第三話 Demonic Consultation
悪魔に願い事をするのは命懸け。
二人で黙々と道を歩く。
見慣れた風景も、心の持ちようでこうも違う風に見えるのかと、感動に似た感情を抱きながら和仁は、その内心を表に出さずただ、黙々と蓮を連れて歩いていた。
「よかったんですか? 先輩?」
嬲るような声音で蓮が沈黙を破った。
その表情を横目で見てみれば、成程その声にふさわしいニタニタとした笑みを浮かべている。下卑な笑みでありながら、嫌らしさを感じさせる笑みでありながら、その表情に背筋を撫でられるような感覚を抱かせるあたり、美人と言うのは得な物だ。なんて、頭皮にも似た感想を呑みこんで、和仁は口を開いた。
「俺が呼びだしたんだ。俺の都合で再びお前を呼び出す訳にはいかないだろ? ……それに嫌なことはさっさと終わらせたい。夏休みの宿題のようにな」
「ふーん。私は夏休みの宿題は委託業者に頼む人なんで、そういうのは解りませんけどね」
委託業者って何だよ。
その言葉に突っ込むべきかどうかを少しだけ迷う。が、軽々しく言葉尻を捉えて突っ込みを入れ合うような気易い間柄でも無いかと思いなおし、その言葉をスルー。そして目的の場所に到着した。
「……カラオケっすか?」
「誰かに聞かれないで済むような場所が他に思い浮かばなかったんでね。嫌いじゃなかっただろ?」
「そりゃまあ、そうっすけど……こんなとこ唯ちゃんに見られたら、何言われるかわかったもんじゃないっすよー?」
「あいつに文句を言われる筋合いはない。これは、お前と俺の事だ」
和仁はそう言うと、さっさと手続きを済ませて割り振られた部屋へと向かう。その姿に蓮は苦笑してその横へと付いた。
「奢りっすよね?」
「部屋代とドリンクバーはな」
その言葉と同時に蓮は和仁よりコップを受け取って。ドリンクコーナーへと足を向けた。
部屋に入って腰を下ろす。曲の宣伝が据え付けられたテレビより流れてきているが、それを無視して和仁はそのまま本題に入った。
「……それで、俺の記憶が残っているのはどういう理由だ? 消したんじゃなかったのか?」
「んー、何でっすかねぇ。これでも自分、全力で消したんですけどね。ファーストまで使ってきっちりと」
その言葉に和仁は僅かに頬を赤く染めた。ストローに口をつける蓮の姿に妙なまでに意識が行く。その意識を振り切るように更に目に力を込めた。
「おい……」
「そんな睨まれても、こっちだって訳わかんないっすもん。どうしようもないじゃないですか、先輩。先輩がそういうの効きにくい体質だったんじゃないんですか?」
「体質の問題なのか?」
「魔法に対する融和性、抵抗力は個人差がありますから。そう言う意味じゃ先輩は確かに抵抗力が高い素養はありますよ?」
「素養?」
「私の誘惑、あっさり跳ねのけたじゃないですか。あの時、軽く思考誘導かけてたんですよ。っていっても、私の魔眼なんてそう大したもんじゃないんですけどね。だからといって素人さんにあっさり抵抗できるほど安いものでもなかった。なのに、先輩には通じなかった。つまり、抵抗力があるってことです。……まあ、先輩の場合は確固たる意志が先にあったから、思考誘導しにくかったのかなーって思ったんですけど、抵抗力も高かったんですね」
誘惑。
蓮が言っているのはおそらく、昨日の会話の事だろう。確かに自分でも信じられない程に和仁は彼女のいう非日常に惹かれていた。その理由が魔眼というのであれば、納得できない訳ではない。あんな怪物が実在していたのだ。魔眼の一つや二つあっても不思議ではない。
「……そうか。俺の記憶が消えていない理由は解った。お前の不手際である事に間違いはないが、俺の体質だというのならそうそう責められない……か」
「解ってもらってどーも。それでこれからどうするんですか?」
「どうするもこうするも、もう一度お前に記憶を消してもらうつもりだったんだが……」
「あー、それは無理っす。昨日のあの時間の記憶だけピンポイントで消すとか、私そこまで器用じゃないっす。消すとなったら今日一日の記憶ごと丸ごと全部ぶっ飛ばす位しかできませんよ?」
「は?」
その言葉に絶句する。
予想外の言葉に次の言葉が出て来ない。
