中
(何で空に居たのかはともかく死ななかったのは恐らく奴に与えられたチート能力なんだろうが、それを差し引いてでも普通に痛いし肝が冷えたわ! だが問題なのはそこじゃないっ——)
野獣の姿を変えられた王様、悪い魔法使いに蛙にされたお姫様、姿形を変えられる童話の数々の登場人物の心境を零戦は垣間見えた気がした。
(不愉快ながら、本っ当に不愉快ながら百歩譲って落とされた事に関しては仕方ないとしよう。大事には至らなかったしな。だが、これとは話は別だ……っ!)
突如姿を変えられた彼等は嘆き、悲しみ、絶望し、意気消沈しただろう、そして今の零戦のように、
「だあぁあクッソっ何で俺が女になる訳だよぉおッ! 水平線とは違うベクトルですっごく驚き過ぎて一周しちまったよ! 一瞬現実逃避しちまったよ!気持ち悪いくらいに平静でいられたわ! マジあり得ねえ!」
尚も収まらず激高する怒りの感情で、
「TS性転換趣味とか、生憎無いんだよ俺は! ノーマルなんだよノーマル! だからこの声が聞こえてるならさっさと元に戻せクソイケメン野郎ゥウウ—————!」
天に向かって気持ちが済むまで己の惨劇に怒り、憎み、吼えたのではないだろうか。
何故このような 具体的な経緯を順に追って振り返る。
心地の良く洗い流す水の中にどこまでも堪能していたいと思ったのも束の間、何かに急に引かれ上空に放り出される。突然の環境の一変に混乱が止まぬままの間に地上に落下、 不格好な醜態を日の下の元に晒してしまったのだった。
痛みは全く無くないのなら他の事を心配するべきだと思考し頭に過ったのが自分の犯した醜態。幸い観衆も誰一人として居ない地帯に落とされたようなので今の醜態を見られなかった事に表に出さないが内心ホッとかなり安堵していた。遅れて自分の状況と状態を把握すると生涯で一番の羞恥と屈辱に溜まらず顔から耳まで赤く染めて怒り声を上げたのだ。
ありったけの肺活量で全力を尽くして天に罵詈雑言を零戦は叫び続けた。
「ハァー、ぜえー、くぅ、はぁ、はぁ」
しかし無情にも当然というか、その叫びは“彼”を“彼女”にしただろう人物には届かない。ぜぇぜぇと荒々しく息を吐き呼吸を整えて顔を羞恥で真っ赤にしながら今の自分の体を見る。
「くっそぉ~~なんで女の体になっちまったんだッ、ちょっと細身な体を気にして鍛えてたのに鍛えたのが嘘のような体! 胸が重くて服につっかえて邪魔臭くて鬱陶しい! なんか妙に腰がほっそっ! それにそれにケツが男の時より無駄にちょっと大っきくなってないか? おまけに股の相棒の喪失感がハンパないって言わせるな! 色んな意味で恥かしいぞクソッタレッ!」
およそ全女性が魅了し全望の眼差しを向けられるだろう抜群のプロポーションに全女性の嫉妬と怒りを買う暴言を吐き捨てた。
が、自分が咄嗟につい口走った発言の不味さにハッと気づき慌てて弁解を述べる。
「ご、誤解を招かないよう言っておくが別に異性や女性が嫌いな訳じゃないからな! ホモとかゲイとかじゃないからな! あ、あれだよ! 性転換とか女体化とかオカマとかは俺はどうっしても駄目な性分だからだ! 一方的に断固拒絶って訳じゃないぞ、ただそういう人種が単に苦手で嫌いなだけだ! ……俺は誰に話してるんだよ」
口汚く吐いた罵倒とは裏腹に頭の中は恥かしさのあまり悶え死にそうなほどで誰もいないのに無駄に説明する程に錯乱状態の様子は、本心からではなく褒め言葉を言おうにも羞恥心からつい口悪く言ってしまった反抗期真っ盛りの少年少女の心境と類していた。何かに堪え切れず悶える。
「あぁっこなくそがあ~~」
怒るのも無理はない、突如自分の身体を跡形もなく変えられるなど怒りよりも恐怖を覚えても可笑しくない。だが怒りの方が恐怖より今の零戦には勝る様だ。叫んでも解決しない問題に苛立ちチッと舌鼓を打つ。
少しでも荒ぶるイラつく感情を発散させようと近くにある木を目星に付ける。美人台無しの般若の顔で木に近づき、怒りに任せて拳を振り被って幹の中心を殴り——木をへし折った。
「え?」
予想外の出来事に唖然。唖然とするコンマ数秒の間に轟音と共に叩き折れた木は一瞬で拳のぶつけた方向に吹っ飛び先にある他の木々に激しく衝突する。巻き込んだ木々諸共、深い破壊の損傷を残し残骸が飛び散っていっているのを零戦はただ呆然と眺める事しか出来なかった。
ただ自分は無造作に拳を振りかざしただけなのに、理解を超えた“力”の前に思考が追い付かなかった。それ故、自分に目がけて飛び散った一際大きい鋭利な木の残骸の対処に反応が遅れてしまった。
(イィッ!?)
