第七話 究極の価格/Ultimate Price
魔歩使いに対する警戒を怠ったらどうなるか、これを戒めとしましょうか。
―???
激痛がその身を焼いた。
その衝撃で彼女は目を覚ます。
跳び起きてみれば、見慣れた風景が彼女の視界に飛び込んできて、その風景により唯は、自分が今寝ていた場所を理解した。
「……蓮の部屋……」
「あ、目を覚ました?」
タイミング良く入ってきた彼女に白々しいと舌打ちを一つ。
だが、その程度で彼女の面の皮は微塵も揺るがず、楚々と看護の用意を整えていく。
「蓮……」
「はいはい。恨み事は後で聞きますから、さっさと治してください。……正直ベッドを占有されると迷惑です」
さらりと毒を吐いて、持ってきた白湯を蓮は唯の口元に近付けた。凄まじい香りが唯の鼻を刺す。むせかえるような草の匂いと刺激臭。その薬湯が入った湯呑を弾こうと腕を上げようとするが、その瞬間激痛が走った。
「っ!?」
「あーもう、無茶するから。切断されてからまだそんなに時間が立ってないんだから無理しないの。取れちゃうよ?」
「お兄ちゃんめ……普通妹の両腕を斬り飛ばしたりする?」
「さあ? だけど、普通の妹は兄の命を狙ったりはしないと思うっすよ?」
「うるさいな……アレは止むに止まれぬ事情って奴があったから仕方ないのよ。自分の存在理由犯されて、抗わない方がどうかしてるでしょう?」
「さて、それだけだった用には見えなかったすけどね」
言いながら無理やり蓮は無理矢理に唯に薬湯を呑ませた。飲み下して数秒苦い顔をしながらも唯は文句を言わなかった。不気味な速度で引いて行く痛みに、どういう成分が含まれているのか、若干不安になりながらも、唯は再び口を開く。
「それで、お兄ちゃんは?」
「学校へ行ったっす。つってもそろそろ放課後っすけどね」
「……ホント、マイペースな糞兄貴だ事で」
「そのぶれなさが魅力でしょう?」
そう、蓮はからからと笑った。
その時、玄関より音が響いた。
魔法使いの家に響くらしくない音。インターフォンのチャイムの音だ。
「お客さんよ?」
「……あー、嫌な予感がするっすねぇ」
「んで、もしかしてやっちゃった?」
「……何がだ?」
「またまた、惚けちゃって。一年の蓮ちゃん。今日学校来てないんだろ? お前が蓮ちゃんと二人連れたって放課後カラオケに入って行ったって目撃情報があるんだ。……こう、下世話な想像をしたっておかしくは無いだろ?」
その言葉に和仁はため息をひとつついた。
そして半目になりながら信也の方に目線をやる。そこには予想にたがわず、ニヤニヤとした笑みを浮かべた男の顔があった。
「本当に下世話な話だ。だが、生憎お前の想像していたことは何も無かったよ。おしゃべりして家に送って、それでおしまいさ」
「年頃の男と女が放課後密室に二人っきり。なのに何も無いって? おいおい、そりゃまたとんだチキンだな」
「……なら、放課後生徒会長様と一緒に生徒会室に遅くまで出て来ないお前は、当然そういう下世話な話の槍玉に挙げられる関係なんだろうな?」
その言葉に信也は沈黙した。そしてため息をひとつ。
「悪かったなチキンで……」
「好みど真ん中の女の子程口説けなくなるお前の性格直さにゃ、永劫春は来そうにないぞ」
「うるせー!!」
生徒会長、檻守刹姫。
貝原の生徒会長にして、ドイツ人とのハーフ。
金髪碧眼の美貌と年齢離れしたスタイルの持ち主。生徒会長に選ばれるだけあって文武共に優れた完璧超人。完璧が過ぎているため最早人の気がしない、何故こんな田舎にいるのか首をかしげたくなる程の逸材だ。
