下
――……ゥ……ンッ
(ん?)
零戦は上半身だけ起こし辺りを見回す。
(気のせい……か?)
微弱な“何か”を感じた。だが何を感じたのかは零戦にも分からない。今までの、前の自分では感じなかった微弱な“何か”を何となく感じた時の感覚、ただの気のせいだと思える程度。
――…ズ…ゥ……ン
だがそれは気のせいではないと確信するのはすぐ後の事だった。地面から微かな振動が体に伝わり、微かな音を耳で聞き取る。
――ズゥ……ン…ッ
(何だ? 何となくだけど地震じゃねぇ何か……あ、そうそう似てるものに例えるなら工事現場に向かう大型車の通る際に感じる振動的な、けどそれよりもでっかい“何か”)
すぐさま立ち上がり起源を探る零戦。表情に浮かぶのは未知に対する不安の色、ではなく、好奇心を刺激された嬉々とした笑みを浮かべていた。
(これだこれ、こういうのを待ってたんだよ俺は……!)
異世界、しかもフャンタジー世界。前の世界では在りえない、在りはしない摩訶不思議な事が起きるのを密かに期待していた。流石に異世界到着後早々向こうからやってくるとは思いもしなかったが、運が良い、嫌この場合不運か? 等と悩んだがすぐにどうでもいいやと思考の外に放り出す。
「さあ、鬼が出るか蛇が出るか、ととっ!?」
微弱な震動が徐々に強くなりやがて大地が鳴り響き、大規模な地震とさほど変わらない揺れが零戦に襲い掛かる。
木々は葉をすべて落すように揺れ耐えきれなかった木は根本から地面をむき出して倒れ、地表は割れ大地に裂け目を造りだし地層を剥き出しにした。
「…ッ………ッ!?」
想像以上の揺れに嬉々とした笑みを浮かべ楽観視していた零戦も流石に危機感を抱く。堪らず唸るが地響きにかき消される。尻餅を尽きそうになるものの地震に負けるか! と変な所で意地を張り根性と今持てる力を出して膝を突くに止まり耐え抜いた。激しい揺れは意外にも早く収まりを見せ収束していき止んだ。
「と、止まったか」
脅威的な地震が収まった事でまだ心臓がドキドキと脈拍が痛いほど打っている。それでも一応心に余裕が出来ており零戦は周囲を見渡す。零戦が見渡す事が出来る視界の範囲内だけでも辺りは荒れるに荒れ果て、先程までのんびりと休息をした森とは思えない悲惨な状態に変貌していた。
(こりゃあ……無関心な俺でも思う程ひでえ。こんな地震が平和ボケの日本でも起こったならヤバ過ぎる被害が被っていたな)
自分も巻き込まれていたらどうなっていたかと冷や汗をかき、零戦は先程までいた場所を見つめる。それなりに心地の良かった草の敷かれた寝床は今では亀裂が無数に入ったとても心地よく寝転べそうにない場所に変わっていた。
少しだけとはいえ、自分が先程までのんびりと休息し当たり前の幸せを満喫していた場所がこのような災難に見舞われた事に零戦は少しだけ哀愁が移るその時――恐怖を覚えるような悪寒が零戦を襲う。
「ッ今度は――」
――何だ、とは続かなかった。零戦は“何か”に地面ごと吹き飛ばされ言葉を遮ったのだ。
(な!?)