気づこうともう既に遅し、凶器と化した木の残骸がよくも叩き折ってくれたな! と木々の報復が、零戦の胸の谷間に突き刺さった。
「刺さっ……た」
無意識に呟き確かに胸に凶器が入った感触に零戦は歯がゆいと思いながらも冷静に現実を受け入れた。
(ああクソ早くもゲームオーバーかよ。まさか二度目の死亡原因が自分の破壊した木とは……無益な自然破壊をした俺への因果応報…か……)
目を瞑りゆっくりと後方に倒れていく最中、零戦は己の行いに悔いを改め来世は無暗に自然破壊をしないようにと思いながら地べたに倒れた。
冷たい土の感触に抱かれながら自分が死んだ後はどうなるのか考える。
今度こそ昇天するか、はたまた天からの使いが来るのか、それともまたあの忌々しい怨敵と再会するのだろうか。そんな事を考えながら何れは来るだろう死を零戦は待つ。
……。
…………。
………………。
……………………。
…………………………アレ?
待つ。待つ。待った。が、刻々と幾度待てど迎え人が来る気配はない様子に疑問に感じた末、生死をハッキリと自覚する為声に出す。
「生きてるじゃん」
むくりと上半身を起こし胸を見ると確かに刺さっているを確認する。
(あれ、マジで生きてるじゃねーか。おっかしいなぁ、いやまあ痛みもそんなに感じなかったような気もするけど……こんなぶっとい槍とたいして変わらない凶器が刺さったんだから普通死ぬんじゃ……)
たわわんと胸に挟まった凶器を見て何故自分が死んでないのか考えながらとりあえず胸から引っこ抜く。抜いた拍子に豊満な胸がぽよん、と弾み零戦の目を引くが傷がないか確認する。
血が出てるかと思いきや素肌に目立った傷は一切見当たらなく精々土埃の汚れが被っているだけだった。
無傷の要因は何なのか、少々考えた結果。一つの結論に辿りつきポンと手を叩く。
(あっ成程、胸の弾力で挟まって威力が軽減して直接刺さった訳じゃないんだ。何だそっかーあはは)
「って何でやねんっ!!」
バキッと凶器を苦も見せず容易く握り潰した。つい気持ち半分ノリツッコミの勢いで咄嗟に潰してしまったがとても女の握力とは思えない力と皮一枚も傷付かない掌に怪訝な顔になる零戦。
(そういえば俺の体は空から地面に顔突っ込んでも頑丈だったな。やっぱりチート能力は身体能力系か? そういえばさっき無意識にジャンプした時も今まで以上に飛んでいたの忘れてたな。アホだろ馬鹿だろ。ある程度こういう系統の知識はもっているから察し易いが……生で見るのは初めてって当たり前か)
自分の能力に関心しながら何なのか首を捻る。自分の力がどういうものか説明も聞かされずに異世界に落とされたせいでどう扱い尚且つ使いこなせばいいのか、正確な情報と詳細がないのと今起こった出来事を考慮するとまともに使用できないしぶっちゃけ肝が冷えるから困る。
(うーんこういう能力は大抵シンプルで分かりやすいけど、俺は頭がいい訳でもないし想像とは違うって可能性大だしなー見当違いで自滅って事も小説も漫画とかでも結構あるな。
それに所詮俺の知識はにわか知識、付け焼き刃だ。現実とフィクションが違うのは当たり前、俺の想像が絶対に当たってるなんて確証は無い。
あーくそったれっ、考える事はあんま好きじゃないってのに苦手だってのによぉ~っ)
様々な自論が交差し思考の渦に嵌る。う~ん、と唸り声を上げて知恵熱に煙を上げる頭を乱暴にかく零戦だったが、
(あーやめやめ! とりあえずはこの身体強化系の能力なら早々死にはしないって事が分かったから今はこれでいいか。つかいいじゃん)
おちおち悩み続けても最終的に結論は出ないと至り思考を放棄、諦める。しかし力の一端を行使し今の所の力の範疇は大体分かった。
(いつかはこの力の正体をハッキリさせるけどな)
今はただ闇雲に力を振りかざす事しか出来ないが、何れは力の正体を突止めるの事と、
(でもって超イケメン野郎をぶっ殺して男の体に戻る! これは絶対だッ!)
