉愛さん、あなたたちが来る前からここに食料はありませんでした。先程は食料を探していたのです」
-先程。
きっとシロくんが助けられた時のことだ。
「『道中見つけた学校、特に高校には寄り道してお嬢を探せ』という龍牙様からの命も受けていました。そして、そちらを優先してしまった結果-」
「本来の目的である食料調達が達成されないままに帰ってきてしまった、ってことだよね」
ええ、そうですと柾さんは頷く。
「じゃあやっぱりボク達のせいじゃないか」
ボクたちが襲われずに柾さんと出会えていたのなら、きっと柾さんは逃げずに食料を調達してから屋敷に戻ることができていたはずだ。
だけどあれだけの動死体たちの群れの中で、しかも負傷者とも言えるシロくんがいたことで柾さんは逃げざるを得なかった。
ボクたちがシロくんに頼ってしまったからこそ招いた事態。
柾さんが逃げることを優先しなければならない状況をボクたちが作ってしまったのだ。
「いえ、そういうことでは―」
「いーや、そうだね!」
今度はボクが柾さんの言葉を遮る。
「これはボクたちのせいだ。だから、-ボクも付いていくよ」
ボクは押し入れの中にあった“それ”を掴み取ってそう言った。
「長ドス、ですか」
「うん。一応ボクの家は剣術の道場だったからもちろん真剣だって持ったことがあるんだ」
そうなのだ。
うちの道場では、ある程度の修練が終わると真剣を渡される。
普通の道場では多分あり得ないことだろうけど。
その普通じゃないことこそが、こんな世界では役に立つ。
「ですが・・・・・・」
「足手まといにはならないよ。・・・・・・何ならボクはもう、動死体を殺すことに慣れてる。泣きわめいたりはしないから、そこも心配しなくてもいいよ」
家の側に動死体が雪崩れ込んできた時、ボクは相当数の動死体を殺した。
もう躊躇いも戸惑いもない。
だからボクは往く。
そう、決めたんだ。
「致し方ありませんね・・・・・・」
ボクの決意を悟ったのか、柾さんが折れた。
「私はこれから準備に入らせていただきます。一時間後に出発と言うことでどうでしょう?」
「うん、わかった。頼りにしててね柾さん♪」
◇
準備を終えたボクたちは裏口から外へ出ることにした。
『以前若い衆から聞いたことがあるのですが、ここからすぐ近くのところに商業施設があるようです。とりあえずそこを目指しましょうか』
柾さんのこの一言が切っ掛けでボクたちの行動方針は決まったのだった。
裏口の戸を少しだけ開け、柾さんが周囲の様子を伺う。
「・・・・・・どうやらいないようですね」
「そっか、それなら今のうちに出ちゃおう」
ボクは素早く裏口から出る。
柾さんの言葉の通り、路地には動死体の姿はなかった。
ボクが周囲を警戒しているうちに、裏口から出てきた柾さんは裏口の鍵を手早く閉めた。
「さて、いきましょうか」
「そうだね、早くしないと暗くなっちゃうしね」
現在の時刻はだいたい15時といったところ。
春だからまだ日は長いが、悠長なことは言ってられない。
生命が常に危険にさらされているこの状況で、あまり長い時間生活拠点から離れることは好ましくはないからだ。
その共通理解の下、柾さんの案内でボクは路地から大通りに出る。
-一言でいってしまえば、地獄そのもの。
あたりに広がるのは血の海。
あたりに立ち込めるのは燻る煙。
あたりに響くのは動死体たちの呻き声。
死に彩られた世界だ。
人々の繁栄など見る影もない。
ただ血と肉に飢えた亡者が群がるだけだ。
「行きましょう。見ていても気持ちのいいものではありませんから」
柾さんの小声にボクは頷いて、ボクらは歩き始める。
見ていても気持ちのいいものではない、か。
かつてのボクなら多分そうだったのだろう。
でも、動死体を初めて殺した時から全てが変わった。
もう血を見ても騒がないし、死体が転がっていたとしても何とも思わない。
それほどまでにボクの心は変わってしまった。
絶望や恐怖に対しての感情が麻痺してしまっている。
「考え事ですか?」
心配そうにこちらを見つめる柾さん。
「うん、でも大丈夫。大したことでもないしね」
「そうですか、なら良いのですが」