「記憶とか精神とか専門じゃないんですもん。魔法に関する事柄だけ綺麗に消去して他の記憶に手をつけないなんて、そんな高度な技術ある訳ないじゃないですか。そういうのは専門家じゃないと無理っすよ。脳の仕組みに関しては相応に知識はありますけど、私の場合脳に直接手を加えるのが専門っすから。こう、くちゅくちゅっと」
ストローで何かを弄るような動きをしながら彼女はそう言い、再びストローに口を付けた。音も無くグラスに注がれたドリンクで喉を潤し、再び口を開く。
「という訳で、どうしますか? 私としてはどうしようもないんで、運が無かったと諦めてもらえれば助かりますけど?」
「マジかよ。……記憶がある事による不利益が無いなら、それで構わないがな……」
「不利益ってわけじゃないですけど、こっち側の事に巻き込まれる可能性は高まりますよ、そりゃ。先輩は魔法があるってことを知りました。オカルト、即ち隠された知識を見つけてしまった訳です。それはつまり、隠された知識、それを含むそちら側より知られたという事も同義ですから」
「……つまり?」
「ウェルカム。隠されし非日常へ。歓迎しますよ? 盛大にね」
クスクスと蓮は笑う。
無垢な笑みは確かに彼を歓迎しているから故の物だろう。だが、だからと言ってそれを受け入れるつもりは和仁にはない。彼の望みは日常にある。非日常にかまっている暇などない。
「どうにかならないのか?」
「さあ? でもまあ、私としてはどうにもならない方がうれしいです」
「あ?」
「だって私、先輩の事が……」
唐突に蓮は瞳を潤ませて和仁を見つめた。頬は赤らみ、その姿はまるで恋する乙女のように。だが、その真意を和仁は悟っていた。
「……これほど嬉しくない身体目的ってのも珍しいな」
「あははは。つれないなー。先輩の体、隅から隅まで調べつくして弄ってみたいってだけなのに」
「……」
言葉が無かった。
「それで、先輩はどうするんですか?」
何も言わない和仁に蓮はそう言いながら、カラオケのリモコンを手元に引き寄せた。手慣れた様子で弄ると、据え置かれた画面が切り替わる。
「どうするも糞もねーよ。特に変わりばえなし、いつも通りだ」
「ふーん。まあ、難しいと思いますけどね」
「どういう意味だ?」
「あ、静かに。始まりますんで」
イントロが流れ出し、本気で歌う気らしい蓮の態度に、和仁はリモコンで曲を途中でぶちぎる事でその意志を示した。歌詞に行く前に小さくなっていく曲に、蓮は不満げに視線を再び和仁に向ける。
「何するんですか先輩。もういいでしょ? 残りの時間くらい楽しみましょうよ」
「何も良くない。難しいってのはどういう意味だ?」
「どうもこうも、この街、割と無茶苦茶ですからねぇ。だからこそ私も貝原に来てるわけですしね」
「無茶苦茶? なにが?」
「この街の勢力図っすよ。十数年前まではきっちり支配してた一族があったんですけど、その血脈は魔法を廃業。結果として超一流の龍脈が管理者不在でぐちゃぐちゃ。結果としていろんなとこから魔法使いが続々集まって来てるんですよ。そんな中で先輩みたいに魔法に関する事をちょこっと知ってしまった一般人。乱れる火種には十分すぎるじゃないですか」
当たり前のように蓮はそう言った。その言葉に和仁は青くなる。つまるところ……
「厄介事に巻き込まれる……と?」
「人斬りがある程度抑えには成ってますけど、アレも無敵ってわけじゃないですし、正直バランス的にはいつ崩れてもおかしくないっすね」
「それは困る……。何とかならないのか?」
「んー、何とかすることは出来ますけど……」
そう言って蓮はにやりと笑った。
女子高生らしくない、凄絶な笑み。
その笑みに和仁の勘は警鐘を鳴らす。だが、彼には彼女にすがる以外にアテが無い。嫌な予感を呑みこみながら続きを促した。
「……出来るが、なんだ?」
「先輩、取引には対価がいる。解ってますよね?」
「お前の落ち度なのにか?」
「だから、取引にしてるんじゃないっすか。本来なら断る。それでおしまいなんですよ?」
ニヤニヤと笑みを深くする蓮の態度に和仁は舌打ちを一つ。
「御手柔らかに頼む」
「あははは。保証はしませんけどねー」
悪魔との契約を結んだ。