痛みは殆ど無かったが思いがけない奇襲に一瞬思考が停止し真っ白になった。しかし折れて倒れ積み重なった木々の上に吹き飛ばされぶつかった衝撃ですぐに思考を再開し先程まで居ただろう方向に零戦は視線を送り、“何か”を認識した。
“何か”を視認した瞬間、零戦は目を見開き恐怖に慄いた。同時に、本当の意味で異世界に来たのだと実感し理解させられた。
「おいおい……」
愕然と言葉を呟く。“何か”は蛇のような細長い体だが、成人男性三人がやっと囲える位の胴体、見るからに頑丈な黒い甲殻をほとんど身体全体を覆い、凶悪な歯を剥き出しにし何でも噛み砕きそうな口を持もつ存在。零戦は正体や総称は分からないが、一つだけ分かった事がある。
「――シュウウウウウゥ」
“怪物”と、誰でも当然の如く必然的にその存在をこう呼称するだろう存在。
「ラノベならまだ三話ぐらいのプロローグだってのにいきなりボスモンスターとご対面かよ……」
茶化すように言うが言葉の色には恐怖が混じっていた。恐怖に固まる零戦に怪物は剥き出しの凶悪な歯の口を開き零戦に一直線に加速し迫る。その光景はさながら線路に萎縮して佇む哀れな子羊に気付かない新幹線が高速で向かって来るかのよう。
(って冗談を連想している場合かよ俺ッ!)
零戦がその場でとった咄嗟の行動は気が狂ったのではないかと正気を疑う行為。何と怪物の突進を真正面から受け止めた!
「ぐぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉォッッッ!!!」
絶叫とあまり差し違えのない咆哮を上げた。木々を薙ぎ倒し土を抉るほどの突進をしながら怪物は歯に挟まった獲物を噛み殺そうと歯に力を加える。噛み殺されない様に必死に身体中の力を振り絞って歯を持ち上げジェットコースターのような圧力に口の中に押し込まれないよう耐える。
「こ、このヤロッ……!」
自分を喰らいに迫る巨大な怪物に零戦は顔を蒼白にして涙を流し恐怖を浮かべた。気を緩めば今にも怯え声を上げ尿意が漏れそうなのを根性と意地で引っ込める。
(今思ったけどスゲェな俺の身体ァー! けどやべえーぞこのままじゃ死んじまう! 一回死んでるけどあれとはまた別だ! 喰われてグチャグチャに死ぬのなんて嫌じゃーボケナスッ!!)
内心は口汚く泣き言を吐き続けるがこの状況では致し方なし。一度は死んだもののシチュエーションが違う。
あの時は苦痛にジワジワと絞められるような死に方は死ぬまでの間に時間があった故に心の準備というものが用意できた。気持ちが整理できた為に何とかなったのと自分の世界に絶望して生きる意志や目的は何もなかった事で死に対する拒絶は激しくなく受け入れる事ができたのが大きい。
明確な喰われるという本能から呼び起される死の恐怖と生きたい意志と目的を有した事で死を阻み死に恐怖する。
(俺はまだ、生きたいんだ!)
恐怖によってか今までにない現象が零戦の頭の中で起きた。思考の回転速度が加速し死ぬ間際の走馬灯の如く速くなり目の前の光景が遅れてるように見え、その中で涙で視界がぼやけながらも零戦は怪物の歯に一つの亀裂がある事に気付くのを見逃さなかった。
(――ッ)
反射的に零戦は歯の亀裂に向かって思いっ切り頭突きを繰り出す。まるで金属同士を激しくぶつけた鈍い音を響かせて自分を噛み殺そうとした怪物の凶悪な歯の一部は呆気なく砕けた。
「シュウァアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」
「うおっしゃあー脱出!」
怪物は悲鳴を上げ鎌首を擡げ噛む力を緩めた。その隙に零戦は怪物の口から何とか脱出する。
(うぉ怖かった! 死ぬかと思ったー! 今世で一番死ぬかと思ったぞチクショウー!)