本当に大したことはない。
ただボクが、今までのボクじゃなくなっていくだけと言う話。
変化は必要なのだから受け入れられる。
問題はなかった。
「この先は先程説明した通り商業施設が近くなるので気を引き締めていきましょう」
「うん、分かったよ」
あたりを見回してみる。
考え事をしていて全く見えていなかった周囲の風景は、路上に放置されている車両で埋め尽くされていた。
恐らくそのデパートから逃げてきた車と向かうはずだった車なのだろう。
きれいな姿で止められている車から、ぶつかり合って前方部分が大破している車まで色んな車が投げ捨てられていた。
-あ゛あ゛あ゛
ーう゛う゛う゛
まあ捨てられているのはその運転手たちもなんだけど。
逃げ遅れた人間目掛けて群がる動死体たち。
その輪からはぐれている二体の動死体が歩道を塞いでいた。
「ボクが右を殺る。柾さんは左をお願い」
腰に携えた刀身を鞘から抜く。
刃は昼の陽光を浴びながら冷たく鋭い光を放っていた。
「了解しました。余裕かと思いますがお気をつけて」
極力音を殺して、ボクは動死体に近づき、
―刀を、ただ横に払った。
呻き声は聞こえない。
ぼとりと音がしたのは、ただ動死体の頭部が落ちただけ。
「終わりましたか」
その声の方を見ると、どうやら隣も綺麗に首から上を斬り落としたようだった。
「やっぱり無駄に刺すよりも、映画やゲームみたいに脳を破壊するか頭を切り落とすかすれば起き上がって来ないみたいだね」
「そのようですね。それでは行きましょうか」
「はーい♪」
◇
とりあえず然したる危険もなく、ボクたちは無事に目的地に辿り着いた。
その後は施設内のテナントを巡り、食料を入れるためのリュックを見繕ったり、まあその他生活用品を手に入れたりとやることは尽きない。
「てっきり中に動死体がいるものだと思っていましたが、全くその気配もありませんね」
「そうだね、ここまで何もいないのは逆に怖いかなぁ」
警戒は怠っていない。
むしろ周囲には感覚を鋭く尖らせているつもりだ。
しかし店内には人影も死体の跡も何も見当たらない、と思う。
「これだけの施設なら、逃げてきた人々が殺到していたとしてもおかしくないと思うんだけどなぁ」
「定石的で考えればそうなのですが、ね」
この施設には生活上で必要なお店は入っている。
その証拠に食品を始めとして、衣服や家電、その他各種雑貨店が所狭しと並んでいた。
こんな狂った世界の中では、こういった複合施設は拠点となる可能性が極めて高い、とボクは思う。
「きな臭い、ですね」
「きな臭い?」
「ええ、人がいないのも、死体が一つも見当たらないのも恐らくは―」
柾さんの言葉は締め括られなかった。
―響き渡ったのは、一発の銃声。
「逃げますよ莉愛さん!!」
柾さんが叫ぶ。
言い終わるよりも先にボクは床を蹴り出した。
「とりあえず物陰に隠れます。
付いてきてください!!」
ボクは頷き、ただひたすらに柾さんの背中を追いかける。
「こちらへ」
辿り着いた先は食料品売場だった。
ボクたち逃げてきた通路側とは逆に、売場奥の方の陳列棚の毛げに身を隠す。
「怪我は、ないですか?」
息切れしながらも柾さんが聞いてくる。
「は、はい、とりあえずは」
「そいつは良かった、です」
それからボクたちは息を整え、すぐさま状況の確認をする。
「動死体に襲われる可能性は予想してたけど、まさか銃で撃たれるとは思ってなかったよ」
「そうですね。・・・・・・ですが、可能性としては有り得たことです」
動死体たちではなく、生命活動を行っている生身の人間と戦う可能性。
ボクたちだって刀を持っている。
動死体から残るためには当たり前のことなのだ。
それはボクたちだけじゃない、他の人間にも当てはまること。
「話せば分かるって感じでもなさそうだね」
「ええ、突然撃ってきたということは話し合いなど無意味でしょう。騒がれて動死体を引き寄せられる前に、―殺します」
異論はない。
こんな状況で撃ってきたということは錯乱しているのだろう。
そんな人間に交渉なんてしようものなら出ていった瞬間に蜂の巣にされてしまいかねない。
