第1話 婚約破棄と「二度と顔を見せるな」
王立学園の大講堂は、今年も過剰なほど華やかだった。
天井から下がる巨大なシャンデリア、磨き上げられた白い床。色とりどりのドレスと軍服が渦を巻き、甘い香水と焼き菓子の匂いが混ざり合う。
その真ん中で、わたくしは「完璧な公爵令嬢」を演じていた。
「レイチェル様、本日もお美しいですね」
「ごきげんよう。そちらこそ、とても素敵ですわ」
笑顔、角度、声の高さ。全部いつも通り。
けれど心の中では、まったく別のことを考えていた。
(さて。今日が、ゲームでいう断罪イベント当日なんですよね)
前世で遊んだ乙女ゲーム、光の聖女と四つの王冠。
その悪役令嬢ルート、卒業パーティーでの公開断罪。
ヒロインをかばう王太子、涙目の聖女、ひざまずかされる悪役令嬢。
……よりによって、その悪役令嬢に転生したのが、わたくしレイチェル・アルノーである。
(ここまでフラグ折りまくってきたのに、シナリオ補正強すぎません?)
視線を巡らせると、ホールの奥がざわめいている。
王族専用席。金髪碧眼の青年――わたくしの婚約者、エドワード殿下が立ち上がった。
その隣には、ふわふわとした栗色の髪の少女。純白の聖女服、涙をためた大きな瞳。
異世界から召喚された聖女、エリス・クライン。
(ああ、ヒロイン様も準備万端って顔ですね)
楽団の音が途切れ、司会役の教師が慌てて道を開ける。
静まり返った大講堂に、殿下のよく通る声が響いた。
「皆の者、これより大切な告知がある」
堂々とした口調。
けれどわたくしには、あの背筋の硬さが緊張ではなく、自己陶酔から来るものだと分かる。
「レイチェル・アルノー。前へ」
視線が一斉に刺さる。
わたくしはドレスの裾を整え、ゆっくりと壇上へ歩いた。
(転ばないようにだけ気をつけましょう。悪役令嬢がすべるのは評判が落ちます)
壇上に立った途端、エリスが小さく悲鳴を上げる。
「こ、こわい……レイチェル様の目が……」
途端に広がるささやき声。
「また聖女様を怯えさせて……」
「やっぱり噂は本当だったのね」
(テンプレ通り。はいはい)
国王側近の役人が前に進み、巻物を広げた。
「レイチェル・アルノー公爵令嬢は、この学園において聖女エリス殿に対し、度重なる侮辱および陰湿ないじめ行為を働き、さらには毒物を用いた暗殺未遂に及んだ疑いが濃厚である」
ざわめきが増す。
わたくしは、その「証拠書類」とやらに目を落とした。
(納品書、厨房の使用記録、証言書……字の癖が全部ばらばら)
インクの色も、紙の質も新旧が混ざっている。
しかも書式は、わたくしが公爵家の事務改革で統一したものそのまま。
(偽造するなら、せめてフォーマットくらい変えませんこと? 前世のブラック企業でも、もう少しましな改ざんしてましたわよ)
口元が少しだけ笑いそうになり、慌てて扇子で隠した。
「エリス」
殿下が聖女の肩にそっと触れる。
「怖かっただろう。もう大丈夫だ。僕が君を守る」
「で、殿下……わたし、殿下の婚約者様を悪く言うつもりなんて……でも、こわくて……」
エリスが震える声で言うたび、周囲から同情の吐息が漏れた。
殿下は優しく彼女を抱き寄せる。完璧な「聖女の守護騎士」の絵面だ。
(うんうん。分かりますよ、そのポーズ。パッケージイラストにもなってましたものね)
殿下の視線が、今度はわたくしに突き刺さった。
「レイチェル。君は聖女エリスに数々の非道を働き、多くの者の心を踏みにじった。
そのような者を、これ以上、王太子妃の座に置いておくことはできない」
(できない、じゃなくて、したくない、でしょうね)
「よって」
殿下は胸を張り、高らかに宣言する。
「今日限りで、僕は君との婚約を破棄する!」
大講堂がどよめきに揺れた。
悲鳴、驚き、安堵、嘲笑。さまざまな感情が渦を巻く。
わたくしは、その中心で黙って立ち尽くした。
(ここで泣き崩れてくれ、と顔に書いてありますわね、皆さん)
前世のわたしは、理不尽な上司に怒鳴られても謝り続けて、最終的にデスクの上で過労死した。