転がるように着地し怪物から少し離れて薙ぎ倒された木々が丁度身を隠すのに適している場所を発見しあたふたしながら飛び込み身を潜めた。感づかれない様に荒い息をできる限り静かに、そして呼吸を整えながらこの状況をどうするか考える。
(よし運よく脱出できた! としても不味い不味い。どうすればいいこの状況、逃げ出そうにもぶっちゃけ情けないことに腰が抜けてて走るのは無理だし怖すぎて心身ガタガタだクソッたれ! あーまだ異世界召喚から半日も経っていないのにフャンタジーなモノ何にも見れずに死に逝くなんて嫌だあー! あ、この怪物がフャンタジーか)
完全に怖気付いていた。望んでいなかったとはいえ、元は平和な日常のぬるま湯で過ごしてきたのだ。望んでいたとはいえ、いきなり現実離れした命を懸ける戦いの湯船の熱湯に落とされてしまっては堪らず逃げ出すのも仕方ない。
(ちっ折角、憧れの異世界に力を与えられて来たってのに何だこの情けないザマっ)
だがそれが零戦には無性に悔しかった。恐怖に負け情けなく身をちぢこめて隠れる自分に悪態づき憤る。そして自分の事で考えるのが集中し注意が散漫してしまい、怪物が零戦の隠れている場所に身を撓らせ叩き付けてくるのに気付くが遅過ぎた。
「しまっ――」
ハッとして寝転ぶような体制から身体を起こすも間に合わず、ドンッ! と隠れ場にしていた折れた木々をさらに破壊し僅かばかり生まれた衝撃波が地から伝わり先程の地震には到底及ばないが地響きが起こり辺りに拡散する。一溜まりもない一撃。
「……ぃってえ――な!」
鈍い轟音が怪物の巨躯はへの字にして吹っ飛び木々と割れた地盤を下敷きにして地面へと激しい勢いで倒れた!
「クッソ、微妙に硬ってえなおい」
常人なら死は免れぬ一撃、あの圧倒的な重量で押しつぶされ肉薄の下敷きになっていただろう。だがしかし、零戦は潰れてはおらず傷も見当たる形跡はなく服が先程よりもボロボロになり女性にとって大切な場所をギリギリ何とか隠せている状態に変わっていただけだった。
それはそれで大変な気もするが驚くべき所はそこではなく、無傷だという事実、そして怪物を吹き飛ばせるだけの異常なパワーを持っていた事。これは零戦自身が一番驚愕していた。
(これは……)
先ず間違いなく死んでいただろう一撃は余り痛みを感じなかった。例えでいうと包めた重い布団を叩き付けられた感じに近かかった。布団とは比べ物にならない重量級のパワーを繰り出した怪物の一撃を布団で例えるのはどうかと思うが。
(すげえ、すげえぞ! 予想以上だ俺の体! そうだよそう何で忘れちまっていたんだ、俺は運良く身体能力強化の力を持っているじゃねえか!)
何も恐れることはなかった。運が良かったのではない、それだけの力を持っているから怪物の突進を受け止められ轢き殺されず力があったから喰われずに済んだ。見てみろ、頑丈な石頭と強烈なパワーの頭突きで怪物の歯が砕けたではないか。
ヘビー級ボディプレスを受けても精々服がボロボロになって際どくなっている程度の被害。あの巨躯を華奢なこの腕で殴れば吹き飛ばせたではないか。
怪物と戦えるだけの力が――在る!!