「恐らくですが警察からくすねた拳銃でしょうね。それであれば総弾数は5発。弾切れを起こせばこちらのもんです」
「分かった、ボクが囮になるよ」
銃弾を撃つには対象となる標的が必要だ。
だからこそ囮を使って撃たせてやらればいい。
「駄目です、危険すぎます!」
ボクの提案を否定する柾さん。
まだ短い付き合いだけど、柾さんが優しい人だって分かる。
だから止められることぐらい予想してた。
だからボクは切り札を切った
「いいやこれはボクの役目だよ。・・・・・・だって、柾さん持ってるんでしょ? そのポケットの中身を出してごらんよ」
おずおずと柾さんが出してきたのは拳銃だった。
「ボクが相手を引き付けて柾さんが狙撃する。ボクじゃ銃は撃てないんだ。こうなるのは当然だと思うけど?」
「ですが―」
大丈夫だよ、とボクは嘯く。
「ボクが撃たれるより前に柾さんが撃ってくれればそれで終わりなんだからさ」
そうだ、何の問題もない。
「ボクは柾さんを信じてる」
だって―
「柾さんはボクのことを殺したりしないよね♪」
◇
有無を言わせない、ほぼ強制的なボクの言葉に柾さんは渋々と頷いた。
あれは柾さんだから通じたんだ。
柾さんが優しい人であるからこそ通じた命令。
「―いいかげんに出てこいやァアア!!」
どうやら来たっぽい。
男の怒号が響く。
「じゃあ行くね。作戦はさっき打ち合わせた通りで」
「分かりました。―お気をつけて」
その言葉を聞くや否やボクはたの影から飛び出す。
「出てきやがったなッ!?」
数メートル先のほうにいたのは中年の小太りの男。
セーターにジーパン、それに弛んでいる腹。
右手に持っている拳銃以外には特に武装は見当たらない。
素人であるという柾さんの読みは当たりだろう。
「ボクたち動死体の仲間じゃあない! なのに何でボクらを狙うんだい!?」
「うるせえ!! お前らがこの店のもんを盗んでるからだろうがよぉ!! ここは俺のもんだ!! 俺は動死体どもから隠れてここで救助が来るまで過ごすんだ!!」
「へぇ、だから喚き散らしてるんだガキみたいだねおじさん」
「てめぇ・・・・・・、今何つったぁああああああああアア!?」
たかがこの程度の安い挑発に乗り、男は銃口をボクに向け撃鉄を上げた。
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるぅううううウウウッ!!」
男の指がトリガーに掛かるや否やボクは再び棚の影に隠れるために横に飛ぶ。
それと同時に銃声も飛び、がしゃんと銃弾が何かを打ち砕いたようだった。
そしてボクはすぐさま棚の影から男の様子を伺う。
男の銃はこれまた柾さんの予想通りで警察が持っているようなリボルバー式の拳銃だった。
ここからでは総弾数は目視できないものの、男はぶつぶつと何かを呟いているだけで銃弾を補充する気配もない。
「何やってるのさ? そんな腕前じゃボクは殺せないよー!!」
「ふざけやがってェッ!!」
がすがすがすがすと男の足音が近づいて来る。
ボクも奥まで走り、隣の棚に移れるような体制をとっておく。
「見つけたぞぉ、このくそガキがぁああ!!」
二発目、三発目と続けざまに発砲音が鳴る。
もちろんボクには掠ることすらなく、棚に陳列されているカップラーメンの容器を撃ち抜いてた。
「おじさんめちゃくちゃ撃つの下手なんだね。これはボクのほうが上手いかもなぁ~♪」
「舐めやがってぇぇええエッ!!!」
四発目と五発目がボクのすぐ近くの棚に突き刺さった。
「おおぉ! 上手くなってきたねー!」
流石にこれには冷や汗が出たけどボクに当たっていないので問題はない。
流石にビックリしたけどね。
うん、大丈夫。
冷静に行こう、冷静に。
「畜生がぁああああー」
六発目の弾丸を打ち込もうと男は僕の隠れている棚に銃口を向ける。
―だがその銃弾が打ち込まれることはなかった。
ぱぁん、と弾けた。
それと同時に男は白目を剥き倒れこむ。
「大丈夫ですか、莉愛さん!?」
そしてその男の影から姿を現したのは紛れもなく柾さんだった。
「たはは、後半は本当に当たるかと思ったよ・・・・・・」
だからー
「ありがとね、柾さん」
次話から本編に戻ります。