あのとき、心の底から思ったのだ。
――どうして、全部投げ出して逃げなかったのか、と。
(同じ失敗は、2回も繰り返しませんよ)
わたくしはゆっくりとドレスの裾をつまみ、完璧な礼を取った。
「かしこまりました、殿下」
静寂が落ちる。
「婚約破棄の件、ありがたくお受けいたしますわ。
わたくしのような悪役を、これ以上そばに置いておくのは、ご負担でしょうから」
わざと、自分を悪役と呼んでみせる。
ささやき声が、今度は戸惑いを含んだものに変わった。
殿下が眉を寄せる。
「レイチェル、お前は自分の罪を――」
「ただ、1つだけお願いがございます」
わたくしは静かに言葉を重ねた。
「どうか殿下。二度と、わたくしの前に現れないでくださいませ」
空気が、凍りつく。
「本日をもって、わたくしは殿下の婚約者ではなくなります。
ですから今後、わたくしの人生に干渉なさらないと、お約束いただきたいのです」
「な、何を……」
「わたくしは殿下の所有物ではございません。王家の都合だけで振り回される駒にもなりません。
……もう、2度と」
最後の言葉に、前世の記憶がにじんだ気がして、慌てて笑みに塗り替える。
「これで、お互いすっきりしますわね。どうかお幸せに。殿下も、聖女エリス様も」
エリスが、信じられないものを見る目でこちらを見ていた。
わたくしが泣いて縋ると、本気で思っていたのだろう。
沈黙を破ったのは、国王側近の怒鳴り声だった。
「こ、これより告げる! レイチェル・アルノーは爵位を剥奪され、全財産を没収、王国よりの国外追放とする!」
(おや、ゲームより処分が重いですね)
原作では、公爵令嬢から平民落ち止まりだったはずだ。
しかしまあ、処刑ではない。
(命があれば働けますし、生活は何とかなりますわ。社畜やってた頃よりは、きっとマシです)
そう結論づけると、胸の中の重しが、するりと落ちた。
ざわめく貴族たちの間を、わたくしは背筋を伸ばして歩く。
ひざまずきもしない。泣き叫びもしない。
ただ1度だけ、振り返った。
王族席のさらに奥。華やかな金と白の中に、場違いな色が混じっている。
黒に近い濃紺の髪。紅を帯びた暗い琥珀色の瞳。
軍服めいた礼装を身にまとった青年が、柱の陰からこちらを眺めていた。
視線が絡んだ瞬間、彼はわずかに口元をゆがめる。
あざけりでも、同情でもない。獲物を見つけた狩人のような、興味深そうな笑み。
(……ユリウス・ヴァレンティア。敵国ヴァレンティア王国の第2王子)
前世でやり込んだゲームの立ち絵が、脳裏に浮かぶ。
ルートによっては最悪の敵にも、頼れる同盟相手にもなる男。
彼は、誰にも気づかれない角度で、はっきりとうなずいた。
――ようこそ、こちら側へ。
そんな声が聞こえた気がして、思わず笑ってしまう。
(いいでしょう。どうせシナリオがねじ曲がるなら、こちらも好きにやらせていただきますわ)
わたくしは最後まで「悪役令嬢」の微笑みを崩さず、扉へと歩き出した。
こうして、公爵令嬢レイチェル・アルノーの婚約破棄と、
悪役令嬢の第2の人生は、派手に幕を開けたのだった。
【あとがき】
ここまで読んでくれてありがとうございます!
公爵令嬢レイチェル視点の婚約破棄物語、第1話はいかがでしたか。
今回の話では
・あっさり婚約破棄を受け入れる悪役令嬢
・前世社畜ゆえの達観
・そして敵国の第2王子ユリウス
と、今後のざまぁと陰謀と恋愛のタネだけばらまいた感じです。
この先は
・国外追放されたレイチェルの新しい生活
・敵国王子との危険な同盟(仮)
・元婚約者たちが後悔し始める未来
なんかを、テンポよくニヤニヤできる方向で描いていく予定です。
面白い、続きが気になる、と少しでも思ってもらえたら
評価とブックマークを入れてもらえると、とても励みになります。
感想欄で、好きなキャラや印象に残ったシーンなど教えてもらえると、今後の展開を書く力になります。
ここまで読んでくださったあなたに、心から感謝を。
次回も、ぜひお付き合いください。