そして和仁の目の前の男、風間信也は彼女に惚れている。この軽薄な男が生徒会の書記である理由の大半がそれである事を鑑みれば、それは一目瞭然だが、難儀なことに惚れた相手に対して素直に出れない性格故に、彼は浮名を流すことによってその事が周囲にばれないようにとふるまっている。それどころか……
「いや、そもそも俺生徒会長に惚れて無いし。なんていうか完璧すぎて近寄りがたいっつーか? 俺とはそもそも住む世界が違うっつーか? 俺は届かない高根の花にはチャレンジしない主義っつーか?」
「うるさい。男のツンデレ何ぞ聞き苦しいだけだ」
「つ、ツンデレじゃねーよ」
こんな風に、彼女に惚れている事を否定しているのだから始末に悪い。
好きなタイプを金髪巨乳と公言しているのだって、好きな相手が金髪巨乳であるが故なのだから、今さらが過ぎると和仁は思うが、それはそれで譲れない物があるらしい。
「……っと、そろそろ生徒会の時間だ。悪いが行ってくるわ」
「はいよ。良年の生徒会長様によろしくな」
「だから違うっての!!」
捨て台詞を吐いてその場を立ち去る信也の姿にため息をついた。
帰り道。
蓮の家へと唯を回収するために向かう和仁の眼の前に、時代錯誤甚だしい物が立ちはだかった。
忍び装束、純白の仮面。現代日本で着込めばまず間違いなく目だってしょうがない筈の服装の男が、和仁の前に立ちはだかっている。
「……仮装大会か?」
それに答えることなく男は懐から拳銃を取り出した。
H&K USP ドイツ軍正式採用拳銃。
忍者のシルエットにあまりにも似合わない物の登場に一瞬、和仁は目を疑った。
その拳銃が火を噴く。
狙いは和仁と男を囲う様に四発。
異様なまでに音が小さいのは、消音機付きだからか、それともさらなる特殊な技術の応用か。和仁には解らなかったが、少なくともその後の減少は、間違いなく眼の前の男が関わっていると直感する。
気配が遠ざかった。
幾ら夕方とはいえ、住宅地のど真ん中だ。
人の気配が無くなることなんてそうそうありえないはずなのに、彼等の周囲だけはまるで無人の廃墟のように人の気配が遠ざかる。彼我の距離は未だ十メートル近くある。なのに、彼我の呼吸音が聞こえる程に街は静まり返っている。
不意に、男が動いた。再び拳銃をこちらに向け直しトリガーを引き絞る。
マズルフラッシュ。そして極端に小さい音と共に銃弾が吐き出された。狙いは額、心臓、足。間髪いれずの三連射でありながらその狙いは恐ろしいまでに正確だ。だが、それ故に和仁にとっては回避しやすい。
体勢を崩すことなく、大地を滑るように回避して懐に潜り込む。
だが、その瞬間に男は残像が見える程の速度で、和仁の死角に回り込んでいた。
音も無く、予備動作すらなく一瞬トップスピードに至る歩法。その鮮やかさに和仁は内心舌を巻く。再び放たれる銃弾。その一撃を首をひねりかわし大きく跳躍した。
拳銃を向け直す男の視線と空を舞う和仁の視線が混じり合った気がした。
再び放たれる銃弾。空中では回避できないが故の必殺。
それを和仁は覆した。
跳躍した理由は上に生えていた木の枝をへし折るのが目的だ。
適当に掴み取ったその枝を持って即席の剣とし、真っ向正面より弾き飛ばした。
「……で、何の用だ?」
ふわりと地面に降り立って、和仁は眼の前の男にそう問うた。それに返ってきたのは沈黙だ。そうでありながら、まるで殺気を感じない。問答無用を体現しながら、この相手にはこちらを殺す気が無い。その、意味不明なあり方に和仁はピクリと眦を動かした。