予想以上の体の頑丈さと脅威的な力に零戦は新しい玩具を手に入れた子供のように爛々と舞い上がらんばかりに歓喜した。
「今ならもう何も怖くないな!」
恐怖はまだ微かにある。だがそれは戦意喪失する程でもない。しかも怪物と対峙して恐怖と絶望以外の感情は湧きあがらなかった筈なのに今ではドンドン湧き出るこの高揚。怪物相手に何処まで力が通用するか試してみたいという闘志をたぎらせている。
「こいよデカ物! 今度はその自慢の歯全部叩き折うおっ!」
言っている途中に再度零戦に喰らいつこうと迫る怪物を右に跳躍して避けた。
(チッ、そこは最後まで台詞を言わせて挑発されてから来るんだろこの――)
急な方向転換ができないのかそのまま直線に突き進む怪物。その巨躯に似合わぬ高速度で風圧を巻き起こし風圧で服がバタつき見えてはならない所がチラチラ見えるも零戦はまったく気にもしなかった。
「――ボケがあああああああっ!!」
拳を固め脚に力を籠め踏み込み地盤を抉るほど脚を突き出し怪物に向かって爆音と聞き間違える轟音を発て放たれる空気を裂く砲弾。人の常識を逸した速度で突貫する零戦は怪物の横っ腹を全力で拳を叩きこむ。
怪物の並の鉄よりも遥かに硬質な甲殻は円形に砕け、人より遥かにデカい巨躯は吹き飛び驚くほど垂直百八十度で大地へと叩きつけられる。倒れた衝撃でまたしても大地が舞い上がり土砂が降り土煙が拡散した。
怪物が殴り飛ばされるのを見届けた零戦は一瞬気を緩めたも油断せず次また襲って来ないか警戒している。が、それっきり襲って来る様子と動く気配がない事に怪物は死んだのか生死を確認する為近づいて確かめた。
「……本当に死んだ…のか?」
半信半疑だったがこれで確信がいったという表情を浮かべ安堵に息を吐く。棒立ちで佇み暫くすると身震いを起こし、ぐっと両手を握りしめガッツポーズをとり大声を上げた。
「うっっっしゃあああああああああああああああああああ!!」
人生初の、異世界初の、最初に戦い勝利を捥ぎ取った相手が怪物、これ程の相手に末代まで語り継がれても可笑しくない勝利を成し遂げるのは例えこの世界人であろうと滅多に居ないだろう。
例え与えられ借り物のような力であろうとその力を使って恐怖に負けず戦った末に勝利し自分の手で倒したのだ。
「マジすっげ、いきなり中盤に出てくるようなボスを倒しちゃったぜ!」
感動に身体が震わせ胸の内は喜びに一杯になる。
――異変はその直後に起きた。
「え……?」
地面が揺れ、次第にその震動は強さを増していく。零戦は焦燥感に駆られる。まるで地震を予兆に現れたこの怪物が脳裏に横切る。あり得ないあり得ないと不定するも本能がその不定を肯定させない。刈り取った筈の恐怖が再び心に芽生える。しかもこの震動は――複数起こっている。
『シュァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!』
大気を裂き、或は大地を裂き、禍々しい雄叫びを上げ地上に顕現するのは、特徴、姿形、すべて倒した怪物と似通った黒き怪物の群れ。複数体なんて生易しい数ではなく人の頭髪のように何万とその黒き姿を現した。
「ゥ……ァ……」
怪物の群れの凄まじい威圧感に当てられ身を喰いちぎられるような幻覚に蝕まれ一匹だけとは桁違いの無数の重圧に圧し殺されそうになる。先程の喜びと感動は途方の彼方へと一瞬で消え去り、残るのは果てしない絶望と恐怖。
だが零戦の顔は――――嬉しそうに笑みを浮かべた。
(アハ、アハハハ、スゲエ異世界マジでスゲェぞコラ。いきなり熱烈な歓迎だな、熱い歓迎だがこれは熱過ぎて地獄の窯の中にいるみたいなんですけど……)
絶望と恐怖に支配されるも新たに逞しく勇ましく芽生える喜びと高揚と闘争心。胸の内で高まる鼓動に今にも張り裂けそうになる。
「けどよ、そうだよそうだよこんなのと戦って生き残れば、俺は超スゲエじゃねえか。つか第三者がいれば伝説として語られても可笑しくないだろうが、それに俺はこんな戦いを望んでいたんだ願ったり叶ったりじゃねえか」
無意識に足を一歩踏み出し爆音を奏で音速を超えて大気の壁を越え走り出す。己の望んで夢に描いていた非現実の最終点の――“死闘”。
「ありがとよ異世界! んでもって行くぜ、クソ化け物共がァアア!!」
怪物の群れに跳躍し飛び込み死闘に挑んだ。
血で血を洗うような泥深泥の戦いの末にどちらが勝ったのか。各それぞれの思うがまま。
しかし彼女は、生存している事を此処に記す。
〜終り〜