怨敵にメラメラと復讐の業火を燃え上がらせ必ずや報いると決意した。
(チート能力を貰った事に関しては不本意ながら百歩譲ッッッて有り難く感謝するが女になった事とは別腹だ、あれ? この心情さっきもあったような、デジャブ? まあいいか。今は我慢するがキッチリとこの落し前は必ず……ッ、あ、)
「あ、そういえばここって——」
ある事に気づき己の業火を片隅に置し込め冷静になって周りを見渡す。周りには落ちて来た時にできた地面に穴が開いたクレーター、落ちた時にぶつかって砕けたのかバラバラになった石、木、木、木、草木が覆い茂る木々に囲まれた一帯、森である。
「此処、何処だろう?」
森でしょ、と内心自分でツッコミを入れる。ただ分かる事は自分の知らない場所に降り立った、基落とされたのは確かだ。
(なんか何処でもありそうな深い森の中だな。深い森の中入った事無いけど……けどな~)
異世界なんだからもっと、如何にも異世界だ! と水平線の世界並みといかないまでも劇的な変化を期待していたのに、零戦が見たところ大して地球の植物と何ら変わりがあるとは思えず異世界に来た実感がまだ薄い。
そして序盤の始まりは森というなんともありふれて定番な王道だな、と予想斜め上を期待していたので少しばかりガッカリする。
「けどいっかな、と」
呟きながら立ち上がりパンパンと土埃を払落し気分を切り替える。
(それでも異世界に来れたんだ、贅沢言っちゃあかん)
もしかしたら初日にテンプレで盗賊に追われるお姫様とか偶然にもドラゴンに遭遇なんてゆうロマンがあるかもしれない! そう考えるとワクワクと気持ちが上がり此処に居ても何も始まらないので一先ず森の中へと面白いものでもないかなーと軽い気持ちで零戦は森に足を進めた。
――零戦は気づかなかった、砕けたバラバラの石が怪しく黒く蝕む様に蠢いていたことを。
※
——数時間後。
(すみません異世界舐めてました。森を凄く舐めてました)
早速、とでもなくそれでも頑張った方だが零戦は音を上げ地面に草を敷いたような場所に寝転んでいた。
(くっそ、異世界を舐めていた数時間前の自分にラリアットを食らわしたい)
チートという名の力を与えられ元の世界の常識外れな腕力と頑丈な体になった、危険な猛獣如き害虫如きでは相手にもならない、筈だ。
しかしそれも相手が居なければ効果は発揮しない。何故かこの森には生物の影や気配すら一匹たりとも居ないのだ。息巻いていた故に気分もまたガックリと落ちた。
異世界に連れてかれ初めての冒険に胸を躍らせ子供の頃に戻ったように未知の森を探検する。下手な事を仕出かさなければ死にはしないし襲ってきても大丈夫だろうと楽観視して、零戦は迷ってしまった。
此処は森の中。素人が当てもなく彷徨えば迷う事になるのは当然である。
(自分で言うのもなんだけど馬鹿だろう俺、見知らぬ場所をただ闇雲に歩けばぐるぐる回るのなんて有名な話じゃん。あーチクショウ、せめて位置情報くらいあったらなー教えろよあのクソ野郎。このままじゃ無駄に体力と精神力を減らすだけだぞ)
零戦は考え無し事の原因を招いた自身とこんな事になっているのも全部あいつのせいだと怨敵に理不尽な悪態をつく。
しばらく休息にしようと寝転がった体制のまま目を閉じる。
(あーなんだろう。凄く気持ちが良い)
肌の上を流れる心地の良い風、濁りの無い澄んだ空気、鼻孔を擽る森の香り、硬い地面に生えた草の感触、優しく暖かい太陽の日差し、元の世界では零戦にはあまり感じられなかったものばかりの体感に嬉しくなる。
社会に強いられず、何者にも縛られず、重荷を背負わず、ただ己の赴くがまま思うように進む。迷ったのは確かに憂鬱だ、だが、
(なんと心地が良いのやら……)
零戦は穏やかな笑顔を浮かべて、ほんの些細で大きな幸せにもう少しだけ堪能する事にした。