「だんまりか? ……まあ、お喋りな忍者ってのも想像できないし、当然と言えば当然か」
「……」
ギチリという音が響いた。
和仁が木の棒を握り締めた音だ。
踏み込む。
その瞬間。再び男が銃弾を放つ。それを剣撃で迎撃し、
「なっ!?」
和仁の顔が驚愕に歪む。
迎撃した銃弾が、受けた瞬間に閃光を発したためだ。
唐突なその現象に和仁は視界を奪われる。
だが、視界を潰されたところで他の五感がある。
肌で大気の流れを、耳で風の音を足音を、それらを用いて相手の出方をうかがう。
数秒の時が経過した。
くらんでいた視界が感覚を取り戻す。
その時既に、男の姿は無い。
「……チッ!」
その事実に和仁は一つの仮定を連想する。
あの男の目的は時間稼ぎ。
ならば、本命の目的がある。
ああまで鮮やかな手際を持って引かれた以上、あの男は手練だ。歩法一つとっても超一級品だった以上、それ以外もそれに準ずるとみて間違いない。基本を極めた先の外道など、やりにくいにもほどがある。時間稼ぎにアレほどならば、本命は如何程か。
「唯……蓮……」
和仁は木の棒を握り締めたまま走りだした。
蓮の家まで数百メートル。
その距離があまりにも遠く感じた。
「……それで、唯を渡して、私にメリットは?」
「唯さんの死体をあなたに引き渡します。あなたにとってそれが一番欲しい物でしょう?」
その言葉に蓮はいいところを突いてくる。と単純に相手を褒めた。
確かに、彼女にとって唯の死体は喉から手が出る程に欲しい物だ。
彼女の兄の死体と同じか、もしかするとそれ以上に。
屍術師である彼女の急所を見事に付いた交渉術。
何より彼女は魔法使いだ。
目的のためなら友はおろか、親兄弟でさえ殺す事を躊躇わない人種だ。その事を知り抜いて相手はこの交渉に挑んでいる。
「成程、甘いお嬢様だと思ってたんすけど、存外きちんと魔法使いやってるんすね、檻守先輩」
「ええ、目的のために手段を選んでいられませんので」
にっこりと、その端正な美貌に笑みを浮かべて彼女はそういった。女である蓮ですら見惚れそうな程に美しい笑みだが、やっている内容はこうまで外道な取引だ。そのギャップに蓮も笑みを深めた。悪い癖が出てしまう。
「でも、成程、確かに唯ちゃんの死体は欲しいっす。喉から手が出る程。あの綺麗な顔をこの手で弄れるなんて、想像しただけで陶酔してしまいそうっす。本当に、上霧の兄妹は罪っすよね、私をこんなにも迷わせる」
「……ええ、本当に羨んでしまいそうになる程に。才に優れ、時に愛され、世界に恵まれている」
「あは、あはははは。成程成程。本当にいい取引をありがとうございます先輩」
「それでは?」
にこやかに、期待に満ちた表情で刹姫は蓮に向かって身を乗り出した。
その姿に我慢が効かなくなる。その綺麗な笑顔を汚したくなる。
ああ、成程、彼女は確かに魔法使いになっている。自分欲求に素直である事、それが魔法使いにとって、一番大切な才覚だ。だけど、甘い。やはり彼女は甘いお嬢様だ。
「でも、私は先輩の体も欲しいっすよ」
「え?」
闇が具現化する。
蓮の欲望が具現化するように。
悪意の塊が彼女を壊すために腕を振り上げる。
「魔女の家で交渉事をする甘ちゃん魔法使い様。その身体を私に下さいな」
無邪気なまでの悪意が、刹姫を襲った。
欲望に素直。
それが魔法使いとして一番大切な素養だ。
それは、交渉相手も同じ。
独善的で自己中心的で、何より歪んでいる。
その事を忘れた愚かな魔法使いの末路など決まっている。
深紅の華が咲いた。